06-4
「俺ではダメなのか」
――アオイの声……だ。
耳鳴りの外から聞こえる、あの人の声。
『あなたの身体は〈質〉が違うから』
「そうか。なら仕方ないな」
こちらへ来る足音が聞こえる。聞きなれた、アオイの足音。
突然、右手首が掴まれ、グイッ! と持ち上げられた。
アスミの意識がぐわん! と響く。
――っく! 頭、痛い……っ。
「立て、アスミ。あの時のケリをつけるぞ」
――ケリ?
「あの時の俺はお前に対して何かしてやろうとも、理解してやろうともしなかった。けど今は違う。この人達はあいつらを慰めると言ってるが、俺達の目的は別だ」
――な……に?
「あんなに嫌がってるんだ、抵抗してるんだ。奴らにとっては〈嫌な事〉で〈嫌な場所〉なんだ。奴らにとっては地獄も同じ事。いいか、俺達の手で奴らを地獄に叩き落とすぞ」
その言葉に誘われるように、アスミは少しだけ目を開けた。
開け――られた。
「お前がスタジオをやめたのは俺達のせい、それは分かってる。でもあの時のケガは、理不尽だった。お前、悔しくないのか?」
――悔し……い?
「お前がケガをした事も、ダンスを止めた事も、マコトは深く悲しんだんだからな」
――マコトさ……んっ!
彼の顔を思い出し、アスミはハッキリと目を開いた。
『だめ! 止めてっ! そんな気持ちであの子達に向かうのは、止めてっ』
「〈そうでなければ〉アスミは動けないぞ、それでもいいのか」
『でも、だけどっ。そんな感情をぶつけてしまったら、あの子達はまた暗い気持ちに呼応して、苦しみを長引かせてしまう!』
「そんなの知った事か! それに元はと言えば、あいつらから吹っかけて来た因縁だ。それをさせないと言うのなら、俺は今すぐにでもこいつを連れて帰る。あんた達が困ろうがあいつらがどうなろうが世界がどうなろうが、俺達に義理は無いからな!」
――アオイ……。
アオイの、こんな感情的な物言いは聞いた事がない。初めて聞く。
アスミの前ではいつだって感情を押し殺すようにしていた彼が、人ではない女性に向かって怒鳴りつけている。
――どうして。
どうして? それは……。
――俺が、動けるように。
そして。
これまで抱え込んで身動きの取れなかった感情を、わだかまりを整理させようと。
そしてきっと彼自身も、整理しようと。
ケリを付けようと。
そのために、アスミに「立て」と。
言ってくれている。
アスミはゆっくり、自分の足に力を入れた。
ふらつきを確認しながらも、体重を自分の軸へと移し替える。
そして、息を吸った。
「ありがと、アオイ」
アスミが呟くと、手首から彼の力が引いてゆく。
そして解放され、自力で立った。
「俺の身体であいつらを……地獄に落とす」
『アスミっ!』
「例え、怒られても」
怒られるのは慣れている。そうだ。以前だって出来た事。親に歯向かったけれど、アスミは生きている。
「罰せられても」
『アスミ……!』
『まぁまぁ。人には人の感情がある。私達の思い通りに動かそうなど、傲慢ですよ。舞さん』
男の声に振り向くと、アオイのすぐ後ろに、涼しげな瞳の男が立っていた。
薄く微笑み、舞の姫巫女を見つめている。
『いいじゃないですか、恨んだって憎んだって。人には必要な感情だから備わっているんですよ、きっと。それを味わう事自体を、私達がどうこう言えません。例え、本人のためにならなくてもね』
姫巫女は不満そうにため息を吐いた。
そして、こちらを見つめる。
『大丈夫? 動けるの?』
大丈夫とも、動けるとも言えないけれど。
「はい」とアスミは頷いた。
小さく首を動かしただけで、吐き気に襲われる。でもそんな事でいちいち、心を折ってはいられない。
『じゃあ続きを舞うわよ。覚悟して』
「はい」
『最初は軸足で立ち、反対の足で弧を描くの』
舞い上がり、足を動かす。こんな動き、クラシックバレエで見た事があるような気がするな。と思いながら。
それから一分も踊っただろうか。踊っていないような気がする。
そんな短い時間で、アスミの踊りはエネルギーを巻き起こし、周囲に居た影のほとんどを地下へと送り返した。
トルネードのように風が巻き込み、轟音を響かせ、地中へ押し込める。
影達は絶叫し、抵抗をしたようだったが、猛烈な風に押され消えて行った。
アスミは気力を使い果たしていた。頭の中が白くなっている。
だがまだあそこにひとり、黒い狐が残っていた。
あの狐は復讐心が寄り集まった偶像だ。他の影とは、やはりちょっと違うようだ。
篝火に照らされ、ニヤニヤしている。
アスミにはハッキリと分かった。
今度こそ彼は笑っている、のだ。
なぜか。その理由もなんとなく分かる。
もうこの空間は、あまり持たない。
天井部分からは砂がパラパラと落ち続け、補強をしている木材もさっきから嫌な音を、小さく響かせている。
さっきのトルネードの影響を受けてないわけがなかった。
『ソイツらじゃ、俺は始末出来ない』
ニヤけた口元から、牙が覗いている。
『そしてオマエも、もう限界だろ? クソみたいなド素人じゃあ、もうこれ以上は無理だよなぁ? ケケケケケ』
そうだ。間違いない。彼の言う通りである。
一瞬でも油断すれば、アスミは意識を失いそうなくらい、精魂尽き果てていた。
『俺は災厄を引き起こすぞ。この国に、この世界に。やっと自由になれたんだ。長かった……やっと神の世界を滅ぼしてやる!』
それが望みか。望み、なのだな。
やっと彼は解放されたのだ。そしてこれから、自由にやれるのだ。
復習を。八つ当たりを。
どんなに長い間、この瞬間をあの狐は待っていたのだろう。
――長かったんだろうなぁ。
それはとても、とても。アスミには想像も出来ないほど、長かったはず。
『じゃあまず手始めに』
彼の視線が、アオイに止まった。
『お前、死ね』
狐の体毛が〈ざふっ〉と、そそり立ったのが見えた。
それがアスミの視界の中を、スローモーションでアオイに向かってゆく。
無数の針、だ。
黄金色に輝く、燃えるような復讐の凶器。
それが真っ直ぐ、アオイに向かっている。
『私が〈契約者〉を護れないとでも思っているのですか』
宵闇の伽番は優雅な動きで、アオイの前へ出た。
だがアスミはそれよりも早く、針を砕いていた。
右腕に持った、白銀に輝く少し重い剣で。




