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流星群  作者: せせり
全部、夢だ
20/28

1

 告白だったのだ。

 自分なりの。精いっぱいの。

 羽純のことを見ていられなかった。博己のことを忘れさせてやりたいと思った。

 羽純はいつだってやせ我慢して、強がっている。だけどほんとうは泣き虫だ。泣き虫のくせに強いふりをするから、ほうっておけなくなってしまう。

 博己と律。羽純と笑里。

 男女でペアになります。じゃんけんで相手をきめてください。

 男子同士、女子同士、それぞれじゃんけんをして、勝ったひと同士、負けたひと同士がペアになる。小学生のころは、いつもそんな風にしてふたり組に分かれていた。

 だけどもう、そんなわけにはいかない。思いの矢印は簡単にはその向きを変えられない。わかっている。自分がいちばん、わかっている。

 僕には羽純を、変えられない。羽純はずっと、博己だけを見ている。

 笑里もずっと博己を見ているから。だから羽純は、強がるしかない。

 どうしてうまくいかないんだろう。

 ゆっくりと落ちていく夏の陽。ふるい教室にもぐり込む橙。ふいに、なにかを思い出しそうになる。

 この間、博己が意気揚々と夏休みの計画を話してくれた。

「海行くだろ。いや、この間みたいなのじゃなくて、ちゃんと女子たちには勝負水着を着てもらってだな」

「羽純が嫌がるだろ。誰かさんのせいで海水浴嫌いになっちゃったし」

「……。じゃ、花火大会に、祭りだ。ちゃんと女子たちには浴衣を着てもらう」

「羽純が嫌がるだろ。浴衣だと走れないとかなんとか言って。ていうか羽純ってスカートすらめったにはかないのに、浴衣なんて持ってるのかなあ」

「…………流星群」

「…………」

「羽純とそんな話をしたんだ。また四人で見ようって言ったら、あいつ、うなずいてた」

 博己が彼女の名を呼んだとき。はすみ、と、いつもよりやわらかく発音した。ように、律には聞こえた。だいじなだいじな、たからものに触れるような感じで。

 博己。おまえの矢印も、ほんとうは、変わってないんじゃないのか?

 夕暮れの橙が、溶けていく。このちいさな教室が水槽で、律は透明なオレンジに染めあげられて、くるしい。

 しゅっ、と。画がうかんだ。

 制服のまま、抱き合っているふたり。羽純の背中にまわされた博己の大きな腕。たがいの息がかかりそうなほどに近づいたふたりの顔。羽純が、魔法にかかったみたいに、うっとりと目を閉じようとしていて。くちびるとくちびるが、いまにも触れそうで。

 なんだ、これは。これも夢か?

 どこからどこまでが夢で、どこからどこまでが現実で、どこからどこまでが過去の記憶なのか。

 おじさん。

 教えてよ。

 教卓に置いたラジオから、ザーッと、砂嵐の音が聞こえる。やがてそのノイズは霧が引くように消え去り、ちがう宇宙とつながる。

――律。ぜんぶ、夢だ。

「ぜんぶ?」

 四人で桜をみたことも、ほたるを見たことも。笑里と珈琲を飲んだことも、博己と海でじゃれ合ったことも。羽純が律の手を握ってくれたことも。

 ぜんぶ?

――夢だ。まぼろしだ。目がさめれば痛みも消える。だからはやく、こっちへ。

 無性に恐ろしくなった。こどものころ、一緒にゲームをしたり、おもしろい本やまんがを教えてくれたり、めずらしい植物のなまえを教えてくれたりした、海斗おじさん。優しくて、無垢で、笑顔がふんわりやわらかくて。いつも無精ひげを生やして、だらしないと母さんに叱られていた。

 大好きで、しょっちゅうまとわりついていた。おじさんというより、うんと年上の、ともだちみたいな存在。

 それなのに。今ラジオから律を呼ぶのは、たしかにおじの声ではあるのに、どこか異質だった。

――どうして迷う? 

 おじさんがいる場所は、いったい、どこなんだ。

――律。おまえは、そろそろ決めなければいけない。こちらへ来るのか、それとも。

「それとも……」

――自分で選ぶことが、できるか?

 自分で、選ぶ。

 そもそも、なにを。

――チキンレースしようよ。

 いきなり、声が聞こえた。おじさんのものではない。これは、木原の。中学からの親友、木原祐市の。少し鼻にかかる、男子にしては高めの声。

 ぶわっと、目の前にスクリーンが広がった。

 高校の制服を着た、ふたりの男子のすがた。急勾配の細道のてっぺんで、自転車にまたがって並んでいる。

「びびって先に止まったほうが負け」

「いいよ。国道出るまでなら」

「負けた方は罰ゲームとして好きな女子にコクる」

「げっ! ぜったい無理!」

「負けなきゃいいんだよ」

 にやりと笑う、木原。

「じゃ、オッケー? ようい」

 スタートっ!

 律は自転車で坂道をすべり降りた。これはたんなる遊びで、冗談だ。木原は無茶なことをするタイプの人間じゃないし、すぐにブレーキをかけるはず。そう高をくくっていた。

 なにも深く考えてはいなかった。

 横目で、となりを走っている木原の姿を見やる。

 どこにもいない。視界にあるのは、流れていく、畑と石垣と民家の入り混じったでこぼこの風景だけで、親友のすがたはどこにもない。

 あいつ、速攻で止まりやがったな。言いだしっぺのくせに。

 自転車を止めて、木原が追いつくのを待とうと思った。ぎゅっと、ブレーキレバーを握る。だけど。

 止まらない。車輪は回転をやめない。

「うわああああああっ!」

 気づいたら、叫んでいた。

 冷気がからだを伝って、全身が粟立った。がくがくとからだがふるえる。律は腕をさすった。だけど。

 まくり上げた袖からのぞいた素肌をまじまじと見つめる。鳥肌なんてたっていない。つるりとした、平常通りの、なめらかな皮膚。

 どういうことだ? たしかに、ぞくりと産毛が逆立つような感覚があったのに。

 じわりと、いやな汗が噴き出す。噴き出す、感覚があった。しかし、腕にも首にも額にも、一滴だって汗は浮いていない。

 おかしいじゃないか。いまは夏で、ここはクーラーもない小さな教室で。ここに来た羽純も博己も、暑いといって赤い顔をして、水筒だのペットボトルだのに入れたドリンクを飲んでいた。サイフォンは夏のあいだは封印だとか言って。

 だけど、自分は。なにも飲んでいない。こんな真夏に、一滴も水分をとらないで、平然としていられるだなんて。今さらのように、そのことに思い当たってしまう。

 目の前に浮かんだ、チキンレースの顛末への恐怖は、みずからのからだへの恐怖へとすり替わってしまった。

 おかしい。おかしいおかしいおかしい。

――自分で、選べ。

 おじさんの声が、夕暮れの廃校舎で、浮いて漂っていた。


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