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月夜の新学期  作者: あおい
06
24/32

06-3


 ――土地の力は神の力……。


 アスミの身体が勝手に動く。

 ステップを踏むたび、腕を揺らすたび、地面から風が吹き上がって来る。


〈それ〉を人は神と呼んだのよ、と姫巫女が言った。


 風が渦巻き、影が飲み込まれてゆく。

 何層にも響き渡る獣の咆哮。まるで地獄へ引きづり込まれるかのような、悲痛な鳴き声だった。


 ――生け贄を求めた神、か。そりゃ抵抗するよな。怒る気持ちも分かるし。


『土地の力は〈ただそこにある〉だけ、湧き水と同じなの。それに〈神〉と名を付け、供物を捧げたのは人間の方』


『人間? 贄を求められてたわけでもないのに?』


『生け贄だなんて思ってもいないわ。土地の恵みへ対する感謝の気持ちだったのよ――最初はね』


『あぁ、そっちか』


『いつしか形式だけになったのね。次の豊作を願うと言う事は、我欲を願う事。そのために贄を捧げてしまっていたのね』


『ん……大変だったんだろうからな、昔の人って』


『そうね。生きる事って言うのは、動物も植物も大変なのだと思うわ。食べると言う事は生命の奪い合いだもの。でも現代の人間だって大変でしょ』


『え? 食い物は溢れてると思う、けど』


『誰の犠牲の上に、だと思う?』


『え。ど、どーぶつ?』


『人の世界は搾取するかされるか、財の奪い合いをやっているでしょ。食い合うと言う意味では、人の世界も地獄とそう変わらないのかも知れないわ。残酷になれない者から食われて終わり。それが今、あなたの暮らしている世界』


 ――まぁ、そうなのかも。


『生きる価値があるかどうかは個々人が決める事だけれど、あなたは執着が無さそうね』


『ええ、まぁ』


『今の人の世界は、嫌い?』


『どちらかと言えば』


『けれどいつか、人の世界も変わるかも知れないわ』


『え?』


『資本主義、社会主義、共産主義、民主主義……人がまだ知らない、もっと他の道が出て来れば、違う生き方が出来るようになるかも知れないわ。時代は移り変わり、絶えず変化を続けている。同じ場所に立ち止まる事は決して出来ないのだから』


『う。まだずっと先の話、かな』


『そうかしら?』


『え?』


『いえ。ふふっ』


 資本主義以外の経済システムなんて、アスミには想像も出来ない。でもいつかはそれ以外の、それ以上に人が納得出来るようなシステムが出来る、かも知れない?


『でもいつかそうなった時、あなたのように、誰かの自尊心を満たすため精神を搾取されるような、憎まれるような犠牲者は、居なくなるのかも』


 ――……犠牲? 俺が?


 これまで考えた事などなかったが、なるほど。そう言い換えてもいいかも知れない。

 敵意を剥き出しにされ、襲われても、あの獣達を否定しきれなかった理由は、それだったのだろうか。


『でも現時点の現実ではないのだから、あなたには関係ない話よね』


 ふわり。と微笑む舞の姫巫女。


『あの子達は、癒されなければならない。最初はもっと酷い状態だったのよ。怒りに支配されてしまい、意識なんて無かったの。ここまで意思の疎通が出来るようになってたなんて、慰め続けて来た甲斐があったわ。よかった』


 吠え狂っている獣達を見て、彼女はそのように考えるのか。


 ――マジか。最初、どんだけ酷かったんだ。


『お願いアスミ。あの子達をもう一度、土地の深部へ誘導するわ』


『はい』


『そのために門を開き、吸い込ませ、門を閉じ、再び上から封を施す。そのための舞はとても複雑で、難易度が高いの。さすがのあなたでも、完全に再現出来るかどうか』


『えっ? ちょ……』


『あ、大丈夫。その時にはその時なりの対処法はあるから』と苦笑いを浮かべる彼女。プレッシャーを与えるのは、止めて欲しい。


 ――スタジオやめてから柔軟すらやってないけど。大丈夫かな、俺の身体で。俺、完全に鈍ってるし。


 ストレッチなんて、身体が凝った時くらいしかやらなかった。


 などと不安に思っていたその時。

 背後にぴったりと密着される気配があった。

 あたたかくて軽い気配だ。


 その気配がアスミの左肩に圧をかけてきた。

 ぐいっ、と上半身が傾き、腕が前に出て流れる。

 自分の指先から、小さな光がスパークするのが見えた。


 金色の、銀色の、輝きが弾ける。


 ――これが、力……?


 呼吸がゆっくりと深くなり、重力から解放されるのを感じた。


 ――ああ、そうだ。これが力!


 両腕を思い切り広げる。右手から左手へ、左手から右手へ。弧を描いてほとばしる光のアーチ。


『あなたの持つ星の力だけでは足りない、門は開かない。更に働きかけるわ』


 次々と必要な星を踏み込む。

 そのたび、身体周辺で弾けている光の輝きは増殖された。


 だがステップは難しい。

 これまで使った事のないインナーマッスルが酷使され、姫巫女の要求するリズムがどうしても、いつまでも掴めない。

 こんな事は初めてだ。


 両手・両足・胴体・頭部……全身から汗が噴き出し、流れ落ちる。

 服が絡み付いてきて、とても動きづらい。


 酔ったようだ。吐き気がする。

 意識がぐるぐると動いて、胃液が喉まで上って来た。

 必死に何度も飲み込む。


 頭が熱い。背中が熱い。

 鼓動が乱れ、呼吸が乱れ、全身が砕けそうにつらい。


 複雑で難易度が高い――姫巫女の言った言葉の意味が分かった。

 ステップが複雑なだけではないのだ。

 生身の人間にはとても堪え難い〈圧力のようなもの〉がかかってくる。身体中の細胞が悲鳴を上げ始めていた。


 ――なんだコレは? なんだコレは! どうしてこんなに苦しい……?


 どう考えても、おかしい。計算が合わない。

 確かにステップは難しい。慣れない振りにも戸惑っている。


 けれど、違う。違うのだ。

 幼い頃からの経験と、この鈍った身体と、振りとステップ。

 確かに難しいけれど、計算が合わない。


 ここまで苦しむはずはない。なのに、苦しい。

 苦しい、なんてものではない。ダメージ、と呼んでもいいと思う。


 身体が軋むかのような苦痛が、全身を支配していた。


 ――どうなってんだ。なんだよ、この振り付け……! 何が起きてるんだよ?


 正直、アスミは恐ろしくなっていた。

 これが〈神の世界へ届く踊り〉なのか。


 そう思うと、とても怖い。


 ――遠心分離機にかけられた細胞って、こんな苦しみを味わってんじゃないの? そんな気がするよ、俺……!


 休みたい止まりたい逃げ出したい! と言う逃避の要求すら頭から飛んで消えた、その時。


 頭の中が一瞬、真っ白にスパークした。


 ――世界、が……。


 意識の遠いところで誰かが、多分自分が、呟いた。

 耳鳴りが、する。


『アスミ、今〈見えた〉んじゃないの?』


 それが誰かの言葉であるとか、自分の傍には姫巫女が居たとかも、意識から飛んでいた。

 反応出来なかった。


 それと同時に体力は尽き果て、崩れ落ちる。


 倒れた事にも気付かなかった――ような気がする。


『アスミっ――!』

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