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月夜の新学期  作者: あおい
05
21/32

05-5


「冴季」


 もう一度呼びかけると、「うるさいっ。言いたい事があるならさっさと言えっ」と不機嫌な声が返って来た。


 不機嫌、と言うより動揺の方が近いだろうか。


「俺、決めたから」


「何をっ」


「バイト出来る年になったら、お前に服を買ってやる」


「……はぁっ?」


「姉ちゃんからのお下がりなんかじゃなく、お前のために、お前の服を買ってやる」


「何言ってんだ。服なんか着られれば何でもいいんだよ」


「それは男の理論だ。俺はお前となんか話してない。冴季に言ってるんだ」


「そんな奴居ないよ。ここに居るのは僕だけだ」


「いいや、嘘言ったって誤摩化されないからな。お前が葛西さんに言った言葉、あれは女子じゃなきゃ言えなかったんだよ」


 あの、心霊写真で体重増加がどうのこうの。と言う脅迫は、男では言えなかったはず。


「え? ど、どれ? ……何か言ったっけ」


「ほら、気付いてない。表面はどんなに繕っても、無意識はやっぱり、ずうっと女の子だったんだよ。冴季」


「適当な事言うなよ。惑わされないからな!」


「お前がどうなろうと、どう考えようとどうでもいい。俺は冴季に言ってんだ。けどなー、冴季」


「……っう」と声を漏らし、頬を染めてこちらを睨んでくる。透明感のある綺麗な瞳で。


「俺がここで死んだら、お前に服を買ってやる人間は居なくなるんだからな。お前に似合う、お前の好きな色の、デザインの服を、お前のために喜んで買ってやる人間を、手放す事になるんだからなっ」


「うっうるさ……い」


「アオイに何かあったら、俺はお前を許さない。服だって買ってやらないし、その前に俺はアオイを守るためなら何だってする。死んだっていい、この世に未練なんか無いし執着も無いから。俺はいつだってこの世界からドロップアウトする覚悟はあるんだよ」


「うるさいっ!」


「その時、お前は永遠に――俺と言う奴を失うんだ。服の次は靴を買ってやろうと決めた、この俺を」


「黙れーっ!」


 来栖がアスミの持つカッターを奪いに来た。アスミは彼女の両腕を掴む。そして身体を引き寄せ、言った。


「靴の次は何がいい? アクセサリーか? それともお菓子か?」


「うるさいっ! そんな安っすい買収なんかされるかっ! 頭オカシいんじゃねぇっ?」


「キャンディ、ありがとな。さっきあれ食わせてもらった時さ、俺、安心出来たよ」


 感謝の言葉を、来栖の瞳の中へと送り込む。あの時は本当にラクになれて、助かったと告げる。


「冴季が本当に、心の底から俺の身体を破壊したいと言うなら、それでもいい。けどな、それはもう少しだけ待って欲しいんだ」


「なにを……言って……」


「お前に服を買ってやった後で、ならな」



 一瞬前までこちらを睨んでいた瞳が、突如として潤んだ。

 そして。


 ぽろり。と大粒の涙が零れ落ちる。


「ひとつくらい俺の望みを叶えてくれてもいいと思うんだけど。どうだ?」


「……うっ。ひっく! アスミ……! うわあーんッ!」


 来栖にホールドされた。身動き出来ない。

 耳元で泣き叫ばれると、さすがにうるさい。


「ちょ、来……いや、冴季っ。今はちょっと放して、頼むからっ!」


「うわあーんッ! そうだよね! 邪魔だよね! そんな事にも気付かなくてごめんなさいーッ! うえーんッ!」


 泣き叫びながらも来栖は、小走りで離れてくれた。


「お前、すごいな」と背後からポツリと声が聞こえる。


「あ、いや今のは……そのっ!」


 必死の説得を聞かれていたのかと思うと、すごく恥ずかしい。顔や耳がカッと熱くなるのを感じた。


「事情はよく分からないから突っ込まないでおくけど、お前、クチ上手いな。知らなかったよ、感心した」


「カンベンして下さい……っ!」


『……オイオマエら。楽しそうだなァ、ムカつくわぁ』


 その声に振り向くと、鹿と狐が目を吊り上げてこちらを睨んでいた。

 陽炎のように何かが立ち上っている。それは怒りのオーラなのだろうか。……獣の臭いかも知れない。


「冴季」


「は、はいっ」


「お前、先に地上に出ろ」


「え?」


「そして地面をよく見てろ。何か少しでも変化があったら、ホールの中の人達に伝えろ。陥没するかも知れない、って」


「私だけ……? そんなぁ」


「頼む。藤沢さんだって居るかも知れないし、土地が崩れれば建物だって無事ってわけにはいかない。あの中に居るみんなが危険なんだ。もし本当にリハーサルをやってるならいつもより多くの人が来てるはずだし、引っ越し作業をしてると言う事は、中は雑然としてるだろう」


 荷物が廊下や階段で通行の邪魔をしているはず。

 建物が傾けば、台車だって荷物を載せたまま走り出すだろう。


「知らせなきゃ大変な事になる。あの時の、俺のケガどころじゃない目に遭う人が出るかも知れない。それも、きっと大勢」


「……あ。う、うん」


 分かってはいるようだが、冴季の表情は納得していない。

 心配そうに眉を歪め、こちらを見たまま身動きしなかった。


 ひとりだけ脱出するのは、強い罪悪感と戦わなければならないだろう。

 誰かを置いて逃げろ、とこんな状況で言われれば、アスミだって決断は鈍るしどうにか連れ出そうと考えると思う。


 だけど今は、行ってもらわなくては困る。

 起こるかも知れない災害を知らせないわけにはいかないし。来栖の事だって心配だ。


 せめて彼女だけでも、ここよりは安全な場所へ――。


「つらい思いをさせるけど、ごめんな」


 コクンと頷き、冴季は階段の方へと移動し始めた。

 何度も心配そうにこちらを振り向きながら。


 何歩か上がったところで、彼女は呟いた。


「……約束、して」


「え?」


「絶対に服、買ってもらうんだから」


「うん。買ってやる。約束な」


 こちらを見下ろす大きな瞳が、潤んでいる。


「信じてるから」


 そう言うと彼女は、走り出した。

 姿はすぐに見えなくなったけれど、その軽い足音が耳に届く。





 アオイは以前、ダンス以外の舞台に立った事がある。

 それは演劇の舞台だった。


 上手いダンサーが必要だと言う事で、あちこち探していたらしいのだ。

 台本の都合上、ちゃんと踊れる人材を演出家が必要としていたらしい。


 本番までの時間だって無限ではない。

 役者が練習するのには限界があり、満足出来る仕上がりにはならないのだと言っていた。


 どうしても〈役者以上〉の動きで、観客を納得させなければならない。

 どこかにいいダンサーは居ないだろうか。

 身長はこれくらいで、体格はこんな感じ。台詞は無いので、演技の経験や声の質は問わない。

 ステージ度胸があればそれでいい。


 相談をされたのがスタジオ講師のひとりだった事から、アオイが一度だけレンタルされる事になった。

 期間は、春休み最初の週末三日間。


 高校受験も終わったばかりだったし、気分転換のつもりもあった。

 他の舞台に興味もあったし、少額だがギャラも貰えると言う事で、出演してみる事にした。


 出番はとても短かかったし、本当に軽い気持ちだった。


 話の中の、小さな小さなワンシーンだ。

 主人公のライバルである男の子が、主人公以上の踊りを見せつける。と言う場面。

 そこだけを、俳優の変わりに踊る事になった。客演、と言う形で。


 参加してみると舞台の関係者はみんないい人達で、稽古は楽しかった。

 別世界の人と話すのは新鮮だったし、勉強にもなった。


 役者には厳しい演出家だって、アオイには態度が違った。

 キャラクターについての説明を受け、気持ちを作る事などを教わったりはした。

 けれど、暗い舞台とストロボの中で踊るだけのアオイに、厳しい演技の注文などありはしなかった。


 踊り自体は、いつものように上手く出来たと思う。舞台の空気も壊さなかったはずだ。

 求められたモノは、それ以上に返せた。

 けれど。


 ――何かが違う……。


 そう思った。


 音が流れ、ライトを浴びて、舞台の上で踊る。それはいつもと同じだったのに。

 なんだろう。手応えが遠くて、いつもの充実感が無かった。


 客層が違うから、だろうか。

 それもあるだろう。


 理由はハッキリしないけど、自分の中の何かが……燃える事の出来なかった何かが……不満を囁く。囁き続ける。


 つまらなかったな、と。


 ――もう、いいや。


 もう違う舞台に出るのは止めよう。

 楽日の舞台袖で、アオイはそう決めた。



 けれど、それでは終わらなかった。


 アオイは劇場が発行している小冊子のインタビューを受けていた。

 よくある、見逃されがちな小さな記事だ。


 そこには簡単なプロフィールとスタジオの名前が記されていた。

 それを見た人達からスタジオに、アオイに関する問い合わせが幾つも入って来た。グラビアやインタビューの依頼が主だったらしい。


 スタジオからは何度か、仕事を受けるかどうかの確認は来たが、アオイは全て断った。興味のない事に、いちいち付き合ってはいられない。


 アオイは、自分にとって不必要な事に振り回されるストレスを初めて知った。

 きっと〈虚しさ〉と言うものなのだと思う。


 そしてある日の夕方、不意にアスミの事を思い出す。


 ――あいつ、こんな気持ちで続けていたのかな……。


 アオイが思い出すアスミは出会った頃の、幼い子供のままだった。

 その子が遠くで、ひとりぼっちで佇んでいる。


 その小さな後ろ姿が思い浮かんで――胸が痛かった。




 その子が今、中学生となってアオイの前に現れ、カッターを片手に持ち、自分の背中を守ってくれようとしている。


 ――女の子は号泣するし、化け物だらけだし、あー。ほんと意味分かんねぇ。


 苦笑いが口元に張り付いて、戻らない。



 とても、不快だ。

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