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月夜の新学期  作者: あおい
02
8/32

02-2


「だから私、あの時あそこに居たんだ」


 来栖が言う。


「〈あの時〉〈あそこに〉ね」


 ――あの時、あそこに……!


「お姉ちゃんが髪を止めていたヘアピンの一本が、楽屋で脱いだパーカーに引っかかっていて、それを届けに行ったの。お姉ちゃん達の出番、アスミ達の後だったんだよ。二番くらい後、だったかな」


「で? だから?」


 だから何だと言うのだ。同情でもしてくれるのか。


「私、見たの」


 ぞくん、と背中に悪寒が走る。


「他の誰も気付かなかったけれど、まるで蛇みたいに鎌首を持ち上げたあのロープを」


 息が詰まって言葉が出ない。

 もう何年も疑問に思い、解けなかった〈答え〉だ。

 答えなんて永遠に分からないと思っていたのに。


「誰も触っていないのに〈あれ〉は突然現れ、勝手に動いた」


「……んなわけ、あるか」


 アスミは顔を反らした。

 あんなに欲していた〈答え〉を、来栖が差し出している。

 なのにどうして自分はそれを否定しようとしているのだろう。


 分かっている。それが事実なら、これまでの自分が可哀想になってしまうから。

 みんなに誤解され、拒絶された自分が。


 いや。元々、受け入れられてはいなかったし、踊りなんてやめようと思っていた。

 それは真実で、変わりはない。

 でも、踊る事自体が嫌いだったわけじゃない。


 自分を取り囲む状況、特に両親の事がイヤで。

 イヤでイヤでたまらなくて。

 醜く変貌してゆく親を見続けるのに、自分の精神は弱過ぎた。


 だから全てを投げ出すしかなかった。

 あの日の負傷は、逃げ出すいいきっかけになっただけだ。


 でも、その負傷した原因だけは、納得出来なくて。理解出来なくて。

 自分の気のせいかも、と思っていた。

 だって普通に考えればあんな事、あるわけないから。


 でもこの新しいクラスメートは、アスミの、あの日の記憶を肯定した。

 受け入れていいのか? 異常な事なのに。


「私、身体が弱いって言ったでしょ」


 彼女に背中を向けたまま「あ? うん」と頷く。


「見える、から」


「え?」


「だから、影響を受けてしまうんだぁ。〈あんな世界〉を覗き見していたら、無事ではいられない。好きで見てるわけじゃないのにね」


 どう言う意味だ? 彼女は、何を言っているのだ?


 アスミは体勢を変え、彼女の方を見た。

 風を受け、髪がフェイスラインで揺れている。

 木漏れ日が、その髪でキラキラと跳ねていた。


「やっとこっちを見てくれたね。初めまして。来栖冴季です」


 右腕が差し出され、握手を求められる。


「初めまして……」と気の抜けた声が出た。そして自分も右手を差し出す。


 アスミの手を握って来たその手は、細くて冷たい。昨日はあんなに、小指が熱かったのに。


「よろしくね、アスミくん」


「え……あ……」


 ――下の名前呼ぶなつってんのに。どうしよう。もう一度、強く拒んだ方がいいのかな。


 返事に戸惑う。

 それが可笑しかったのだろうか。彼女はまた、笑った。


「ひとりぼっちで、よく頑張ったね」


 息が、詰まる。鼻の奥がツン、と痛くなった。


「アスミ……」


 その瞳が。真っすぐにこっちを見つめる瞳が、誰かを思い起こさせる。


 ――まるで……あいつだ。


 幼い頃から自分を導いてくれた、マコト。

 その彼とそっくりな眼差しが、こちらに向けられている。

 小さな子供への、深くて優しい眼差しだった。


 ――あ……っ!


 涙が、零れ落ちた。

 アスミは慌てて腕を振り払い、来栖に背中を向けた。右手で涙を拭う。


 ――見られたかな? 見られたよなっ!


 自分でも分かった。大粒の涙がぼろり、と落ちたのだ。なんて情けないのだろう。


「あ、そうだ。これあげる」と彼女は言った。

 右肩を背後に引っ張られ、振り向かされる。


「はい。食後のキャンディ。クランベリー味よ」


 赤で包装された物をアスミの掌に乗せた後、彼女もその粒を自分の口に入れた。

 ふわっ、と果実の香りが漂う。

 持っていても仕方ないので、アスミもそれを口に入れた。


 ――甘酸っぱい。


 普段、お菓子など口にしないので新鮮な気持ちになる。


 ――ふぅん。こんなの食べるのが女子の日常なんだな。


 しばらくふたりで黙り込み、モゴモゴとして過ごした。キャンディは美味しい、が。


「それで、話は終わったのか」


「ん~。続きはまた今度ね。一度に話してしまったら、もったいないし」


「もったいないって、何が」


「アスミと過ごす時間が」


「もったいないなら、一度に済ませたら?」


「い、いやそう言う意味じゃなくて。こうやって話をするためにまた付き合って欲しいな、ってこと」


 ――メンドクセ。


「あ! 今面倒くさいって思ったでしょ!」


「えっ! そ、それは……っ」


 ――ナンだよこいつっ。まさか人の心も読めるとか言い出さないだろうな!


「読めない読めない。顔に出てしまってるから。全部」


「ぜ、全部?」


「そう。素直だよね、アスミは」


 ――す、素直なんて評された事は、一度もないけ、ど。


「あの時、逃げ出して正解だったんだよ。こんなに素直で孤独にも耐えれられる、健気な心を守れてよかったんだよ。……でも」


 ――でも?


 気になるところで言葉が切られた。続きを催促をしていいのかどうか、分からない。あの言い方では、話の流れが明るくなるとは思えないから。

 だから余計に気になるではないか。不安な未来、なんて。


「未来の事は分からないよね。例え十秒先でも分からない。誰かの投げたボールにぶつかって、気絶してるかもだし。明日の事なんてもっと分からない」


「言いたい事があるなら言えよっ」


 チラチラされると腹が立つ。見透かされ、見下されてるみたいで、イラっとする。


「分からない、って言ってるでしょ」


「嘘つくな! そんなに含みのある言い回ししておきながら、俺が気付かないとでも思ってんのか?」


 もしそうなら、バカにし過ぎだろう。

 彼女は苦笑いを浮かべ、ため息を吐いた。そして。


「〈次〉も逃げられたらいいね、ってことだよ」


 ――次っ? 次があるって言うのか? あんな事のっ?


「あの時に襲われた原因、判明してないでしょ」


「狙われた理由があるとでも言うのか? お前は原因を知ってるのか?」


「判明、してないでしょ」


 ゆっくり、低い声で言われた。


「お、おう」


「なら、解決もしてないよね」


「四年経ってるけど」


「たった四年だよ。時間の感覚は私達と違うと思うしさ。時が流れた分、向こうはもっと本気になってるかも」


「〈向こう〉って何だよ誰だよっ。何か知ってるなら言ってくれよ」


「判明、してないんだよね?」


 さっきよりも、もっと低い声で。据わった目で。


「……分かりました」


 これ以上は引き出せそうもない。

 来栖があの場であの瞬間を見ていたからって、向こうの理由なんて知ってるわけないか。


「あぁ、そう言えば数ヶ月前にローカルニュースで見たけど、あのホール、そろそろ取り壊すんだって」


「へぇ、そうなんだ」


 確かに古そうだったけど。その分、デザインはクラシカルだった。


「これまで内装は何度か作り替えてたんだけど、建てられてから半世紀以上経過してるんだってさ。さすがに老朽化が激しいから、建て直すらしいよ」


 記憶の中の陰鬱な舞台袖が、意識の中に蘇る。


 そうか。取り壊されるのか。

 綺麗になるなら、自分の中の記憶もいつかは薄れるかも知れないな、実物が無くなるのだから。

 近所の家だって取り壊されてから数ヶ月後には、そこにどんな家が建っていたのか思い出せなくなる事があるし。


「アスミにとっていい方に転がるか、または反対か。答えが出るかも知れないね」


「またそんな言い方、止めろって」


「あぁ、うん。ごめんね。じゃあ次は移動教室だから、早めに戻ろうか」


 来栖が明るく笑った。

 ふたりでベンチから立ち上がり、歩き始める。

 周囲ではまだボール遊びしているグループなどがいた。みんな、楽しそうにじゃれ合ってる。

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