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花見・兼・バースデーパーティがおひらきになって、笑里と博己はふたりで寄り添いあうようにして帰っていった。
ぺしゃんこになったトートバッグと、かわりにふくらんだごみ袋をサンタクロースのように肩にかついで、羽純はふうと息をついた。
「珈琲でも飲んでく?」
律が誘うと、羽純はだまってうなずいた。石段に向かいかけていた足を止め、くるりときびすを返す。
「つーか。持つよ、それ」
「え?」
「ごみ袋」
「いいよ。すぐそこまでだし」
「ていうか、絵的に悲しすぎるから。ジャージ羽織ってごみ袋かついでる女子高生」
「いいよ、ほんとに」
羽純は力なく笑った。ごみ袋ぐらい持たせてくれてもよさそうなものなのに。
グラウンドから一段高いところ、明治時代に組まれたという石垣のうえに校舎はある。グラウンドと校舎とをつなぐコンクリの階段の上に水飲み場があり、かつてはその横に季節の花が咲くプランターや鉢が置かれていた。
ふたりは無言で階段をのぼり、玄関ホールに向かう。鍵はかつて博己がこっそり壊した。しょうもない悪ガキだったのだ。
靴を脱ぎ、置きっぱなしにしている上靴の履き替え、校舎にあがりこむ。
長い廊下を歩く。
横に長い平屋の校舎のつき当たりが音楽室で、そのとなりが六年生のときの教室だ。
小規模校だったため、各学年ひとつしか教室がない。それも、羽純たちが通っていたころは、一・二年、三・四年といった具合に、複式で他学年と一緒に授業を受けていたから、教室は余っていた。
あのころより廊下の幅が狭い。天井にわたる太い木の梁も、手が届きそうに感じるほど。
こげ茶色した、木枠にすりガラスのはめこまれた引き戸をひく。すべりが悪く、羽純は力技でえいやっと開けた。
視界にばんと飛び込んできた黒板には、色とりどりのチョークで「橘小ありがとう」の文字がある。卒業の日、四人で書いたのだ。先生からの「卒業おめでとう」の文字も残っている。紙テープや薄紙でつくった花や折り紙の輪っかつなぎの飾りもそのまま、陽にさらされて変色している。
四人がこっそり忍び込んで集っているのは、この六年生の教室。机も椅子も四組ずつ残っていて、給食を食べるときにそうしていたように、くっつけ合って大きなテーブルのように置いた。教卓は窓側の端に寄せられている。背面黒板の下の荷物入れの棚には、常温で保存できるミネラルウォーターや紙コップや紙皿などを置いている。
四人のうちのだれかが来るたびに箒をかけていくから、床には埃は積もっていない。笑里が持ち込んだお掃除ワイパーが黒板横に立てかけられている。古い木の床も壁もひかえめな艶をうしなっておらず、かつての卒業生が集うこの教室だけが、新たなあかりを灯されて光っている。
羽純はちいさな椅子を引いて腰かけた。律のはビニールのやぶれた丸椅子。さすがに小学生時代の椅子は窮屈すぎて、音楽室から拝借した。博己もそうしている。
教卓のうえにはサイフォン一式が載っている。花見をする少し前、笑里が持ち込んだ。律は慣れた様子でフィルターをセットして挽いた珈琲を淹れ、常備しているペットボトルのミネラルウォーターを注ぎ、マッチをすってアルコールランプをともす。
ここで過ごすにあたって四人で決めたこと。
ごみは持ち帰る。帰るときは掃除をする。火の取り扱いは、慎重に。
だいじな校舎だ。荒らしたりしたくない。火事などもってのほか。
律は丸椅子に腰かけた。湯が沸くまで少し時間がかかる。
「羽純」
「ん?」
「大丈夫か?」
「なにが?」
「なにがって。……博己と、笑里のこと」
聞くべきか迷っていた。羽純のプライドのために、聞くべきじゃないかもしれないとも思った。だけど結局聞いてしまった。
「大丈夫に決まってんじゃん」からりと羽純は笑う。
「あいつだって笑里のことは大事にしてくれるよ。きっと笑里は今までの子たちとは違う」
「そうじゃなくって」
「ていうか、笑里のこと傷つけたら、あたしが殴るから。あいつのこと」
「だから。そうじゃなくって」
そうじゃなくって。ふたりがうまくいくかじゃなくて。羽純はどうなのかって言いたいんだ、僕は。だけど羽純はかたくなに僕の言わんとすることに気づかないふりをする。
律はちいさくため息をこぼす。
サイフォンがこぽこぽ沸き立つ音がする。律は立ち上がった。
なんでこんな風になってしまったんだろう。
いつごろからだろう、笑里も羽純も、気づいたら博己を見つめていた。
博己はずっと、羽純を気にかけていた。女の子として、だ。
羽純は自分の気持ちを殺していた。笑里のために。博己の、自分に向けられたとくべつな視線に気づいていたくせに。ずっとはぐらかし続けてきた。
博己のやつ、あきらめようとしたのか、もしくはヤケになっていたのか、中二から高一までの間の三年間で、「コクってきた子とつき合ってみるもののすぐに別れる」っていうのを四セットほどくり返した。
どいつもこいつもバカばっかりだ。
だけど。律はちいさく首を横に振る。
いちばんバカなのは、蚊帳の外にいる僕だ。あえて、蚊帳の外に身を置いている僕。みんなから一歩ひいたところから、いかにも自分には関係ありませんって顔して踏み込まないようにしている。
年月を経た木の教室に、珈琲の香りがふわりとひろがる。
――僕だって、ほんとうは。羽純を。羽純のことを。