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五章 突入



(誰も尾けてきてないですよね?)

 辺りにボーイ以外人影が無いのを確認し、素早くフロントへ。カウンターの意見箱に用意していた紙片を差し入れる。

「貴重な御意見ありがとうございます」

 彼等曰く、ボーイの中には何も知らない者も混じっているらしい。依頼に支障は無いと言っていたが、多少不安は残る。

 どうやらこのボーイは知る者のようだ。箱の後ろを開け、今入れた紙を確認する。

「申し訳ありません。生憎ロゼは切らしておりまして」

「え?」

 赤く塗り潰した紙片は取消のはず。予想外の返答に戸惑う。

「じゃ、じゃあ白を」相反する願いの場合は新規優先だ。上書きしてしまえば同じ結果を得られる。ところが、

「そちらもすぐには用意できかねます。既に別の御予約が入っておりますので」

「予約?」私以外にも先生にいなくなって欲しいと頼んだ人間がいるのか、タイミングの悪い。「今頼んだら何時になります?」栗花落さんを何日も待たせる訳にはいかない。

「御安心下さい、明日明後日には」ボーイは声を落とし、「ただロゼは些か高うございます。お支払いは大丈夫ですか?」

「え、ええ」心の中で土下座しつつ「支払いは連れが」

「畏まりました。ではもうしばらくお待ち下さい。入荷次第御持ち致します」

 ボーイは意見箱の残りの紙片を全て抜き取り、フロント奥の従業員専用ドアを潜って行った。

「ふぅ……」

 ごめんなさい、本当にごめんなさい。言い表せないぐらいの懺悔の感情が溢れ出す。

 あの中年親父にはとても耐えられなかった。だから罰を下すつもりで彼等に願ったのだ。強制的に栗花落さんと会えなくすれば、流石の頑固爺も改心して年相応の紳士に生まれ変わるだろう、と。なのに結果的には肝心の彼女を傷付けてしまった。平気そうにしていても、瞼を閉じた婦人の表情は不安げで、辛そうで。

(駄目。先生がいない今、私がしっかりしなくてどうする)

 彼等は金さえ出せばどんな願いでも叶えるプロ。先程の言葉通り先生を返してくれるはずだ。そのために栗花落さんの財布を犠牲にしたのだ、翻すようなら鬼憑きの力を使って――!

(まだ気が早い。取り合えずコーヒーでも飲んで気を落ち着けよう)そう思い、来た通路を戻ろうとした時だ。


「誰か!火事よ!!」


 裕福そうな老婦人がフロントに駆け込んで来る。只事ではない様子に引っ込んだボーイも慌てて「どこですか!?」飛び出してきて尋ねた。

「レストランの植木鉢よ!凄い勢いで燃えているの!」

 私は咄嗟に玄関にあった消火器を抱えた。ボーイもフロントの奥の部屋から一回り小さい物を持って来る。

「行きましょう!」「はい!」

 朝食時間の終わったレストランには誰もいなかった。窓の傍でシュロチクと思われる植物がボウボウ火に巻かれている。既に後ろのカーテンにも引火、炎は更に勢力を伸ばそうと壁を舐め回していた。

「喰らえ!」

 ピンを抜き、ホースを向けて射出。白い液体に包まれた炎は面白いぐらい急速に勢いを弱め、ボーイの加勢を待つ隙も無く瞬く間に鎮火した。

 真っ白になった一角を取り囲むように、スキー場に出掛けようとウェアを着込んだ野次馬が集まってきた。「済みません!ちょっと通して下さい!」その中の二人が前に出て来る。

「宝君!」

「先輩?と、あなたは確かクランの」

「ええ」女王の保護者は視線を惨状の現場に向け「何があったのですか?酷く焦げ臭いですが」

「多分放火です。出火元はこの植木鉢」

「放火?」見覚えのある中年の男性が人混みから現れ、気付いたボーイが一礼した。「確かにこの辺りに火の気は無いですね。おや、あなたは昨日百四号室に御宿泊予定だった」

 思い出した。昨日の朝、荷物を置きに来た時会ったロッジのオーナーだ。そしてゲレンデで栗花落さんをお茶に誘い、傍迷惑な捜索劇の原因になった人物。

「連合政府員の宝 那美です。植木鉢を調査しても構いませんか?」

「ええ」

「では責任者のあなたと、先輩方。現場検証の立会いをお願いします」

「ああ」

 主人はパンパン!と手を打った。

「お客様方、お騒がせして大変申し訳ありませんでした。今日もどうぞごゆっくりスキーやスノーボードを楽しんできて下さい」ボーイ達にも「お前達も仕事に戻った戻った」

 厨房で使い捨てのキッチン手袋を借り、薬液で白くなった土の辺りを探る。小枝や糸、小さな板の燃え滓が根元付近に残っていた。

「どうやら発火装置のようですね……しかしこれでは、犯人どころかどんな装置だったかすら分かりません」

 犯人は相当用心深い性格だ。意図して燃えやすい材質ばかりで作ったのだろう。明らかに手慣れている。先程の老婦人は容疑者から外した方がいい。直接放火したならこんな小道具は必要無い。

「これが仮に時限式だとすると、一体何時セットされたのでしょうか?」

「今朝私が水をやった時には何もありませんでしたよ。レストランを開ける前、大体六時頃です」

「だとするとそれ以降か……」

 植木鉢の位置はレストランの一番奥。殆どの客は容疑者から外せそうだ。

「このテーブルには何号室の客が?」

「本官達だ。本官とイスラフィ――イスラ様と本官の両親の四人」

植木鉢の斜め前の椅子を示し「この席には誰が座りましたか?」

「私です」イスラさんが手を挙げる。

「鉢の中は見ましたか?」

「いいえ」それはそうだろう。葉や幹はともかく、こんな根元は普通意識して見ない。

「では朝食の間、あなたの席に近付いた人間を教えて下さい」

「給仕が二、三度料理と飲み物を運んで来ました。確か食事の中程でそちらの御主人が挨拶に来られて……」そこで何故か考え込み「それぐらいです、私が覚えているのは」

「先輩、間違い無いですか?」

 数秒の沈黙。

「イスラ様、庇う気持ちはよく分かります。でも公正に証言して頂かないと、後で偽証罪に問わるかもしれませんよ?」

「ですがラント」

「イスラ様も主の前で嘘は吐かないでしょう?お願いします」

 彼は首を小さく縦に振り「そうですね、それに彼女は犯人ではありません……あの」席のやや斜め後ろに掛けられた楕円形の鏡を指差す。「食事を始める直前、クランベリーがその鏡を覗き込んでいました」

 鏡と植木鉢の距離は約二歩、子供のクランなら三歩と言った所か。

「後ろにいる間はずっと見ていましたか?」

「いいえ。少なくとも鏡を覗く前は存在にすら気付いていませんでした。声を聞いて振り返り、その後離れるまでずっと目で追っていました」

「何か不審な様子は?」自分でも間抜けな質問だと思った。あのクランが発火装置を仕掛けたぐらいでおどおどしたりするものか。

「普段通りですよ」ほらやっぱり。「しかし宝 那美。私達がここで食事してから随分時間が経っています。クランベリーでなくとも、誰にでも犯行は可能なのでは」

「確かに私達が駆け付けた時、レストランは無人でした。仕掛けられた時間が分からない以上、彼女だけに容疑を絞る事はできません。近くに座っていたあなたや先輩も立派な容疑者です」

「イスラ様には不可能だ宝君。食事の間どこにもそんな素振りは無かったし、今までずっと本官と一緒にいた」

「……身内のアリバイ証言は当てにならないんですよ先輩?まあ、お二人でない事は分かっています。動機がありませんから」クランは別として。

 テーブルの縁に身体を預けて腕を組む。

「燃えた装置が時限式とは限りませんね。遠隔操作できるスイッチ式だったのかも」

「しかし不気味です。犯人の目的が分からない」主人が不安そうに呟く。「あの。そろそろ昼食の支度を始める時間なのですが、ここを片付けていいでしょうか?こんな物があるとお客様に安心して食事を楽しんでもらえません」

「警察が来るまで現場は保存する規則ですが、そうですね……大きな布でこの辺りを覆っておいて下さい」

「はい。ありがとうございます。他に何かお聞きになりたい事は」

「ありません。お時間取らせて済みませんでした」

「いえ。昼過ぎまではここにいますので質問があれば何時でもどうぞ。では失礼します」

 厨房の中へ入っていく主人。シェフも兼任なのか、大変だな。

「動機か……」真っ黒になったシュロチクを眺めて先輩が一言。「どう思う宝君?」

「植木鉢一個燃やして誰に利があるって言うんです?」はた、と気付く。「しまった!もうこんな時間!二人共ありがとうございました。警察には私が通報しておきますから出掛けてきて下さい」

 今頃三人、とりわけ栗花落さんは首を長くして待っているはずだ。

「急いでいるなら本官が電話しておこうか?どうせ二人共支度はまだだろうし」

「助かります、先輩」頭を下げる。

「クランベリー達に何かあったら私を呼ぶよう言っておいて下さい、お願いします」

 優しい人だ。形容詞をつけるなら、天使みたいな、と言う所。

「分かりました、伝えておきます。では後の事は頼みます」




 バタン。


「驚いた」開口一番彼女はそう言った。「女王陛下には予知能力まであるのだな」

「まさか、偶々だよ」

 行く前に渡した紙袋を受け取り軽く振る。予想通りカサカサした音は大量だ。

「ちゃんとすり替えてきた?」

「ああ。同じ目分量入れてきた、しばらくは気付くまい」

「OK。見せて」

 フロント奥の部屋から持ち出されたのは、一杯の白紙と一枚の赤紙。どちらの紙にも一見して何も書かれていない。

「装置はどこに?」

「秘密」

「内緒にする必要もあるまい。レストランだろう?宿泊客達が言っていたぞ」

「それもそうね」

 普段は一体どんな任務をしているのか。私が発火装置を欲しいと言うと、彼女は荷物袋を十分程ガサゴソやり、ポンと手渡した。即席とは思えないちゃんとした時限式。

 一枚取り出し、少し観察した後鉛筆で軽く塗り潰す。凹凸によって浮かび上がる白い字。恋敵がいなくなりますように、そして署名。

「何をなさっているのですか?」カップを洗い終えた栗花落さんがソファに座り、閉じた目をこちらへ興味深げに向けた。

「神様へのお願い事を覗き見してるの」

「まあ。クランベリー様、どこから盗んで来られたのですか?いけません」そう言いつつ微笑は変わらない。

「聖書では神は万人に開かれているって書いてあるよ。だからいいの」

「屁理屈だな」「屁理屈ですね」「クゥン」

 二人と一匹は頷き合う。

「手伝おう」

「ありがと」

 しゅしゅしゅしゅ……。時折ボビーの頭や尻尾を撫でてやりながら作業を続ける。

「私も御手伝い致しましょうか?」

「ん?大丈夫だよ二人で充分。それより栗花落さんは今日どうするの?折角だし那美と橇で遊んできたら?」

 予想するまでもなく、婦人は首を横に振った。

「そう。おじさんよりはずっと良いと思うけどね、安全面では」

「偶には雪塗れになるのも良い経験です。それに旦那様は、クランベリー様がすぐに連れ戻してくれるのでしょう?」

「非常に不本意ながら」

 あんな陰険中年、氷像になろうが木乃伊になろうが大いに歓迎する所だ。しかしそれでは今朝の紅茶の礼を永久に返せなくなってしまう。おぞましい事に生存救出を余儀無くされたって訳。埴輪の海から一匹のゴキブリを掬い上げるに等しい愚行だ。

「ふふ。戻って来られたら是非並んで滑りましょう。皆さんも御一緒に」

「そうだね―――あった」

 異彩を放つ長い文章、固い筆跡に強い筆圧。一人の人間の殺害依頼とイニシャルH・C。報酬は二百万。

「……ふぅん」

 少しだけ繋がった。後で調査する価値はありそうだ、紙をポケットに押し込む。「うーん」顔を上げて伸びをし、唐突にそれを見つけた。

「!?」

 洗面台の蛇口、その先が恰も意思を持ったように明滅している。

「信号だ」「ん?」

 私は指差し、「訳して!早く!」

「あ、ああ分かった」

 彼女は素早く紙を裏にし、光の長短を書き取り始める。

「どうなさいました?」

「栗花落さん」

「はい」

 一枚だけの赤紙を細い指に触れさせる。

「おじさんが帰って来るお守り。持ってて」

「分かりました」丁寧に畳んでスカートのポケットに入れる。同時に彼女の鉛筆の音が止まった。


「……にわぎ……っしゃは?どういう意味だ??」


 ドアを半分蹴破るように廊下へ出た。

「クゥン?」

「な、何だ?どうした?」

「――!」彼女に付けた名前を叫び「突入する、武器持って来て!栗花落さん!」

「はい」

 手を握って「足元注意してて、入口を見つける!ボビー、LET’S GO!」

「ウウ、ワン!」

 命令を受けてコリーが先頭に立って走り出す。続いて私と栗花落さん、後ろをハルバード持ちの彼女。

「わっ!」前方から歩いて来た那美がこちらに気付いて声を上げる。「どうしたんです栗花落さん?あなたも武器を持ち出して?」

「皆はこのロッジの下。探すの手伝って」

「ええ!?ほ、本当ですかクラン?地下ですか……俄かには信じられませんが」

「耳貸して」言い終えない内に耳朶を掴む。「那美の赤紙は栗花落さんのポッケの中だよ。どうする?犯罪の証拠だって教えてあげても一向に構わないけど」

「な……!!?どうしてあなたが持って、あ!!」蒼褪めて「やっぱりさっきの放火はあなたが」

「どこかの間抜けな誘拐依頼者と一緒にしないでよ。どこにそんな証拠が?」

「くっ……!」唇を噛み締め「私を脅すつもりですか?」

「まさか。ただ介助は慣れた人間の方がいいってだけ」耳から手を放し「栗花落さん、那美が案内してくれるって」

 囁きが聞こえていたのかいないのか、盲いた婦人は無邪気に微笑み「まあ。ありがとうございます那美さん」頭を下げ、見えているかのように自然に手を取った。「ところでクランベリー様。どちらへ向かっているのですか?」

「秘密」



 厨房のコンロ前にぽっかり開いた穴。地下から僅かな光源が昇ってきている。

 警察の捜査前に再度現場を調査しようと提案したのは私だった。宝 那美のクランベリー犯人説を反芻していて、一つ気になる事を思い出したせいだ。私が振り返る直前、残像の中の彼女は左手に何かを持っていた。一度レストランを出る前まではボビーの食器だと思い込んでいたが、少女は部屋へ帰る直前にカウンターでスープを受け取っている。ではあの時手にしていたのは……と考えて急に不安になった。

彼女が享楽的な動機で破壊行為に及ぶはずがない。仲間達を取り戻すための行動と結論づけるのは極自然だ。

 ならば、あの場所を放火したのには重要な意味があるはず。それを見つけ出し、一刻も早く少女を安心させたい。幸い、私の拙い仮説に耳を傾けてくれたラントはすぐに同意し共に引き返してくれた。

「ラント、大丈夫ですか?」先に降りた信仰者に向かって語り掛ける。

「はい。大体梯子は三メートルですね。近くには誰もいません」

「分かりました。少し待っていて下さい」

 懐に入れた水鏡を確認し、梯子に左足を掛けて下る。一分程で固い地面に足が着いた。

「ここは一体」

「少なくともオーナーがここの存在を知っているのは間違い無いです」顎に手をやり「イスラフィール様、もしかしてアス君達はこの地下道に監禁されているのでは?この壁の質感、水鏡に映ったのとよく似ています」

「私も同意見です」

『魔窟ね。あなたに進めるの、イスラ?』

 進むしかない。庇護する少女のため、大父神様のために。

 地下道には等間隔にランプが灯っていた。これなら光を浮かべる必要は無さそうだ。

「本官が前に行きます」宣言して地面に落ちていた角材を手に取る。「自前は家に置いてきてしまったので、今日はこれで代用です。最近色々物騒ですから、本官も武器を携行した方がいいかもしれませんね」

「武器?あなたも戦うのですか?」

「何があってもいいよう、身を守る術を持たせるのが曾祖父の教育方針なんです。一族には珍しく全く魔術の素養が無い本官は代わりに武術を。獲物は戦槌です」

「想像しづらいですね、あなたが槌を振り回して戦う姿は」

「そうですか?一応クラスではいつも強い方だったんですよ。まあ、本官が強いと言うより相手の獲物が槌で折れて勝つんですけど」

「折れる、のですか?」

「はい。まともに当たれば剣なんて一回でポキッと。その分重いので取り回しは大変なんですが」

 普通の腕に見えて随分力があるらしい。そう言えば旅行荷物は彼が一番多く持っていたか。

 私達はなるべく足音を殺し、静かに通路を進んだ。地下の冷気が肌に当たるが、ウェアのお陰で体温を失わずに済む。

 一本道をしばらく歩いた後、左側に一枚の金属製ドアが現れた。

「処置室二人運び終えました。依頼遂行を開始します」

「御苦労様。先方はなるべく早い死体の受け渡しを要求している」

「了解しました」ドアの閉まる音。

「今、死体と言いましたよね?」向こうに聞こえないよう囁く。

「ええ」

 誰を殺めるかは不明だが由々しき事態だ。三人の内の誰が死んでもクランベリーは酷く悲しむだろう。

 焦りが顔に出たのか、ラントは手を振り「少しだけ待って下さい。向こう側に何人いるかだけでも把握しておかないと」私を落ち着かせようとしてくれた。


「その必要は無い」


 後ろを振り返ると、信じられない人物が拳銃を持って立っていた。銃口は真っ直ぐこちらを向いている。

「と、父さん……?何やってるんです」

「見れば分かるだろう。愛息子と恋人……ではないな、母さんの思い込みの激しさはいつもの事だ。ではええと、愛息子とその友人を脅しつける所さ。さあ、そっちのドアを開けて中に入れ」

 瞳に一見狂いは無い。今朝レストランで一緒に食事をしたのと同じ目で、微かに笑みさえ浮かべて凶器を握っている。

「父さん、一つ訊いてもいいですか?何者だ?」

「お前が今一番嫌いな団体の人間さ」

 流石にその答えは予想していなかった。忌むべき夜来の教徒がこれ程身近にいたとは……。

「宗教に無関心な父さんが夜来教とは驚いたよ」

「もっと驚く事があちらに待っているぞ。さあ入るんだ」

 押し込まれるように私達はドアの向こうへ。

 薄暗い部屋だった。面積は水晶宮の広間ぐらいか。三、四十個の椅子が等間隔に並べられていた。手前側に私の腰程の高さの台、祭壇が備え付けられている。

 その前に立っていたロッジの主人は眉を上げ「おや珍しいお客様ですね」悪びれる様子もなく祭壇奥にいた赤いローブの人物にそう言った。

「ようこそ夜来教の本部へ」

 赤ローブは仮面を外し、口紅を塗った唇で歓迎の言葉を紡いだ。

「母さん??分かった、父さん達と組んでのドッキリでしょう?随分手が込んでいますね。ロッジの地下にこんな広い場所があるなんて」

「ラント」ニッコリ笑い掛ける。「天使を信じているあなたなら、もう少しファンタジーを理解してくれると思ったのに残念だわ」

「生臭い似非宗教と四天使様を一緒にしないで下さい」実の親に吐き捨てるように言う。彼の信仰心は紛れも無い本物だ。

「私も彼と同意見です。主はこの宇宙に唯一人。人間が成り替わろうとするなど赦される事ではありません」

 言葉を発しながら頭の中は混乱していた。これ程敬虔で私に尽くしてくれた信仰者、その両親が罰すべき異教徒だったとは。

『情が移ったのね、可哀相に』

 彼の前で実親を殺すなどできない。いや、仮令彼が見ていない場所であっても手を掛けられはしない。二人が向けた優しさが嘘だとしても私は素直に嬉しかった。見ず知らずの人間を迎え入れた彼等の懐の大きさに感じ入った。

 その二人に苦痛を与えたくはない。勿論ラントを悲しませる事も、したくはない。

『やっぱりあなたは出来損ないだわ。致命的な欠陥品』

 水鏡の中の彼女はきっといつもの微笑みを湛えているのだろう。

『あなたを見ていると、心を持った木偶程哀れな物は無いと痛感するわ。使命に迷い、他人に迷い、己にさえ迷っている。私達が考えもしない事であなたは悩み、苦しんで七転八倒する。滑稽で愛おしい操り人形、それがあなた』


――死んだ。


 ぽっかりと空いた場所に少しずつ何かが入り込んだ。清水より重く、ねっとりと澱んだ物が彼女の代わりに私の中に満ちた。些細な事で液体は色を変え、熱くも冷たくもなって器の私を蝕み、壊していく。

「立ち話もなんだわ、そこの椅子に座りなさい」祭壇の向こう側、黒く塗られた椅子を示す。

「母さん!?」

「抵抗しない方がいいわよラント。父さん、学生時代に射撃で賞を貰ったの知ってるでしょ?イスラさんがどうなってもいいの?」

「母さん。私が賞を貰ったのはライフルの大会でだ。だが、この距離じゃ腕前なんていらないさ、余程手が滑らない限りは」父親は首を横に振り「試してみるか?」

 ラントは両親を仇の如く睨み付けてから私の手を握り、椅子まで導いた。

「済みません」

「いいえ。あなたのせいではありませんよ」

 私の隣、左側に父親。反対側にロッジの主人。どちらも銃を突き付けている。息子とは言え穏便に帰してはくれない雰囲気。

「どうしようかしら。正体を知られたとは言えあなた達を殺したくはないの。ラントは一人息子だし、ねえあなた?」

「そうだな。お前の年を考えるともう一人なんて無理だ。うん、困った」

「忘れてくれない?私達二人が夜来教の教祖だって事。約束してくれたらすぐに帰してあげる」

「嫌です。犯罪を見逃すなど本官の職業倫理に反する」

「黙っていてくれたら特別出血大サービス、無料で一つずつ願いを叶えてあげるわ」

「賄賂の交渉なんて止めて下さい!そこまで堕ちたのですか、母さん?」

 実子の言葉に、彼女はキョトンとした表情を浮かべた。

「賄賂だなんてラント。私達は大父神に代行して人助けをしているのよ?悪い事はしていないわ」

「先程私達を殺す、と言っていましたが?」

「言葉の綾よイスラさん。本当に手を掛けたりはしないわ、ラントの彼女ですもの」

 やはりおかしい。彼等からは罪の意識が全く感じられない。あくまで日常の延長、始終そんな風で。

「……では質問を変えましょう」目配せすると彼はどうぞ、と首肯した。「御二人が初めに夜来教の活動をなさったのは何がきっかけだったんです?理由如何では私達も少しは同情できるかもしれません」

「ゴミ出しよ」

「は?」

「この前入院した隣のお婆ちゃん、一人暮らしの。私達の地区の集積所って遠いからゴミが重いと一人で持って行けないでしょ。だから私、お婆ちゃんに声を掛けて運んであげてたの、ずっと」

「はぁ」

「元々それなりにボランティア好きな人間だったけど、最近もっと大きな事がしたいと思って。それでシャバム新聞に相談の投書をしたら、初期費用は出すから相互扶助の団体を設立すればいい、って返事が来たの。それで今に至る訳」

「母さん、さっき自分を教祖だと言ってませんでしたか?」

「あれも言葉の綾よ。リーダーじゃ呼びにくいし、一応宗教団体で登録しているの」

「何で宗教??普通にボランティア団体でいいじゃないですか?やってる事はそうでしょう?」

「ボランティアは扱える金額に制限があるのよ。それに宗教団体なら税金の優遇あるし」

「は、はぁ……」

 ゴミ出しに、ボランティアに、税金?親切心が発端だったのは辛うじて理解できたが……後でラントに説明してもらおう。

「なら父さん、何で母さんに協力しているんですか?普通止めるでしょう、配偶者として」

「仕方ないだろう、この通り言い出したら聞かない性格なんだ。まぁ何だ、退職した後の趣味がスキーだけと言うのも味気無い気がしてな、年寄りの手習いには少し早いが」

 はーーーっ、隣で深い溜息。

「済みませんイスラフィール様。大馬鹿両親に唆されてこんな所まで連れて来てしまって。本官情けな過ぎて縄があるなら縊死したい気分です」

「あなたに責はありません。気にしないで下さい」

 しかし状況は最悪だ。厨房のあんな奥まった所の入口を見つける人間などそうそういないだろうし、降りてきた所で私達の二の舞。

(降りて来る前にクランベリーへ一言相談するべきだった)

 彼女の所にはミーカールの人形がいる。あらゆる戦闘を想定し訓練を積んだあれなら、隙を見て銃口を外させるなど造作も無い。

「ねえ、願い事は決まった?」

「母さん!本官達は犯罪を見過ごすなど」

「じゃあこのままずーっと銃を向けられたままここで過ごすの?マスターはランチの準備の時間だし、お父さんだって手が疲れちゃうわ。イスラさんも緊張しっ放しで真っ青よ、大丈夫?」心配そうに覗き込んで「膝掛け持って来ましょうか?安心して、願い事にはカウントしないから」

「い、いえ……結構です」

 気配りの細やかさと現在の状況が全く合っていない。矢張り狂っているのか?

 母親は主人から、狙いを定めたまま銃を手渡された。

「では一旦失礼します。何かあったら」

「そこの直通電話だな、分かっている」

「終わったら上がって行くわ。ランチは四人分お願いね」

「分かりました、では」

 主人がロッジへのドアを開けようとノブに触れた時だった。


 バンッ!!


 向こうから勢い良く開いた衝撃で、彼の身体が部屋の中へ吹き飛ばされた。



「おい貴様等、こんな事をして只で―――ぐががっっっ!!」

 隣に横たわったオッサンの身体がビクビク痙攣する。両手首の拘束具から放たれた高圧電流に打たれたのだ、五回目の。

(ある意味凄い不屈の闘争心だな……)普通これだけ喰らえば、体力と気力が削られて喋る事さえできないはずだ。

 一分後、痙攣が治まる。

「訴えるぞ貴様等!司法権力で極刑にしてやる!」

 両側に立って成り行きを見守っていた、ジャージに頭紙袋の男二人は大声に気押された。

「本当にこっちは電流だけでいいのか?」

「ああ、もう三回も指示書を見直した。損壊無しで且つ一時的に立てなくなる程の拷問がお望みだそうだ」

「周りから随分恨まれてそうだなこの親父。きっと奥さんは早々に逃げ出した口だぜ」

「そもそも女が寄って来ないだろこの性格じゃ」

 その奇特な細君がいるんだよ、とわざわざ教えてやる気にはなれなかった。

「さっさとこっちを済ませちまおうぜ。依頼人が取りに来ちまう」

 紙袋は背後の薬棚から蓋の付いた注射器を掴んで向き直った。どうやら俺にも何かするらしい。

「何の薬なんだ、それ?」

「ああ、トリカブトの毒だよ。苦しむ間も無く死ねるぜ」

「え??」首を上げる。「ちょ、ちょっと待てよ?何でオッサンは痛め付けられるだけで、俺は殺されるんだよ?おかしいだろどう考えても。始末するなら隣だ!」

「巫山戯るな若造!何で吾輩がこんな連中に殺されなければならないのだ!?」

「おいお前!もう一度指示書って奴をよーく確認しろ!本当に俺の名前が書いてあるのか?」

 電流スイッチの前にいた方が、サイドテーブルに広げたままの書類をじーっくり見る。

「間違い無い、殺すのはグレイオスト・クオルだ。左腕全面が黒い鱗状なのが特徴」

「有り得ねえ!どこのどいつだ!?」

 殺す程恨まれる筋合いは全く無い。勿論、殺したい程恨む事もだ。

「依頼人の名前は書いてないな。冥土の土産に知りたかったか?」

「当たり前だ。祟る相手が分からないんじゃ化けて出ても来れねえ」

「ははっ!何なら死ぬ前に復讐の願い事書くか?お前の全財産掛けてな」

「死ぬのはともかく悪くねえ。右手外してくれよ。これじゃペンが持てない」

 注射器を持った方が腕時計を見て、「期待を持たせて悪いな、時間が押してた。俺達も親の借金返済が懸かってる身だ、指示書通りの時刻に死んどいてくれないと困る」

 この二人兄弟なのか。道理で動きに連携が取れている訳だ。

「俺を毒殺すればお前らの借金が無くなるのか?」

「ああ、俺達は金が無かったんで労働で返してる所さ。他の連中の願い事を叶えてな」

「矢張り夜来教だったのだなここは。お前達はいいように利用されている最中な訳だ」

「利用?親父、夜来はボランティア団体だ。活動して何が悪い?」

「ボランティアだと?ハッ、偽善もいい所だ。結局犯罪の片棒を担がされているだけではないか」

 おっさんの指摘は、紙袋の中の目に諦観の光を齎した。

「あんたの言う通りさ。誘拐、強盗、恐喝――返済のためとは言え随分手を汚しちまった。でも他にどうしたら良かったんだ?両親は入院生活でとても働ける状態じゃない。かと言って会社の給料じゃ利子を払うだけで手一杯だ。なあ、どうすりゃ助かるんだ親父?」

「知るか」バッサリ。「そんな事は弁護士にでも相談しろ。ああ、しかしお前達は頼む金も無かったんだったな。なら誰も救ってくれん。一家心中するしかないな」

 どん底まで突き落とされた兄弟に心から同情。このオッサン、マジで人非人だ。

 紙袋達は突然棚を漁り始めた。空のビーカーに薬を片っ端からぶち込んでいく。

「おいお前達、何をしている?」

「指示書なんて糞喰らえだ!!」「まずは手前を地獄に送ってやるよ!」

 完全にキレた二人のブレンドする液体は、既に毒々しい紫色を放っている。ビーカーからもわもわ妙な煙が出ていた。吸引するだけでも只では済まないだろう。

 袋の中で実に楽しげな歪んだ笑みを湛え、空の注射器に劇毒を吸わせる。

「薄汚え糞親父が。どこにブッ刺して欲しい?」

「そのお喋りな口から直接流し込むってのはどうだ?」

「馬鹿言え。それじゃ舌が爛れて断末魔が聞けないじゃないか」

 良かった、劇物だって自覚はあるんだな。……良い、のか?

「足の裏からにしよう。じわじわ腐りながら死ぬのがこの親父にはお似合いだ」腐ると言うより爛れるか?即死しない場合に限り。

 注射器は移動し、革靴を力任せに脱がせる。

「おい貴様!そんな物で吾輩を殺そうなど千年早いわ!」

「あっそ。えっと、クオルさんだっけ?ちょっと待っててくれよ」

「ああ、大人しく待つよずっと」順番が来ない事を祈りつつ。

「お前、吾輩を見殺しにする気か!?」

「だって俺、手も足も出ねえし」

 栗花落さん大丈夫かな。まあ目が見えない割に日常生活殆ど困ってないみたいだし、宝家でも充分やっていけるか。オッサンの物を処分すれば当面の生活費も安泰だ。

「勝手に吾輩の死後のシュミレーションをするな!」

「な、何で分かった!」

「目を見ればそんな事すぐに分かる――わ!止せ!止めろ!!」

 靴下越しに針先が触れ、オッサンの顔が一瞬にして蒼くなる。

「お兄さん。俺はちゃんとさっきのトリカブトで殺してくれるんだよな?」

「ああ。細胞をなるべく殺さない毒でと指示書にあるからな。さっきも言ったが苦痛は殆ど無い。眠るように死ねるよ、この親父と違ってな!」

「そうか、邪魔して悪かった」

「他人事のように冷静な風で諦めるな!」

 駄目だ。寝台同士は一メートルと離れていない。絶え間無い怒鳴り声で鼓膜がおかしくなりそうだ。

「あのー、耳栓ってある?頭グワングワンしてきて」

「悪いな、置いてない。俺も出来る事なら手で塞ぎたいぐらいだ。せめてさっさと黙らせるよ」

 足首をむんずと掴み、土踏まずに針を構える。

「ぎゃああぁぁっ!!止めろ馬鹿者が!!!」

 もう片方は既にしっかり両手で耳をガードしている。

「地獄に落ちろ、糞親父」

 針が靴下の中に突き、


 バタンッ!!


 女神が舞い降りた、かと思った。

「だ、誰だお前は?どこから」

 クランは寝惚け眼でない代わりに、とても不機嫌そうな目で室内を見回す。


「ここもはずれか」バタンッ!!


「…………」

 誰か何か言え。

「い、今のは何だ??」

「お前らの知り合いか?」

「知る訳ないだろうあんな小娘!」


 バタンッ!!


「ぐわっ!!」「ぎゃあっ!!」

 紙袋共の腹にハルバードの柄が突き刺さる。吹き飛ばされた身体がぶつかり、危うく棚の薬瓶が落ちそうになった。劇薬注射は幸い割れないまま部屋の隅に転がる。

「無事か?」

「あ、ああ。何とか」

 二人が気絶しているのを確認した彼女は、すぐに寝台横のスイッチに気付いて押してくれた。金属の枷がパチン、音を立てて外れる。

「貴殿はどうだ?平気か?」

「当たり前だ。吾輩がこれしきの事でどうにかなるはずがないだろう」ブルブル震える足を床に着けながら言う。

「そうか。もうすぐ奥方もこちらに来るはずだ。帰りは貴殿が付き添ってくれ」

「栗花落が?」効果抜群、一発で震えが止まる。靴を履き直すや否やドアを飛び出した。「栗花落!!」

「ありがとう」

「何、これも仕事の内だ」二人の手首を棚の紙紐でキツく縛り上げる。「私は彼女の後を追って来ただけに過ぎん」

「その事だが、クランはどこ行ったんだ?何か探しているみたいだったが」只事でない形相を思い出す。

 逞しい女は首を横に振り「さあ……私にも分からん。蛇口からのメッセージを受けた後、急にああなって私達を引き連れ突入した次第」

「メッセージ?SOSか?」セミアかアス、或いは那美の仕業か。

「いや、道中ずっと考えていたがあれは救援要請ではない。彼女にしか伝わらぬ特別な符牒だったのだろう。――今は考えていても仕方無い。あの衛兵と貴殿等の荷物を探しに行こう」

「セミアはもう助けたのか?」

「ああ。今、他に囚われた者がいないか探して貰っている」

「そうか。オッサンも丸腰で出て行っちまったし、ぐずぐずしていられないな」左腕の覆いを直しながら俺は呟く。ふと思う所あり、ポケットの中身を倒れた兄弟の上に置いた。



 蹴り。蹴り、また蹴り。

「ぐぅっ!」「ぎゃっ!」

 教徒の屍を越えて、私はただひたすら真摯に『あれ』を探し求める。

 幾つ目かの通路を曲がった先はまたもや牢屋だった。今度は向かい合わせに一つずつ作られている。

「女王様?」

 台詞が全部発音される前に鉄格子へ跳びついた。


「牛車埴輪はどこ!!!?」


 私の叫びに、衛兵は曖昧な表情を浮かべ頬を指で掻いた。

「騙したわね囚人のくせに!!」

「はい。女王様、普通に救難信号を出していたらそんなに早く助けに来てくれなかったでしょう?嘘も方便。僕だってこんな寒くて、しかも後ろに水の流れている所で何時までもいたくありません」

 鉄格子の隙間から両腕を入れ、その襟元をむんずと掴んで引き寄せる。

「決めた!女王の権限で懲役を倍!一生只働きでこき使ってやる!」

「女王様、ちょ……苦しいんですけど……」

「私がどれだけ落ち込んでるか分かってるの!?もー、アスの馬鹿!!」

 はにわはにわ……あの愛くるしい土人形がいないだけで急速に気力が萎んでいく。

「うう……」ずるずるずる。「本当に欲しかったのに……」

「僕を掴んだまま下がらないで下さい……呼吸が……」

「手に入ると思ってわくわくしたのに……」

「いや、だから窒息……」

「全部嘘だったなんて……」

「うぅ……」

「この人でなし、悪魔」

「……今度龍商会で買って差し上げます」

「宜しい」ぱっ。

「はぁはぁ……う、げほげほ!」

しかし、欲しい物が多過ぎて給料のピンハネ程度ではとても足りない。株式投資でも始めてみようかな。

「女王様。取り合えず鍵を」

「ああ、忘れてた」

「クゥン」

 ボビーが壁に掛かっていた鍵束を銜えてきた。ここはお腹を冷やす。早く終わらせて暖房の効いた上で休ませよう。

「ありがと」

 カチリ。

「助かりました。ありがとうございます、女王様」

 彼が手に持った懐中電灯を点ける。乾いた氷室の黒い地面がはっきり見えた。牢には厚手の毛布が置かれている。

「お二人と那美さんは無事なのですか?」

「ああ……そう言えば来る途中で見かけた」埴輪じゃないから気にも留めなかった。「多分――が今頃助けてる」

「?」

「イスラの代わりの」

「あの方の?男性みたいな名前ですね。でも、言われてみれば案外しっくりしてます」

「そう?直観で知り合いの名前を付けたんだけど」

「女王様の知人の方の?似ているんですか?」

「全然。ただ彼女を見てたら思い出したの、急に」

 エレミア初日、彼の誕生会、高台での会話……どれを思い出しても彼女と結び付く事柄は無いのに、何故か。

(妹、ね……)

 望み通り、どうしようもなく不便な人間になって絵を描いていたらいいな。もしも再会したら、私は彼に話すだろう。遠い昔、別の宇宙で生きていた純朴な機械人形の事を。

「行こ」

「はい」

 立て掛けてあった火掻き棒を手に彼は前を歩き出した。



「痴話喧嘩なら勘弁ですよ先輩!」

 言うなり彼女は、態勢を立て直して襲い掛かった主人の顎に完璧なフックを決めてダウンさせた。

「な、何なのあなた!?」

「本官の後輩だよ母さん。話した事あるだろう、同好会で一緒だった宝君。だけど」首を横に振る。「まさか君まで丸腰で来るなんて……」

「全くだ」父親は銃を構え「お嬢さん、手を上げてこっちに座りなさい。抵抗すると撃つ」

 しかし、彼女の答えは意外な物だった。

「無理ですよそんなの。今の私には当たりません」

「は?な、何を言っているんだ君は?これは玩具じゃないんだぞ」

「見れば分かりますよ。それ、連合政府の標準装備に使われている拳銃でしょう。六発式の」

「分かっているなら少しは怖がりなさい」

 だが彼女は飄々として、瞳に不敵な光を内包したまま「当たらない物にビビれるはずありません」あっさり言い放った。

「当たらないはずが無いだろう!いいか、拳銃の弾の速度は一秒間に三百四十メートル、音速とほぼ同じだぞ。引き金を引けば、君が認識する前に弾は身体を撃ち抜く。防御魔術も使っていないようだし、当たらない道理が無い」

「だから無理なんですってば。人の話聞いて下さいよ、先輩のお父さん」

「ええい!」


 バンッ!


 一瞬何が起きたのか分からなかった。

 銃弾が発射されたのと同時に彼女は半歩右に避けた、但し残像が残る程の超高速で。目標を外した金属片が壁にめり込む。

「いきなり発砲しないで下さい」

 平然と注意する相手を見た父親はわなわな震え出した。顔面が紅潮している。パニックの前兆現象だ。

「拙い、父さん!」

「わぁぁっっ!!」


 バンッ!バンッ!バンッ!ババンッ!


 弾切れにも関わらず彼は引き金を引き続ける。その頬を母親が思い切り叩いた。

「何してるのよあなた!」

「お、お前も見ただろう!?あの子、弾を避けた!化物だ、怪物だぞ!!」

「失礼ですね。私はれっきとした人間です、ちょっとおまじないの掛かった鬼憑きの」後ろを振り返り「ね、栗花落さん」ドアの外に立つ女性に声を掛ける。

 瞼を閉じた婦人は少し困ったような表情を浮かべ「那美さん、余り無茶は……」

「大丈夫、この前よりずっと身体が軽いです。慣れたんですねきっと」

「まあ!慣れる物なのですね……」

 突然母親が私の腕を引いて立たせた。米神に冷たく硬い感触。

「母さん!!?」ラントが腰を浮かせようとする。

「座っていなさい!撃つわよ!」

「くっ!」唇を噛んで座り直す。

「人質を取っても無駄です!大人しく投降して下さい!」

「嫌よ!」銃口が強く押し当てられる。「あなたに銃弾が効かないのは分かった。でもイスラさんはどう?引き金を引くぐらいの動作、あなたが止めに入る前に充分できるのよ」

 脱力状態の父親の尻を蹴飛ばし「その棒切れを拾って。逃げるわよ」と命令する。

「あ、ああ……」ラントから奪った角材を手にして私達の隣に立つ。

「母さん、人質なら本官が代わりになる!だからその方だけは」

「駄目。あなた家には珍しい武道派なんだもの、私や父さんじゃ押さえ切れないわ。大丈夫、イスラさんは安全な場所に行ったらすぐに解放してあげる」

 本当だろうか?この期に及んで、私はまだ二人を信じようとしている。実の息子でさえ見限った人間達を。

『あなたの願いを叶えてもらったら、イスラ?』

 水鏡の中から彼女は甘く囁く。

『この人間はとても緊張しているわ。心臓の鼓動が聞こえるでしょう?身動き一つするだけで―――こちら側に来られる。誰にも悟られずに』

 それはあなたの願いなのですか。

『いいえ。分かっているでしょう?私はもう何も願う事はできない』

 そう、分かっている最初から。

「逃げても無駄です!今すぐ自首すれば、上に掛け合って可能な限り情状酌量の便宜を図ってもらいます!だからお願いします、先輩をこれ以上悲しませないで下さい!」

「宝君……済まない」


 バタン!バタン!


 相次いで私達が来たのとは別のドアが開き、クランベリー達が部屋に雪崩れ込んでくる。

「近寄らないで!!少しでも怪しい素振りをしたら殺すわよ!!」

 武器を抜きかけた女王を除く三人を牽制する。

『そろそろ限界ね。早く決断しないと叶えられなくなるわよ』

 その時、何故か私は少女を見た。無意識に縋ろうとしていたのかもしれない。

「あぁ……」

「動かないで!」

 万里を見通す真理の瞳に光は相変わらず無い。けれど、確かに私の魂を見透かしていた。

「……ろし」手を伸ばし掛けて「動かないでって言っているでしょう!?」


 バンッ!


 耳がキィンとする程大きな銃声。しかし……しばらく経っても一向に訪れるはずの痛みが無い。

 ドサッ。ラントの両親が同時に倒れた。そして私の隣には、

「だ、大父」「ジュードお兄ちゃん?」声を被せるようにクランベリーが言った。

「やあクラン。元気だったかい?」

 銃身が九十度曲がった拳銃をくるくる回す。

「すごーい。ちょっと会わない間にそんな手品覚えたんだ」ぱちぱち。

「まだあるよ。ワン、トゥ、スリー!」指輪を嵌めた指をパチンと鳴らす。

「ん……ううん」

 二人が頭を抱えながら起き上がった。

「二人共!何て傍迷惑な事してくれたんですか!!」

「ラント……?どうかしたの?」

「ここはどこだ?何か寒いぞ」

 きょろきょろ辺りを見回して「あ!オーナーが倒れているぞ!」ドア付近で気絶した主人に気付く。「どうして寝ているんだ?」

「ああ、まだいたのか」パチン。

「ぅうん……あれ、私は何を……ここは?」

 何と言う事だ!今までの記憶が全て消えている。つまり彼等も一連の狂気の感染者に過ぎなかったのだ。

「ふぅん」クランベリーは兄の顔を覗き込んで「まぁどっちでもいいか」意味不明な言葉を呟いた。

「父さん母さん、覚えてないんですかまさか!?夜来教の事も」

「何それ?駄目よラントこれ以上変な物にかぶれちゃ。今だってあなた、天使オタクって親戚中で有名なんだから。お嫁さんが来てくれなかったら困るわ」

「まあまあ母さん。ラントはまだ若いし、当分結婚の心配をしなくても」

「でも限度があるわよ。ただでさえ裁判官なんて出会いが少ないのに」

 はぁーっ……深い溜息を吐く息子。

「本当に全て忘れてしまったようです。これからどう後始末しろと言うのでしょうか……」

「僕が何とかしよう、得意の手品で」私の方に視線を向け「イスラと一緒ならすぐ終わるさ」

「あなたが?夜来教の被害者は膨大ですよ、それを」

「大丈夫だよ那美。うちのお兄ちゃん、無駄にお金と人材だけは持ってるから任せとけばいい」

「そうそう、だって相手は神――と一部で呼ばれる程の人物だもんね」セミアがしたり顔で補足説明する。「ぱぱっと無かった事にしてくれるよ」

「そうですね……この状態では先日の黒服集団やバ、オホン」衛兵の方をチラリと見て「彼等の二の舞三の舞です。死人が出ていないのなら内密に処理してしまった方が良いかもしれませんね」

「い、いいのか宝君?本官の身内だからと言って手心を加える必要は」

「捜査されてもしあれが出てきたら困ります」ボソッと呟く。

「宝君?」

「何でもありません。夜来教は“黄の星”だけでも大勢の信者がいますからね。一人一人調べていくなんて連合政府でもとても無理です。代理でやって頂けるなら助かります」

「こういう問題には慣れている、任せてくれ」

 主は微笑み、今度はラントの方に向く。

「君、イスラフィールの面倒を看てくれてありがとう」

「は、はい!あの、あなた様はもしや……!」目を白黒させた後「いえ、何でもないです。本官はお礼を言われる程の事はしていません。全てイスラフィール様の努力の結果で」

「そうか、君は謙虚だな。――と、イスラフィール。最後に君の本来の仕事をしてから帰ろう」

「は、はい」

 まさかこんな形で布教を終えられるとは……懐の聖書を取り出し、二人の前に差し出す。

「あなた方のような献身的人々には必要無いかもしれませんが。迷いし時の、せめてもの標としてどうぞ」

「あなた神父だったの?道理で清らかなオーラだと思ったわ」クランベリーに貰った栞の紐が、聖書の上部からチラリと出ていた。「ありがとう、大事にするわ」

『良かったわね、ちゃんと信仰活動ができて』

水鏡の奥からクスクスと笑い声が響いた。



「おい、起きろよ」

「ん……兄貴……?」

 縛られた兄弟は膝の上に乗った一枚のチラシを見た。

「クオル王国?へえ、今なら家がタダで優遇も付いてくるのか……」

「兄貴、最後の所!こんな低金利見た事無いぜ!?しかも一定以上は無金利だってよ!」

「――借金をこいつに替えれば、ひょっとしたら時間を掛ければ全部返せるかもしれんな。医療費の控除もあるから親父達の入院費も……!」

 男達は紙袋の下から歓声を上げた。




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