08-2
顔の腫れが少しは引いたと思われる夕方、アスミは帰宅する事にした。
駅へ案内してもらうため、一緒に家を出る。
見知らぬ町の見知らぬ道を、よく分からないアオイとふたりで歩くのは、本当に奇妙な気分だった。
顔の痣は気になるし、まだズキズキと痛いけど、通り過ぎる人達は誰も気にしていないようだ。
――てゆーか来栖……あの蹴り、脳が揺れたかと思ったし。
会話もないまま歩き、改札口の前でアオイが「ほら」と手渡してきたのは。
キャンディ。
――どこかでよく見るぞ、コレ。
「あの子が『アスミ、疲れてるだろうから』って。押し付けられた」
「そうですか。どうも」
「こっちは俺からだ」
小さなカードを一枚、手渡される。
――う! 連絡先っ。
本人から手渡されては、もらわなかった事には出来ない。
――くっそ、メンドクセぇぇぇ! 要らねーんだよっ。
「迷わずお家に帰れるな?」
「カンベンしてくださいよ、子供じゃないんですから」
「そうだっけ?」
真顔で返された。
「中学生ですっ」
「そうだったな。俺は高校生だ」
――そんなの、分かってるけど?
「合格おめでとうございます、は?」
「えっ。それ要求するんですか?」
「俺はすぐさま、おめでとうって言ったのになぁ~」
それは、確かに。あれには心底、驚かされた。
「……合格おめでとうございます」
リクエスト通り返したのに、アオイはため息を漏らすだけだった。お気に召さなかったらしい。
感情を込めて言えばよかったのか? わざとらしくてイヤだろうに。
「それよりもお前。これからは月に一度の定期公演が待ち受けてるんだから基礎練習、ちゃんとやっとけよ」
ぎくり。と神経が突っ張る。
「俺じゃ変わってやれないんだし、あの舞さんって巫女さん、容赦してくれそうにないからな。まぁ事情が事情だから、容赦なんてしてられないんだろうけど」
「それはそうなんだろうけ、ど」
「及び腰だな……それとも毎月、俺に背負われて帰りたいのか?」
ものすごく冷たい目で睨みつけられた。
冗談じゃない。誰が好き好んでアオイなんかの世話になりたいものか。
「それがイヤなら、自分でやれる事はやれ。俺も宵さんを受け入れた以上、お前に付き合う事になるんだ。後輩の情けない姿なんか見せられちゃたまらないからな」
――後輩……。
この人は今でもアスミの事を、そう思ってくれているのだろうか。
――俺はこの人を〈先輩〉だと思った事、あったかな……。
考えてみれば、失礼な子供だったような気がする。
自分で言うのも何だが、不貞腐れていた記憶しかない。
今になってドキドキして来た。すごく生意気だった気もするし。きっと失礼な態度しか見せていないだろうな。
――だって俺、嫌いだし。こいつもあいつらも。
「まぁ何にしろ」
――ん?
「不明だった友達も無事みたいで、よかったな」
アオイが、笑った。
アスミの中で遠い昔から、敵のようなポジションに居たこの人が……笑った。
笑いかけてきた。アスミに向かって。
――きっ気持ち悪い……いや、失礼だけど、ほんとマジカンベンして!
頭が混乱しそうになる。
「お前にだって大切な友達が居るんだから、もう自暴自棄になったりするなよ」
そう言ったアオイの顔は、もういつもの表情に戻っていた。
「あの子に服、買ってやるんだろ?」
それを思い出した途端、全身が熱くなった。恥ずかしさで目眩がする。
「俺の目の前で約束したんだもんな。見届けてやる」
「いや! ……遠慮します」
「恥ずかしがるなよ、今さらだ」
顔が……耳や背中まで、熱くなる。
来栖の前で一生懸命頑張って、必死でカッコつけて、彼女を繋ぎ止めようとした自分が、こんなにもこんなにも恥ずかしい。
身体に震えが来るほどだ。
――い、いや……あれは、あのえっと、その。
言い訳が浮かばない。
なんだろうか、この敗北感。
とにかくイヤな場面を見られてしまった。
――でもあの時、躊躇してるわけにはいかなかったし。
この人の生命だってかかっていたのだし。
――てか俺、この人を守るために必死だったんじゃん。
それをなぜ今になって、こんな恥ずかしい気持ちにならなければいけないのか。
理不尽である。
「まぁいいか。じゃあな、気をつけて帰れよ」
――やった! やっと解放の時間だっ。
「はいっ」と元気よく返事をする。
「半月後また会うんだからな」
「……はい」と萎えた気持ちで返事をした。
「あのさぁ。考えてる事を全部、顔と態度に出すの、気をつけた方がいいぞ」
――う。前も来栖に似たような事言われたな。
「まぁ、面白いからいいけど」
「へっ?」
「じゃあな」
そう言って彼は、さっさと人ごみの中に消えてしまった。
週末の夕方、行き交う人は多い。
アスミの瞳はたったひとりの人を追いかけたが、あっと言う間に見失う。
来栖や藤沢や葛西、そしてアオイやツカサ。
このタイミングで巡り会った事が不思議で、再会したのはもっと不思議。
中学生になった事がまるでスイッチだったかのように、あらゆる事が一度に動いた。
そんな気がする。
――学校も新月の踊りも、始まったばかりなんだよな……はぁ。メンッッドクセ。
ホームに向かう階段を上がる足がシンドい。ダメージはまだ残っているようだ。
でもこの身体の重さの理由は、それだけではないような気がする。
――俺、きっとこのままじゃやっていけないんだろうな。体力的にも、精神的にも。
変わらなければならない、のだろうか。
もし今度、ツカサに会ったら……こちらから挨拶をしてみようか。同じ学校の後輩として。
――挨拶……出来るかなぁ~。
想像しただけで精神にシンドいものが襲い来る。
これは何とかしないと。
ホームに立ち、ひとり。
「おはようございます」だの「こんにちは」だのと呟きながら、挨拶のイメージ練習をしていると、電車はすぐに来た。
乗り込んで出入り口付近に立ち、窓から外の景色を眺める。
――これがアオイの暮らしてる町、か。うちの地元より開発整備されてる感じだな。
電車はゆっくりと発車し、景色が流れだす。
自宅へ戻る時が刻一刻と近づいているのだ。
アオイに言われて電話した時、祖母にけたたましく怒鳴られた。
心配の現れだから、とアオイにフォローされたが、あまりにも恐ろし過ぎた。
あんなに感情的になった祖母は、初めてだったから。
そう言えば電話に残っていた着信記録も、尋常ではない数だった。
修羅場で仕方なかったとは言え、連絡どころか何も言わずに家を飛び出した自分が悪いのだ。
分かってる。
だから余計に、気持ちが重い。
――どんなカオして帰ろう。驚かれるだろうなぁ、この痣。
しょんぼり悩むアスミを乗せ、電車は走る。彼の暮らす町へ向かって。
・おわり・




