06-3
――土地の力は神の力……。
アスミの身体が勝手に動く。
ステップを踏むたび、腕を揺らすたび、地面から風が吹き上がって来る。
〈それ〉を人は神と呼んだのよ、と姫巫女が言った。
風が渦巻き、影が飲み込まれてゆく。
何層にも響き渡る獣の咆哮。まるで地獄へ引きづり込まれるかのような、悲痛な鳴き声だった。
――生け贄を求めた神、か。そりゃ抵抗するよな。怒る気持ちも分かるし。
『土地の力は〈ただそこにある〉だけ、湧き水と同じなの。それに〈神〉と名を付け、供物を捧げたのは人間の方』
『人間? 贄を求められてたわけでもないのに?』
『生け贄だなんて思ってもいないわ。土地の恵みへ対する感謝の気持ちだったのよ――最初はね』
『あぁ、そっちか』
『いつしか形式だけになったのね。次の豊作を願うと言う事は、我欲を願う事。そのために贄を捧げてしまっていたのね』
『ん……大変だったんだろうからな、昔の人って』
『そうね。生きる事って言うのは、動物も植物も大変なのだと思うわ。食べると言う事は生命の奪い合いだもの。でも現代の人間だって大変でしょ』
『え? 食い物は溢れてると思う、けど』
『誰の犠牲の上に、だと思う?』
『え。ど、どーぶつ?』
『人の世界は搾取するかされるか、財の奪い合いをやっているでしょ。食い合うと言う意味では、人の世界も地獄とそう変わらないのかも知れないわ。残酷になれない者から食われて終わり。それが今、あなたの暮らしている世界』
――まぁ、そうなのかも。
『生きる価値があるかどうかは個々人が決める事だけれど、あなたは執着が無さそうね』
『ええ、まぁ』
『今の人の世界は、嫌い?』
『どちらかと言えば』
『けれどいつか、人の世界も変わるかも知れないわ』
『え?』
『資本主義、社会主義、共産主義、民主主義……人がまだ知らない、もっと他の道が出て来れば、違う生き方が出来るようになるかも知れないわ。時代は移り変わり、絶えず変化を続けている。同じ場所に立ち止まる事は決して出来ないのだから』
『う。まだずっと先の話、かな』
『そうかしら?』
『え?』
『いえ。ふふっ』
資本主義以外の経済システムなんて、アスミには想像も出来ない。でもいつかはそれ以外の、それ以上に人が納得出来るようなシステムが出来る、かも知れない?
『でもいつかそうなった時、あなたのように、誰かの自尊心を満たすため精神を搾取されるような、憎まれるような犠牲者は、居なくなるのかも』
――……犠牲? 俺が?
これまで考えた事などなかったが、なるほど。そう言い換えてもいいかも知れない。
敵意を剥き出しにされ、襲われても、あの獣達を否定しきれなかった理由は、それだったのだろうか。
『でも現時点の現実ではないのだから、あなたには関係ない話よね』
ふわり。と微笑む舞の姫巫女。
『あの子達は、癒されなければならない。最初はもっと酷い状態だったのよ。怒りに支配されてしまい、意識なんて無かったの。ここまで意思の疎通が出来るようになってたなんて、慰め続けて来た甲斐があったわ。よかった』
吠え狂っている獣達を見て、彼女はそのように考えるのか。
――マジか。最初、どんだけ酷かったんだ。
『お願いアスミ。あの子達をもう一度、土地の深部へ誘導するわ』
『はい』
『そのために門を開き、吸い込ませ、門を閉じ、再び上から封を施す。そのための舞はとても複雑で、難易度が高いの。さすがのあなたでも、完全に再現出来るかどうか』
『えっ? ちょ……』
『あ、大丈夫。その時にはその時なりの対処法はあるから』と苦笑いを浮かべる彼女。プレッシャーを与えるのは、止めて欲しい。
――スタジオやめてから柔軟すらやってないけど。大丈夫かな、俺の身体で。俺、完全に鈍ってるし。
ストレッチなんて、身体が凝った時くらいしかやらなかった。
などと不安に思っていたその時。
背後にぴったりと密着される気配があった。
あたたかくて軽い気配だ。
その気配がアスミの左肩に圧をかけてきた。
ぐいっ、と上半身が傾き、腕が前に出て流れる。
自分の指先から、小さな光がスパークするのが見えた。
金色の、銀色の、輝きが弾ける。
――これが、力……?
呼吸がゆっくりと深くなり、重力から解放されるのを感じた。
――ああ、そうだ。これが力!
両腕を思い切り広げる。右手から左手へ、左手から右手へ。弧を描いてほとばしる光のアーチ。
『あなたの持つ星の力だけでは足りない、門は開かない。更に働きかけるわ』
次々と必要な星を踏み込む。
そのたび、身体周辺で弾けている光の輝きは増殖された。
だがステップは難しい。
これまで使った事のないインナーマッスルが酷使され、姫巫女の要求するリズムがどうしても、いつまでも掴めない。
こんな事は初めてだ。
両手・両足・胴体・頭部……全身から汗が噴き出し、流れ落ちる。
服が絡み付いてきて、とても動きづらい。
酔ったようだ。吐き気がする。
意識がぐるぐると動いて、胃液が喉まで上って来た。
必死に何度も飲み込む。
頭が熱い。背中が熱い。
鼓動が乱れ、呼吸が乱れ、全身が砕けそうにつらい。
複雑で難易度が高い――姫巫女の言った言葉の意味が分かった。
ステップが複雑なだけではないのだ。
生身の人間にはとても堪え難い〈圧力のようなもの〉がかかってくる。身体中の細胞が悲鳴を上げ始めていた。
――なんだコレは? なんだコレは! どうしてこんなに苦しい……?
どう考えても、おかしい。計算が合わない。
確かにステップは難しい。慣れない振りにも戸惑っている。
けれど、違う。違うのだ。
幼い頃からの経験と、この鈍った身体と、振りとステップ。
確かに難しいけれど、計算が合わない。
ここまで苦しむはずはない。なのに、苦しい。
苦しい、なんてものではない。ダメージ、と呼んでもいいと思う。
身体が軋むかのような苦痛が、全身を支配していた。
――どうなってんだ。なんだよ、この振り付け……! 何が起きてるんだよ?
正直、アスミは恐ろしくなっていた。
これが〈神の世界へ届く踊り〉なのか。
そう思うと、とても怖い。
――遠心分離機にかけられた細胞って、こんな苦しみを味わってんじゃないの? そんな気がするよ、俺……!
休みたい止まりたい逃げ出したい! と言う逃避の要求すら頭から飛んで消えた、その時。
頭の中が一瞬、真っ白にスパークした。
――世界、が……。
意識の遠いところで誰かが、多分自分が、呟いた。
耳鳴りが、する。
『アスミ、今〈見えた〉んじゃないの?』
それが誰かの言葉であるとか、自分の傍には姫巫女が居たとかも、意識から飛んでいた。
反応出来なかった。
それと同時に体力は尽き果て、崩れ落ちる。
倒れた事にも気付かなかった――ような気がする。
『アスミっ――!』




