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月夜の新学期  作者: あおい
06
25/32

06-4


「俺ではダメなのか」


 ――アオイの声……だ。


 耳鳴りの外から聞こえる、あの人の声。


『あなたの身体は〈質〉が違うから』


「そうか。なら仕方ないな」


 こちらへ来る足音が聞こえる。聞きなれた、アオイの足音。


 突然、右手首が掴まれ、グイッ! と持ち上げられた。

 アスミの意識がぐわん! と響く。


 ――っく! 頭、痛い……っ。


「立て、アスミ。あの時のケリをつけるぞ」


 ――ケリ?


「あの時の俺はお前に対して何かしてやろうとも、理解してやろうともしなかった。けど今は違う。この人達はあいつらを慰めると言ってるが、俺達の目的は別だ」


 ――な……に?


「あんなに嫌がってるんだ、抵抗してるんだ。奴らにとっては〈嫌な事〉で〈嫌な場所〉なんだ。奴らにとっては地獄も同じ事。いいか、俺達の手で奴らを地獄に叩き落とすぞ」


 その言葉に誘われるように、アスミは少しだけ目を開けた。

 開け――られた。


「お前がスタジオをやめたのは俺達のせい、それは分かってる。でもあの時のケガは、理不尽だった。お前、悔しくないのか?」


 ――悔し……い?


「お前がケガをした事も、ダンスを止めた事も、マコトは深く悲しんだんだからな」


 ――マコトさ……んっ!


 彼の顔を思い出し、アスミはハッキリと目を開いた。


『だめ! 止めてっ! そんな気持ちであの子達に向かうのは、止めてっ』


「〈そうでなければ〉アスミは動けないぞ、それでもいいのか」


『でも、だけどっ。そんな感情をぶつけてしまったら、あの子達はまた暗い気持ちに呼応して、苦しみを長引かせてしまう!』


「そんなの知った事か! それに元はと言えば、あいつらから吹っかけて来た因縁だ。それをさせないと言うのなら、俺は今すぐにでもこいつを連れて帰る。あんた達が困ろうがあいつらがどうなろうが世界がどうなろうが、俺達に義理は無いからな!」


 ――アオイ……。


 アオイの、こんな感情的な物言いは聞いた事がない。初めて聞く。

 アスミの前ではいつだって感情を押し殺すようにしていた彼が、人ではない女性に向かって怒鳴りつけている。


 ――どうして。


 どうして? それは……。


 ――俺が、動けるように。


 そして。

 これまで抱え込んで身動きの取れなかった感情を、わだかまりを整理させようと。

 そしてきっと彼自身も、整理しようと。


 ケリを付けようと。


 そのために、アスミに「立て」と。

 言ってくれている。


 アスミはゆっくり、自分の足に力を入れた。

 ふらつきを確認しながらも、体重を自分の軸へと移し替える。

 そして、息を吸った。


「ありがと、アオイ」


 アスミが呟くと、手首から彼の力が引いてゆく。

 そして解放され、自力で立った。


「俺の身体であいつらを……地獄に落とす」


『アスミっ!』


「例え、怒られても」


 怒られるのは慣れている。そうだ。以前だって出来た事。親に歯向かったけれど、アスミは生きている。


「罰せられても」


『アスミ……!』


『まぁまぁ。人には人の感情がある。私達の思い通りに動かそうなど、傲慢ですよ。舞さん』


 男の声に振り向くと、アオイのすぐ後ろに、涼しげな瞳の男が立っていた。

 薄く微笑み、舞の姫巫女を見つめている。


『いいじゃないですか、恨んだって憎んだって。人には必要な感情だから備わっているんですよ、きっと。それを味わう事自体を、私達がどうこう言えません。例え、本人のためにならなくてもね』


 姫巫女は不満そうにため息を吐いた。

 そして、こちらを見つめる。


『大丈夫? 動けるの?』


 大丈夫とも、動けるとも言えないけれど。


「はい」とアスミは頷いた。

 小さく首を動かしただけで、吐き気に襲われる。でもそんな事でいちいち、心を折ってはいられない。


『じゃあ続きを舞うわよ。覚悟して』


「はい」


『最初は軸足で立ち、反対の足で弧を描くの』


 舞い上がり、足を動かす。こんな動き、クラシックバレエで見た事があるような気がするな。と思いながら。



 それから一分も踊っただろうか。踊っていないような気がする。

 そんな短い時間で、アスミの踊りはエネルギーを巻き起こし、周囲に居た影のほとんどを地下へと送り返した。


 トルネードのように風が巻き込み、轟音を響かせ、地中へ押し込める。

 影達は絶叫し、抵抗をしたようだったが、猛烈な風に押され消えて行った。


 アスミは気力を使い果たしていた。頭の中が白くなっている。

 だがまだあそこにひとり、黒い狐が残っていた。


 あの狐は復讐心が寄り集まった偶像だ。他の影とは、やはりちょっと違うようだ。


 篝火に照らされ、ニヤニヤしている。

 アスミにはハッキリと分かった。

 今度こそ彼は笑っている、のだ。


 なぜか。その理由もなんとなく分かる。

 もうこの空間は、あまり持たない。


 天井部分からは砂がパラパラと落ち続け、補強をしている木材もさっきから嫌な音を、小さく響かせている。


 さっきのトルネードの影響を受けてないわけがなかった。


『ソイツらじゃ、俺は始末出来ない』


 ニヤけた口元から、牙が覗いている。


『そしてオマエも、もう限界だろ? クソみたいなド素人じゃあ、もうこれ以上は無理だよなぁ? ケケケケケ』


 そうだ。間違いない。彼の言う通りである。

 一瞬でも油断すれば、アスミは意識を失いそうなくらい、精魂尽き果てていた。


『俺は災厄を引き起こすぞ。この国に、この世界に。やっと自由になれたんだ。長かった……やっと神の世界を滅ぼしてやる!』


 それが望みか。望み、なのだな。

 やっと彼は解放されたのだ。そしてこれから、自由にやれるのだ。


 復習を。八つ当たりを。


 どんなに長い間、この瞬間をあの狐は待っていたのだろう。


 ――長かったんだろうなぁ。


 それはとても、とても。アスミには想像も出来ないほど、長かったはず。


『じゃあまず手始めに』


 彼の視線が、アオイに止まった。


『お前、死ね』


 狐の体毛が〈ざふっ〉と、そそり立ったのが見えた。

 それがアスミの視界の中を、スローモーションでアオイに向かってゆく。


 無数の針、だ。

 黄金色に輝く、燃えるような復讐の凶器。


 それが真っ直ぐ、アオイに向かっている。


『私が〈契約者〉を護れないとでも思っているのですか』


 宵闇の伽番は優雅な動きで、アオイの前へ出た。


 だがアスミはそれよりも早く、針を砕いていた。


 右腕に持った、白銀に輝く少し重い剣で。

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