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流星群  作者: せせり
嘘つき
22/28

2

「やばいって。重いよ、そーいうの」

 しのちゃんが言った。さいきん彼氏とどう? というメッセージが来て、たまらず笑里は電話をかけて愚痴ってしまったのだった。

「重い、かな」

「追いかけるんじゃなくてさ、追わせるのがいーんだよ。って、姉ちゃんの受け売りだけど」

「そんなこと言ったって」

 途方に暮れる。ずっとあの背中を、ひかりを、追いかけてきた。やっと振り向かせることができたのに、追わせるだなんて。

 しのちゃんとの電話を終えたあと、ベッドに入ってからも、笑里はなおも携帯を見つめていた。気が付いたら、一時間近く過ぎている。おやすみのメッセージを送ったのに、返事がまだ来ないのだ。既読はついている。むくむくと不安がふくらんで、息がしにくくなる。重い? うざい? それとも。

――すき。

 気づいたら、そう送っていた。すき、って。言ってほしい。嘘でもいいから。じゃないと、眠れないよ。

――好きだよ。おやすみ。

 やっと、返事がきた。携帯を胸に抱く。そっけない文字だけじゃ、博己の表情はわからない。声の色も、わからない。だけどいまは、その文字だけが頼りなのだ。

 窓をたたく雨の音がした。昼間あんなに晴れていたのに、てっぺんまでのぼりつめた積乱雲はあっという間に黒く重いかたまりになって、激しい雨を降らす。

 打たれたいと思った。滝のように強い雨に、打たれたい。


 翌日になっても、雨は降り続いていた。傘をさしていても濡れてしまう。構わずに笑里は小学校への道を歩き続けた。レインブーツの中も水がはいってぐずぐずになっていたけど、どうでもよかった。

 こんな天気なのに博己は部活のミーティングだというし、羽純は病院のほうへ行くと言っていたから、律はいま、ひとりきりのはずだ。

 ひとりのとき、律はいったい、どうしているのだろう。夢ばかり見ていると、以前博己に言っていたらしいけど。自分たちと会っている時間だって、彼にとっては夢のようなものなのじゃないのだろうか。笑里は考える。考えるけど、よくわからない。律のことも、博己のことも、わからない。昔はちがったのに。わからないことばかりがどんどん増えていく。

 羽純のことは、それでも、なんとなくわかる。最近、避けられているような気がするけど、それはきっと、自分が「キスした」などと言ったせいだろう。羽純のことは好きだけど。でも。彼のことは渡したくない。

 水の気配に満ちた、ふるい木の校舎。木目からじわりと水が滲みだしてくるような錯覚をおぼえる。教室の壁も床も天井も、しっとりと湿っている感じがした。

「ゲリラ豪雨っていうんだっけ、こういうの」

 律が言った。激しく雨音が響いているのに、しずかに低くつぶやくような律の声は、ふしぎと聞き取りやすい。

「明日、晴れるかな」

「星でしょ? きょうの夕方ごろには雨はやむって天気予報では言ってるけど」

 笑里はタオルで髪やからだを拭きながら、律のラジオを見やった。

「天気予報。聴けると、いいのにね」

「そうだね」

「あと、音楽とか」

 だってきっと、さびしい。ひとりきりで古い校舎のなかで過ごしている律。せめて音楽だけでも聴かせてくれればいいのに。

「最近さ。おじさんの声が聴こえるんだよ」

「え?」

「死んじゃったおじさんの声。まじで霊界通信だったんだな、これ」

 律がラジオをつんとつついた。白くて細い、長い指。しなやかだけど、たしかに男子のそれで、笑里の指とも羽純の指ともちがう。

 おじさんが律になにを話しかけてくるのか。聞くのがこわかった。律もなにも言わない。

「律って、好きなひと、いる?」

 かわりに、そんなことを聞いた。

「いるよ」と。律はわらった。なんだかとても、さびしげに。

「告白とか、しないの?」

 律はゆっくりと首を横に振る。

「好きなひとがいる子だから。だから、ぼくはなにも言えない」

「…………」

 律に。言おうかどうか迷った。こんなに不安定な状態にいる律に、自分の悩みを打ち明けるなんて、甘えていると思った。だけど同時に、彼には何でも見透かされているような、そんな気もしてしまうのだ。

「博己って」

 笑里は、まだ、じっと小さなラジオを見つめている。ふしぎなラジオ。トロイメライ。

「まだ、羽純のこと、好きなんじゃないのかな……」

 口に出した瞬間から、それは確信に変わっていく。そもそも、彼がどうして笑里の告白を受け入れたのか、それすらもわからなくなってくる。

 昔から、博己は羽純のことばかり気にかけて、ちょっかいを出していた。つかず離れずのふたりだった。博己は彼女をつくったりしてふらふらしていたけど、それでもずっと羽純を見つめていた。時おり、苦しげに、せつなげに瞳をくもらせて。笑里にはわかる。博己をずっと見ていたから。だから、自分が告白したとき、まさかOKをもらえるとは思っていなかった。

「だいじょうぶだよ。もうあきらめたって、はっきり、言ってた」

 思わぬこたえに、笑里は律のほうを見た。

「聞いたんだよ、ぼくも。博己に」

 今日の彼は、どこかぼんやりと焦点の合っていない目をしている。

「告ったけど、ぜったいにありえないって言われたって。天と地がひっくり返ってもつき合えないって言われたって。だからきっぱりあきらめた」

「それ……、いつ……?」

 ふられた? 博己は羽純に、はっきりと思いを告げていたの?

「いつだろう。秋、かな。去年の。なぜだかぼくは、その場面をはっきり頭に思い描くことができるんだ」

 秋、って。去年の秋、律は。

「……わたし、なにも聞いてないんだけど。羽純から」

 羽純は博己に告白されたの?

 春。桜の舞う校庭で、「おめでとう、よかったね」って笑った羽純。その笑顔に亀裂が走って、笑里のなかで、ぱりぱりと壊れていく。

「笑里。だいじょうぶ?」

「……あ。うん。だい、じょうぶ」

 羽純が博己のことをあきらめるように、思うのをやめるように牽制してきたのは自分なのに、こうして事実を告げられると、立っている場所が抜け落ちてしまうような感覚に陥ってしまう。

 博己が自分のことを好きなのだと知っていながら。笑里にたいして、「応援する」とか、「笑里を泣かせたらしばく」だとか言って、笑っていたんだ。

 目の前が暗くなって、笑里はその場に座り込んでしまった。

「笑里。家まで送っていこうか? 寒いんじゃないの?」

 ふるふると首を横に振った。律、と。うずくまったまま、笑里は友人の名を呼ぶ。

「博己と羽純って。学校では、仲、いいの?」

「仲? いいよ。普通に。当たり前じゃん、友だちなんだし」

 今さらなにを言っているんだとでも言いたげだ。そうだ。今さら。みんなと違う高校に進学するのを決めたのは、自分だ。

 友だち。とも、だち。

 学校を出て、夏草の伸びたグラウンドを横切って、長い石段をくだっていく。雨は小降りになっていたが、石段にはまだ水が流れていて、気を抜くとすべり落ちてしまいそうだ。それでもあえて笑里はこのルートを選んだ。

 羽純。羽純に、会わなくてはいけない。

 

 予報通り、雨はあがり、翌日はぴかぴかの晴天になった。すこしだけ空が高くなったような気がするのは気のせいか。お盆で親類が帰省してきて、笑里の母はその応対に追われていた。広い仏間には迎え灯籠が置かれ、親類たちは線香をあげ、ごちそうの盛り合わせを囲んで酒を飲んだ。

 日が沈むころあいを見て、墓参りに出かける。父が石灯籠に灯をいれた。帰ってくる先祖のたましいが迷わないように。

 墓地の草は綺麗に払われ、昨日までの雨のしずくを残して光っている。携帯で時間を確認する。七時半に、石橋に集合だ。皆それぞれ墓参りを済ませてくるから、墓地から近い石橋に集合して、皆で学校に向かうことになっていた。

 笑里はかつてと同じように、今夜もこっそり抜け出すつもりだった。だけど母が察して、父に掛け合ってくれたのだ。少しぐらいいいじゃない、蛍のときだって、ちゃんとまっすぐ送ってもらってきたでしょう?

 まったく、過保護で嫌になる。もう高校生だというのに。三つ葉女子の友達は、皆、塾で夜遅くまで街にいる。その帰りにファストフード店でおしゃべりしたりすることもあるらしい。自分は部活も禁じられているし、なにもできない。羽純はバイトだって経験しているのに。

 また羽純のことを思い出してしまった。

 墓前に線香をあげ、そのまま母に告げて、石橋へ向かう。

 河は雨のために水嵩が増していた。土手の中ほどまで水面が上がっている。橋のたもとの河川敷も中洲も消え、茶色くにごった水が激しい音をたてて流れている。

 橋の中ほどで、小さな人影が揺れる。日が沈んでオレンジ色の名残だけが山の端に残されて、あたりはほの暗い。透明な、群青の空には星がまたたきはじめている。

 羽純は、欄干にもたれかかって、じっと、星ののぼりゆく空を見つめている。

「ひさしぶり、笑里」

 羽純は笑った。笑里の前では、いつも笑顔。笑里も笑いかえそうとしたけど、頬の筋肉がうまく緩んでくれない。

「お墓参りしてきた」

 羽純が、しずかにつぶやいた。

「お母さんに……?」

「うん。お母さん、今帰ってきてるのかなって思ったら。ちょっとだけ、ここがあったかくなる」

 羽純は自分の胸に手をあてた。

「昔はね。たましいが帰ってくるなんて信じてなかったけど。今は、ひょっとしたらって思うんだ。トロイメライを聴いたときから」

 笑里はなにも言わない。なにも。言えない。

 風がふいて、ふたりの髪を揺らした。すこしだけ涼しさをはらんだ風。秋はいつの間にか、すぐ背後まで忍び寄っている。あたたかい水とつめたい水が混じり合うように。ゆっくりと、季節は色を変えていく。

 低い手すりに片肘をついて、羽純はどこか遠くを見ている。ややあって、

「律も」

 と。つぶやいた。律。

 笑里は羽純と向かい合うようなかたちで、古い石造りの橋の真ん中に立っている。高めのアーチの、弧のてっぺんにいるから、田んぼや小道や林を、少しだけ高い位置から見下ろせる。夕闇につつまれてゆく里山の夏。

 ぎゅっと、こぶしを握りしめる。律の好きな子って、きっと、羽純だ。だから律は、博己にあんなことを聞いたんだ。

「羽純って」

「ん?」

「博己に、告白されたこと、あるんでしょ?」

 できるだけフラットに。棘が生えてしまわないよう、注意して、聞いた。羽純は大きな目をさらに大きく見開いた。

「博己から聞いたの」

 笑里は告げた。もちろん嘘だ。羽純は笑里から、ふっと、目をそらした。

「あれは……。たぶん、冗談だと思うよ。中学のときはね、あたしたち、バレー部でいろいろからかわれてて、なんかまわりが盛り上げようとしてたから……。それで、引っ込みつかなくなって、へんなこと言っちゃったんじゃない?」

「中学のときも、告白されてたの?」

「え?」

 強い風が吹く。羽純のつややかな黒い髪が、その頬にまとわりついている。

「羽純。ほんとうのこと言ってよ。あたしに嘘つかないでよ」

「笑里」

「羽純はずるい。いつもいつも、羽純ばっかり……」

 博己も、律も。羽純ばっかり見ている。羽純は笑里からふたたび目をそらす。

「…………あ」

 羽純の視線の先、川べりの道を。ふたつの影が並んで歩いている。博己と律だ。律がこちらに気づいて手をあげた。博己も。顔をあげて、橋の上を、見た。

 瞬間。羽純と博己の目が合った。笑里にはわかってしまった。羽純の瞳が潤んだから。博己は。ふいっと、あからさまに羽純から視線をはずした。

「笑里。あたし、博己のことはなんとも思ってないから。信じて。ほんとうに、友だちとして、あたしは、」

 嘘つき。

 手すりに両手をついて、身を乗り出すようにして風に吹かれている羽純。その、きゃしゃな背中。男の子みたいなデザインのシャツを羽織ってごまかしていても、羽純は泣き虫な、小さな女の子。そばにいて守ってあげたくなるような、そんなさびしさをまとっている。

 博己の前で、泣いたのかもしれない。

 嘘つき。羽純の、嘘つき。

 目の前がちかちかして、頭がくらんで。昼と夜のあわい、完全な闇がおとずれる手前の一瞬。笑里はみずからの手を、羽純の背中にあてがった。そして――。



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