改造大和撫子計画
教室に入ると後ろの方がさわがしかった。
複数人の生徒たちが水槽にむらがっている。そこでは以前カエルを飼っていたがいまは空のはずだった。
「今日、学校くるとき男子がひろったんだって」
との報告にのぞきにいくと、水のない、青いフタの水槽のなかで軟体的な何かがうごめいている。
手のひらサイズの白いナマコのようだったが、ところどころには赤い斑点があり、なんとも不気味な姿をしている。長い楕円の身をくねらせ、たまに異様に細くなったり、またもどったりの伸縮を繰り返しているが、移動はせず頭がどちらかもわからない。
とりあえず場をしずめたものの、その日は”謎の生物”への興味で、教室は終始うわついた感じだった。
一日の業務を終え、帰宅したのは午後九時をまわったころ。
アパートには頼子がきており、食卓には開けられたビールの缶が散乱している。
「なにそれ? うええ」
椅子に座ってテレビをみていたが、僕が抱えてきた水槽の中身をみるや素直な反応をしめす。
「生徒が拾ってきた。で、明日から連休だから『死なないように先生がみてて』ってお願いされた」
「なにそれ、そんな気持ち悪いもの……ばかみたい。隅にやっといてよ」
酒臭い声でそういうと、ぷいとテレビのほうへ向きなおりスマホをいじりだす。
気付かれぬようためいきをつき、水槽を部屋の角へおくと、二人分の夕飯の支度にとりかかった。
夕食後は片づけておきたい書類作業のまえに、パソコンでざっと”謎の生物”について調べてみた。適当にあたりをつけサイトを閲覧したり、写真をとって画像検索もしてみたが、確信にいたるものは見つからなかった。
翌朝、目をさますと頼子が「なんか頭痛いんだけど」というので、酒の強い彼女にしてはめずらしいと二日酔いの薬を渡したが、治まる気配がない。
風邪薬も試したが効き目がでないでいると、頼子は片手を頭へやりながら、
「ああもう、使えない……」
こちらを責めるように一瞥する。それでもう、僕はさすがに潮時だと思った。
大学で知り合い、気弱な自分とはちがう気丈な性格に魅力を感じていたが、付き合うほどに彼女の人を見下す、険ある態度ばかりが目立つようになり、関係はすでに惰性のみのものとなっていた。
折をみて別れ話を切り出そう――。
ふと部屋の隅へ目をやると、水槽が空になっていた。あっと思い、青い上蓋が少し浮いているのをみて頼子に訊ねたが、知るわけないと一蹴される。
あんなものに徘徊されてはたまらず、さんざん室内を散策したがみつからない。殺虫剤でも焚こうかと思案していると、彼女が帰り支度を始める。
一応、近場の休日診療所まで送ろうかと言ってみたが、「は? とっくに治ってるけど?」とそっけなく返して出ていった。
それから半年後、僕と頼子は結婚した。
いつの頃からか、何がきっかけかは不明だが、彼女にあったトゲトゲしさが和らいでいき、どこにそのような一面が潜んでいたのかと思うほどやさしく変わっていくと、二人の関係も自然向かうべき方へと向かったのだ。
常に敬愛をもって他者を立て、気づかいを忘れないすばらしい妻を持ち、僕は幸せな夫となった。
そして年月を経るなかで娘もできたが、その大きな幸せの象徴が、やがて一番の悲しみを生むきっかけとなってしまった。
思春期を迎えた娘は、悪い仲間とつるむようになり、夜遊びにまでつきあうようになった。
その何度目かの補導で、近くの交番へ妻と共に迎えにいった帰りのこと。
道路わきを歩く親子三人のほうへ、酩酊したドライバーの車が横からつっこんできたのだ。
僕はその瞬間、妻がとっさに娘をかばい、そのせいで自分がはねられたのを見た。
倒れた姿に叫びながらかけよると、妻の右耳からなにか白いものが出ている。
それは細長く、赤い斑点のある体をよじるようにし、粘液の糸を耳にひきつつアスファルトへぼとりと落ちた。
その瞬間、妻はまばたきを激しくしてから、眼を見開くと、
「なに……体が動かないじゃない……ちょっと……早くなんとかしてよ……」
こちらを責め立てるような視線と口調に、ふと嫌な懐かしさをおぼえたが、結局それが最期の言葉となった。
妻が亡くなり、しばらくはおとなしかったが、それでも娘は変わらなかった。
高校にも行かず、家に帰ること自体少なくなり、彼氏だという男に僕が殴られたときも、ただ罵倒しせせら笑っていた。
でもいま娘は、僕の足元、居間の床でおとなしく横たわっている。帰宅時に使うであろうグラスに睡眠薬を仕掛けておいたのだ。
安らかな寝息を立てる表情みつめ、少し乱れた髪を整えてやる。それから自室より円筒形のプラスチック容器をもってくると、固いフタを開けて逆さに振った。
容器からぼとりと白いそれが落ち、弱々しくもゆっくり娘の頭へ近づいていくさまを、僕は静かに見守った。