その9
今回もフィクションですので、よろしくお願いいたします。
砕氷艦しらせディーゼル員である森から、予定通りに離脱する連絡を受けた護衛艦いずも衛生員の黒川達は白川と合流するため、第4大隊学生舎から理工学3号館へと向かっていた。
黒川の左には大社、真後ろに特務艇はしだて給養員の藤原、その藤原の左に大江山が、自然と足並みを揃えて歩いている。
「大社さん。森からの報告だと、白川さんはレーダーにも興味を持っているらしくて、恐らく1時間は動かないだろうって言っていました」
屋台の並ぶ大隊学生舎の前には沢山の人々がいるため、前にいる人達や、屋台に並んでいる列を避けながら大社に話かけると、大社は同じ様に避け、黒川を横目で見ながら返答する。
「そうですか。だから黒川さん、少しゆっくり歩いているんですね?」
「せっかくですから、もう少し雰囲気も味わいたいって思ったんです。こんなお祭りに参加出来るのは、次は春になっちゃうのかなぁ?って思ったので。」
諦めたような言い方をする黒川に、大社が慰めの言葉をかけようとすると、後ろから大江山が声を弾ませながら話に入ってくる。
「春は良いですわよね。梅や桜を見ながらの野立なんて、とても風流ですわよね?」
大江山がそのように提案すると、藤原はそれに食い付く。
「わあ!良いですね!大江山さん、お茶菓子なら私に作らせて下さい!今、練りきり作るのにはまってて、色々試しているんです!」
「でしたら、今は冬に向かってますし、“冬の和菓子”を作っていただけませんかしら?艇長には私からお話しておきますわね。」
大江山から突然宿題を出され、周囲を見ながらではあるが、頭の中でお題に合う和菓子を考え始める。
大隊学生舎を通り過ぎて時計塔へと差し掛かった時、突然大社に宛てて、無線が飛び込んでくる。
『出雲君出雲君!こちら白瀬!現在地送れ!』
『えっ!?白瀬さん!?こちら出雲。時計塔そば。緊急事態か?送れ。』
普段ののんびりと雑談するような交信と違い、白川の切羽詰まったような声と共に、通信員達が行うような短文を受信したため、大社は前半慌てながらも、後半は冷静さを取り戻して返信を求める。
『出雲君、白瀬!ご、ごめんねぇ!こ、交信直前に急に目の前に蝶が飛んできてねぇ!それが国蝶のオオムラサキにそっくりに見えたんだよねぇ!だけど、良く見たらムラサキシジミだったんだよねぇ!慌ててごめんねぇ!』
『白瀬さん、こちら出雲。落ち着いて下さい。珍しい蝶に似ていてびっくりされたと思うのですが、先に、本来は何を仰りたかったのか、教えていただけませんか?』
急に足を止めた大社に驚き、同じように足を止めて様子を伺う3人。
特に無線が聞こえていた大江山は、訝しむ雰囲気があり白川に疑いを持っているようにも見える。
『ご、ごめんねぇ!本当に言おうと思ったのはだねぇ!?小谷君と一緒に、同じ階にある部屋の電波暗室を見に行く事になったんだよねぇ!そ、それでだねぇ!?電波暗室というのはだねぇ!?他からの電波の影響を遮るために・・・』
落ち着いた白川が、今度は電波暗室の説明を始めようとしたため、大社はそれを無理矢理遮り、3号館の電波暗室の展示場所から動かないよう指示して、いつもの長話に巻き込まれないように無線を終わらせた。
そして、事情が分からない黒川達に説明して歩き出そうとすると、大江山が急ぐよう、意見具申をしてくる。
「さっき白瀬さん、オオムラサキが飛んでいたと仰いましたわね?」
「ええ、確かに言っていました。」
「オオムラサキの成虫は夏しかいませんの。それも白瀬さん本人の口から聞いていますし、図鑑でも確認しましたの。何かの暗号なのか分かりませんけれど、急いだ方がよろしいですわね。」
大江山の意見に、大社を先頭に3号館へと急いで駆け出した。
彼女達が急いで正面入り口へ駆け込むと、3号館と4号館の間にある構内道路に面した方の出入り口から、2人の女性が慌てるように手を繋いで飛び出して来る。
2人は黒川達が駆けてきた道路を逆に辿るように走ると、時計塔の所にある交差点を左折し、大隊学生舎の裏側に向かって延びている構内道路で足を止めた。
「い、いやあ!き、緊張したねぇ!小谷君!?」
膝に手を置いて肩で息をしている小谷に、白川はとても楽しそうに笑顔で話しかけると、彼女から心配そうな顔を向けられる。
「白瀬1尉!?大丈夫なんですか?森士長とか黒川3曹達に怒られちゃいますよ!?」
「大丈夫なんだよねぇ!いやぁ、国蝶のオオムラサキの話を、少し前に橋立君としておいて本当に良かったと思うねぇ!彼女ならこの時期成虫がいないのは知っているから、僕の話から勝手に異変だと思って走ってくれると思ったけど、見事的中したねぇ!」
白川はからからと笑っているのだが、聞かされた小谷は気が気では無い様子を見せる。
「白瀬1尉?そんな話、いつの間にしてたんですか?電話していなかったと・・・わっ!黒川3曹から電話来たみたい!」
「あちゃあ・・・。小谷君はいつのまにか、森君だけじゃなくて黒川君にも番号教えていたんだねぇ?困ったねぇ・・・」
小谷はスマホを取り出すと、恐る恐る着信に応答する。
黒川に訪ねられたのか2人の現在地を伝えようとしたのを察知して、白川は小谷の口に人差し指を軽く当てて黙らせると、彼女の持っているスマホに顔を近づける。
「黒川君?これから“しらせ”は自由行動に入らせてもらうんだよねぇ。こっちから30分毎の定時連絡はするから、1630に防衛学館の所に集合しようねぇ!」
そう言って白川は小谷の手を優しく掴んで軽く引き寄せると、電話口で何かを喚いている黒川を無視して、人差し指で終話のアイコンをタップし、勝手に通話を終了させる。
「黒川3曹、凄く心配してましたよ?本当に大丈夫なんですか?」
「小谷君は気にしなくて大丈夫なんだよねぇ!どうせ、怒られるのは僕だからねぇ?」
「そ、それを気にするなと言われてましても・・・」
「せっかく防大まで来たのに、森君にあれだけ僕の舵を握られてたら、楽しめるものも全然楽しめないんだよねぇ。彼女の性格なら3号館とかに行けば、絶対早く帰ろうとするだろうからねぇ。」
「もしかして、最初からそのつもりで3号館に行ったんですか?」
「それは違うねぇ。興味があったから行ったのであって、折角の貴重な学習の機会である3号館を口実に使うなんて、勿体ない話だと、小谷君は思わないのかねぇ?」
小谷は白川に言いくるめられているように思いながら、しかし、乗りかかった“しらせ”に乗ってしてしまえと、気持ちを切り替える事にした。
彼女達が第3大隊学生舎の裏側に到着すると、白川の提案で海の見えるところはないかと周囲を見渡す。
すると小谷が指をさして、白川へ見えそうな場所を示している。
この海側は、木が生えていて見晴らしが悪いのではあるが、一部だけ木が低く生えている場所があり、立ったままであればそこから浦賀水道を行き交う船舶が良く見えそうである。
しかし、その場所には1人の男子学生が、姿勢を正して立っている姿もある。
白川は何気なく彼を視界にいれると、彼の様子が気になり、そちらへと意識を集中させる。
そこで、小谷にその事を言った上で、彼に対して話かけることにした。
白川は彼に近付いていくと左横に立って、海側を彼と同じ様に向いて眺め始める。
小谷も遅れて到着すると、白瀬の左横に立って同じ様に海を眺める
「こんにちは。失礼するよ、学生君?」
「ええ。どうぞ。」
学生が半歩ほど右側へ移動すると、白川は学生の方に少し向いて礼を述べ、また海の方を眺める。
「ここは、浦賀水道の船舶が良く見えるねぇ。もしかして君は、海上要員を目指しているのかねぇ?」
白川は浦賀水道へ、外洋から入ってきたLNG船へ視線を固定したまま学生へ問いかけた。
小谷はコンパクトデジカメを取り出すと、左側へレンズを向けてシャッターを切っている。
「いえ、自分は陸上要員です。」
「陸上?もしかして希望が海だった、とかなのかねぇ?・・・あ、根掘り葉掘り聞いてごめんねぇ?」
白川は申し訳なさそうに謝ると、学生は気にしないで欲しいと逆に気遣っている。
そこへ小谷が白川の肩を軽く叩くと、白川の耳に自分の手を当てて護衛艦“てるづき”が左側から近付いて来ることを伝え、コンデジの液晶画面で艦首部分をアップにした画像を見せる。
そこには、灰色の艦首に『116』と白の数字が入った護衛艦が写っており、紛れもなく“てるづき”であることが証明された。
学生はそのやり取りを気にするように横目で見ていると、白川と視線が合ってしまい、慌てて視線を正面の海の方へと戻す。
「失礼しました。申し訳ありません。」
「こっちもごめんねぇ?こそこそしちゃって。あっちから今、護衛艦の“てるづき”君がこっちに向かって来ているって、彼女が教えてくれてねぇ。」
白川は小谷へ学生にも画像を見せるように頼むと、小谷は手をのばしてコンデジの画面を学生の方へと向ける。
「これが116の“てるづき”・・・」
学生はそう呟くとスマホを取り出し、小谷にどの辺りに“てるづき”が進んで来ているのか聞いて確認すると、スマホのカメラで数枚撮影をし、何かのアプリを立ち上げて先程撮影した画像を表示すると、少し躊躇いながら画面をタップする。
その様子を少し疑問に思いながらも、白川は自身の頭に過った事を口にしてしまう。
「学生君も、やっぱりみんなと同じ様に、護衛艦が好きなんだねぇ?」
白川は少し寂しそうな表情をすると、学生に向かってため息混じりに呟くような声で言う。
学生はスマホをポケットに仕舞うと、浦賀水道を航行中の“てるづき”を見ながら白川に答える。
「いえ、自分ではなく、海自志望だった自分の対番学生が見学した船なんです。それを思い出して、彼奴にも見せてあげようと思い、撮影したんです。」
「対番学生って、確か1学年下の学生君の事だよねぇ?だったら、“てるづき”君が航行中の事、教えてあげれば来るんじゃあ・・・あ、もしかして屋台とか役職か何かで、動けないのかねぇ?」
白川が疑問に思った事を口にすると、学生は俯いてしまい、地面へと視線を落とす。
最初はただ疑問に思っただけだった白川だが、彼の様子が十数秒変わらないでいるため、段々と自分の言動に問題があったのかと焦り始める。
隣の小谷もどうして良いのか分からず、学生と白川を交互に見る事しか出来ずにいた。
学生はゆっくりとした動作で顔を上げると、“てるづき”の方へと、また視線を向ける。
「彼は・・・残念でしたが、辞めてしまいました。」
「「えっ!?」」
白川と小谷は学生の言葉に対して同時に驚くと、言葉を失ってしまう。
「怪我をしたのがきっかけでした。彼の怪我自体は後遺症もなくて問題なかったのですが、緊張の糸が切れてしまったのか・・・。何度も自分も話を聞いたり、相談にものったのですが、最終的に・・・そうなってしまいました。」
護衛艦“てるづき”は最初に見つけた時よりも、防大に近い付近の浦賀水道の航路を進んでいて、もう少し進むと彼らがいる正面に差し掛かる。
学生は握ったままの右の拳を胸の辺りまで上げると力を込め、悔しそうな表情で自分の拳を見つめる。
「自分がもっと・・・・・・小指や中指の教官達のように、時間を割いて聞いてあげられてたらと思うと・・・。自分の・・・指導力不足でした・・・。」
白川は彼の横顔を眺めながら、どう、学生に言葉をかけて良いのか戸惑ってしまう。
学生は上げていた拳を下ろすと、“てるづき”を見ながら余計な事を言ったと謝罪し、今度は回れ左をして帽子をとると小脇に抱えて頭を下げる。
「学生君、頭を上げて欲しいねぇ。僕も、余計な事を言わなければ良かったと・・・、思ったからねぇ。」
白川は彼に頭を上げさせると、今度は自身が頭を下げる。
学生は思ってもいなかったのか、白川に慌てて気にしないで欲しいと謝罪して頭を上げるように頼む。
「学生君。君は、対番学生の彼とは、よっぽど仲が良いんだねぇ?さっき、写真を彼に送ったんじゃないかと、学生君の話を聞いていて思ったんだよねぇ。」
「はい、送りました。海好きの彼奴に、少しでも元気を取り戻してもらえたらと、思いまして・・・」
学生は海の方へと向くと、“てるづき”に視線を向ける。
白川はそのタイミングで小谷に何かを囁くと、小谷は急いでコンデジを取り出し、動画の撮影モードで艦橋の辺りに向かってレンズを望遠モードで向ける。
「学生君?突然話を変えて申し訳ないんだけど、急いで“てるづき”を動画撮影した方がいいと、先に教えておくねぇ?」
学生は不思議に思うも、白川に言われた通り急いでスマホを取り出すと、動画の撮影を始める。
「知っている理由は教えられないけど、間もなく“てるづき”から発光信号が来るんだよねぇ。」
そう言って白川は、今度は2人に聞き取れないほどに小さく呟くと両脇の2人の様子を伺う。
「準備はいいようだねぇ?それじゃあ、いいかねぇ!?3・2・1、今!」
白川がカウントを終えると1秒にも満たない間を置いて、“てるづき”の艦橋から発光信号が送られてくる。
小谷と学生は少しずつ防大から離れていく“てるづき”を、レンズで追いかけながら動画を無心で撮影している。
“てるづき”からの発光信号の送信が終わると、白川は小さく「ありがとうねぇ」と呟きながら、“てるづき”に向かって無帽のままで挙手敬礼をする。
着帽している学生と無帽の小谷も動画の撮影を終えると、白川を見習って挙手敬礼で護衛艦“てるづき”の航行を見送る。
挙手敬礼を終えると、小谷はどんな文面だったのかを白川に聞いてくる。
白川はメモを取り出すと走り書きしてページを1枚破り、先に学生へと手渡し、同じ内容を今度は小谷へも破って渡す。
そのメモを見ている2人に、白川は解説をするように“てるづき”を見ながら話す。
「“てるづき”君はねぇ?『ワレ、ボウダイノコウハイショクント、ミライノジエイカンタチノ、アンコウイノル。テルヅキ』と、送信してきているんだよねぇ。いやぁ、“てるづき”君と艦長も粋な計らいをしてくれたものだねぇ!」
このように白川は言っているものの、実は白川は自艦のAISによってリアルタイムで“てるづき”の位置を3号館にいた十数分前から把握しており、タイミング良く見せる事が可能だと判断して、この発光信号を小谷に見せてあげようと画策していたのである。
照月と無線を経由して“てるづき”艦長へこの事を伝えると、小谷達自衛官志望者への応援支援だとして快諾を得た。
だが、思ってもいなかった同席者のために白川は、急遽文面の変更要請を照月に行い、最終的にはあのような文が送信されたのである。
この発光信号、第3大隊学生舎の上階からや観音崎灯台付近、更には浦賀水道付近にいたプレジャーボート等からも撮影されていて、この後各種の動画サイトに投稿されると、“てるづき”はとても注目される事になる。
“てるづき”本人にも動画で注目されている事を、他の護衛艦達、橋立や曳船等の横地隊の面々等からも知らされて、かなり顔を真っ赤にして恥ずかしがる事になるのだが、この時はまだ誰もそうなるとは思っていなかった。
2人が白川の書いたメモを仕舞っていると、白川は防大のレクチャーをしてくれた“しらせ”機関士の話を、ふと思い出す。
「学生君、“てるづき”を見たままでも良いから、ちょっと聞いて欲しいんだよねぇ。」
白川はそこで一呼吸おくと、“てるづき”とすれ違いしつつある、大型のコンテナ船に視線を向ける。
「海の方に進んだ君の先輩も、当時同じ様に悩んだと教えてくれたんだよねぇ。彼の対番学生君は、5月の長期休暇後に突然、『学業に着いていく自信が無くなったから辞めたい』って言い出して、彼や、同期や、教官の説得にも応じずに、夏休みに入ってすぐ辞めていったそうなんだよ。」
学生はじっと艦尾を見せて小さくなりつつある“てるづき”を見送るように見つめている。
「君の先輩も言っていたんだよねぇ。『彼にとって防大で一番頼る事になる自分が指導力不足だったせいで辞めていった』って。当時の君の先輩は、2年に進学したばかりでとても忙しかったんだそうで、対番学生君の話を聞いてあげるだけの余裕が無かったらしいんだよ。」
学生は姿勢を崩さず、白川へと言うよりも、海に向かって独り言を言うように、自身の気持ちを吐き出す
「その海自の先輩と私は、とても似ていますね。私の場合も忙しくて、彼が怪我をしてから話をする時間を割くようにしていたのですが、それでは手遅れだったのでしょうね・・・」
白川はそれを聞いて、少し慎重に言葉を選びながら先を続ける。
「学生君?この話には続きがあってだねぇ。彼の対番学生君は、航空自衛隊を目指していたそうなんだけど、辞めてしばらくはアルバイトとかをしながら、一般曹候補生を受験して合格。今は3等空曹らしいんだよねぇ。それに、時間が合えば横須賀や入間で食事したりもしているって、君の先輩君が楽しそうに言っていたのが印象的だったねぇ。」
「そう・・・ですか。」
「そう。それに彼の対番学生君から、後にこう言われたそうなんだよねぇ。『あの当時、自分の話をじっくりと聞いてくれた事に、今、とても感謝しています。同期や指導教官達にもです。そうでなければ、自分は空自を再び目指していたか分かりません。闇夜の中で空路を見失い、自分の居場所も喪失していたかもしれません』って。それで、ここからは僕の想像だけどねぇ?」
白川は姿勢を正して回れ右をした上で不動の姿勢をとると、学生はその所作が基本教練通りに見えて驚き、それに少し慌てるも、失礼のないようにと回れ左で白川の方を向き不動の姿勢をとる。
「君の対番学生君も・・・、今は自分の航路が五里霧中で、しかも羅針盤も壊れてしまっているのかもしれない。そして、自分の居場所も進むべき航路も見失い、不安に思っているかもしれないねぇ。そんな彼を支えてあげられるのは学生君、君なんだと僕は思うんだよねぇ。だって、対番学生君が辞めても、さっきみたいに連絡は取り合っているのだからねぇ。」
「ありがとうございます。これからも彼を・・・」
学生がそう言いかけると、白川はわざと遮る。
「話を遮って申し訳ないけど、支え過ぎないように気を付けて欲しいねぇ。」
「支え・・・過ぎない・・・?」
「そう、支え過ぎない。冷たい言い方に聞こえるかもしれないけどねぇ?君は将来、陸上自衛隊の幹部学校がある、久留米に行くんだよねぇ?」
「はい。陸上要員ですので。」
「君は、海自や空自よりも人数の多い、陸自の士官になるんだよねぇ?となると海や空よりも様々な事が、士官にはのし掛かってくると思うんだよねぇ。その全員と、対番学生君と同じ様に対応していたら・・・、真面目でいつも真剣な彼女と・・・同じ様になってしまうんじゃないかと、僕は学生君の話を聞いてとても不安になったんだよねぇ。」
白川は話を区切り、45度左方向に体ごと向けると、両腕を後ろに回して足を広げ、すでに小さくなった“てるづき”を見る。
「学生君。これは僕が聞いた、ある1等海尉君が経験した、昔話なんだけどねぇ・・・」
数秒瞑目すると、白瀬は目を少しだけ開けて、あの時の記憶を呼び出す。
「1尉はあの『国難』と呼ばれた大規模震災の時、国外からの帰国途中に一報を聞いたそうで、自衛官として一刻も早く帰国したいって思ったそうなんだよねぇ・・・。そして、自分の持てる能力で人助けを1分1秒でも早く開始したいと・・・強く願っていたんだよねぇ。でも、1尉の所属していた艦艇は大型で、しかも瓦礫が浮かんでいるせいで優秀な護衛艦君達も・・・、被災地域の港へしばらく入港出来なかったそうなんだよねぇ。しかも、帰国したあと、1尉は仲間とのいざこざで心が折れてしまってねぇ・・・そのまま・・・」
白川はそこで言葉を詰まらせると、ゆっくりと顔を持ち上げて空を見上げる。
彼女の視界には羽を広げて、上空を滑るように飛んでいる鳶が数羽写っていて、それを視線だけで追う。
数羽のうちの1羽が防大の方角へ進路を向けると、白川の視界から外れる。
「ごめんね、学生君。続けるけどねぇ?1尉は形だけは復帰出来たんだけど、それは本当の1尉じゃあ無かった・・・かも、しれないんだよねぇ。・・・僕はねぇ、学生君。君もその1尉のようになって欲しくないから、冷たいような言い方をしたんだよねぇ。支える側の君が折れてしまわないか、とても心配だったんだよねぇ。それに僕はねぇ・・・、人間というものは、とても強い・・・けれど・・・弱くもあるもの、と思っているんだよねぇ。・・・君はもう少し肩の力を抜く事を・・・、覚えようねぇ?」
学生は白川の言葉を少しずつ、自分なりに解釈しながら飲み込んでいっているようにも見える。
「そうだ。陸自の君にもう1つ、話をしておきたい事があるんだよねぇ。」
「それは・・・どんなお話でしょうか?教えて下さい。」
白川は少し勿体ぶるように第3大隊学生舎を背にすると、顔を学生の方へと向ける。
「それはだねぇ?対番学生君は海自を目指していたと聞いたから海自で例えるんだけど、君の方は補給艦の事を知っているかねぇ?」
「自分は補給艦という名前くらいしか、残念ながら分かりません。種類や名前は・・・申し訳ありません。」
「それでも大丈夫。それでねぇ?補給艦と補給される艦艇は、常に適切な距離を保たないと、流体力学的に自然とお互いが引き寄せられるように動いて、やがて衝突してしまうんだよねぇ。でも、だからといって離れ過ぎるとパイプが届かなかったり、補給中ならパイプが千切れて燃料が漏れたりして危険なんだよねぇ。細かい事は民間人の僕には分からないけど、これを聞いたとき、『ああ、人の付き合い方と艦艇は似ているんだねぇ』って、とても感心したんだよねぇ。」
「艦艇と似ている・・・。そう、ですね。とても良く似ていますね。」
「細かい事は、もしかすると対番学生君の方が詳しいかもしれないから、聞いてみてはいかがだろうねぇ?コミュニケーションのきっかけにもなると思うんだよねぇ?」
そう言った白瀬は小谷へ今帽子を持っているか聞くと、自分ので良ければと、バッグから国際信号旗UとWのピンバッジがついた砕氷艦“しらせ”の部隊識別帽を取り出して白川に貸し出す。
白川はそれを被ると学生と正対し、学生も白川と正対する。
「それじゃあ、長々とつき合わせてごめんねぇ?・・・陸上要員の学生君に、これを言うのもおかしいかもしれないけど、君の今後の進路の安航を、海の上から祈っているからねぇ?」
白川が挙手敬礼しようと手を上げかけると、それより先に学生が挙手敬礼を行う。
白川は複雑そうに笑顔を浮かべると、海自式の挙手敬礼で答礼して、今度は白川の方が先に手を降ろす。
そして、UWのピンバッジを指さして学生に説明すると、小谷に声をかけて第4大隊の学生舎へと向かって歩いていった。
学生がその背中を見送っていると、彼のスマホに新着をしらせる音が聞こえる。
彼は急いで第2大隊の学生舎の自室へ戻ると、スマホを取り出して確認する。
相手は対番学生本人からで、『“てるづき”のレアな写真、ありがとうございます!』と返事が返ってきていた。
学生は徐に対番学生へ電話をかけると、動画で撮影した“てるづき”からの発光信号の話や、白川から聞いた補給艦の話を始めたのである。
さて、ここで綺麗に終われたならば良かったとは思うのであるが、帰って来た彼女達がどうなったかも、今回お知らせをさせていただく。
2037i現在、護衛艦“きりしま”士官室には“きりしま”艦長から許可を得て、霧島、出雲、橋立が部屋を使用している。
3人とも常装冬服で、霧島と出雲はスラックス、橋立は普段同様のスカート姿である。
霧島は普段座らないようにしている、白いカバーのかかった艦長専用の席に腰を降ろしている。
その表情はとてもではないが楽しそうにはしておらず、時々イライラしたように指でテーブルを叩いている。
「・・・であると。なるほど。出雲はアウトには近いが、相手が自衛艦を自衛官だと勘違いしてくれるように言った事を考慮して、この件についてはセーフにしておく。今後注意するように。次に橋立だが・・・、貴様は何を考えている!よりにもよって白瀬を止める役割をするどころか止められず、しかも自分が率先して暴走するとは!」
霧島の怒鳴り声に橋立は臆する事は無いものの、ただ謝罪をするだけであった。
「『それから晴海にいる白瀬!自衛官側の黒川3曹、森士長、藤原1士に多大なる迷惑をかけただけでなく、民間人と一緒に行動していたそうだな!!』」
この霧島の怒鳴り声は、無線で白瀬に届いただけでなく、出雲、橋立両名には無線と耳からとの二重奏となっていた。
『そんなに怒鳴らなくても、聞こえているんだよねぇ・・・。それに、これから観測隊員君用の食堂で、鬼のような形相した森君に、霧島君の決めた30回もするのを立ち会ってもらうから、僕からの通信は終わりにするねぇ・・・。あぁ、もう、本当にいやd』
「『白瀬!言いたい事があるなら、最後までちゃんと言え!!』」
文句を言いながら通信を途中で切った白瀬に青筋をたてながら、終えたら報告をする事と通信員を通して確認するため誤魔化せない事を言い添えて、霧島も通信を打ち切る。
「それでは橋立、腕立てを開始する。時間は気にするな。たったの30回が終われば、それで終わる。」
先程よりは柔らかい口調ではあるものの、橋立に対して一睨みすると立ち上がる。
「橋立!腕立て用意!!」
橋立がその場で腕立て伏せの準備をすると、霧島はそれを見て今度は出雲を見る。
「出雲、防衛大学校ではこういう時どうするか、聞いているな?」
「はい。“連帯責任”として仲間と一緒に腕立てを行うと、艦長達より聞いています」
霧島はテーブルの脇に移動すると、出雲の足元で腕立ての腕を伸ばした体勢のままの橋立を見やると、出雲に視線を戻す。
「正解だ、出雲。ちゃんと聞いてくれていて良かった。腕立て用意!!」
出雲も橋立の左側で腕立ての体勢をとり、霧島の号令を待つ。
「橋立、腕が震えてないか?まだ始まってないぞ?」
橋立の腕が良く見ると震えているのに霧島は気付き、先程の怒鳴り声とはうって変わって優しく声をかける。
「た、確かに、まだ始まっていませんわね。」
「その割には辛そうに見えるぞ?」
「たいした事は、あ、ありませんわね」
霧島の様子に橋立は、単に自分を気遣っているわけではなく、話を引き延ばしたいだけだと察する。
「出雲、橋立。顔を上げろ。始めるぞ。0.1!」
霧島の号令を聞いて、今回は乱数ではなかった事に安堵する。
何故なら別の護衛艦の艦魂が腕立てをさせられた際、途中から乱数になった挙げ句に、1からやり直すといった事が発生していたからであった。
「0.2!出雲遅い!ちゃんと聞いて反応しろ!!0.3!」
こうして彼女達の1日は、まだまだ続くのであった。
お楽しみいただけたでしょうか?
今回は腕立て伏せが書きたかったがために、大社、白川、大江山の3名には自由に動いていただきました。
なんですけど、白川さんは・・・通常通りな気もしますねぇ?
それでは次のお話もお楽しみにしていただけたらと思います!