26話
意識が覚醒すると周囲が何やら賑やかだ、目を開けるとどうやら朝議の間だな。声のする方を向いてみると……。
「では姉さまは我を謀るつもりでこの場所を勧めた上に、監視の術を仕込んでいたのですか!」
「ひぃぃ! だ、だってはぐれのままじゃ魔界に帰れないんだもん! ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!」
プンプンと言った擬音が似合いそうな表情で、腕を組み仁王立ちしてるお館様と。床に正座して涙目で謝り続ける見覚えのないチビッ子。そして疲れ切った様子でソファに寝っ転がってるクロとカガミの姿があった。
身を起こすと目を輝かせて俺を見るチビッ子……はて? 彼女は虎の獣魔族のはずなのに、俺やお館様と同じような山羊の角がちょこんと生えている。
「目を覚ましたか! さぁダーリン、アタシの為に妹を宥めてくれ」
俺の背中に回り込んで隠れながら、なかなかに勝手なことを抜かすチビッ子の襟首を掴んで、お館様の前に突き出す。
「申し訳ございません、何がどうなったのでしょうか?」
「うむ、まぁその前に自分の顔を見てみろ」
手渡された手鏡を覗いてみると……ん? なんか顔が汚れてるぞ、激闘のなごりで痣でも付いたか? 汚れを手で拭ってみても落ちないし、テーブルの上の手拭きで擦っても変わらない。っていうかこの紋様見覚えがあるというか虎っぽい?
「魔界では精気が生み出されず、地上と魔界を繋ぐダンジョンの周囲でしか作物は育たず、まして子供を作る事も出来ない。これは教えたな?」
ダンジョンの大前提なのだからそれは当然知ってる。精気を集めて魔界に送るのも、すべて魔界に生命を育むためだ。
「それで精気のない魔界にいては、普通の手段では悪魔は強くなれない、魔法を学び習熟することは出来ても、精気を集めなければ肉体は貧弱で魔法の出力も弱い……が、そこに抜け道があってな」
お館様は額に手を当て「これは言って良いのであろうか」とかいって悩んでるけど、また俺の背に隠れた姉の姿を見て、溜息を吐きつつ語りだした。とりあえずもう一回お館様の前に座らせると黙って土下座するあたり、侵入した時の強気は何だったのか、縮んだせいでメンタルまで弱くなったか?
「抜け道と言いうか、お前たちが父上の、魔王の血を飲んで劇的に成長したように悪魔の血を飲んでも悪魔は強くなるのだ。これは格下は勿論同格相手ではどれほど飲んでも成長はしない、消耗は回復するがな」
「お館様。我々も紅雪鬼様の血を飲んで回復して良いですか?」
何重にも展開された俺の氷を砕くのに疲れ切っているらしい、ソファでぐったりしてるクロが言い出すが、お館様は駄目だと強い口調で言う。
「ならぬ、同性で仲間であれば問題ないのだが、これが異性だと面倒なことになるのが魔界の法なのだ。簡単に言うと異性に直接血を吸わせる行為は、お姉様が今してる土下座以上に従属を示す行為であり。お互いに吸い合うのは……」
ん? なんだか嫌な予感がしてきたぞ。
「異性同士で種族が混ざるほど、互いの血を吸い合ったお姉様と紅雪鬼は……理由や実情は何であれ深い仲だと周囲に認識される、魔界では地上のように婚姻の習慣はないのだが、元人間のお前たちにわかりやすく説明すると、夫婦だと思われるのだ……いくら世間知らずの我でも知ってるぞお姉さま、こういうのを結婚詐欺というのだろう」
「ごごご、誤解だよぉ。いや、そのダーリン素敵だから一目見た時から恋に落ちる時もある! みたいな?」
当人の前で堂々と嘘を吐くあたりは、ある意味大物なのかもしれない。だが空気を読めてない、段々とお館様の怒りのボルテージが上昇してるのが俺にも分かる。
「むぅぅ! 我のダンジョンを乗っ取るために侵入した者など、お姉様といえども許せぬ。魔界におわすお父様に連絡し処罰していただくのが筋だが……その場合連座して紅雪鬼まで対象になってしまう、それだけ血の交歓は重い。お姉様、乗っ取りに失敗したと見切りをつけて紅雪鬼を巻き込んだな! 我が眷属を見捨てられないのを見越して!」
「いやいやホントだって! 血を吸ってきたのはそっちが先だし。正面から口説かれちゃって、もう一瞬でメロメロって感じ!」
「お姉様、我は魂を引きずり出して直接情報を引き出す事も出来ますが?」
「ひぃぃ! 死にたくなかったんだよぉ! ごめんなさいごめんなさい! もう貴族の地位とか狙わないから! アンタとダーリンの為に働くから許して!」
侵入してきた時の強気は何だったのか、お館様に必死に土下座する……えーともう侵入者とは言い難いし姉君? これをお館様の姉とは認めたくないが。
「我の大事な眷族を巻き込んでおいて勝手な……お姉様は紅雪鬼に真の名を明かして完全従属するか、我の固有魔法で魂を加工して眷属になるか選ぶのだ」
「そ、それはちょっと厳しすぎじゃ……ひぃ! ごめんなさいダーリンに真の名を伝えるから! 魂を引きずり出すのは勘弁して!」
「あの、お館様。この場合お手討ちにしちゃだめなんですか?」
「駄目ではない、むしろそれが普通なのだが……」
「ひっ! しないよね? ね? ね? ダーリンに絶対服従だからしないよね?」
「……お姉さまは、固有魔法の格も希少度も低い。それが独立を許可される上でどれほど重荷となるのかよく知っている。その重荷を撥ね退けダンジョンの主となるまでどれだけ辛酸を舐めたか我は近くで見てきた」
お館様は希少度最高の固有魔法持っている上に親が6大魔王の一柱だ、独立を許されるのに努力は重ねたとしても、苦労はなかっただろう。だからこそ立場が低く苦労を重ねた彼女に対して、胡散臭いとは思いつつもある程度信用していた。まさかダンジョン乗っ取りを考えてるとは思いもしなかったようだが。
「貶めようとしたことは許せんが、殺せない。殺せと命じることなどできるわけもない」
そこまで言って踵を返し、背を向けたまま監視用の術がかけられていた贈り物のオルゴールを破壊し、乱暴な足取りで水晶の間に向かう。
「もう裏切ったお姉さまは信用しない……けど生きててよかった。紅雪鬼も、お姉さまも……」
かすかに聞こえた独り言には、少しだけ嬉しそうな響きがあった。
「た、助かったぁぁぁぁぁぁ」
とりあえずこのチビッ子どうするかな、猫は好きだがあまり飼いたいとも思えん。悩んでると寝たままのクロが声をかけてきた。
「血を飲ませてください、コップ一杯分で良いので」
ソファから起き上がる気力もないほど疲れ切ってるクロのお願いに、カガミの分も含めて用意する。
あまり抵抗なく二人は俺の血を飲むと、すぐに回復したようで、お礼代わりにお茶の用意をしてくれる。何か期待する目つきでチビッ子がすり寄ってくるが、とりあえず床に座らせる。
「ダーリン! この扱いは酷くない」
「ダーリンとか言うなボケ。他に手段がなかったとは言え血を吸い合うのに面倒な慣習があるとは思わなかったな」
「私個人としてはセツ様と血の交歓しても構わないのですが、お館様に駄目と言われたからには仕方ありません」
「クロさん大胆! 仲が良いのは知ってましたけどそこまでですか!」
女はこういう話好きだな、カガミも食いつくんじゃない。俺の血で回復し元気になって、盛り上がってる、なぜか影狐やメルの名前が出るのかは不明だ。
「あ~ところでだ、お前のことは普段なんて呼べば良いんだ? いつまでも侵入者とか姉君とかだとややこしい」
「アタシ? 真の名はダーリンにだけ伝えるけど、普段の呼び名はダーリンがつけるんだよ。こういうのは直接の主人がしないといけないんだ」
そういうものか? 俺たち三人魔界の事情をほとんど知らないから教えてくれるのは助かる。あとダーリンは止めろ。
「以前の呼び名はもう名乗らないということですか」
「この角を見なよ。同じ獣魔族だけど、性質が混ざったから、血を吸い合いすぎて魔界の分類だと、もう獣魔族じゃなくて混沌になるから余計にね。ダーリンはあの子の付けた呼び名があるからそのままだけどね」
「それじゃ赤い角が生えてるし『紅角虎』でどうだ? 略してトラって普段は呼ぶ」
「コウカクコのどこにトラの韻が……」
「セツさん、この世界の人に音読み訓読みの概念はないんじゃないかな? 私は意味分かるけど」
「虎の獣魔族だからだと思っとけ」
「ひょっとして私のことクロって呼ぶのは、人間だったころクローディアだからではなく黒天姫の略だったりします?」
「そうだぞ、っていうかクローディアって名前メルに聞くまで知らなかったし」
「異世界の言語は難しいですわ」
とりとめのない会話しつつも、お茶を飲み終わったら朝議の間から解散し、それぞれ部屋に戻ることになった。カガミの私室はまだどこにするか決まってないので、今のところクロの部屋で寝泊まりするそうだ。トラ? 不本意だが俺の部屋の物置かな?




