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終章 信じる者



「どうして宇宙船で帰ろうと?」

 正装の法衣に戻り、隠していた翼を元通り出した天使はそう尋ねた。

「水晶宮に戻る前に考えを整理したくてな……それにお前と少し話がしたかった」

「話、ですか……?」

 運転席に腰掛けた天使は、着替えても蒼真珠のピアスだけは大事そうにそのまま着けている。クランベリーにプレゼントされたそうだ。

「最初にしては上手く行っていたと思う。人間達とも良い信頼関係が築けていた」

 天使は首を竦め「いえ、私などまだまだです。彼女に比べれば……」自信無さそうに呟く。

「お前とジプリールでは基本能力が違う。同じ任務でも適した方法は当然」

「……それは分かっています。ですが……」

 自分の問いは決定的にピントがずれている。そう理解して酷くもどかしい気分に陥った。(クランなら)まただ、堂々巡りで帰って来る場所はいつも同じ。しかし思わずにはいられない。(この問題もとっくに見抜けるだろうに)

 孤児院時代から妹は眠たげな、けれど酷く醒めた眼差しで周囲を観察していた。自分のアドバイスも、想定済みだと言わんばかりの視線を向けながら笑顔で首肯したのだ。いや、生まれた時からああだった気もする。自分と違ってクランは泣かない、手の掛からない赤ん坊だった。両親が虚無の病で死んだ時もそう。遺体の傍で涙を零す僕に、病が移るから離れてと冷静に諭した。

「ただ、だな。数日とは言え水晶宮にお前がいないと色々不便なのだ。僕の体調の事や毎日の報告の処理もお前がいる方が助かる。ウーリーエールが常に都合良く戻って来られる訳ではない。あれも下界の事情がある」

「大父神様……」

「水を差すつもりは無いのだが、できれば今までの任務に専念して欲しい。クランの世話も含めて」

「クランベリーは―――知っています、総てを」

「何だと?」

 焦点の合わない蒼の目。

「大父神様も、悪魔も……私も彼女に見透かされているのです」

「馬鹿な……操作は完璧なはずだ」

 人形のように首がガクッ、と横に振れる。

「無意味なのは大父神様も充分お分かりになられているはずです」

「なら何故クランは何も言わない?」

「……まだ、なのでしょう」

「まだ、だと?」

 天使は無表情のまま、しかし微かに頬を緩めた。


「我々に若干の猶予が残されている、と言う事です」





「ううう……」

 レバーペースト乗せバケットに、レバーと根菜の甘辛煮、ほうれん草とレバーの炒め物。おまけにコンソメスープの中にも灰色のレバー。よくもまあこれだけ単一食品で固めたものだ。

「今日は私達が作ったのよ。ね、レイ」

「あ、ああ。美味いといいんだが」

 一食分楽できたリリアが一口含んで絶句、お茶を飲む。大臣やお婆ちゃんは「懐かしい味だねえ」と喜んで食べ始めている。一体どんな幼少期を過ごしてきたの、この老人達は?

「さ、くーちゃん食べて」

「お前の身体の事を考えて作ったんだぞ」

「料理本のレシピ通りに材料入れたから、味見はしてないけど美味しいはずだよ」

 その本には『人に食べさせる時は必ず味見しましょう』や『一食で同じ食材を過度に使い回すべからず』の記載は無かったらしい――出版社ごと潰れてしまえ。

 足音がしてずいっ、と右斜め前に目を向ける。二人に無理矢理手伝いをさせられていた衛兵が、キッチンの後片付けを終えて戻ってきたのだ。両隣りに気付かれないようアイコンタクトを送る。彼は首をブルブル小刻みに震わせて返した。

(う……本気で?)

 見た目で既に予想は付いていたが、レバー料理に必須の血抜きを怠ったようだ。この距離からでも臭う。

(これを全部食べる……?無理だ、不可能だ)

 テーブルクロスで隠しながら下にいるボビーに食べさせるか?いや、左右の視線を避けながら落とすのは極めて困難な作業。

「クゥン?」

 大体レバーってコレステロールが高いんじゃなかったっけ?コリーが大量に食べたら血栓ができて倒れてしまう。

「どうしたのくーちゃん?顔色悪いよ」妹が横からスプーンに甘辛煮のレバーを乗せ、口元に持って来る。「貧血が早く良くなるように食べて、ね?」

 どうしよう、ペンキの剥げた鉄棒の臭いが凄くする。

「……あんまり美味しそうな臭いじゃないね」せめてもの反抗に言ってみる。

「そうだな。まあ健康のためだ、我慢して食え。レバーは嫌いじゃないんだろ?」

「う、うん。そうだね」普通に調理されている分には。

 意を決し、差し出された一口を食べた。舌の上に広がる何とも言えない味。

「……ぅげ」

「どう?美味しいでしょ?今度はこっち」バケットに赤っぽい灰色のペーストをたっぷり塗り付ける。「今日は私が全部食べさせてあげるね」

「い、いいよ。セミアお腹空いたでしょ?私自分で食べられるから」ゾッとする提案をやんわり拒否する。「レイも食べたら?」

「ああ。残すなよ」

「頂きまーす!」グロテスクバケットを私の皿に乗せ、妹も自分の分を食べ始める。「美味しーい!!」なぬ!?

「本当だ!とても初心者とは思えない程旨いぞ!」二人は次々と料理と呼べない代物を口に運ぶ。

「もしかして私達天才なのかも。料理コンテストとか出られるんじゃない?」

「こらセミアがっつくなよ。クランの分が無くなっちまうだろ」

「あ、ごめん」ちっ。余計な事を。「くーちゃんの分は取り分けておくね」空の皿に悪臭漂う甘辛煮と炒め物がうんざりするぐらいどっさり乗る。

 味を感じないよう一息に飲み込んで食べながら、何とか窮地を打開する方法に考えを巡らす。そうしている間にも、咀嚼しないまま胃袋に入った半生レバーから臭いが競り上がって来た。

(うぇ……吐きそう)

 このまま食べ続けたら確実に倒れる。縋るように衛兵に目をやった。

「お二人共、女王様はもう満腹のようですよ。無理に食べさせて具合を悪くさせてはいけません」

「そうなのか?でも今日は特におやつとか食べてなかった気がするけど」

「お二人が夕食の用意をなさっている間に、残っていた古いクッキーを召し上がられたんですよ。僕とリリアさんも一緒に」にっこり微笑んで「お二人は料理に夢中でしたのでお呼びしなかったのですが」

「何だ。じゃあお前等無理して食ってたのか?そうならそうと先に言ってくれて良かったのに。悪かったな」

 妹は衛兵をじっと見つめた後、胸と同じぐらい頬を膨らませる。

「ひっどーい!私を除け者にしてお茶会なんて!」

「だってセミア一生懸命料理作ってたじゃない。邪魔した方が良かった?」ここぞとばかりに上目遣い。「ごめんね。今度はちゃんと誘うから」

「うぅ……それならしょうがないなぁ」私のお腹をポンポン叩き「そんなに一杯な感じはしないけど。大丈夫?」

「うん。でもちょっと苦しい、部屋で休んでくる」席を立ち、「ボビー」

「クゥン」呼び掛けに応じてテーブルの下から這い出す毛玉。

「リリアさんはどうしますか?」

「私ももう遠慮しておくわ。後は皆で食べておいて」

 食堂を逃げ出す直前、私はもう一度衛兵にアイコンタクトを送った。



 数日振りに帰った大広間は騒然としていた。と言って、喋っているのは専ら一人だが。

 水晶の床に座り込み、ミーカールとウーリーエールが酒を飲んでいた。二人の周りには既に空瓶が幾つか転がっている。

「おお!御帰還御苦労様。おい、二人にも酌」

「はいはい。全く、酒の相手ならあの人形にさせればいいだろ……」言いつつウーリーエールは用意してあったグラスを二つ取り出す。

「それじゃ意味ねえんだよ」

「はぁ?」

「ごちゃごちゃ五月蠅えな!とにかくあいつを交えて飲む酒じゃねえの!!」

 飲酒にしては頬がやけに赤い。心なしか、私には彼が楽しそうに見えた。

「はい、大父神様どうぞ。イスラもはい」ワインを注いで手渡す。

「ああ、ありがとう」

「ありがとうございます。ですが私は飲めないので頂けません」

「何だ、残念」グラスを自分で飲み干す。大父神様も口を付け、あっと言う間に空にされた。僅かに顔が赤くなる。

「私も飲めるが弱い体質だ。今日はもう休む。美味かったぞミーカール」

「んあ?ならもう一杯」

「いい、眠れなくなりそうだから止めておく。二人共程々にな」

「はーい!」

「では」私の方を振り向いて「行くぞイスラフィール」

「はい。二人共、また後で」

 立ち去りかけたその時、背後の入口の扉が開く高い音がした。

「何をしている?」荷物袋とハルバードを抱えた人形は呆れたように呟いた。

「見りゃ分かるだろ、酒盛りだよ」

「こんな往来の場でか?」

主人は全く気にしない様子で「誰に迷惑掛けてる訳じゃないだろ?ねえ大父神様?」話を振った。

「あ、ああ。確かにな」

「……お前に良識を求めた私が愚かだった」視線を外し「寝る。報告はその後で宜しいでしょうか?」

「ああ」主は少し考えた後「妹の面倒見、御苦労だった」

「――不思議な娘ですね。彼女と共にいると何故か……心地がいい」

「そうなのですか?」私は正反対だ。クランベリーの傍にいると、自分の全てを見られそうで落ち着かなくなる。

『それはあの娘が鏡だからよ』

 だとすれば、この人形は私達より遥かに正常なのだろう。

「そうか……苦でないなら良かった」

 大父神様は顔を強張らせながらも、笑われた。



 部屋に戻り、テーブルの上の鍋の蓋を開ける。

「ううん……良い匂い」

 気温が低いため昨日のヒジキの煮付けは全く傷んでおらず、一日分更に出汁を吸い込んで美味しそうに黒光りしていた。

 鍋半分の中身の所にスプーンを入れてぱくり。食堂を出る時、こっそり二本持ち出してきたのだ。

「おいし……」もぐもぐもぐ。豊かな滋味に触れて舌が喜ぶ。


 コンコン。


「女王様、お戻りですか?」

「うん。入って口直ししない?」

「あ、はい。失礼します」


 キィ、パタン。


「まだこんなに残っているのですか?古くなってません?」

「大丈夫だよ。昨日より美味しいぐらい」もう一本のスプーンを差し出す。「どうぞ」

「はあ、では一口頂きます」ぱく、もぐもぐ。「確かに作りたてより味がしっかり染みています」

「でしょ?」

「でも部屋に一日中置いたままにしておくのは感心できません。今度からちゃんとキッチンの保冷庫に入れて下さいね」

「ここも保冷庫と変わらないじゃない」

「それはそうですが……食あたりにはくれぐれも注意して下さいよ?」

「あの二人に言えば、それ?全く、彼女の唯一の功罪だね」

「それには僕も激しく同意します」

 大体、軽い貧血程度であんな本気料理はいらない。


 ぱく。ぱくぱく。


「明日は作らないよねあれ?私もう一口も入れる気にならないんだけど」

「僕、さっき思わず戻してしまいました。今はもう平気ですが」

「あー、私も一回吐いとけば良かった。何なのあの生物兵器?リリア明日寝込むんじゃない?」

「そうなったら食事は絶対僕が作らないと。お二人に任せたら残ったレバーで何を作られるか……」

「嘘、まだあるの!?」夕食の分だけでも相当な量なのに、どれだけ買い込んだんだ。

「スーパーマーケットで交渉して卸値価格で買ってきたらしいですよ。ざっと十キロ」

 激しくくらくらしてきた。貧血のせいばかりではない。

「女王様。イスラさんに薬を作って頂いてはどうですか?」

「止めとく。嫌いだもんそう言うの」

「別に続けなくて構いませんよ。ただ飲んでいると言っておけば料理を作られなくて済むかと」

「あー、そう言う事」ベッドに置いた牛車埴輪の頭を撫でる。「採用。早速部屋に戻ったらレイに吹き込んでおいて」

「承知しました」くすくす。「ところでその煮付け、ずっと同じ味で飽きませんか?多少なら調味料を持って来て変えますが」

「いいよ、この味好きだもの」ぱくぱく。「アスは良いお婿さんになれるよ」

「煽てても何も出ませんよ」ぱく。

「別に煽ててない。割と本気」

 衛兵は苦笑し「女王様のお考えは本当に分かりません」と言った。

「そう?」「ええ」

 昨日の夜、遠慮がちに鍋を持って来た時と同じ顔だ。嘔吐したせいか今日の方がやや疲労した印象。

「鈍い」

「よく言われていそうですねそれ」

 衛兵の目が不意に、牛車の蓋からはみ出した白い紙片を捉える。

「メモだよただの。小物入れにもなるのそれ」

「珍しいですね。次の買い物リストですか?」

「願い事」

 私の返答に衛兵の目が丸くなった。

「それは当分懲り懲りです。どうしてそんな物をお書きに?」

「ん……一個ぐらいいいじゃない?女王なんだし」

 クスクス。朗らかな年相応の笑顔を見せる。


―――彼が心から幸せになれる日が来ますように。


 その恥ずかしい紙片を覗かれない内に私は手を打つ。「命令」スプーンで指し「この鍋を一緒に空にする事、以上」

「はい、女王様の御意志のままに」ぺこり。私は思わず笑ってしまった。


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