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■02■
ステージの袖口は当然だが薄暗く、本番中でもスタッフや演者が大勢ウロウロする場所だ。
だから、あるはずがないのだ。
床の上に、隅っこに、何のために置いてあるのか理由の無い、誰も必要としていないロープなど、あるわけがなかった。
なのに、それは突然存在を主張した。
アスミが気付いた時にはもう、足首が絡めとられていて。
引っ張られた。
自分からローブの中に足を突っ込んだのではない。
薄暗くても暗闇ではなかったし、ある程度の灯りはある。ステージから流れて来る光も多い。
だからアスミだって床は見ていた。見えていた。
そこにはロープなんて無かった。絶対にありはしなかった。
他の誰もそれに気付いていなかったし、転ぶ者も居なかった。
当然だ、何も無かったのだから。
なのに。
足首を絡めとられた。
まるで意思でもあるかのようにクイッ、と引っ張られた。
そこに人は居なかった。誰ひとり居なかった。
他人が引っ張ったのではない。なのに、引っ張られた。
アスミの身体が軽く浮き上がるほど、足を後ろに引っ張られたのだ。
ひゅ、る……と、身体が浮き上がったあの妙な感触。
ぞくん、とした感情が腹の中に落ちた。
それが数日前からあった不安の正体だと気付いた。
予感がしていたのだ。だからこのホールへ来たくなかった。出場するのもイヤだった。
確かにアスミは最初から、このステージに拒否感を抱いていたのだ。
それらは態度に出て、メンバーや周囲の人間をイラだたせたりしたのだろう。
強い口調で注意を受け、渋々ここまで来た。
今日、このステージの舞台袖へ。
自分が怯えていたのは、怖がっていたのは、コレなのだ。
ステージの上で失敗する事よりも、入賞を逃す事なんかよりも、ずっとずうっと、陰鬱な予感だった。
引っ張られ、床に倒され、足首を痛めつけられる。
足が痛んで、悲鳴が漏れた。
他のユニットがステージで踊っている大音量の中、アスミは呻いた。
少し前方に立っていたアオイのシルエットが、逆光の中で振り返る。こちらを見下げて。
「……?」
聞き取れなかったけれど「アスミ?」と言ったのだと思う。ステージではストロボがフラッシュしている。その中で生き生きと踊る人達が、アオイの向こうに見えた。
「アスミ?」
もう一度、呼ばれた。
聞こえなかったけれど、呼ばれたのは分かった。
足が痛い。疼いて、動けない。
立ち上がれない……!
痛む足首をロープが一度、強烈に締め上げた後。
かさっ。と解放された。
床に着地し、そのわずかな振動で激痛が走る。
全身の毛穴が開くような熱い痛みに、全身が硬直した。
そして数秒後。ゆっくりと緊張を解く。
――痛い……どうして。
無かったはずのロープに足を取られた。
動くはずの無いロープが、足首を締め上げた。
――どうして……どうして!
大人達の腕により、舞台袖から通路の明るい所へ抱え出される。
パイプイスに座らされ、靴を脱がされ、患部を見られる。その時にはもう、足首は腫れ始めていた。
「これ、踊れないだろう?」
どこかの関係者らしき男が、心配そうに看てくれている。他のスタジオの講師だろうか。
「きみ、皆丘くんだよね? 出番は次だよ、どうする?」
どうする、と言われたって……。
困った気持ちでリーダーのアオイを見上げる。
彼は困惑したまま「どうしよう?」と言う風に、他のメンバーへ視線を流した。
そのふたりも動揺し、言葉が出ない様子。
「今から構成変えるとか無理、だよな。組み立て考える時間もないし」
アオイの言葉に「……だな」とヒロキが頷く。
今回の振り付けは、一番身長差があるアオイとアスミを中心に構成されていた。
「メインのひとりが抜けるんだから、相当マヌケな舞台になるな」
ツカサが苦笑いを浮かべる。
「仕方ないか」とアオイが呟いた時、前のユニットが終了した。
「急いでください!」と呼ばれ、三人は行ってしまった。
勝機のないステージの上へ。