絵本×キス
ダンテがリオンを連れて行ったのは、花魔術院内にある図書室だった。図書室に入ると、生徒たちからチラチラと視線が注いだ。その視線は、主にリオンの横に向かっていた。
ダンテは容姿が優れている上に有名人なので、どこにいても注目を集める。ダンテに注いだ視線は、流れ弾のごとくリオンにも向いた。
なんであんな子が一緒にいるの? みんなの視線はそう言っていた。それは、リオンが一番尋ねたいことなのだが。
「ねえ、いいの? 一緒にいるとこ見られたらよくないんじゃ」
小声でダンテに尋ねてみる。
「もういい。面倒になった」
彼はそんなことを言いながら、画集のコーナーへと向かう。そうして、一冊の本を手にした。
「なに? それ」
ダンテが手渡してきたのは、どうやら絵本のようだった。黒と赤を基調とした、モノトーンの絵が特徴的だ。タイトルは──。
「ばらものがたり?」
「読んでみろ」
促され、リオンはページをめくった。片側にイラスト、片側に文章が載っていた。イラストに目をやったあと、文面をなぞっていく。
【あるところに、魔法の国がありました。その国には、とても美しい王子様がいました。誰もが見惚れるくらいに綺麗な王子様は、みんなの憧れのマトでした。だけど王子様には、一つだけ弱点がありました。
彼は魔法が使えなかったのです。魔法の国の王子様なのに、魔法が使えない。王子様は、そのことをいつも悩んでいました。
そんなある日、狩りをするため、森に出かけた王子様は、ひとりの魔女に会いました。魔女は王子様に、一輪のバラを差し出しました。
「これを食べれば、あなたは魔法が使えるようになりますよ」
森に住む魔女の言うことはきいてはいけない、という言い伝えを、王子様はやぶりました。どうしても、魔法を使えるようになりたかったのです。
バラを食べた王子様は、魔法が使えるようになりました。みんな、王子様が魔法を使えるようになったことを喜んでくれました。
しかし、それ以来、夜になると、王子様ははげしい痛みにくるしめられるようになりました。原因は、魔女が飲ませた花でした。吐き出そうとしても、血がたくさん出るだけです。王子様は、薔薇の棘が全身から生えるのろいにかかっていました。
自分で自分を抱きしめても、傷つくばかり。苦しくて、痛くて、血がたくさん出た王子様のところに、いい魔女がやってきました。
「私があなたをたすけてあげる」
いい魔女が王子様に口付けたら、ふわふわの綿毛が彼を包みました。王子様は、とても幸せな気分になりました。】
そこまで読んだリオンの耳に、チャイムの音が聞こえてきた。顔をあげると、図書室にいた人々はまばらになっていた。いつのまにか、随分時間が経っていたようだ。
図書カウンターに座っていた女の子が、そろそろ閉館です、と言う。リオンは慌てて絵本を閉じて棚に戻し、ダンテと共に図書室を出た。
「ねえ、あの絵本、なんだか」
ダンテに似てるね、と言おうとしたら、彼が先に口を開いた。
「童話ってことになってるが、あの話はロズウェルの呪いをモチーフにしてる」
やはりそうなのか。
「でも、ロズウェルのことは秘密なんでしょう?」
「ああ。これを書いたのは、俺の身内──大叔父なんだ」
ダンテは窓の向こうに目をやって、オレンジ色の夕陽を見つめた。
「その人は俺と同じく、薔薇の呪いにかかってる。かなり重症化していて、いつ命が尽きるかわからない」
だから、と彼は続ける。
「描かずにはいられなかったんだろう。ロズウェルも大叔父の気持ちを汲んで、描くことを許した」
遺伝する呪い。力の代償。それがどれほどの重荷なのか、何も持たないリオンにはわからない。
あの魔女、おまえに似てないか、とダンテが言った。
「え……」
ダンテは紅い瞳をこちらに向けた。夕陽に照らされた彼は、とても綺麗だった。男の人に綺麗というのは、おかしいかもしれないが──目が、離せなくなる。いつもと違う雰囲気のダンテに、リオンの心臓が、どくどく音を立て始める。
「だ、から、キスしたの?」
「ああ。たんぽぽの綿毛が、薔薇の呪いを緩和する──それは確かなんだ」
「でも……呪いが解けたわけじゃないんでしょう?」
「アザが消えないからな」
ダンテはそう言って、自身の手のひらを見つめた。
「だいたい、すぐ解けるようなら誰も苦労しないんだよ」
じゃあ、呪いを解くためには、ずっとキスし続けなきゃならないってことなんだろうか……?
「な、なんとかならないの? 手術で取り除くとか」
「外科的な処置をしようとした先祖は何人かいたらしい。だが、棘に阻まれ不可能だった。少しでも触れようとすると、棘が心臓を突き破る。実際、それで死んだ人間もいる」
リオンはごくりと息を飲んだ。つまりは──ダンテは常に死と隣り合わせなのだ。
「少なくともおまえは、今まで誰もなし得なかった薔薇の棘の緩和を成功させた。だから、その点だけは自慢しろ」
リオンは目を瞬いた。これは、ひょっとして。
「……慰めてるの?」
「事実を言っただけだ」
ダンテはそう言って、今日の夕飯はシチューがいい、と付け加えた。
★
夕飯の後片付けをしながら、リオンはちら、とソファに座るダンテを見た。彼は背もたれに身体を預け、猫科の動物みたいにくつろいでいる。偉そうだし、いつもリオンを綿毛だって馬鹿にするくせに、あんなこと言うなんて思わなかった。
わざわざ図書室まで連れて行って、絵本を見せるなんて。たんに、リオンに協力させるためだけかもしれないけど。視線があいかけたので、慌ててそらす。
「なんだよ」
「べ、べつに」
棚にあるふきんをとろうと背伸びしたリオンの背後に、ふ、と圧がかかった。かすかに、薔薇の匂いが香る。ダンテに後ろから抱えられているような体勢に、ぶわっ、と体温があがった。
「っ!」
「ほら」
「あ、ありがとう」
差し出されたふきんを、リオンは目をそらしつつ受け取った。ダンテはじっとこちらを見て、
「おまえ……なんか変だぞ」
「あなたに言われたくない」
「脳に綿毛が詰まったのか?」
「そんなわけないでしょ!」
リオンが抗議したら、ダンテが笑った。その笑顔にどきっ、とする。──わ。意地悪じゃない、本物の笑顔。
ダンテは風呂に入る、と言って浴室に消えた。リオンはドキドキしている胸を押さえる──私ばっかりが、振り回されてる。リオンはため息をついて、渡されたふきんで皿をぬぐった。
☆
その夜リオンは、なぜか寝付けなくて寝返りを打った。明日も学校があるんだから、寝ないといけないのに。何度か布団の中をごろごろして、むくりと起き上がる。なんだか、喉が渇いていた。水でも飲もうか。
そう思い、ベッドから起き上がる。部屋から出て、居間を通り抜けようとしたら、ソファのあたりから、苦しげな呻き声が聞こえた。
「……ダンテ?」
リオンは、目を凝らしながら、ソファの方へ向かう。ソファに寝転んでいるダンテが、眉をひそめて呻いていた。いつも涼しい顔をしているのに。端正な顔立ちは、苦痛に歪んでいる。額に汗が滲み、ひどく辛そうだった。
「ダンテ、どうしたの? 苦しいの?」
リオンは慌ててダンテに近づいて、そっと額に触れた。しかし、彼はそれを避けるように身をよじる。
「……平気、だ」
「でも」
「触るな、棘が……」
棘? よく見たら、ダンテの身体を淡く光る細いツルが覆っていた。無数の棘が、彼の肌に食い込んでいるように見える。リオンはその光景に、身体を震わせた。
「こ、れ……」
「夜は、いつもこんなものだ。前よりはましだから」
「じゃあ、昨日も?」
朝早くから起きていたのも、眠れなかったせいなのではないか。
「どうして言ってくれなかったの」
「言っても、どうにもならないだろ……おまえは寝てるんだから」
ダンテは額に手の甲を当てて、息も絶え絶えに言う。いつも自分勝手なくせに、どうして──。リオンは目を泳がせ、そっとダンテの肩に触れた。彼はそれを退けようとする。
「おい……棘が刺さるぞ」
「キスすれば、これ、なくなる?」
紅い瞳がこちらを見た。リオンはぎこちなく顔を近づけ、彼の唇に自分の唇を重ねた。一瞬だけのことなのに、永遠のように感じられる。きっと、いまドキドキしてるのは自分だけだ。
そっと唇を離すと、ふわりと綿毛が舞い、棘を覆うようにくるまる。綿が棘の間に挟まり、かすかに棘が緩んだような気がした。リオンはダンテを覗き込み、
「楽になった?」
「……ああ」
ありがとう。そう言って、ダンテは目を閉じた。しばらくして、安らかな寝息が聞こえてきた。
「ダンテが、お礼言った……」
それだけ、この棘はダンテを苦しめてきたのだろう。彼の手のひらに刻まれた薔薇のあざ。誰よりも優れた力の代償。そんなものを背負って生きるのは、どれだけ辛いだろう。リオンには想像もつかなかった。
──私にできるのは、ダンテの痛みを和らげることだけなんだ。ならその役割を果たそう。この綿毛が、少しでも助けになるのなら──。
☆
チュンチュン、といつの間にか、朝になっていた。リオンはダンテの顔を覗き込み、ホッとした。安らかな寝顔だ。さて、彼が起きだす前に朝食を作るか。そう思って立ち上がろうとしたら、くい、と腕を引かれた。
「!?」
乱れた黒髪の下、紅い瞳がじっとこちらを見ている。
「あ、ダンテ、おはよう」
「跡」
「え?」
彼は腕を伸ばし、リオンの頰に触れた。リオンはびくりとして、ダンテを見る。昨日の口付けを思い出すと、顔が熱くなった。彼はするりとリオンの頰を撫でて、
「ソファの跡、ついてる」
「あ……」
リオンは慌てて頰をこすった。ダンテはくあ、とあくびをし、
「──なんでおまえ、ここで寝てたの」
「え、また呪いが発動したらいけないと思って」
「ふーん」
彼は起き上がり、伸びをした。シャツから覗いている肌に、傷跡はない。内心ホッと息を吐く。
「今日は時間あるからパンケーキにするね。ちょっと待ってて」
台所へ向かい、卵を割っていたら、ダンテが隣にやって来た。髪が乱れたままだ。
「なに?」
「俺もやる」
「できるの?」
その問いに、ダンテが鼻を鳴らした。
「馬鹿にするな。卵を割るだけだろ」
彼はリオンから片手で卵を受け取り、そのままボウルに打ち付けた。さすが、様になっている……と思ったのもつかの間。
ぐしゃり。ダンテの手の中で卵が割れた。彼はでろーんと垂れた卵白を見ながら眉をしかめ、
「卵のくせに生意気な……」
「いや、卵に生意気とかないから!」
(ほんとになにもやったことないんだ。ダンテって、おぼっちゃまだもんね……)
リオンがダンテに教えられることがあるなんて、思ってもみなかった。
「もっと優しくやるの」
リオンはダンテの手を掴み、卵をかんかん、とボウルの端に打ち付けた。ぱかっ、と小気味いい音を立て、卵が割れる。
「ね、簡単でしょ?」
顔をあげたら、ダンテが乱れた前髪の隙間から、じっとこちらを見下ろしていた。なんだかどぎまぎして、リオンは慌てて手を離す。
「た、卵をまぜて、次は小麦粉を、ってまだだし、入れすぎー!」
ばふっ、と袋をさかさまにし、勢いよく小麦粉を投入したせいで、もうもうと粉が舞い上がった。リオンは無情な気分で、粉だらけになったボウルを見下ろす。
「……」
リオンの表情を見て、ダンテが不服そうな声を出した。
「なんだよ、その顔は。おまえが入れろって言ったんだろう」
「もう……」
リオンは唇を尖らせ、入りすぎた小麦粉を違う器に移した。混ぜ合わせたタネを、熱したフライパンに流し込む。
「よし。じゃあしばらく待って、ん」
ダンテの手の甲が、リオンの頰に触れた。そのままごし、とぬぐう。
「粉がついてた」
「あ、りがとう」
よく見たら、彼の頰にも小麦粉がついている。
「ダンテ、ちょっとこっち向いて」
リオンは手を伸ばし、ダンテの頰を拭う。きょとんとしている彼が、なんだか可愛く見えた。──遠く感じることもあるけど、同い年の男の子なんだ。粉ってすごい舞うんだね、と笑ったら、その手を掴まれた。
「へ?」
近づいてきたダンテの唇を、慌てて止める。
「っちょ! い、いきなり」
「なにか問題でも?」
「だって……びっくりする」
「じゃあどうすればいい」
「……キスするよ、とか、言ってほしい」
なんかそれも変な気がするけど。というか、恋人でもないのにキスしてる時点でおかしいけど……。ダンテはじっとリオンをて、手を離した。
「キスしていいか」
「い、いよ」
大きな手のひらが、リオンの顎を上向かせた。ダンテの前髪が、リオンの前髪に当たって形を変える。唇が重なると、あまい薔薇の匂いがした。
──なんか、いつもよりながい、気がする。唇が離れていくと、リオンは顔を赤らめて目を伏せた。なんだろう、この雰囲気。いつもみたいな、性急なキスとは違う。
何か言って。でないと、勘違いしてしまう。今のは呪いを解くためのキスじゃないのかもしれない、って。
ダンテが眉をあげ、鼻をつまむ。
「──くさい」
「へ? きゃー!」
フライパンから、ぷすぷすと黒いものが出ていた。
☆
五分後、ダンテは皿に乗った黒焦げのパンケーキを見て、眉をしかめていた。
「なんだこれは。食べ物か」
「ホットケーキよ。知ってるでしょ」
彼は食べる前から苦そうな表情で、ホットケーキを切り分けた。炭と化した物体を口に入れ、
「まずい」
「しょうがないじゃない、これしかないんだもん」
リオンは唇を尖らせ、パンケーキの炭部分をバターナイフでがりがり削っていた。削っていくと、三分の一ほどのサイズになってしまう。
「大体、ダンテがいきなりキスしてくるから悪いのよ」
「おまえがいいって言ったんだろう」
そう、キスしている時は、パンケーキのことが、すっかり頭から消えていたのだ……。リオンは赤くなり、早口で言い募る。
「な、なんか、いつもより長かったし!」
「気のせいだろ?」
ダンテはパンケーキをパクパクと食べ、ミルクで流しこむ。人をかき乱しておいて、なぜそう平然としているのだ……。
リオンはエプロンを外し、髪をまとめながら、
「ダンテ、先に行ってて。私、ちょっと時間かかるから」
「待っててやる」
「……なんでそんなにうえから目線なの」
「早くしろ、リオン」
「はいはい」
──あれ? いま、名前。振り返ったら、ダンテはすでに玄関へ移動していた。もう待つのに飽きたのかと思ったのに、本当に大人しく待っている。
なんか、ちょっと嬉しいかもしれない。リオンの気持ちが、ふわっと明るくなる。少しだけ、ダンテに近づけたような気がしていた。
ダンテは腕組みをし、玄関から声をかけてくる。
「おい、まだか? 綿毛のくせに俺を待たせるなよ」
「わかってる」
偉そうなのは変わらないみたいだ。でも、なんだか慣れてきた。傲岸不遜な薔薇の王子さま。みんなよりずっと大人びて見えるのに、本当はワガママで、子供みたい。それを知ってるのは、リオンだけだ。そう思ったら、なんだか嬉しくなった。
「あと3分」
「わかったから!」
リオンは鞄を掴み、ダンテに続いて玄関を出た。