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月夜の新学期  作者: あおい
01
5/32

01-4

 翌朝、教室には来栖の姿があった。

 自分の席に座り、葛西と話をしている。


 それを視線で確認してから自分の席へ向かうと、藤沢が背後から「おはよー」と声をかけて来た。

 アスミは振り向き「おはよ」と挨拶を返す。


「あのね、昨日あれからね」と続いて話しかけられる。

 険悪な関係になりたいわけでもないので、彼女の話をさえぎるような事は言わない。


 自分の席に到着して鞄を置き、イスを引き出し座る。

 と、藤沢も自分の席へ座った。ちょこん、と小さな花が飾ってあるような雰囲気だ。


「音楽室の方へ行ってみたの。そしたらね」


「うん」


「吹奏楽部、居なかった……」


 しゅん、とうなだれる藤沢。

 そして、数秒。


「えっ? そ、それで話終わりっ?」


 思わず動揺してしまうアスミ。


「んー、話って言うかぁ、報告って言うかぁ」


 そんな事を報告されたって。


 ――こ、困る。リアクションに困るっ。


 どうしよう。このまま流してしまっていいのだろうか。

 でもこれから先、こんな話を投げられ続ける可能性は高いぞ。そのたびに動揺するのもナンだし。


「あのさ、これからも付き合いあるから聞いておきたいんだけどさ。今の報告には、俺、何て返せば正解なわけ?」


「正解なんて無いけど……『残念だったね』とか『じゃあ今日は俺と一緒に行ってみようか』とか返してくれたら、わたしは『うん』って返事したかなぁ?」


 ――おっ『俺と一緒に行ってみようか』ぁ? そんなの言うはずないじゃん。俺には関係ない事だぞっ。


「でもわたし、別に吹奏楽部に入りたいわけじゃないの」


「はあっ?」


「……ヘタクソだから」


 藤沢は頬を染め、ちょっとうつむいた。

 そう言えば昨日もそんな事言ってたな。フルート奏者、なんだっけ。


「ふぅん、そうなの?」


「聞きたい?」と、うつむいたまま、こちらをチラ見する。


「い、いや別に……」とアスミは視線を反らせた。


「今度、ホールで演奏するの」


「ヘタクソじゃねーじゃん……てか何? 発表会か何か?」


 ホールだなんて、絶対行きたくない。


「ううん。身内の主催するパーティーの、余興……」


「ほ……ホールで余興ぉ~っ?」


「……うん」


 どう言った金持ちなのだ。パーティーの主催でホールで余興。ちょっと想像がつかない。


 ――でもまぁ、金さえ払えばホールは押さえられるもんな。てか、マジか。


 レンタル料やステージスタッフの人件費など考えると、一般的な家庭が支払える金額ではないはず。なら、企業が予算として出す? この子はもしかして、どこかのご令嬢?


 ――公立中学だぞ。金持ちの子が来るわけない!


 でもこの子の、ちょっと緩んで穏やかな雰囲気とかノンキそうなところとか、お嬢様っぽいと言えばぽい、かな。


「あっご、誤解しないでね。ホールでのパーティーは、祖父の関係なの。父は、普通にサラリーマン」


 慌てて否定をする藤沢。アスミの考えが顔に出ていただろうか。


「そ、そうですか。てか今、俺、ヘンな表情してた?」


「う、うん。引きつってた」


「そっか。オジイちゃんてもしかして、ホールで仕事してる人?」


「そうなの。だから来る人もスタッフさんも、みんな身内みたいなものだからヘタクソでもいいんだって言うの。酷いでしょ? 恥をかくのはわたしの方なのに」


「確かに酷い。ラウンジ演奏じゃなくてステージ演奏?」


「うん」


 ――そりゃそうだよな、普通。ホールなんだから。


「祖父の中ではわたしはまだ、小さい子供なんだよ。失敗してもみんなが笑って見守ってくれるような、幼稚園児くらいの感覚なんだと思う」


 さすがに気の毒過ぎる。なんと言って慰めればよいのやら。


「た、大変なんだな」


「人知れず苦労してるの」


「藤沢さん、兄弟とかは?」


「居ないの。ひとり」


「イトコとかは?」


 同じ立場なら、同じように引っ張り出されるのではないだろうか。


「まだ小さい子達ばかりなの。男の子ばかりで、塾とスイミング行ってる」


 さすがにスイミング余興は無理である。

 水槽の設置されてるホールなんて、この地元では聞いた事がない。いや、国内で聞いた事がない。世界のどこかにはあるかも知れないが。


「相談相手とか、居ないの」


 彼女は数秒考えてから「居ない」と呟いた。


「だから……今、皆丘くんに聞いてもらえて、よかった」


 ふわり。と彼女は微笑んだ。

 藤沢の言葉に、アスミの気持ちが反応する。

 誰にも聞いてもらえなかった、自分。


 ――こいつって多分、素直なんだな。だから戸惑わずに言いたい事を言えるんだろうな。


 アスミのような、昨日初めて出会った人にさえ。

 ならば面倒見のよさそうな葛西と仲がいいのも頷ける。上手く噛み合うピースみたいだ。


「イヤだって抵抗はしたんだろ?」


「したよ、泣いたよ。でもお母さんに『困らせないで』って怒られたの。……お嫁さんだしね」


 と言う事は、父方の祖父と言う事か。父親には相談しなかったのだろうか。しても無駄な相手なのかも知れないが。


「気の毒、だな」


 藤沢が大きな目できょとん、とした表情をした後。

 少し疑っているような視線を投げて。


「本当にそう思ってくれる?」


「え? う、うん……気乗りしないステージは膨大なエネルギーの無駄遣いだと思うし」


「だよね、そうだよねっ。お母さんなんてね、お母さんなんかねっ、ほんの数分間演奏するだけなんだからとか言って、全っ然理解(わか)ってくれないのよっ」


「同情するわ~」


 少し引き気味に呟くと、藤沢の瞳が見る見る潤んでいった。

 そして。

 気が抜けたかのように、笑った。


「……ありがと。誰かにわたしの気持ちを肯定してもらいたかった。ずうっと」


 ぽろり。と雫が零れ落ちた。一粒だけ。

 彼女は慌てて恥ずかしそうに、ハンカチで目元を拭う。


 ――泣くほどイヤなパーティーなのか。まぁ本当にヘタクソで、大人達の前で晒しものになるんならなぁ。


 しかもプロと仕事している人達を相手に、とは。罰ゲームどころではない状況である。


「藤沢さん、フルート仲間は?」


 その身体がピクリ、と戸惑った。そして、小さな口にきゅっと力を込めてから。

 ちょこっとだけ、首を横に振る。


「俺、音楽教室なんか行った事ないから分からないけど、そっか。フルートとかって個別指導なのか」


「個別の指導は、ある程度吹けるようになってから。最初の基礎ではやっぱり、みんな一緒。他の教室がどうやってるのかは知らないけどね」


 なら、愚痴れる友達くらい居るだろうに。


「個別指導に移って疎遠になったとか?」


 藤沢が苦笑いを浮かべて「そんなとこかも」と誤摩化した。


 ――そうか。こいつもイヤな思いしてたのかも。


 ホール関係者の祖父と、気持ちを理解してくれない母親。

 もしかして彼女もひとりで戦ってるのだろうか、〈自分の立場〉と言うものと。


「もしかしてさっき、そのホールに俺を誘おうとした?」


 藤沢の頬が赤くなる。


「でも、ヘタクソなんだろ?」


「そ、そうだけど……ひとりぼっち、なんだもん」


「なにが」


「そこ大人ばかりで……友達とか、居ないんだもん」


 確かに気の毒ではあるが、ずっと友達と一緒に居たいと言うのなら、甘ったれだな。


「法事みたいなものだと思って、諦めたら?」


 と言うか、アスミとは〈友達〉になっていないと思うのだが。何せ昨日会ったばかりなのだし。


「ごめんね、誘われたって迷惑だったよね。ただ、わたし昨日」


「ん?」


「来栖さんが皆丘くんに『話を聞いて欲しい』って言ってたのを聞いたら、なんか、そんな気持ちになってしまって」


「何が?」


「この人なら聞いてくれるのかな、って」


「う、う~ん」とアスミは短く唸ってしまった。何段階か、思考が飛んでいるような気がする。


 来栖の話だって聞く義理なんて無いはずだが、流れでそうなってしまっただけで。

 多分、元気な見知らぬ人から「話聞いてよ」と言われても、逃げるのが普通だと思う。

 昨日は、拒否出来ない状況だったと言うだけで。


「俺、そんなに親切でもないし」


 期待されても困る。


「葛西さん、誘えば? 友達なんだろ」


「言ったじゃないっ……ヘタクソなんだもん。葛西さんに聞かれるの、恥ずかしい」


「俺にはそのヘタクソな演奏、聞かせても平気だと言うのか」


 彼女はこくん、と頷いた。


「う。どうして」


「な、何となく」


 藤沢が今度は、耳まで赤くした。


「ごめんね、忘れて! ちょっと心細かっただけなの」


 今度は明るく笑って、藤沢は前を向いた。

 そして数秒後、その背中がちょっとだけ丸くなる。


 ――な、何だよこれ。チクチクするぞ。


 自分の心が、チクチクと痛い。もしかしてまさかこれは、罪悪感と言う奴なのか?


 ――どうして俺が罪悪感なんか抱かなきゃなんないんだよっ。


「はぁ」と小さなため息が聞こえた。

 普通なら雑音に紛れて聞き取れないくらいの、小さな微かな息だった。

 なのになのに、耳にはっきりと聞こえ、神経に突き刺さって来た。

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