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月夜の新学期  作者: あおい
05
19/32

05-3


 ――……?


 男の声が聞こえた。誰も来そうにない、こんな場所に誰かが来たのか?


「だっ誰だよお前っ! 放せっ」


「俺もそいつの事は気に食わないし、大嫌いだ。けど、一線は越えるなよ」


「関係無いだろっ!」


「ああ、関係無いよ。でも常識的に見過ごせる事と見過ごせない事があるだろう。それくらい分かるな?」


「放せ! 放せ! 放せぇーっ!」


 アスミは目を開け、気配の方に顔を向けた。


 そこには暴れている来栖と、見知らぬ男が居た。

 ジタバタしている来栖の両腕を、背後から押さえつけている。


「暴れても無駄だ。細くて筋肉も弱々しいお前が、俺に抵抗しきれるとは思っていないだろう?」


 スラリとして手足が長く、余裕で来栖を押さえつけている。

 アスミは驚いて、その横顔を見つめた。


 黒い瞳で、睫毛がちょっと長い。

 鼻筋が通っていて、くちびるは少し薄い方だろうか。


 自分よりは年上で、多分、高校生。


 ――だっ誰だ……?


 知っているような、知らないような、奇妙な感じである。

 男は来栖の身体をうつ伏せにして地面に押さえ付け、右腕で彼女の両腕をその背中に押さえ付けた。


『俺もそいつの事は気に食わないし、大嫌いだ』


 ――もしかして。いや、まさか……。


 だけど。

 その人が強い視線をこちらに向け、言う。


「もう少しこっちに来い」と。


「俺の腕が届くくらいまで」


「えっ」


「そのロープ、切ってやるから」


 言われてアスミは上半身を起こして立ち上がり、ふたりの方に近づいた。

 そして彼の腕がロープに届きそうなくらいに距離を縮め、屈み込む。


 近づいて見た来栖の表情は……常軌を逸してもいないし、目がイッたりもしていなかった。

 いつもの来栖、なのだ。

 笑ってこそいないけれど、普通の。


 アスミと視線が交わっても、いつもと同じ。葛西や藤沢と話をしている時と、変わらない。

 理性を失っていないクラスメートの姿がそこにあった。


 そして少し離れた地面に落ちていたのは、カッター。刃物、だ。

 それでアスミの足を切ろうとしていたのだろう。


 いや、足だけではない。

 きっと、身体中。

 アスミが死んでしまうまで。


 カッターは男の腕に届く距離ではなかった。あれを使うわけではないようだ。


 右腕で来栖を地面に押さえつけた男は、左手をアスミの身体に走らせる。


 どすん。とした衝撃の後、少しだけ食い込みが弛んだ。

 腕にグッと力を入れると、ロープはパラリと解けた。


 ――こいつも刃物持ってたのか?


 疑問を抱いて、男に視線を向ける。

 微笑まない、あたたかくない、切れ長で整った顔の、その瞳とアスミの視線が、交わった。


 ツンとした視線が神経に突き刺さる。

 この感じ。妙にイヤな感じ。

 自分は完全に、この人を知っている。


 でも、どこの誰だ。

 ハッキリせず、思考がモヤモヤとし始めた時。


 無表情のままで彼は呟いた。


「ダンサーだからな。裁縫セットはいつも持ち歩いている」


 ――……っあ。



『アスミ。スパンコールが外れかけてる』


 そう言ってレッスン場の隅っこで、衣装に縫い付けてくれたのは、あれは……。



「……アオイ」


 掠れた声でその名前を呼ぶと、男はつまらなそうな表情をしてアスミから視線を外した。

 その顔の反らし方と言い、タイミングと言い、スピードと言い、間違いない。

 あのアオイだ。


 アスミの事を嫌っていると言っていた。

 言われなくても分かっていたけど、ならばなぜ助けに来た?

 全く無関係の、この人が。


 ――いや。俺の事を嫌ってはいても、良識は持ってた。


 彼らはアスミを、楽しみのため仲間外れにしていたわけではない。

 噛み合わない歯車みたいに、お互いが迷惑だと感じてしまうほど、相性が壊滅的に悪かったのだ。


 良識があるから苦い表情を浮かべ、必要以上に近寄る事が出来なかったのだろう。

 決して、虐めて喜んでいるような人達ではなかった。


 だからそんなアオイだから、こんな異常な状況に出て来てくれたのだと思う。


 ――やっぱこれって異常、だもんな? どうしてあいつがここに居るのかは分からないけど。


「ねぇアスミ。お友達が来てくれたからって、助かったなんて思ってないよね?」


 土の上に倒れ臥す来栖が、微笑んだ。その時。


 複数の影が空間を飛び交い、それぞれがアオイの身体を通り越して行った。

 左腕を顔の前に掲げ、ガードの体勢を取っていたアオイの身体から。手の甲から。

 血が、飛び散った。


 赤い粒が空間に浮き上がり、スローモーションのようにアスミの視界の中で散ってゆく。

 アオイは悲鳴を漏らさず、こちらに向かって呟く。


「大丈夫だ。表面を切られただけだ」と。


 だけど、それだけで済むはずがない。

 周囲の影がくんくん、と鼻を鳴らし始めた。きっとアオイの血の臭いに反応しているのだろう。


 彼らの気配が、そそり立ってゆくのが感じられた。


 ――マズいヤバい。


 それだけが分かる。このままではふたり共、襲われる。


 ――武器、無い……! ばっはんそーこー……使えねぇ!


 かと言って、素手で応戦出来る相手ではない。相手の方が数も多い。


 ――腹を空かせた野犬に取り囲まれてるようなもの、か。


 しかも相手は、肉体をとうに失っている。あそこに居る狐や鹿だって、アスミに見えているだけで実体ではないのだろう。

 昔の、恨みを抱き続けた野生の獣。


 脇腹が痛い。顔が痛い。


 ――どうすればいい?


 自分ひとりなら諦めてしまう事も出来た。

 でもアオイが居るのでは、そうもいかない。


 何の関係もないのに、助けに出て来てくれたアオイ。

 アスミの事なんか嫌いだと断言しているのに、それでも今、ここに居て、血を流している。



「アオイ……何でここに居るんだよ。どうしてっ」


「お前は気付かなかったんだな。まぁ、仕方ない。巡り合わせなんだろ」


「分からないし!」


「俺にだって分かんないよ。今夜は友達の家でお泊まり会だったのに……ほんと、ナニやってんだかな」


 ――なにぃーっ? どうしてお泊まり会に行っていないんだよっ? しっかりとスケジュールがあったくせに、どうして!


「て言うか、お泊まり会って、彼女とじゃ……」


 アオイは昔から、女の子達にキャーキャー言われていた。彼女の五人や十人、作ろうと思えば作れるはず。


 お泊まりデートをキャンセルなんかしたら、後々モメてしまうのではないだろうか? とアスミは心配したのだが。


「残念ながら違うけど。お前、言うようになったな」


「え?」


 ――あ! さすがに失礼過ぎたかっ。


 仲がよくない先輩に対して、さすがに生意気で失礼だったかも。ウッカリ軽口をたたいてしまった。


「す、スミマセ……」


「もう中学生なんだよな。進学おめでとう。アスミ」


 それはあまりに、現状には不似合いな言葉だった。

 ので、脳が言葉の意味を理解するのに数秒かかった。

 

 そして意味は理解出来たけれど、お祝いの言葉がスンナリと自分の中に入って来ない。


 あのアオイが……自分の進学を祝ってくれているなんて。

 あのアオイが!


 驚き過ぎて、身体中のエネルギーが逆流してゆくのを感じた。


「なっなんでっ、こ……こんな時に、そんなっ、こと……っ」


 声が震えて、恥ずかしい。

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