03-1
■03■
来栖の、衝撃の告白から一夜が明けた。
――う。あんまり眠れなかった。
教室に入って着席する。寝不足で心臓がちょっと苦しい。
数十秒後、背後から「おはよぉ」と声が聞こえ、藤沢が前の席にストンと座った。
アスミも「おはよ」とだけ力なく返し、ため息を吐いた。
するとほぼ同時に、藤沢もため息を吐いた。
そして無気力なまま、ただボケッと時の流れをただ見送る。
――そう言えばこいつ、これから気乗りしないステージに立たされるんだっけ。
立ちたくないステージが待ち受ける事のストレスと意味の無いプレッシャーは、気力をゴリゴリと削ってくれる。
――気の毒だけど、助けてやりようないしな。家庭の事情じゃなぁ。
無気力状態に陥って身動き出来ない間に、担任が入って来た。
ホームルームが始まり、そして授業が始まる。
三時間目が終了した時、アスミの元へ来栖が来た。
突然、耳元に顔が近づいて来たので驚いていると。
「藤沢さん、大丈夫なの?」と囁かれた。
他人から見ても落ち込んでいるのだろうか。
「そんな事聞かれても、俺には分からないよ」
アスミの横に立ち、来栖がしばらく藤沢の後ろ姿を見つめる。
そして再び耳打ち。
「ちょっと……ヤバくない?」
「え?」
「気付いてない? アスミと同じような事になっちゃうかも」
身体がびくん、と反応する。
「……どう言う意味、だ?」
来栖はきょとん、とした表情でこちらを見下ろした。そして。
「葛西さんに聞いたんだけど、藤沢さんってあのホールの関係者なんでしょ」
どくん。
「あの日、僕達が居たあのホールのさ」
「フル……ムーンホール、か?」
「おじいさまがオーナーさん、って聞いたけど」
それは意外な正体だが、でもだからって藤沢が自分と同じ目に遭うなんて思わない。オーナーの孫娘が狙われる理由など、ありそうもないが。
「場所が同じだからって、関係無くね?」
「この様子を見ていて、本当にそう思う?」
見るからに力を落としている藤沢の背中を指差し、来栖が言う。
――ま、まぁ確かに? ちょっと落ち込みは激しいのかも知れないけれど?
拒絶感、と言う言葉が頭を過る。
――あの、心がざわめく感じ。
どす黒い方向に気持ちが引っ張られて、どうしようもなかったあの感じ。
――あれを今、藤沢が感じてる……?
だからこんなにも、諦めにさえ似たような感じで落ち込んでいるのか?
――俺がケガをさせられた本当の理由なんて分からない。それは来栖の言ってた通りだ。解決なんかしてはいない。だけど、だからって。
藤沢が同じ目に遭うと言うのだろうか。決まっているのだろうか。
――理由が分からないのだから、絶対に安全だとは言えない、か。
「心配、だよね?」と呟き、チラリとこちらを見下ろす。
だがアスミに出来る事などない。藤沢の家族に「娘を見せ物にするの止めろよ」なんて言えないし。
どこの家族も厄介だなぁ、とアスミが思っている時だった。
葛西が「ねぇねぇ!」と来たのは。
「皆丘くんは信じる? オカルト!」
「……は?」
「ゆうなちゃんは現実主義者だから信じてくれないんだぁ~。今ね、ネットでも話題になってるの」
唐突過ぎる。
「井崎町の方で、心霊写真がいっぱい撮れてるんだって。まとめサイトでもたくさん報告されてるの、ほらこれとか、こっちとか。これも」
井崎町ってどこだ? と考えながら、差し出されたスマホ画面を見る。
町の景色に煙のような影が映り込んでいた。モヤモヤしていて、よく分からない。
――オカル……ト? これがぁ?
「こっちとか」
「だから葛西さん、それきっと画像ソフトで加工した物だと思うのぉ。子供でも作れそうな画像だよねぇ?」
藤沢がこちらを振り向き、苦笑いを浮かべた。
「ほらほらこれこれぇ」と新たな画像が差し出される。
それを見た途端、アスミは自分の瞳孔が収縮したのを感じた。
そこに映っていたのは、あのホールだった。
月光を浴びた外壁の手前を、複数の影が蠢いているような画像。
「いっ井崎町って、ここだったのか……!」
声が引きつっているのが、自分でも分かった。
何をこんなにも動揺しているのだろう。藤沢が言う通り、誰かの悪戯かも知れないのに。
「でもね、葛西さん。もしこの中に〈本物〉が紛れ込んでいたら、危ないよ」
来栖の言葉に葛西が「え?」と反応する。
「もし人の精神に影響するような〈悪いモノ〉があったら、どうするの? それに気付かずこうやって鑑賞してしまったら、影響受けちゃうかも」
「え、影響って」と低い声で呟く葛西。
「例えば自律神経がバランスを崩して集中力を欠いたり、もっと怖い事になるかも」
「ど、どんな?」
「心霊現象で心や精神がヤられちゃうのってスタンダードだよね? 鬱になってその反動でやけ食いに走ったり、食欲中枢が乱れて大食いになったり。その結果、体重が大幅増量とかになっちゃったらどうするの? 塩分の取り過ぎで浮腫んでしまうかも知れないんだよ?」
葛西の表情が思い切り壊れる。そして叫んだ。
「そんなのヤだ!」と。
――うわ。女子の一番嫌いなトコを突くな。さっすが女子。
「だったらもう、こう言うのを見たり興味を持つ事は、止めようね」
「う、うん」
葛西はそれらの画像を削除し、そのようなサイトにアクセスしないと来栖に約束をした。
――葛西が素直なのか、来栖の誘導が上手いのか。
一番信じて怖がりそうな藤沢が、一番冷静だなんて。人は意外である。
「それより来栖」
「ん?」
さりげなく近寄り、声を殺す。
「お前の方こそ大丈夫なのか。あんなモノ見て」
こう言う世界を見てしまうから身体が弱い、とかって言っていたような。
「うん。大丈夫みたい」
「なら、あの画像は偽物なわけか」
少しホッとする。あのホール周辺でオカルト現象だなんて、シャレにならないと思うから。なのに。
「本物だよ」
来栖が笑う。
「え」
「だから僕、藤沢さんの事を心配してるんじゃないか。あんな目に遭ったって言うのに、ほんっと鈍いよね、アスミは」
うっ、と息が詰まった。返す言葉が出て来ない。
「信じてないから、感じられないから無事で居られるわけじゃない。災厄に襲われる時は襲われてしまうものなんだよ。弱っている時には引っ張られたりもするし、イヤな予感が自分のガードを弱めたりもする」
それは、やっぱり。
――ふ、藤沢の事を言ってるんだろうな……。
行くべき、なのだろうか。行っても自分に何か出来るとは思えないのだけれど。
「あ、あのさ来栖。俺……」
そこまで言いかけた時、チャイムが鳴った。
来栖は葛西に引っ張られ戻って行き、ひとり残されアスミは、困惑して藤沢の背中を見つめる。
「おい。で、本番はいつなんだ」
給食中、小さな声で問いかけると、藤沢はくるっ、とこちらを向いた。
彼女はその小さな口にパンのカケラをくわえていた。それをもぐもぐして、飲み込む。
「付き合ってくれるのっ?」
藤沢が叫んだ。食い入るような視線が突き刺さって来る。
すると左隣から「ひゅーっ」と冷やかしが聞こえた。
振り向くと、男子生徒三人がニヤニヤしながらこちらを見ている。
――うわ、勘違いしてる。こいつらバッカじゃね。
でも今のは誤解されても仕方ないかも知れない。一応、訂正しておいた方がいいだろうか。藤沢にとっても迷惑だろうし。
「いやあの、付き合うってそう言う意味じゃなくて」と彼らに伝えようとした時。
「今度の土曜日! 夕方からっ!」と強い口調で言われた。
「お、おう……いやだから、今、訂正をさ」
「本当によかったぁ~。ひとりぼっちで心細くて、本当にどうしようかと思ってたの……」
その瞳が、潤んだ。思わず呼吸が止まってしまう。
「お、おう……そうか」
「うんっ」
「そうか……」
何度も何度も頷く藤沢。
こんなに安心してもらえるなら、最初から付き合う事にすればよかったかも知れない。
「皆丘くんのおかげで緊張が解けたのかな、震えてきちゃった。ほら」
差し出された掌が、確かに震えている。
「そんなでフルート吹けねーな」
「そうなんだよ! 吹けねー、なんだよっ。なのにさぁ」
彼女は再びため息を吐いて、肩を落とした。アスミが動いたところで、彼女の演奏時間が消えてしまうわけではない。
「そこはまぁ、諦めろよ。助けてやりようないから」
「う、うん。それは分かってる。はぁ」
数秒、沈黙して。
藤沢はにこっと笑った。
「ごめんね、皆丘くん。そして、ありがとうね」
彼女は再び前を向き、給食を食べ始めた。けれどほとんど食べずに片付け、教室を出て行った。
閉められた扉をぼんやりと見ていた時。
「お前ら、土曜の夜にデートなのか?」
左隣から声をかけられ、振り向いた。
「さっき言いかけたけど、違う。俺達、そんなじゃないから」
「またまたぁ~」とニヤニヤを止めない彼ら。
「藤沢さんに迷惑かかるから、誤解しないで欲しい」
真面目なトーンで言うと、三人は苦そうな表情でアスミから顔を反らせた。
からかおうとしたのにマジレスされれば、興醒めもするだろう。
それでいい。退屈しのぎの生け贄にはなりたくないから。




