02-4
「アオイ?」
繁華街の真ん中で自分の名前を呼ばれ、アオイは振り返る。
そこに居たのは三人の女の子を連れた、制服姿のヒロキだった。
彼が駆け足で近寄って来る。いつもの、人懐こい笑顔で。
「高校の制服、似合うじゃん~。入学おめでとうございます」
「サンキュ。今度はお前だな、受験生」
ヒロキは「あははっ」と言って苦笑いを浮かべる。
そのリアクションもいつもと同じなのだが、彼は次に深いため息を吐いた。
それから数秒、沈黙したまま何も言わない。
ヒロキの沈黙に、アオイは心当たりがあった。
「聞いたぞ。お前のユニット、男女混合なんだって? 大変そうだな」
「あ。やっぱり見抜かれてますね……そうなんですよ。あいつら男女に別れて対立しやがって。今、マジ酷っでぇ状態です」
ヒロキはガックリと肩を落とし、またため息を吐いた。
ユニットリーダーとして板挟みになっているらしい、と言う噂は本当だったようだ。
アオイはここ数ヶ月間、受験のためスタジオには行かなかったし、こうやって愚痴を聞いてやる事も出来なかった。
アオイはヒロキの背後に居る女の子達をチラリ、と見た。
細くて華奢で、腹筋も背筋も鍛えていないような姿勢の子達ばかりだ。表情のどこにも、舞台に立てるような覇気は見当たらないし。
「あの子達――じゃないな」
「あぁ、彼女らはただのクラスメートです。今は単なるお出かけ中で」
「そっちは相変わらずなんだな」
ヒロキは頬をひくつかせ、引きつった笑顔をキープしている。
「無責任に遊び回ってるって、思います?」
「いいや。人とのコミュニケーションを捨てろだなんて、お前に死ねって言うようなものだろ」
そう言った途端、ヒロキに抱きつかれた。
少し驚いたが、彼なりに重い物を抱えているのだろう。
アオイはその背中をポンポン、と軽く叩いた。
「俺ももうすぐ戻るからさ」
「……他の舞台」
ヒロキの言葉にアオイの身体がピクリ、と反応する。
「いや。多分もう出ない」
「ほんとに?」
「ああ」
「戻って来てくれる?」
「うん」
「……分かりました」
ヒロキは一歩離れ、小さく笑った。その瞳が潤み、キラリと光っている。
「待ってますからね!」
アオイが右腕を差し出すと、彼も腕を伸ばした。
そして、いつものように腕をぶつけ合って挨拶を交わす。子供の頃から始めた挨拶だ。
他の誰とも交わさない、アオイとヒロキとツカサだけの挨拶である。
三人、だけの。
苦い思いが込み上げそうになったが、ヒロキが「じゃあ」と言って離れたので、アオイも「またな」と言葉を返した。
クラスメート達の元へ戻る彼を見送っていた時、ヒロキの足がフと止まった。
そして、こちらを振り返る。
その表情は、あまり見ない真面目なものであった。
「そう言えばツカサ、あいつに会ったらしいですよ」
どくん。と胸の奥で重い感情が脈を打つ。
「同じ中学の新入生らしいです」
少年のシルエットが胸に蘇る。「そう言えばあいつは三歳年下だったな」と、頭の隅っこで誰かが呟いた。
「アスミ」
ヒロキの声で、シルエットに色彩が反映する。
あぁそうだ、あいつはこんな顔だっけ。
まだ幼くて、丸顔で、瞳も円らで、意思が強くて、笑いもしない。
少しだけクセのある髪は天然で、ちょっと明るい茶色だった。
――あいつをハブっていたのは俺達だからな。笑えるはずもないか。
小学生にとって三歳も年上の人間なんて、別世界の存在だ。
三人ものそんな人間から一線を引かれたら、幼い子が自分から近づいて来れるわけがない。
あからさまな仲間外しなどはしなかったけれど、自分達とアスミの間に境界線が存在していたのは事実だ。
そして、誰もそれを乗り越えようとはしなかった。
年上の自分達も、ひとりぼっちのアスミも。
男女分け隔てなくフレンドシップを発揮するこのヒロキでさえ、アスミとの距離は縮められなかった。
お互い、子供では解消しようのないわだかまりを抱いていたのだ。
でもそれは今だって同じ。
あいつの名前を聞いただけで苦い気持ちになるのは、そう言う事でしかない。
自分達はあの子供を、受け入れられなかった。未だに受け入れられないでいる。
「そうか、分かった」
アオイが呟くとヒロキは手を振り、クラスメート達と行ってしまった。
――ツカサはどんな気持ちでヒロキに伝えたんだろうな。
そして、ヒロキも。どんな気持ちでアオイに伝えたのだろう、アスミの事を。
スタジオをやめてしまったあいつの事なんて、本当はどうでもいいのに。
今の自分達の生活には、何の関係も無いのに。
――気になるんだよな。だって俺らは、知ってるんだから。
仲よくなれなかったアスミが、何も悪くないと言う事を――三人共、知っているから。
アスミはマコトにスカウトされ、親に連れられてスタジオに来た。ただそれだけの子供だった。
でも、アオイの気持ちは割り切れなかった。
アスミ。あいつが居なければ、こんな気持ちを抱えたまま生きなくても、踊らなくてもよかったのに。
――あいつが俺の前に現れた時から俺は、素直に踊れなくなった……!
当時、アスミは四歳。自分は七歳。
マコトがスタジオに連れて来た子供は初日から、アオイの心に影を刻み付けてくれた。
まだ筋肉も発達しきれていないヨレヨレのクセに、教えた事は全て飲み込んでゆき、すぐさまそれを外に向けて表現出来る。
踊れるのだ。軽い手足はサクサクと動き、リズムは一瞬たりともズレなかった。
よく観察しなければ、まだまだ体幹の弱いただの幼児でしかない。
でも、自分には見えたのだ。あの子の才能は飛び抜けていると。
身体が育てば、とんでもないダンサーになるのが容易に想像出来た。
だからアオイは恐怖していた、あの子の存在に。
アスミがスタジオを出て行き、本当にダンスを止めたと聞いた時、ホッとしたのだ。
でもホッとしただけで、心の中も頭の中もスッキリしなかった。
不安の要素と言うものは、一度認識してしまうと簡単には消えてくれない。
原因が自分の前から消えてくれてもこうやって、同じように続いている。
今だってそうだ。なんて不快な気持ちだろう。
アスミの噂を聞いただけで、心が乱れてしまいそうになる。
あの子は悪くないと知っているのに、嫌いなのだ。どうしてもどうしても、好きになれない。
自分の尊敬しているマコトに見いだされた事が、彼の気を引いてしまうほどの身体が、才能が、うらやましくて悔しい。
未だに嫉妬している。
こんな情けない自分が、本当に嫌だ……。
ため息を漏らし、アオイは空を見上げた。
春の強い風が吹く。ビルの風が舞う。その強風に目を閉じる。
――四月はまだまだ、肌寒いな。




