ヤキモチ×オレンジ
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自室に消えたリオンを見送り、アルフレッドはにやにや笑う。
「なかなかよい子じゃないか。おまえが男の子として立派に成長していて、お兄ちゃんは嬉しいぞ、ダンテ」
ダンテはむすっとした顔で答えた。
「なにを勘違いしてるか知らないが、リオンはそんなんじゃない」
「じゃあ今のはなんだ? お兄ちゃんへの愛情表現にしてはいささか乱暴だったぞ」
兄のにやつきが大きくなった。お兄ちゃんとか言うな、気色が悪い。ダンテはそう毒づき、
「実験室で聞き耳を立ててただろ。あいつはたんぽぽの綿毛で俺の棘を緩和できる」
頭をわしわしと拭いた。タオルを投げるようにして、頭から外す。
「メカニズムを解明できれば、呪いを解く鍵になるはずだ」
兄は顎に手を当てた。
「ふむ。では、たんぽぽの花魔術師ならば誰でも良いと?」
「当たり前だろ」
「ふむ。じゃあ同じクラスにいるから、明日紹介しよう」
ダンテはぴくりと肩を揺らし、アルフレッドを見る。
「……なんだって?」
「彼女じゃなくてもいいんだろう? なら別の──」
「あんたの世話にはならない」
遮るように言うと、アルフレッドがふっ、ふっ、ふっ、と笑った。
「素直じゃないな、ダンテ。いいじゃないか。紅薔薇王子とたんぽぽ姫の恋。可愛らしいなあ。まるで絵本のようだ!」
絵本。ばらものがたり。その結末を、ダンテは思い出す。兄から顔をそむけ、つぶやいた。
「俺は恋なんかしない」
その言葉に、アルフレッドはふっ、と表情を変え、開いた腕を下ろした。しばらくして、柔らかく、悲しげな声で言う。
「……ダンテ、恋はしようと思ってするものじゃないぞ。心まで薔薇の棘に囚われる必要はないんだよ」
あんたになにがわかる。そう反論しようとして、思いとどまる。他人にわかるはずがない。この痛みも、苦しみも、呪われた身にしか、わからないのだ。言葉をぶつけたところで、何にもならない。
兄が悪いわけではない。ただその明るさに、余計に苦しさが増す気がするから、一緒にいたくないのだ。いくら彼がダンテに明るく接しても、自分の身の上を忘れることなどできないから。ダンテは苦い思いを飲み込むように、黙ってコーヒーを飲んだ。
アルフレッドはそれからなんやかんやと居座ろうとしたが、ダンテが帰れと言い募ると、ようやく立ち上がって玄関へ向かった。
玄関に立ったアルフレッドが陽気にいう。
「じゃあ、兄は帰るよ。寂しかったら手紙を書いていいんだぞ」
「全くさみしくない。早く帰れ」
ぐいぐい背中を押すと、兄はハハハ、と笑う。
「照れ屋だなあダンテは!」
無理やり押し出し、ドアを閉めた。ドアに背をつけ、ため息をついたら、アルフレッドがドア越しに話しかけてくる。
「ダンテ」
「なんだよ。早く帰れ。門限があるだろ」
ロズウェルには、午後九時まで、と門限が決められている。主にダンテを縛り付けるためのものだ。九時を過ぎて帰ると、何をしていたのかと詰問された。
ロズウェルの人間は、ダンテを心配するふりをしながら押さえつけようとする。わずらわしい。そうとしか思わない。
「お兄ちゃんはいつもおまえの味方だぞ」
「……お兄ちゃんって言うのやめろ。気色悪い」
「じゃあお兄様と呼ぶがいい。ははは」
「早く帰れ」
兄が去っていく足音を聞きながら、ダンテはため息をついた。ガチャ、と扉が開く音がして、リオンが自室から顔を出す。
「お兄さん、帰った?」
「ああ。自分の兄なのに、全く言葉が通じなくてびっくりする」
あの男は、他人の言葉を全方位好意的に解釈するのだ。ダンテはソファに向かい、座り込んだ。リオンはこちらにやってきて、カップを片付ける。ふきんでテーブルを拭きながら、
「面白いお兄さんだね」
「変態だからな。もう一人は馬鹿だし」
黒髪の兄を思い出し、ダンテはチリッとしたものを感じる。
「でも、いいお兄さんだよ。ツーショットの写真を持ってた。ダンテのこと、大好きなんだね」
リオンが向けてくる優しい眼差しに、なんとも言えない気分になった。
「大好きとかやめろ……気色悪い」
「私、兄弟いないから、ちょっと羨ましいな」
「なんなら、やるよ」
「え……そ、それはちょっと」
ほら見ろ。実際にあんな兄がいたら、うざくて仕方ないだろう。──そういえば、リオンはなぜ一人暮らしをしているのだろう。
「なあ、おまえの実家は? 学院から遠いのか」
そう尋ねたら、テーブルを拭く手が止まった。リオンは少しだけためらったあと、
「私ね……養子なんだ」
そう言って、また拭き始める。
「あのね、私、孤児院育ちで……オランジュの家に引き取られたんだけど、あんまり馴染めなくて」
リオンは浮かない顔をしていた。まずいことを聞いただろうか。ダンテが何も言わずにいたら、
「だから、家に居づらくて。実家から通えないこともなかったんだけど」
「……そうか」
知らなかった。ダンテがリオンのことを知らないように、リオンもダンテことはほとんど知らないはずだ。なのに、どうしてだろう。リオンといても、チクチクとした痛みはない。
他人といる時に感じる煩わしさがない。柔らかな白銀の髪、ランプの灯りのような、オレンジの瞳。その目が、こちらに向いた。
「もう寝る? 灯り、消そうか」
リオンはソファの脇に来て、ランプに手を伸ばす。ダンテはその手をつかむ。
「ダ……」
引き寄せたら、細い身体が簡単にこちらに倒れてきた。彼女の柔らかい髪が、ふわりと揺れる。
「あ、あああの」
至近距離で見つめたら、オレンジの瞳が泳いだ。ダンテは彼女の唇を指でなぞる。
「なんでアルフレッドに抱きしめられてたんだ?」
ヤキモチか、ダンテ。兄の言葉が蘇る。アルフレッドは、誰が誰にヤキモチを妬いたと言いたかったのだろう。
リオンはしどろもどろな様子で言う。
「なんで、って、ダンテはアルフレッドさんの気持ちをちゃんとわかってる、って言ったら、いきなり」
「わからないね、あんな変態の気持ちなんか」
そう、わからない。アルフレッドはなぜ、上の兄のように自分を憎まないのか。なぜ、何度拒絶しても、ダンテに関わろうとするのか。わからないから、アルフレッドが苦手だ。アホのくせに、確信を突くようなことを言ってくるところも。
リオンの頰に手を滑らせたら、オレンジの瞳が揺れた。
「あ、の、歯を、みがいてから」
「別にキスするなんて言ってないけど」
リオンの頰がみるみるうちに赤くなる。それを見たら、胸が焦れた。これも呪いなのだろうか。
さらに顔を近づけて、唇を重ね合わせたら、リオンがぎゅ、と目を閉じた。
今はこの小さな唇も、暖かい吐息も、全部、ダンテが独り占めにしている。今この瞬間、リオンはダンテのことで頭がいっぱいのはずだ。だから、呪いを解くためにしているはずのキスを、もっとしたくなる。唇を離すと、彼女は小さな声で言う。
「し、しないって、言ったくせに」
「しないとも言ってない」
「揚げ足とり……っ」
また唇を重ねたら、リオンがびくりと震えて、ダンテの服を握りしめた。
──ダンテ、恋はしようと思ってするものじゃない。兄の言葉が蘇る。
俺がこの綿毛に、恋? そんなんじゃない。ただ、リオンと唇を合わせると、心地よくて、もう少しこうしていたいって、そう思うだけだ。
──俺は恋なんかしない。この呪われた血は自分の代で終わらせるのだ。誰かと生きることなど望まない。
だが今は。今だけは、この心地よさに浸っていたかった。
おやすみ、とささやいて抱きしめたら、細い身体が少しだけ震えた。今日はきっと、優しい夢を見られる。