実験×おもいで
☆
六つある実験室のうち三つ目の部屋に、ダンテとリオンは入った。第三実験室には、様々な器具が用意してあった。はかりやフラスコ、試験官にバーナー。ダンテはリオンに座ってろ、と告げ、椅子を勧めた。
リオンは腰掛けたが、彼は立ったままで実験を始める。足元に薔薇を出現させたダンテの手のひらから、蔓がはえてきた。
しゅるしゅる伸びた蔓は、水溶液の入った試験官の中に収まって動きを止めた。
「それは、なにしてるの?」
リオンが尋ねると、
「この水溶液には、薔薇の棘を緩和する物質が入ってる。このままにしておいて、棘がなくなるかどうか実験する」
ダンテはそう言って、椅子を引き寄せ、腰を下ろした。肘をついて水溶液を眺める。そうしていると、彼の長いまつ毛が、頰に落ちているのが見えた。
リオンはダンテを見て、そわそわと身体をゆらした。紅い瞳がこちらを見る。
「──なんだ、手洗いなら行ってこい」
リオンは思わず叫んだ。
「違う! あの……お兄さんと、仲悪いの?」
「お兄さんって呼ぶなよ」
ダンテの機嫌が、あからさまに悪くなる。でも他にどう呼べというのだろう。
「アルフレッド、さん? いい人そうだったけど……」
「なんだ、ああいうのが好きなのか」
彼は目を細める。なぜか、さらに機嫌が悪くなったように見えた。リオンは困惑する。
「趣味が悪いな」
「そういうことじゃなくて」
「じゃあどういうことだ?」
「なんで怒ってるの?」
「べつに怒ってない」
明らかにむっつりしているのに、ダンテはそう答えた。お兄さんのことを聞いただけなのに、こんなに不機嫌になるなんて。──私の家にきたのも、実家が嫌だからなのかな。リオンは空気を変えようと、ダンテの方に身を乗り出した。
「ね、ねえ、棘、なくなった?」
「そう簡単にはなくならない」
そっけなくダンテが答えた直後──リオンの髪についていた綿毛が、ふわりと宙を舞った。綿毛はふわふわと舞い、試験官のなかに落ちる。その瞬間、水溶液が光り、つるを覆っていた棘が消えた。
ダンテが目を見開いて、試験官を覗き込んだ。
「これは……」
蔓はすっかり滑らかになっている。
「あれ? 棘が……消えた」
「綿毛を混ぜた水をやれば、薔薇の棘はなくなる……のか?」
彼は試験管から薔薇のつるを引いて、するりと撫でた。リオンの方を見て、
「ほんとにその綿毛には驚かされる」
「でも、実技じゃ全然役に立たないけど」
リオンはそうつぶやいて、綿毛を手のひらに出現させた。綿毛にふう、っと息を吹きかけたら、羽のようにぱあっ、と舞う。
「風にもすぐ飛ばされちゃうの」
「実技はダメでも俺の役にはたってる。それでいいだろう」
「……なぜそうも上から目線……」
ダンテは綿毛をかき集め、シャーレに入れて蓋をした。
「明日また実験する。帰るぞ」
二人して実験室を出たら、銀髪の男が壁に張り付いていた。
「!?」
びくりとしたリオンに対し、ダンテは冷たく言う。
「なにしてる、アルフレッド」
アルフレッドは何事もなかったかのように壁から離れ、笑みを浮かべた。
「おお、偶然だな弟よ」
「なにが偶然だ。あからさまに聞き耳立ててただろうが」
「今から帰るのか? 一緒にどうだ。車を待たせているから乗るがいいぞ」
「トラムに乗るからいらない。行くぞ、リオン」
歩き出したダンテを、アルフレッドは目で追う。かと思えば、いきなりがばりと抱きついた。
「!?」
「どうしてそう兄を邪険にするんだ! もっと構え! 敬え! 愛せ!」
「っなんなんだ、離せヘンタイ」
ダンテは足元に薔薇の花を出現させて、アルフレッドを蔓で引き剥がした。引き剥がされたアルフレッドは、そのままゴロゴロと廊下を転がっていく。ある地点でぴたりと止まったアルフレッドは、むくりと起き上がり、まったくめげていない様子でダンテに追いすがった。
「ははは! お兄ちゃんを投げ飛ばすとは、大きくなったなあダンテ!」
ダンテはアルフレッドの腕を心底嫌そうに振り払い、
「小さいままじゃまずいだろうが」
「お兄ちゃん的には小さいままでも構わんがな!」
「お兄ちゃんって言うのやめろ、きもい」
リオンは唖然として、攻防する二人を見比べた。
「あ、あの……」
アルフレッドはダンテの肩を抱き寄せ、白い歯を見せて笑う。
「ああ、弟は照れ屋だけどとても寂しがりやなんだ。だから俺はダンテの心が枯れないよう、目一杯の愛情を注いでいるというわけだ、花には水を、人には愛を、だな! ははは」
「頼んでないし照れてるわけじゃない。あと離せ」
ダンテは腕を押しのけようとするが、アルフレッドはまるで気にした様子もなく、
「ところで、二人はどこに住んでるのかな?」
「あ、アップルアベニューです」
とリオン。
「よし! そこへ行こう! すぐ行こう!」
アルフレッドはリオンとダンテの肩をがっちり抱き、ぐいぐい押しながら歩き出した。
☆
「おお! これは見事な倉庫だ! リオンの家はなかなかの資産家なんだな!」
アルフレッドは、リオンが住むアパートを見上げ、感嘆するような声をあげた。ダンテは冷めた声で訂正する。
「倉庫じゃない。正真正銘こいつのアパートだ」
「む? そうなのか。倉庫型とは斬新だな、ははは!」
リオンは真っ赤になって、アルフレッドの背中をぐいぐい押した。とにかく早く部屋に連れて行きたかった。
「ん? どうした、リオン。兄孝行か。よきにはからえ!」
「誰が誰の兄だ」
ダンテが冷たく言う。
アルフレッドは、籠式のエレベーターを見て「おお、なんだこれは! 初めてみた!」だとか、廊下を通って「これは全部リオンの部屋なのか、やっぱり資産家だな!」などと叫び、リオンを赤面させた。
集合住宅というものをみたことがないのか、この人は。ダンテもお坊ちゃんだと思ったが、この人の場合はさらにひどい……
ダンテときたら、実の兄に対しまるでゴミでも見るかのような視線を送っていた。
アルフレッドは部屋にたどりついて、まったく遠慮なく中を見渡した。
「うん、なかなか広い物置だな。で、部屋はどこだ?」
「いや、ここが部屋です……」
「なんだって! はー」
感心したように息を吐く。
「これが二人の愛の巣なわけだな。で?」
アルフレッドがぐるん、と振り返る。
「どこでえっちしてるんだ?」
リオンはその問いに真っ赤になり、ダンテは舌打ちをし、アルフレッドを蔓でぐるぐる巻きにした。
★
窓の外がすっかり暗くなっている。アルフレッドは夕食を食べながら、ぐっ、と親指をたてる。
「リオンはとても料理上手なんだな。いいお嫁さんになるぞ」
「あ、ありがとうございます」
リオンはというと──アルフレッドさん、頭や腕から血が出まくっているが、大丈夫だろうか……と思っていた。
ダンテは、さっきから一言も口をきかずに食事をしている。弟の不機嫌を意に介さないアルフレッドは、
「ダンテ、口に食べかすがついてるぞ。兄が直々にとって上げよう」
「ヤメろ」
ダンテは素早く薔薇の蔓で己をガードした。アルフレッドは箸で蔓を突き、ハハ、照れてるんだな、かわいいやつめ、と笑っている。いや、本気で嫌がっているようにしか見えないが……。どうやら随分とポジティブな人らしい。
ダンテは兄の過干渉に嫌気がさしたのか、さっさと夕飯を食べ、風呂に入る、と言って浴室へ向かった。
「兄と風呂に入るか、ダンテ。久々に背中の流しっこでもしよう」
「しね」
「ははは、照れ屋だなあ。だが、死ねだなんて言ったらいけないぞ!」
アルフレッドはそう言って笑い、皿を洗っているリオンに話しかける。
「じゃあリオン、一緒に入るか!」
リオンは思わず、洗い桶の中に皿を落下させる。
「はい!?」
風呂へ向かいかけていたダンテが、ぴたりと立ち止まった。
「遠慮するな! そのうち家族になるんだ、裸の付き合いくらい普通」
蔓が勢いよく飛んできて、アルフレッドの身体にぐるぐると巻きついた。簀巻きにされたにもかかわらず、アルフレッドは快活な笑い声をあげる。
「お? なんだダンテ、ヤキモチか、ははは」
「ちょっとでも動いたら殺す」
「殺すなんて言ってはダメだぞ! 息の根を止めるとか、優しい表現を使わないとな」
「同じ意味だろ」
ダンテは冷たい目で兄を見て、さっさと浴室に向かった。アルフレッドはそれを見送ったあと、ぐるん、とリオンの方を見る。リオンは思わず、びくりとして見がまえた。
彼はいも虫のごとく張ってきて、蔓から腕を引き抜き、鞄の中からいそいそとアルバムを取り出す。腕を引き抜いた際に、ひどく傷ついていたが……。大丈夫なのか。リオンは引き気味に彼の行動を見る。
「ダンテの小さい頃の写真を見たいだろう? とても可愛いんだよ」
「え」
リオンはアルフレッドが血まみれなのも忘れて、思わず身を乗り出した。
「はい、見たいです」
アルフレッドは嬉々としてアルバムをめくる。リオンはアルバムを覗き込んで感嘆した。
「わあ、可愛い」
幼いダンテが、ボールを持って笑っている写真。今からは考えられないくらいに無邪気な笑顔だ。その背後には、満面の笑みのアルフレッドが立っていた。
アルフレッドはその写真をそっと撫でて、
「ダンテは俺にとって初めての弟だったからな。可愛くてしかたなかった」
「そうなんですか」
リオンはそう言って、首を傾げる。
「あれ? たしかもうひとり、お兄さんがいるんですよね?」
彼は映っていないのだろうか。
「ああ……ルーベンスだ。一番上の兄。あいつは、ダンテと仲が悪いんだ」
「どうして」
アルフレッドはふ、と表情を暗くした。
「母が、ダンテのせいで死んだと、ルーベンスは思っている」
「お母さん、が?」
ああ、と彼は頷いた。
「ダンテは薔薇の蔓に覆われて生まれてきた。……身体に大きな負担がかかった母は、大量に出血し、そのまま命を落とした」
リオンは息を飲んだ。
「そんな」
「長兄のルーベンスは、ダンテを憎んだ」
当たり前かもしれない、とアルフレッドは言う。
「生まれる順番が違っていたら、俺がダンテを憎んでいたかもしれない」
彼は目を伏せた。
「実際には、俺は母のことはほとんど覚えていなかったから、憎しみより、ダンテを守らなきゃいけない、という思いのほうが強かった」
アルバムは、ダンテが12歳くらいの時で終わっていた。最後に写っていたダンテは、こちらに背を向け、拒絶の意思を見せている。そのページには、一人の写真ばかりで、幼い頃のような笑顔も見つけられなかった。
「ダンテは紅薔薇の継承者として、とても大事にされたんだ……だがそれと同時に、みんなダンテを腫れ物のように扱った。ルーベンスはダンテを無視し、ダンテもルーベンスを嫌った」
呼応するように力も呪いも強くなった。あいつは、ロズウェルの中でどんどん孤立していった、とアルフレッドはつぶやいた。
「でも……ダンテには、あなたがいた」
リオンがつぶやくと、アルフレッドがこちらを見た。そうして、苦笑する。
「ああ、力になりたいとは思っている。嫌われてるがな」
「そんなこと、ないです。ダンテはあんな態度だけど……きっと、アルフレッドさんの気持ちは、伝わってると思う」
「リオン……」
彼は瞳をうるませ、腕に力をこめた。そして──ぶちりと蔓を引きちぎった。
「!?」
ギョッとしたリオンに、がばりと抱きついてくる。
「ひゃあ」
「俺は今、もーれつに感動している! なんていい子なんだ! 今日から俺をお兄さんと呼んでくれ」
「え、あの、離して」
慌てて引き剥がそうとしていたら、頭上から声が降ってきた。
「──おい」
頭にタオルを乗せたダンテが、こちらを見下ろしていた。漆黒の髪からは、ぽたぽたと水滴がたれている。アルフレッドは悪びれずにダンテを見上げ、
「おやダンテ。あがるのが早いな。ちゃんと身体をあらったのか? 耳の裏まできちんと洗わないといけないぞ」
「やかましい。リオンを離せ、ヘンタイ」
「なんだ、羨ましいのか。はは、かわいいやつめ。おまえもハグしてや、ぐはっ」
ダンテは手のひらに蔓を出現させ、兄を張り倒した。勢いよく倒れたアルフレッドを見下ろし、彼からリオンを引き離す。
「人が風呂に入ってる隙になにしてる」
アルフレッドはダラダラと出血している頭をおさえ、
「はは、やはりヤキモチか、ダンテ。お兄ちゃんを取られそうで心配なんだな」
「ヘンタイの上に会話通じないとか終わってるな」
ダンテはそう言って、リオンに部屋へ行ってろ、と告げた。アルフレッドの出血具合は、エライことになっている。
──大丈夫なのだろうか……。
リオンは二人を気にしつつ、自室へと向かった。