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古ぼけたラジオのアンテナをたて、ダイヤルを回す。電源ランプは赤く光っているのになんの音も拾わない。どこの局にもチューンできない。時折、ガ、ガ、ガ、と、耳ざわりなノイズを発するだけ。
それでも僕は耳を澄まし続ける。たとえば遠い星の遠い国のだれかの声や、僕の知らない曲のメロディのかけら。不意にそんなものを拾って、僕に聴かせてくれるような、そんな気がしてならなかったんだ。
ポケットに入るサイズの、ちっぽけなトランジスタ・ラジオ。若くして逝った叔父が僕に残した、唯一の、形見だ。
*
今日はノイズさえも聞こえない。古いアーチ型の石橋にもたれていた律は、軽くため息をつくとラジオの電源を落とし、制服のポケットに仕舞った。
田んぼの中を突っ切るように流れる大野川のせせらぎは今日もやさしく、春のひかりを跳ね返してきらめいている。土手には菜の花やほとけのざが咲き、やわらかい若草のみどりいろと混じりあっている。
頭が鈍く痛んで、こめかみをおさえた。最近頭痛が頻繁に起こる。疲れているのかもしれない。もともと、気圧の変化に敏感な質でもある。
ふと顔を上げると、橋を渡り切ったその先の小道に、白い軽自動車が停まっているのが見えた。勢いよくドアが開き、ボールが転がり落ちるようにして羽純が出てきた。律のすがたを見つけて大きく手を振り、駆け寄ってくる。
「買い出し行ってた。あにきの車で」
にかっと笑う。ジーンズにロゴT、さらに、鮮やかなみどり色した、袖に白いラインの入ったジャージを羽織っている。いまだかつて染めたことのないつややかなショートボブに化粧っけのない肌。ぱっと見、少年、だ。
「ごめんな、全部まかせちゃって」
「いいのいいの。それよりこれ。ケーキ」
羽純は得意げに、白い箱を高く掲げてみせた。
「博己は?」
「部活のミーティング終わって、帰ってるとこだって。いったん着替えてくるってさ」
橋を渡り、連れだって歩きだす。
「十二時半ぐらいに集合って、笑里には知らせた」
「そもそも今何時だっけ?」
「んー? 十二時ちょっと過ぎ? ぐらい? まだ余裕あるね。律は、いいの?」
いったん帰って着替えなくていいのか、という意味だろうか。午前中、学校へ行っていた律はまだ制服のままだ。家にもどるのはどうにも億劫で、首を横にふった。
羽純はばかでかい帆布のトートを肩にかけてかろやかに歩く。バッグが大きいから、小柄な羽純はまるで荷物にかつがれているみたいだ。持つよと言ったら、
「律はいいよ。あたし重い物運ぶのはへいきだし」
なんて言って笑う。少し、むっとした。
男子のなかでは非力な部類にはいる律だって、羽純より二十センチも背が高いし、力だって強いはず。なのに自分だけ手ぶらだなんてプライドが傷つく。
「貸しなよ」
手をのばすけど、ひょいっとかわされて、律はむきになった。
「貸してって」
「律はいいんだってば」
「持つったら、持つ」
「律にはむり」
ずいぶん舐められたものだと睨みつけようとしたところで。羽純の笑顔が、少し、陰っているのに気づいた。それでなんとなく、男子として重い荷物を運んでやろうという気概が失せてしまった。
川沿いの小道を歩き、田んぼを抜けて、県道に出る。ふたりの通っていた小学校へと続く、ゆるやかな坂をのぼっていく。道の際のいたるところに菜の花の黄色がこぼれていて、まぶしい。田舎町ゆえ交通量はすくなく、時おり軽トラやトラクターとすれ違うぐらいだ。
「ていうかこれ、商店街のつかさ菓子舗のやつだけど、笑里の口にあうかなあ?」
羽純がケーキの箱を掲げて眉を寄せた。さっき一瞬だけ走った影はもうあとかたもない。律は少し安堵した。
「いーんじゃん? ケーキなんてどこのも一緒だろ」
「ん。そーでもないよ。あたしはね、ケーキっていえば、でかくてイチゴがどんって載ってて食べごたえがあるのが好きなんだけど、」
「だけど?」
「クラスの女子はさあ、長ったらしいカタカナの名前がついてて、高いくせしてやたらちっこいやつが好きっつーんだよ? こーんなにちっこいの、こーんな」
口をとがらせながら、羽純は左手を丸めてちいさな輪っかをつくってみせた。なるほどちっこい。律は笑った。
「笑里は喜ぶよ。羽純が選んだものならなんでも、嬉しいと思う」
そっかな、と羽純はつぶやく。すこしだけ頬を染めて。
やがて、坂道のてっぺんにある、小さな木造校舎が視界にあらわれた。校舎のぐるりは淡いピンク色のふわふわで覆い尽くされている。桜だ。
「おー、満開満開」
左手をひさしのようにおでこにくっつけて、羽純があかるい声を出す。ダッシュしようよ、ということばが耳に届いたときには、すでに彼女は駆けだしたあとだった。律はあわてて追いかける。