02-3
「次って何だっけ」
「音楽だよ。多分校歌の練習だね」
「そっか」
――音楽、ね。
「それよりアスミ」
「ん?」
「友達になろう」
それはあまりにもストレートな申し入れだった。
友達って、自然になるのではないのだろうか。友達らしい友達が居ないので、よく分からないが。
――あ。だから気遣って、そんな事を言ってるのか? 友達も作れないような男だって、思われてる?
友達が居ないのは本当だから、何も言い返せないけれど。
「あのね、アスミ」
「はい」
「友達になるのにセオリーとかって、無いから」
こちらを見上げて笑う来栖。
あまりにも明るくて、アスミの胸に沸いた疑いが溶けてしまいそうになる。
「きっかけなんか、どうだっていいでしょ。一緒に居て楽しいなら、それで」
下足室に辿り着き、それぞれロッカーを開ける。
「……お前、俺と居て楽しいのか」
数秒、彼女は考えてから。
「そうだね」と微笑んだけど、本当だろうか。
「だってアスミみたいなタイプって、見渡しても他に居ないしさ」
――それ、珍しいって事だろ。楽しい、とはちょっと違うよーな。でも新しいモノや珍しいモノが好きな奴って居るか。う~ん。
「あのさ、そんな悩まないで欲しいんだけど。さすがにちょっと恥ずかしい、よ?」
「え? あ、ごめん」
「いや、謝んなくていいけど。僕はさ、ただ素直に」
――うん。……え?
アスミは右横を見た。女子のエリアで、ロッカーの扉を開けている人物を。
彼女は耳まで赤くして、硬直している。
「い、今、お前……ぼ……」
その首がゆっくりと動き、顔がこちらを向いた。
真っ赤だ。首まで赤く染まっている。
――うわぁ。すっごく恥ずかしそうだな。
その顔が、強張ってしまっていた。全身がピクピクと震えている。
「聞いて、いいのか?」
その問いに、来栖の身体がビクン、と痙攣した。
「いいのか?」
このまま、理由も知らずにアスミが考えたいように考えてしまっていいのか?
それとも、事実を説明出来るように質問をしていいのか?
さっき、ベンチで笑っていた人間と同一人物だとは思えない。顔が強張って、身動きも出来ない様子でフリーズしてしまっている。
アスミは彼女の足下を見た。靴は履き替え終わっている。
「あの、とりあえずロッカーの扉閉めれば?」
「ウ、ウン……」
肩が、腕が、カクンカクンと動き、パクッと扉は閉められた。
そして、異様にぎこちない足取りで歩いて来る。
「お、オンガクシツ」
「その前に一度、教室だろ」
「ウ、ウン。ソウダネ」
――すげぇ。昔の世代の、面白くないギャグみたい。
不自然な操り人形がギクシャクと不自然に歩いてゆく。
「ダメだ、やっぱり我慢出来ん。ちょっと待て、来栖っ」
ピタリ。停止する。
「ちょっとこっち」と言って、廊下の隅に彼女を引っ張る。消火栓入れの横だった。
「そのまま教室に戻るのは止めとけ、な」
「デモ」
「弁解があるなら聞くから、それから戻ろう」
「ウ、ウン」
「じゃあ聞くぞ。お前さっき、自分の事を〈僕〉ってナチュラルに言ったよな。あれ、どう言う事だ? オタクがたまに口にする〈僕っ子〉とか言うヤツなのか? お前」
それならそれで別にいいんだけど。でも、この動揺っぷりは違うのだろうな。
「違ウ……オ姉チャンガ女ノ子ダカラ、自分ハ男ノ子ナンダッテ、暗示。暗示カケタ」
「どうして」
不意に来栖の瞳の、瞳孔が開いたように見えた。
小さな口が、息を吸い込む。
「男の子だからお母さんは、僕の事がお姉ちゃんほどには好きじゃないんだよ」
アスミの息が止まる。
「分かった、もうい……」
「うちのお母さんはアスミの事も嫌いだった。あの時のケガの、何千分の一かは、あの人の責任」
サクリ。と新しく心が切れた。
痛いかどうかは分からない。今、来栖の事で動揺してるし。
「私はよく倒れるから。熱が出るから。お姉ちゃんみたいに踊って、お母さんを喜ばせてあげられない。でもそれは私が悪いんじゃなくて、きっと私は男の子なんだよ。だから、女の子の方が好きなお母さんだから、僕の方を振り向いてくれなくても仕方ないんだ。だってお姉ちゃんがカゼをひいて寝込んだ時には、あんなにも心配してるんだし」
「もういいって」
来栖がため息を吐いて、うつむく。そして「ごめん」と呟いた。
「他の人には?」
黙って首を横に振る。
「そうか」
「気持ち悪い?」
「いや。突然だったから驚いただけだ」
「でも」
「自分の事を〈オレ〉とか言ってるガラの悪い子だって居るんだし、そのヘンは別に」
「うちのお母さんの事、聞きたい? アスミを嫌ってるって話」
聞きたく無い。それが本音だ。
と言うか、そんな事は知りたくもなかった。見入らぬ人だが、そんな人にまで嫌われてるなんて、結構ショックかも知れない。
でも今は。
「それはまた今度にして、とりあえず教室に戻ろう。音楽室まで行かなきゃいけないんだから」
「ん。そうだね」
ふたりで教室に戻ると、藤沢と葛西に声をかけられ、一緒に音楽室へ向かう事になった。
なので、話の続きは出来ない。
――学校の廊下を歩きながらするような話でもないか。
それにしても。
〈昔〉がアスミを追いかけて来る。葛西に始まり、ツカサに来栖。こうも続くと気味が悪い。
――あのホールが取り壊されるから? まさかね。関係ないよな。
廊下を歩きながら窓の外に視線を流す。
音楽室は新館の三階なので、樹木が少し下に見えた。桜はもうほぼ、散り終わっていた。