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流星群  作者: せせり
トロイメライの夢
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1

 懐中電灯で足もとを照らしながら石段を駆けのぼる。はあはあと、自分の呼吸の音がやけにくっきりひびく。まるで怪盗にでもなった気分だ。

 グラウンド入口のちいさな柵を飛び越える。まだ誰も来ていない。律が一番乗りだ。

 ジャングルジムのてっぺんまでのぼって夜風に吹かれる。

 ふしぎだ。ただ、太陽がないというだけなのに。夜の校舎はひっそりと息をひそめて、不気味なくらいだ。

 心臓がどきどきしていた。怖さ半分、わくわくが半分。親にばれないようにこっそり家を抜け出してきた後ろめたさ、してやったという達成感。スリル。

 リュックに詰めたのは、お菓子と、星座早見盤と、カルピスの入った水筒と、おじさんのくれたラジオ。ぽんこつの、ラジオ。

「りーつ」

 いたずらっぽい声がして、下を見ると羽純がにんまり笑っていた。さっそくジャングルジムをのぼりはじめる。こんなにはしゃいだ羽純を見るのはひさしぶりだった。笑里の提案に乗ってよかったと思う。

 やがて、博己が来て、最後に笑里が来て――笑里はひどく興奮していた。はじめて両親をだまして出し抜いてやったのだ、むりもない。

 ペルセウス座流星群のピークは今夜だとテレビで言っていた。だったら堂々と観測会をやればいいものを、なんと笑里が、こっそり夜の学校に忍びこんで流れ星を見たいと言ったのだ。

 春になって卒業したら、廃校になってしまうことが決まっている、この小学校。さよならまであと何日と、校門横の掲示板には、手作りのカウントダウンの日めくりが貼られていて、数字がすくなくなるのを目にするたびに胸がきゅっと痛んだ。

 時は流れる。

 子どもが減る。小学校がつぶれる。

 ひとは、死ぬ。

 律の叔父も、羽純の母も。

 空は曇っていて星どころか月すらも見えない。律が星座早見盤を取り出して、北極星をさがした。だいたいこのあたりにあるはずということは見当がついても、星のすがたは見えない。

 さわさわと、木々の葉擦れの音がする。そしてふいに、風がやんだ。

 ガ・ガ・ガ。

 律のラジオがノイズを発した。

 四人が一斉にラジオを見た。

 雲がさあっと退いて、あらわれた星の明りが子どもたちをやさしく照らした。

 ピアノのやわらかな音。最初は、ぽん、と一音だけ。いちばん耳のいい笑里がその音をひろって。ピアノの音がする、と笑里がおごそかに告げた瞬間、音があふれ出した。

「トロイ、メライ」

 羽純がつぶやいた。その声はかすれていた。

 笑里が羽純の手を握った。……博己も。遠慮がちにだけど、その手はそっと、ジャングルジムの鉄の棒を握りしめる羽純の手のうえに置かれていて。

 律は、三人から目をそらした。きっと羽純は泣いているんだろうと思ったのだ。

 橋の下で、誰にも見られないように、声をころして泣いていた羽純を思い出して、胸がかあっと熱くなる。

 トロイメライ。

 五月になくなった羽純の母が好きだった曲。羽純に弾いてくれた、曲。

「いやだって、わがまま言わずに。教えてもらえばよかった」

 羽純の、からだぜんぶから振り絞るような声。

「おかあ、さん」


 そこで、目が覚めた。

 また夢だ。律は図書室の机に突っ伏したまま寝ていたのだ。

 さっきまで博己と一緒に海に居た気がするのに。しょっぱい波をかぶったこと、まじめに羽純の話をしたこと。すべてが夢ではなくて現実だと、たしかな実感がある。博己が律の目を、まっすぐに見つめていたから。

 そのことに安堵した。

 最近の律は夢をみてばかりだ。さきほどのように、過去の思い出を映画をみるように夢にみることもあれば、ただあてもなく高校や実家などをさまよっている、そんな夢を見ることもある。

 実家。律は両親の言い争いの場に遭遇してしまった。いやに生々しい感触があったが、おそらくこれも夢なのだと思う。なぜなら、博己とちがって、両親は律の存在に気づかなかったのだ。

 至近距離にいたのに。泣きながら、「あなたにはわからない」とわめく母の横に。冷静に母を諭そうとして、でも早々に無理だと悟ってあきらめのため息をついた父の隣に。ふたりの、あいだに。ちゃんと居たのに。

 喧嘩の原因はなんだろう。頬杖をついて、ぼんやりと過去に思いを馳せる。むかし叔父が死んだときも、ああいう光景を見たような気がするのだ。

――あなたはいつもただしい。あなたみたいに、わたしは考えられない。前になんてすすめない。

――海斗、海斗。ごめんね、気づいてやれなくてごめんね。

――謝ったって泣いたって海斗くんは帰らない。夏乃がいつまでも泣いてるのを見たら、海斗くんが悲しむ。

――わかってる。わかってる!

 あやふやな記憶の断片をつなぐ。

――律。律。もどってきて。律までわたしを置いていかないで。

――いい加減にしろ、夏乃! おまえがしっかりしないでどうする? 母親だろ!

――そうよ! 母親よ! たったひとりの、あの子の……。

 母の嗚咽。いつの間にか、母は自分の弟ではなく息子の名を呼んでいた。

 どうして? 自分は母さんを置いて行ったりなんてしていない。あんなに泣かせるぐらいなら、ずっとそばに、

 机に置いていたラジオが、ざーっと、砂嵐のようなノイズを発した。

 律。はやくこっちへ来い。律。

 海斗おじさんが呼んでいる。宇宙のどこか、もうひとつの地球から。律を呼ぶ電波を送っている。



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