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月夜の新学期  作者: あおい
03
12/32

03-2


『へぇ? あれが藤沢ゆうななんだァ。あたし、初めて見るよ』


 くすっ、と小さな笑いが周囲から複数聞こえて来る。


『あの子だけはさぁ~、緊張したとか言う言い訳は出来ないよねぇ』


『ふふっ、そうね。だってあの子はいつだって、最高の環境で練習出来るわけだしィ』


『こんな、市民会館みたいなビンボクサいホールじゃなくて、フルムーンホールって言う立派な施設の孫娘様なんだもん』


『プロの使う舞台で練習し放題なのに、下位入賞さえ出来ないんだもんな』


『練習どうこうじゃなくてさぁ、本格的に才能が無いだけなんだろうよ』


『あんまり言ってやるなよ、可哀想だろ……ぷ』


 演奏会やコンクールに出場させられるたび、ゆうなは影で笑われ続けた。


 同じくらいの年齢の子が集まり、競争させられ続ける狭い世界。

 ストレスの溜まる環境において、ゆうなは格好のサンドバッグだった。


 見返せるだけの実力があれば入賞を目指し、頑張れもしただろう。

 けれどゆうなは、自分に才能があるとは思えなかった。

 イライラをゆうなにぶつけているあの人達のように、真剣になれもしない。


 吹奏楽部に居た母親に言われるまま、習い事を続けさせられて。

 ずうっとずうっと、我慢させられて。


 本当は嫌なのに。やめたかったのに、許されなくて。

 抜け出す事が出来なくて、叩かれ続けて中学生になった。


 ――吹奏楽部、か。


 入学式の日に見に行ったけれど、彼らは居なかった。

 それから後、足を向ける気持ちになれず、見に行っていない。


 入りたいわけではない。ただ、どんな雰囲気なのか見てみたかったのだ。

 学校で活動している人達は、どんな感じなのか。習い事の人達のようにギスギスとした雰囲気なのか、それとも。

 楽しい、のか。


 ゆうなはみんなが、あんなに攻撃的になれる理由が理解出来なかった。

 ゆうなに嫌味をぶつけたところで、彼らの成績がよくなるわけでもないのに。ほんの少しストレスが解消されるだけで、それ以上何も掴めないはず。


 なのに、そんなにギスギスしてしまうほどに自身を追い込める人達が、心の底から理解出来ない。


 吹奏楽部にはそれがあったりするのだろうか。

 自分の気力と時間を費やしてでも打ち込めるだけの価値を、彼らは知っているのだろうか。


 そんな興味だけがあった。それ以外にはない。


 商業ホールのオーナーを祖父に持つ子供。

 そんな環境を、他の人間は望むのだろうか。

 ホールなんて勝手に使えはしないのに、本当に羨ましいと考えているのだろうか。


 ならばその人がゆうなの変わりに、あの両親の子供に生まれればよかったのに。

 こんな環境、自分は要らなかった。



「藤沢さん、こんなところに居たんだぁ」


 ゆうなはハッとして振り返った。

 そこには来栖冴季が立っていた。ドリンクの自販機とベンチが設置された、購買部の一角に。


「私もジュース飲みに来たんだぁ。隣、いい?」


「どうぞ」


 いつも通りに返事をしたと思ったのに、自分の声は小さかった。

 こんなじゃいけない。関係ない人に、心配をかけてしまう。

 ゆうなは来栖に笑いかけた。


 それがぎこちなかったのか、わざとらしかったのか。

 彼女は「無理しなくていいよ」と、優しい声で言ってくれた。


「あ、そうだ。これあげる。クランベリーのキャンディだよ」


「え……あ、ありがとう」


「入学式の日は、ありがとうね。優しくしてもらえて、嬉しかった」


 来栖は照れくさそうにそう言って、視線を反らした。

 その仕草がとても可愛らしくて、ちょっとうらやましい。


 ――そう言えばこの子、あの時は皆丘くんを見て驚いて倒れたんだっけ。


 発熱してしまうほどの驚きとは、何なのだろう。


「来栖さんって、皆丘くんと知り合いだったの?」


「ん? ん~……どちらかと言うとお姉ちゃんの方、かなぁ。習い事が同じだったんだけど、彼の方はこれっぽっちも覚えてなかったよ。習ってるスタジオが違うから当然と言えば当然、なんだけど」


「あ、ダンスしてたって葛西さんが言ってたね。来栖さんはやってなかったの?」


「私は――スタミナの無い身体だし、ちょっと無理かな」


 苦笑いを浮かべる来栖。


「あっ、ごめんなさい」とゆうなは慌てて謝った。


「気にしないで。こんな小さな会話を少しずつ重ねて、友達になるんだもん」


「……皆丘くんとも?」


「彼はあまり友達は欲しくないみたい」


 ――でも、今は「アスミ」って呼び捨てにしてるのに。


 彼ともこうやって話をし、アスミと呼べるほどに距離を詰めたのだろうか。


 ――たった数日で?


 ゆうなはチラリと来栖の顔を見つめる。


 頼りなげな瞳と華奢な身体、そしてふわふわと揺れる髪の毛。

 顔立ちは少し童顔で、愛らしい。

 他人に話しかける勇気があって、身体が弱くて、キャンディくれたりして、優しい。


 友達を欲しがらない彼でも、心を許すかも知れない。


 この子が自分なら、ゆうななら、もっと上手く人付き合いが出来たのだろうか。

 やりたくない事に対して「嫌だ」と断れたり、意地悪な事を言われた時に、きちんと言い返せたり。


 ――考えても仕方ない事だって、分かってるけど。


 考えてしまう。


 ――お姉ちゃん、か。わたしも欲しいな。


 もし居てくれれば、ふたりで家族に対する愚痴を言い合ったり出来ただろう。

 そうすれば、自分の考えが間違っているのか、そうでもないのか。探る指針になってもくれるだろう。


 これほど心細さを覚えたり、それこそ皆丘アスミに来て欲しいなんて、迷惑な事も言わずに済んだかも知れない。


 ――ひとりぼっちには慣れていたはずなのにな。


 知り合ったばかりの男子に縋り付いてしまうほど、自分は不満を溜め込んでいたのだろうか。

 いたのだろうな。発散する場所も時間も見つけられないのだし。


 情けないな、と思った。


「藤沢さん、苦しそう」


「え?」


「ごめんね。他人からこんな事は言われたくないだろうけど、でも、あの時『労ってあげなきゃ』って言ってくれて、私、嬉しかったから……だから、言わせて」


「な、なに」


「あまり思い詰めちゃダメだよ」


 来栖冴季の優しい微笑みに、呼吸が止まる。

 穏やかな風が吹いて揺れる髪のように、ゆうなの心が揺れた。

 柔らかく、静かに、涼やかに。


 彼女の言葉で。その瞳に見つめられて。

 心の緊張が、解けてゆく。


「あ……あり、がと」


 そう返すので精一杯だった。それ以上は何も言えない。

 言葉が浮かんで来ないし、このまま話を続けたら、また涙を零してしまいそうだった。皆丘アスミの前で零してしまったように。


「じゃああまり長くお邪魔しても悪いから、私もう行くね」


 彼女は立ち上がり、小さく手を振りながら行ってしまった。


 ひとり残され、とくんとくんと鼓動が小さくざわめく。


 これは予感だろうか。

 嫉妬だろうか。

 憧憬だろうか。


 わけが分からないまま、震える息を吐き出す。


 ――優しくされて疲れるなんて、どうしちゃったんだろ。わたし。


 瞳を、閉じる。


 ――どうしてこんなに、悲しいの……。

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