05-1
■05■
感覚で言うと、二階や三階ではない。五階や六階分くらいは下りたと思う。
変わらぬ景色にうんざりし、そろそろ下りる事に嫌気がして来た頃。
突然、広い場所に出た。
来栖が段の途中で立ち止まり、ライトの光を広場へ向ける。光を上下左右に流した後、再び下り始め、彼女は広場へと足を下ろした。
「こう言う所を照らすには、キャンドルとかの方がよかったんだろうなぁ」と呟きながら、来栖はポケットからもう二本のライトを取り出した。
距離を開け、それらを地面に置く。
パッと見た感じ、教室よりは広いと思われる。体育館の面積くらいはある、のだろうか。
比較物が何も無いのでちょっと分からないが、それくらいだろうなぁとアスミは感じた。
薄ぼんやりと照らし出される空間の中央には、土が盛り上げられている。上部が平らになっていて、相撲の土俵みたいだと思った。
「これ……ステージだね」と来栖は言う。
「これがぁ?」
「東西南北に柱が立っていて、この空間を支えているでしょ。天井にもちゃんと人の手が入ってる。ここは〈誰かが使うため〉に〈作った〉場所なんだ」
「使うためなら、不便過ぎるな」
「うん。まぁ〈人知れず〉使う必要があるって言う事なんだろうね」
「ふぅん」
そんな場所に勝手に入り込んでよかったのだろうか。とチラリ疑問が過ったが、今さらか。
「ここをどうにかして、藤沢さんを助けられるのか」
「ん~……ここ、さぁ。神様へ貢ぎ、捧げるための場所みたい。と言う事は、舞の舞台か。神楽とかをやるのかな? ね?」
「い、いや俺、そっち方面の知識は皆無だから」
神楽って踊りだと思うけど、具体的にどう言う物かよく分からない。
でもそのような踊りが存在している事は、知っている。
――祭とか正月に踊るのか、な?
「神様に踊りを捧げる舞台なんだから、きっと神聖な舞台なんだよね」
まぁ、そうなのだろう。
「なら〈悪いモノ〉を押さえつけておく事くらい、出来そうだよね」
「ならこの下にナニかが、って言う事か」
「この舞台を壊しちゃったら、悪いモノが復活するかもねぇ」
来栖が悪戯な笑みを浮かべた。藤沢の事があるのに、あまりそう言う冗談は言って欲しくない。
「そんな強く睨むなよアスミ。神様関係に手を出したりしたら、八つ裂きさ。無事で居られる人間なんて居やしないんだから、さすがの僕もそこまでバカじゃないよ」
睨んでしまった、だろうか? と自分の顔の筋肉に手を添えてみた時である。
ライトが数回点滅して、消えた……。
――あ、あれっ?
確か来栖の持って来ていたライトは、全部で三つ。
――電池切れだとしてだ。三つ、同時に?
数秒の狂いもなく三つ、同時に?
「大丈夫か? 来……す……っ」
足下を何かが走り抜けたような感覚があって、アスミはバランスを崩した。
この程度のバランスで転がる事などないのだが、真っ暗な中で上下左右の感覚が上手く掴めなかった。
身体が重力に引っ張られ、右ひざと右手を地面に着く。
――なに……小動物っ?
ここに来るまで、そんなモノは見なかった。土の中なのだから虫くらいは居るだろうけれど、動物は……。
――ねっネズミ、くらいなら居るのかな……いや、どうだろう。
驚いて動揺し、状況も把握出来ない。
そんなアスミの指先に、軽く触れる物があった。
来栖、かと思った。だけど。
びゅるっ! と風を切るような音が聞こえたと同時に、身体に痛みが走る。
「あっ!」と叫んだ時にはもう、上半身が縛り上げられていた。
縛られて……いるのだと思う。見えないからよく分からないけれど、両腕が胴体に密着させられ、強い力で締め上げられているから。
――なんだこれは……っ!
あの日を思い出す。
気付いた時にはもう、足首が絡め取られていた……あの時。
ゾクッ、とした緊張が、全身の筋肉を収縮させた。
「く……来栖? 無事かっ?」
暗闇の中、返事はない。
――まさか、あいつ……。
自分と同じように何かに襲われ、もう意識を無くしたりしているのか?
「来栖? 来栖っ!」
呼ぶ。呼んでみる。
気絶していたとしても、自分の声で気付いてくれるよう――アスミは彼女を呼んだ。
何度も、何度も。
だけど自分の声が虚しく反射するだけで、反応がない。
不安が喉の奥に詰まったような息苦しさを感じる。酸素が突然薄くなってしまったような、不快さ。
――あいつ、どうなったんだよ? 悲鳴もあげなかったけど……そんなすぐ意識を失ったのかっ?
『あの時姿を現したロープは、魔物に近いモノだった』
来栖の言葉が蘇る。
――……魔物?
今、自分の身体を縛り上げているモノは、一体何なのだ?
人間が他人を縛り上げるのに必要な手間、などと言うものは、かからなかった。
細長い鞭で打たれるかのように、瞬時に縛り上げられた。
肌に、筋肉に強く食い込んで痛いほど、しっかりと。
『ケケッ』
――っ?
アスミは息を止めて、今、聞こえた奇妙な音の方を見た。
真っ暗で何も見えない。
だけど。
――何か……居る?
小さな息づかいが聞こえる。気のせいだろうか、生臭い。
――さっき足下を何かが通ったよな、やっぱ小動物?
動物の鳴き声、ならそれっぽい音だったと思う。
――だけど動物が、ネズミが、同時に三本ものライトを消したりしないよな。
動物っぽい、魔物?
ならば今、自分を縛り上げているのはナンだ?
細長くて、獲物を縛り上げる生き物。
ごくり。と息を飲み込む。
蛇は苦手なのだ。爬虫類が苦手なのだ。
あの細長い物体を想像しかけ、おぞましさで神経が凍り付きそうになったけれど。
――ちょっと待て! 蛇は『ケケッ』て鳴かないだろ多分っ。よし、違うっ。
両腕に力を込め、謎の物体を千切ろうとした。千切れないまでも、緩めようと。
でもどんなに力を入れても、こちらの身体が痛いだけで相手はピクリとも動かない。
暗闇の中で、ひとり。
連れの無事も確認出来ないまま、膨れ上がりそうになる不安を押し殺す。
どんなに抵抗しても身体は自由にならず、そのうち、アスミは地面に転がってしまった。
結局、抜け出す事は出来なかったのだ。
――くっそ! なんだよコレっ!
その言葉をアスミは口にしなかった。
声を出してしまったら最後、自分がパニックに陥ってしまいそうだったから。
『もがいてるねぇ、人間。ざまぁ、ってね』
突然の声にギョッとする。
言葉はどことなくぎこちなかった。イントネーションが微妙に違う。
――にん……げん?
『どぉしてここに戻って来るかなァ~? お前って多分、単純で考えなしのバカなんだろうな』
――バカかも知れないけど、別に好きで来たわけじゃねーし!
『ま、そんなわけでさ。あの時の続き、な』
「え?」
『お前みたいな人間が居ると迷惑なんだよ。だからその目障りな身体、始末させてもらうわ』
――身体が、目障り?
意味が分からない。
だが、あの時の痛みが胸の中に蘇る。
骨折まではしなかったけれど、骨にヒビが入った時の、あの痛み。
そして親やスタジオ、踊る事自体を切り捨てた時の、心の痛み。
――あれは、俺の身体を壊そうとして?
『今はもう、あの時より遥かに封印は弱まってる。分かるだろ?』
ホールの寿命、と言うやつか。
『俺達はあの時よりも自由を取り戻したんだ。今日は〈あの程度〉では済ませないからな、人間……と、お前、名前は何て言うんだ?』
そんな問いに答える義理はない。
アスミは黙り込んだのだが、答えは他から告げられた。
「アスミ。皆丘アスミ、だよ。ね、アスミ」
カチリ。と小さな音がして、再び。
光が空間を照らし出した。




