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流星群  作者: せせり
嘘つき
21/28

1

 一年のうちでもっとも憎むべき季節、夏。紫外線は強烈だし、汗で日焼け止めも流れ落ちるし、なによりべたべたして不快だ。さらに最悪なのはエアコンの冷気。からだの芯が冷えて頭が痛くなってしまう。

 笑里はため息をついた。今しがた、博己と一緒に乗るはずだったバスが出てしまったのだ。田舎ゆえ本数が極端にすくなく、この地区まで来るバスは一日に二本のみ。

――あーあ。ひさしぶりのデートだったのに。

 夏だから。博己は前にも増して部活に精を出し、泳ぎまくっている。練習後やオフの日は律に会うことを優先していた。もちろん、できるかぎり笑里も一緒に会いに行くことにしていたが。ふたりきりの時間だって、ほしい。

 田んぼに囲まれた町道の中ほどにあるバス停の、屋根つきの古ぼけたベンチに座って、ぼんやりと夏の風景を見やる。風が吹き、青い稲の穂が波打ち、水面に映った白い雲の影もゆらめく。お盆が近づいて、とんぼがちらちら舞うようになった。それでも暑さは相変わらずだ。

 のどかな光景とは不釣り合いな、みじかい電子音が鳴り響く。やっと博己がメッセージをくれた。

――ごめん笑里。寝坊した。

 とある。寝坊って。いま、何時だと思ってるの?

 おろしたてのワンピースを着て、髪も巻いて、うっすらメイクもして。汗で崩れないように何度もパフで押さえて。博己の前ではいちばん綺麗な自分でいようって、がんばった自分がばかみたい。

 羽純はなにもがんばってないのに。いつもジーンズにTシャツに足もとはスニーカーのそっけない恰好だし、ジャージ羽織ってることもあるし、まるで、綺麗に装うことをあえて拒否してるみたい。そう笑里は考えて、ああもう、と首をぶんぶん振った。

 いつも自分は、羽純のことばかり意識してしまう。

 苦労知らずの自分ががんばれるのは、外側を磨くことだけ。おかげで、お堅い校風の三つ葉女子の制服を着ていても、羽虫みたいにうようよナンパ男が寄って来るけれど。笑里がほしいのは、たったひとりだけ。なのに。

 羽純との待ち合わせだったら、博己はきっと寝坊なんかしないはず。やめようと思ったのに、また、そんなふうに考えてしまって。

 笑里はいつも同じところでぐるぐる回っている。

 中学生のころ、博己にはじめての彼女ができたときのことを思い出す。廊下の窓辺で、博己と彼女が楽しそうに笑っているのを見たとき。ふうん、と思った。持って三か月。早くて一週間。ベテランの医師みたいに、笑里はひと目見ただけで「余命」がわかってしまった。そしてその通りになった。つぎの子も。そのつぎの子も。

 べつにとくべつな力があるわけじゃない。ただ、子どものころから博己を見てきたから、なんとなくわかるだけなのだ。博己が飽きるか、「彼女」が耐え切れなくなるか、どちらかだろうって。

 蝉の声を聞きながら、ぼうっと入道雲を眺めて。そんなことを考えていたら、なんだか頭がもうろうとしてきた。アスファルトの向こうでゆらめく陽炎のように。ゆらゆら、ゆらゆら……。

「笑里。ごめんっ」

 目を開けると、汗みずくで息を切らした博己がいる。

「笑里? どうした? だいじょうぶか?」

「う。うん……」

 笑里はバッグからステンレスボトルを取り出して、飲んだ。麦茶がのどをすべりおちて、なにもかもがクリアーになっていく。

 博己のまとっているひかりは、相変わらずまぶしくて、胸がくるしくなる。

「まじでごめんな。こんど、穴埋めするから」

 となりに腰かけた博己が、笑里のあたまを撫でる。笑里はぷーっとふくれた。

「仕事で遊園地の約束をドタキャンした父親みたい」

「え?」

「よくあるじゃない。ドラマとかで。そういうシチュエーション」

「あ。そう、だな」

 博己が少しわらった。笑里はまだ拗ねている。

 好きだと言ってくれたことばは、嘘じゃないと信じている。ただ、「好き」にもいろんな種類があって、博己の笑里にたいする「好き」は、笑里の博己にたいする「好き」と、質も、量も、色も、ちがっているような気がしていた。

 だって。

 いま、博己はぼんやりと虚空を見つめている。青空のむこうの、なにかを。こころをどこかに置いてきたみたいに、となりにいる笑里のことを忘れてしまっているような瞬間が、最近増えた。

 あんなにばかにしていた博己の過去の「彼女」たちと、自分が同じ運命をたどるなんて、想像もしたくない。

「博己」

 彼の腕に自分の手を添わせて、そっと、もたれかかった。

「穴埋めとか、いいから。博己の部屋に、行きたい」


 博己の部屋を訪れるのは、小学生のころに遊びに来て以来だ。そのときと比べてなんだか狭く感じるのは、博己の背がずいぶん伸びてしまったせいだろう。

 六畳のフローリングの、ロフトつきの部屋。むかしは、博己は律や羽純といっしょに、ロフトを秘密基地に見立てて遊んでいた。笑里はたまに、そこに加わった。いまは、漫画だのCDだのなんだのが無造作に突っ込まれて、物置と化している。

 ベッドは、ロフトの下のスペースに置かれている。笑里はそっと、腰かけた。

 博己は、飲み物を持ってくると言って、キッチンへ行っている。

 博己の家は兼業農家で共働き。今の時間、彼の祖父母は畑に行き、両親はそれぞれの勤務先に居る。はずだ。

「おまたせ」

 ペットボトルのサイダーとグラスを持って、博己が帰ってきた。

「これしかなかった。笑里、炭酸苦手だっけ」

「いつの話してるの? いまはもう、へいきだよ」

 苦笑してしまう。たしかに小学生のころまでは苦手だった。羽純はそれでも、今も笑里には炭酸系のジュースは注がない。

 また、羽純のことを思い出してしまった。

 博己はローテーブルにグラスを置いてジュースを注いでいる。

「流星群、楽しみだな」

 ちいさくうなずく。あさって。この地域では、ペルセウス座流星群がいちばんの見ごろを迎えるという。リベンジだよと博己が提案した。羽純も律も乗り気だという。

「どしたの笑里。元気なくね?」

「博己のせいだもん。映画、楽しみにしてたのに」

 投げ出した足を、じたばたさせる。

「ごめんってば」

「……となりに、来てよ」

 上目使いで博己をかるく睨んで、甘い声を出した。

「となりって」

「博己。ジュース、こぼれてる」

「あ。ああ、ごめん。布巾持ってくる」

「いいから!」

 じれったくてたまらない。

「早く来てよ」

 遠慮がちに、博己はベッドの端に腰かけた。笑里のとなり、二十センチほどのすき間をあけて。

 笑里は博己のひざの上に、そっと手を置いた。

「博己。ぎゅって、して?」

「笑里?」

「いや?」

 博己は笑里から顔をそらして、自分の後頭部をわしわしと掻いた。

「嫌じゃねーよ? でも、なんつーか、その」

「じゃあ、キスして。オトナのキス」

「ちょ、笑里。おまえ、どうしたの? 今日、おかしくないか?」

「おかしくない。だってつき合ってるんだもん、あたしたち。いっぱいいちゃいちゃしたいし、博己がのぞめば、ぜんぶ、したっていい」

「ぜんぶ、って……。笑里」

 博己、ちょっと引いてる。そう気づいたけど、笑里はもう止まれない。

「博己はしたくないの? 男子って、そういうことで頭がいっぱいなんでしょ?」

「落ち着けよ笑里。俺だって、たしかにやらしいことは考えるけどさ、その、まだ早くないか?」

「早くない。こどものころから好きなんだもん。博己が好きなんだもん」

 博己は笑里の両肩をつかんで、まっすぐに目を合わせた。

「笑里。わかった。わかったから。でも、もうちょっと自分のことを大事にした方がいいと思う」

 ゆっくりと、噛み含めるような言い方。どうしようもないいらいらが募ってくる。

「博己。あたしのこと、好き?」

「好きだよ」

「ほんとうに、好き? どれくらい、好き?」

「どれくらいって言われても」

 涙がじわりと浮かんで、あふれてくる。つぎつぎにあふれてこぼれて、笑里は嗚咽した。

 ひっく、ひっく、と。泣きじゃくる笑里を、博己は背中を撫でてなだめた。まるで小さい子あつかいで、くやしくて、博己の胸に飛び込んで泣いた。そっと、抱きかえしてくれる。

――泣き止んだら、すぐに離れてしまうのかな。

 そう思ったら、また、くるしくなった。


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