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■06■
狐の元へ、周囲から影が集まる。
ふわふわと漂い、それこそ狐火のようだと思った。
複数の炎は、周囲の動物達から滲み出て浮かび上がった〈影〉だった。
薄墨で書かれたような淡い炎が、狐の身体に入ってゆく。
次々、次々、飲み込まれるように入ってゆく。
狐の身体は徐々に大きくなった。
大きくなるだけではなく、その姿も変化した。
人のような四肢となり、人のような顔となる。
黒い着流しを纏い、黒い髪が揺れている。
狐面に施されているような、隈取りのハッキリとした目元はキリッとしていた。アオイの目付きどころではない切れ長の、流し目でこちらを見る。
ニヤニヤと笑っているような、冷たく怒っているような、分かりにくい表情が浮かんでいた。
けれどでも多分、きっと怒っているのだろう。
狐の耳と尻尾は篝火を反射して金色に輝き、黒とのコントラストが妙に美しかった。
アスミは呆然と〈彼〉を見つめる。
高音の耳鳴りが聞こえているような違和感が、拭えない。
『俺達はなぁ、親を、家族を、仲間を奪われたわ。神への供物なんて名の元にな。それを恨み抵抗しようとしたら、みんなまとめて封印され、地下送りだ。お前ら人間が有り難がってる神なんて、糞みてぇなモノだぞ。生け贄を必要とするあいつの方が化け物だ、悪鬼だ。なぁそうだろ?』
幾重にも重なった声で、狐が言う。
今そこに立っている狐は、他の動物との複合体なのだ。
〈彼〉に集った〈全員〉が言っているのだろう。
半音ずれた声が混ざっているようだ。聞くと気持ち悪く、不安な気分になる。
――家族を奪われたのは可哀想、だけど。神様の事とか言われたって分からないよ。
「まさかとは思うけど、あんな言葉に惑わされるなよ」
アオイの声にハッとする。
『だから神に語りかける身体を持つお前を、ぶち壊す……!』
周囲に散らばっている気配がざわめき、複数の影が同時に襲って来た。
三体……いや、五体くらいか。それが自分に、弧を描いて集まって来る。
自分はひとり。カッターは一本。
どいつから斬りつければいい?
――ダメだ分からない……っ! て言うか、何で俺がーっ!
右手に力を入れ、とにかく振り回そうとした時。
背後から何かが伸び、襲い来る影を粉砕した。
水が飛び散るように、影の粒子が分解し飛び散ってゆく。
――……なに?
振り向くとアオイがスッと背を伸ばして立ち、こちらを見ていた。
――い、今の……アオイが? だけど。
さっきまで影を叩き付けても、あんな風に飛び散ったりはしなかった。
――それに、いくら近くに立ってるからって。
さっき伸びて来た〈何か〉は、アスミの頭上から視界の中に現れた。
――腕にしろ足にしろ、伸ばして届くような距離じゃない。アオイじゃないのか? いや、他に考えられないし。と、跳び蹴り?
そのアオイに、違和感があった。
口元をキュッと引き締め、据わった瞳でこちらを見ている。
こちらと言うか、アスミの先に居る動物達を。
「間もなく丑三つ時――今宵の伽番は終了した」
アオイの口が動く。
――丑三つ時ィ? もうそんな時間なのか?
体感ではそんなに経過していないと思うのだけど、携帯を取り出して確認出来る余裕はない。
アオイの視線がチラリと動いて、こちらを見る。
「なぜ再びこの地に戻って来たのかは分からぬが、子供よ」
――こっ子供って、俺っ? だよな、きっと。何だよこいつ、本格的に気持ち悪いな……。
「アオイ、さっきから何を言ってるんだ」
「この場を切り抜けたければ、姫君を受け入れよ。私を受け入れてくれたこの人間のように」
――っ? 怖い! アオイがヘンな事言い出した! こんな奴じゃなかったのに、怖いッ!
――やっぱりさっき、血を流した時、打たれ所が悪かったんじゃあ?
もしそうなら、こんな事に巻き込んでしまったアスミのせいだ。
――アオイがオカしくなってたら俺、どっどうしよう……! 責任取れるような事じゃないだろ、コレ。
『それだけはさせるかあっ!』
再び影が襲い来る。
アオイが動いた。円を描くように腕と足を流して、影を打つ。
――げえっ!
アオイの腕が、足が、三倍ほどに伸びた――ように、見えた。
ただでさえ長い足の先が、予想の位置から大きく離れて影を打ったのだ。それは、腕も同じであった。
あまりのシュールな出来事に、アスミは硬直する。
――あいつ、関節外しまで会得してたのかっ? ダンサー、恐るべし!
自分もあのまま続けていたら、関節の一本や二本、難なく外せるようになっていたのだろうか。
――き、聞いた事ないけどな……そんな上級テク。あ。ヨガでも取り入れたのかも? でもヨガって関節外したりした? ねぇ。ねぇねぇ! 誰か!
自分の中で精一杯、常識と結びつけようと頑張る。
が、到底納得出来る答えには辿り着けそうもなかった。
――うう。こんなの、俺の知ってるアオイじゃねぇよ……。
「それから、みなさん。私に歯向かうのなら覚悟をしてくださいね。古い時代から時をかけ、少しずつ浄化されて来たあなた達は再び、始めの状態に戻るのですから」
アオイの言葉に周囲の影がざわり、と反応する。
「私に触れられ砕かれたものはもう一度、同じ時をかけこの土地で眠る事になる。同じだけ、同じ時間だけね。あなた達の状態が元に戻ると言うわけではなく〈拘束時間〉が長くなる、純粋なる〈お仕置き〉です」
――よく分からないけれど、脅迫しているようだぞ。
動物達が引いてるように思える。
『そんなコトは無い。お前に勝てばいいんだ』
「私と舞さんを敵に回して、勝てますかね?」
アオイがニコリ。と笑った。あまりにも似つかわしくない笑みに、アスミはゾッとする。
『だからこそそのガキを、俺達はぶち壊す!』
びゅるっ! と風を切る音が聞こえ、視界の中で幾つもの影が眼前を塞いだ。
暗い視界の中でぎらり。と何かが鈍く光る。
それか牙なのか爪なのか。アスミには分からない。だが。
こんなにハッキリ見えると言う事は、顔を。
多分、目を狙われているのだろう。
ビクン、と身体が反応してから瞳を閉じ、腕で顔を塞ぐ間など無い。
瞼を閉じてしまう直前に、その鋭い物がアスミの眼球に届くだろう。
とても……間に合わない。




