僕らはただ、不器用なだけだった
空には分厚い雲がかかっている。そんな中、僕は校門の前で寂しく佇んでいた。二日前から冬休みに入った中学校は、宿直の先生を除いて誰もいないはずだ。
寒い。コートに手袋、帽子まで装備しているのに、所々に隙間があるのか冷気が体を包んでいく。マフラーをしてくればよかったなと何気なく思い、そんなことをしたら半殺しにされるだろうなと、長くため息をついた。
――クリスマスにはマフラーをあげるから、何も巻いてこないでね。
美沙は笑顔でそう言って、さらに付け加えた。これはお願いじゃなくて命令よ、と。
「命令」だということは破れば罰則があり、今までのケースからいってその罰則は例外なく「半殺し」になるだろう。
もう一度ため息をつく。何度も何度も深く浅く。今のうちにしておかなければ、美沙と二人でいる時にいつ口から漏れてしまうかわからない。彼女と行動を共にするのはすごく疲れることだった。
しかしながら、付き合って十ヶ月を迎えるあたり心底惚れているのだと思う。何処が好きなんだと訊かれれば、返答に困ってしまうのだけど。
腕時計に目をやる。まだ待ち合わせの時間には十分ぐらいあった。もし美沙が待ち合わせに早くやってくる女の子だったらなぁと、通算十六回目の淡い希望を抱き、それが例のごとく儚げに散ったとき、遠くから僕の名前を呼ぶ声がした。
少し低めのソプラノが飛んできた方向に顔を向けると、美沙が小走りで近づいてくるのが見えた。彼女と僕の距離は少しずつ縮まっていき、もう歩いてくればいいのにという位置でも彼女は小走りだった。
「待った? ごめんね、いつもより早く来たんだけど」
美沙は肩で息をしながら、左手で前髪を整える。右手には紙袋を持っていた。
「いや、待ってないよ。それよりさ、何か変わった?」
学校で会ったときは肩ぐらいにかかっていた髪の毛が、綺麗になくなっている。自慢そうにしていた髪を切るなんて、美沙の行動にしては意外に思えた。
「冬だから寒いとは思ったんだけど、なんだか切りたくなっちゃって」
そう言って首筋をさする彼女は……、なんというか可愛かった。しばらく彼女に返答できないでいた。僕は見惚れてるのを悟られないように、そっと視線を外し代わりに紙袋へ向ける。首筋といえば、僕の首はこの紙袋に入っているであろうマフラーを巻かれるために、ずっと寒さを我慢しているんじゃなかったか?
わざとらしく咳払いをして、彼女の視線を手元に向けさせる。彼女はちゃんと気付いてくれ(この勘の良さも珍しいけど)、僕に紙袋を持たせると中から白いマフラーを取り出し始めた。
白い。なんだか雪の白さのようだ。いや、それ以上に、
……長いな。
何度も何度も手繰り寄せるうちに、彼女の二の腕にはマフラーが山のように積もっていく。
「ねぇ」
「なに?」
僕が目で「まだあるの?」と訴えかけると、「文句あるの?」と同じく目で反訴された。
ようやく取り出し終わると、美沙は僕の首にぐるぐると巻き始めた。長いから巻き数によっては窒息してしまうんじゃないかと思ったが、何てことはない、彼女は自分の首にも巻いているじゃないか。
二人分の巻いた回数は数えていないけれど美沙の手が止まったとき、僕はぎょっとしてしまった。お互いの首から出ているマフラーは地面に着きそうだったのだ。
「あのさ、これの長さって……」
「よく測ってないけど、四、五メートルくらいはあるんじゃないかな」
開いた口が塞がらないというのはこのことだろう。美沙は特に不思議とは思わないらしく、逆に僕の反応に対して不満を覚えたようだった。
彼女は肩で風を切って歩き出す。僕もそれに従う。従わなければ文字通り首を絞められることになる。
一体全体、美沙のどういったところをどういった経緯で好きになってしまったのだろうか。仕草の一つ一つが僕の胸を高鳴らせていることには違いないが、それだけではあまりにも代償が大きすぎる。
歩き始めてしばらくすると、僕ら中学生の御用達である大型ショッピングモールが見えてきた。つい最近できたから客の出入りはいいものの、地元ではない人は隣町からバスで来なければいけないという不便さと、地元の人口が少ないということからすぐに廃れてしまうだろう。
定例行事みたいなものだ、デート場所がこのモールになるのは。だから、いつも通りに買いもしない宝石を少し離れた場所から二人して眺めて、洋服を手に取ったり(これも買わないけれど)、お昼時になればフードーコーナーでクレープを注文した。マフラーをほどこうとはしなかったので、向かい合わずに同じ側に座る。
今日がクリスマスとは思えないほど、なんだかいつも通りだった。しかし、何かを忘れているような……。
それが何かは思い出せないけれど、忘れてはいけないことだとは覚えていた。喉まで出掛かっていて、あと少しあと少しというところで戻ってしまう。僕はクレープを食べる手を止め、唸りながら努力をした。
「ねぇ、さっきから何でそんな難しい顔してるの?」
はっとなって顔を上げてみると、美沙がため息をつきながら僕を睨みつけていた。僕は咄嗟に言い訳を考え始めたが、それも虚しく喉までしか出てこない。
お構いなしに彼女はまくしたててくる。
「難しい顔どころか、つまんなさそーに見えるよ。あたしと一緒にいるのがそんなに嫌?」
「いや、そんなことはないけどさ……」
「けど? けど何」
「あ、いや、ただ何となくつけただけで、深い意味はないって」
僕は額の汗をぬぐった。やっぱり、今日の美沙はおかしい。いつもならすぐに不貞腐れて、言い返すどころか平手打ちが飛んできて、気がつくと僕だけその場に残されているはずだった。
美沙は相変わらず睨んでいる。目を合わせるのが怖かったので、仕方なくクレープを口に運んだ。歯応えのないバナナがやけに不味く思えた。前に来たときはこんな味ではなかったのに、と関係のないことでため息をつく。
美沙はそれを見逃さなかったらしい。彼女は、僕の首につながっているマフラーを両手でぐいと引っ張った。急に狭まる食道に、流動食のようなバナナがつまりそうになる。僕はむせた。それはもう必死に。
「退屈? なんでため息なんかつくのよ。ねぇ、嫌ならはっきり言ってってば……」
僕は引っ張られた分を引っ張り戻してから、いい加減にしろよ、と叫びそうになった。いつ嫌だなんて言ったんだよ、と、舌の上まで来ていた言葉をなんとか押しとどめる。
驚いたことに、彼女は目に涙をいっぱい溜めていた。瞬きをすると一筋二筋、頬を伝っていく。何かを言いたそうだったけど、彼女は我慢、いや言葉が見つからないという感じで目を瞑った。
美沙は勝ち気な女子だった。口論をした場合、並大抵の男子なんかでは相手にならないのだ。ドラマとかでよく見かける「言葉に詰まって泣いてしまう女の子」ではなかっただけに、美沙の泣き顔は、僕の心臓をぎゅっとつまんで離さなかった。正直、美沙の涙は初めてみるものだった。
「なんで泣くんだよ。なぁ、美沙? 嫌なんて言ってないだろ」
美沙は、だって、と小さく呟いた。店内にかかっている曲が変わる。一昔前に流行ったポップスが微妙にアレンジされて流れてきた。
「この前さ、亜美のこと可愛い可愛いって言ってたじゃん」
聞かれていたのかと思うよりも早く、「そんなことを気にしてたのか」と口にしていた。
美沙が睨んできたが、さっきよりも迫力はなく僕は彼女の視線を真正面から受け止めることができた。
「短い髪の子のほうが好きなんでしょ? 運動できるみたいな感じでさ」
「あのなぁ、好みじゃん。そんなんで、好きとか嫌いとかにはならないっしょ」
彼女は、だって、と口を噤んだ。
「まさか、さっきから怒ってるのってそれが原因?」
僕が呆れた調子で言うと、美沙は勢いよく立ち上がった。当然、僕の首も斜めに傾く。
「他の女子のことは可愛いとか言っててさ、あたしと二人でいるときは無口になったり、ため息ついたり。おまけにマフラーをプレゼントしたのに何も言わないし。怒るなって言うほうが無理に決まってるでしょ」
美沙は叫びこそしなかったが、他の客を驚かせるには十分だった。何人かは僕たちを見ている。というか、椅子から微妙に浮いて、首を傾けて女の子に言われっ放しの僕を見ている。
プレゼント? ……プレ、ああ、そうか。僕はもらっているだけで美沙に何もあげていないんだった。
僕は彼女を座らせて、謝った。
「美沙へのプレゼント渡してなかったな。それも怒っていた理由の一つだって気付くの遅すぎた、ごめん」
美沙は目を白黒させながら聞いていたが、何度か瞬きしたあと急に吹きだした。
「いや、プレゼントもらってないから不機嫌だったわけじゃないよ。意味わかんないし、ほんとウケる。あたしそこまで強欲じゃないし」
「じゃあ、何でマフラーもどうとか言ったの?」
僕はなんだかやるせなくなって、だけど聞かないわけにはいかなかった。
彼女はお腹を抱えて一頻り笑ったあと、「問題です。誰かに物をもらったときは?」と人差し指を立てた。僕は帽子越しに頭を掻いた。ええと、物をもらったら、
「……ありがとう」
「正解。ね、言ってないでしょ、校門からここまでずっと」
僕は口を開けっぱなしにして、間抜けながら納得した。そうか、そういうことか。
「ありがとう」
と、今度はしっかり気持ちをこめて言う。
「それでよし」
彼女は元気よく笑った。
クレープを食べ終えた僕らは、しばらくモール内を散策して結局、買い物はせずに帰ることにした。僕と美沙の距離は前より縮まったし、クリスマスのような特別な日でなくても、きっと一つ一つが特別になるはずだと思ったからだ。だから、クリスマスはただぶらぶら歩いているだけでもいいんだ、と。
まぁ、思っただけで彼女には口にしていない。そんな台詞は僕に似合わないだろうし、口にすると次のデートから変に気負ってしまうと直感がそう言っていた。
「ねぇ、マフラーを渡す前さ、なんかぎこちなくなかった?」
自転車で上るにはけっこう辛い坂を歩いて下っている途中、美沙は伸びをしながら聞いてきた。
僕が立ち止まると、そのまま進んだ彼女は後ろ手に紙袋を持ち、高低差からか僕を見上げるようにもう一度「ねぇ」と言った。マフラーを伝って言葉が上ってくるみたいだった。
「言わなきゃ駄目?」
彼女は黙って頷いた。
「美沙さ、髪を切りたくなったんだって言ったじゃん? そのときの仕草にさ、見惚れてたんだよ」
彼女は黙ったままだった。僕は思ったことを正直に言った。
「すっげー、可愛いなぁって」
美沙はいつかのごとくマフラーをぐいと引っ張った。僕はバランスをどうにか保ち、美沙の力が弱まるところまで歩いた(といっても、二、三歩だったけど)。
「馬鹿」
一言そう呟いた美沙の頭にそっと手を乗せて、お互い様だろ、と僕も負けずに呟いてやった。