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月夜の新学期  作者: あおい
01
6/32

01-5


 それから昼休みまで、藤沢はこちらを向く事がなかった。

 ホッとしたような、イライラするような、妙な気持ちが朝からずっと続いている。


 ――いや別にさ、あいつが話しかけて来たからって「やっぱ行くよ」と返事を変えるわけでもないんだし、会話するべき用事なんて無いしさ別に。


 アスミはガツガツと給食を食べ終え、教室を出る事にした。

 出入り口に差し掛かった時である。


「あのっ」と声が聞こえ、振り向くと来栖が居た。


「これから、いいですか」


 話をしたい、って昨日言っていた事だろうか。だろうな。他に用事なんて無いし。


「いいけど、来栖さん給食全部食べたの」


 彼女は首を振りながら「まだ」と言う。


「じゃあ食ってからにしよう。俺、庭でも散歩してるから」


「はいっ」と気合いの入った返事が返って来た。


 さて、散歩か。どこら辺に行ってみようか。

 花壇の中庭、門へ続く並木道。

 そう言えばあの並木の下、ベンチがいくつかあったっけ。空いてるベンチがあるなら、昼寝でもしようかな。


 そんな事を考えながら下足室で靴を履き替え、外に出た時だ。


「アスミ?」と声をかけられた。


 男の声だった。神経がどくん、と反応する。


 この学校に自分を苗字ではなく、下の名前で呼ぶような人間が居たか?


 恐る恐る振り向くと、そこには見知らぬ男が居た。

 こちらを見て、少し驚いたような表情をしている。

 ジャケットの襟元には、三年生である事を示す緑色のバッジがあった。


 ――誰だ? 顔は見覚えがな……いや。ある。


 こざっぱりとした短めの髪と、額の生え際の形。賢そうで、清潔感のあるあの顔立ち。

 どくん。とまた苦しげな鼓動が脈を打った。


「……ツカサ」


 間違い無い。ツカサだ。同じユニットだったあのツカサだ。


 アオイ、ヒロキ、そしてツカサ。

 それがアスミにとって最後のユニットだった。


 あの時のメンバーのひとりだ。


「驚いたな。お前、この地元に居たんだ?」


「どうも」と少しだけ頭を下げ、そのまま歩こうとしたのだが。


「お前、もう踊ってないのか」


 その言葉に、アスミの神経がきいぃん、と凍り付く。

 ゆっくりと振り返り、アスミは「はい」と頷いた。


「そうだよな。どこかで踊っていれば、お前の名前、聞かないわけがないもんな」


 アスミは「じゃ」と言ってツカサに背中を向けた。


「マコト先輩、今ヨーロッパに行って……」


 アスミは立ち止まった。そして振り返る事なく。


「ネットのニュースで見ました」


「あ、そうなのか……」


 そのまま再び歩き出す。並木の方へと向かって。


 ――なんで……。


 よりにもよってツカサに、メンバーに会わなければならない?

 あの時、アオイと一緒になって自分へ投げかけてくれた言葉は忘れない。

 そりゃ彼だって幼かった。今のアスミより年下だった。でも、だけど。


 ――よくも平気で声なんか、かけて来たな!


 足が、動く。いつもより早く。

 走り出そうとするように。逃げ出そうとするように。


 ――そうか。あいつ、中堀小学校だったな。


 あいつらの小学校なんて、どこだか忘れていた。


 ――アオイは? 確か中央区だったから校区が違うか。それにあいつ、確か今年から高校だよな。


 大丈夫だ。この学校で会う事は絶対にない。


 ――ヒロキ……どこだっけ。確かそんなに近くじゃなかったと思うけど。


 彼らも自分と同じように、四年をどこかで過ごして来たのだ。多分、あのスタジオで。


 ――ずっと、踊ってたのかな。


 ツカサがあんな言い方をしたのだから、踊ってたのだろう。

 全国でも上位入賞出来るくらいの実力はある奴らだ。やめるわけないか。


 ――あいつら、俺に嫌味言うくらい踊りが好きだったもんな。


 地方ファイナル当日のケガだ。嫌味くらい言ってしまうのは仕方ないと今では思う。

 あれでも彼らなりに感情を押し殺していたのかも知れないけれど。でも。


 アスミが彼らを気持ちの中に受け入れるかどうかは別の問題で、それは自分の自由だ。


 会いたく……なかった。

 それが本音。


 ――なのに。どうして。


 過去の悪い夢が追いかけて来る。


 ――酷くないか? こんなの。


 葛西。そしてツカサ。

 藤沢との会話だって、昔の事を思い出させる。ホールのステージに立っていた頃の自分を。


 好きで踊っていたわけじゃない。

 好きでやめたわけでもない。


 幼い自分では抗いようのない流れの中に、飲み込まれていただけだ。

 息も出来ず、苦しかった。ずっとずっと、本当につらかった。


 必死で戦い、やっと逃れられたのに。


「皆丘くん?」


 アスミは背後から聞こえたその声にビクッとした。そして、振り向く。


「あ……来栖、さん」


「どうかしたの? 真っ青だよ」


「い、いや別に……来栖さん、こそ、大丈夫なのか? 俺と居て」


 睫毛の長い瞳がこちらを見上げる。


 ――こいつ、女子の中でも小柄な方、かな。


「あのね、冴季さきでいいよ」


「へ? いや、でも」


 ――すげぇ突然だな。


「だからアスミくんって呼んでいい?」


「い、いや……それは、ダメ。て言うか、イヤ」


「どうして?」


 ――「あいつら」を思い出すから、なんて言えるわけないだろっ。


「あ。彼女に怒られる?」


 アスミは首を振った。「居ない、居ない」と言いながら。


 ――よく分からないけど、昨日とイメージが違うなぁ。あの時は本当に弱っていたんだな。


「あ、ベンチあるね。とりあえず座ろうよ」と左の手首を掴まれ、引っ張られた。


「もう桜も終わりだねぇ」と呟き、座りながら彼女は微笑んだ。

 アスミもその横に、少し距離を取り、離れて座る。


「昨日は心配かけちゃったでしょ。アスミくんのせいだとか言って、ごめんね」


「だから、下の名前で呼ぶの止めてくれ」


「アスミくんアスミくんアスミくんアスミくんアスミくんっ」


「へ、返事しねぇぞ! 葛西さんみたいな連呼攻撃止めろよっ」


「私のお姉ちゃんね、璃世りせって言うの」


「あ、そー」


 数秒、こちらを見て微笑んでいた来栖だが、突然表情を変え。


「聞き覚え、ない?」と口を尖らせた。


 ――来栖璃世?


 考えてみる、が。


「ない、なぁ」


「やっぱりかぁ」


「やっぱりってどう言う意味だっ。お前、俺をからかってんのかっ?」


「からかってないよ。雑魚は相手にしてなかったって事だよね」


「は?」


「お姉ちゃんね、ダンサーなの。だから私、あの時あそこに居たんだ」


 どくん。


「〈あの時〉〈あそこに〉ね」


 必要以上に含みのある言い方だった。

 幼さの残る瞳が、真っすぐにこちらを見据えている。


「だから私、見たの。あなたがケガをしたその瞬間を」


 きぃん。と頭の奥で、高音が鳴った。

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