二章 戦人形
ずてっ!
「いった……」
「ははっ!鈍臭えな、ほら」スノボーの赤毛が手を掴んで引き起こす。
「おいミーカール!今いいショットなんだから少し待ってよ!」
「ああん、別にいいだろ?どうせまたすぐ転ぶんだから」
デジタルカメラを構えたスキーヤーは「それはそうだけど」不機嫌そうに言う。
二人の間に挟まれた白いスキーウェアのイスラフィールはストックを雪から上げ、そろそろとスキー板を平行にして滑り始め、
ずぼっ!「ほらな」
パシャッ!パシャッ!「いいねー」
「ウーリーエール。本当にその写真が大父神様への報告になるのですか?さっきから転ぶ所しか写していないのでは」
「なるよ。イスラが真面目に布教している証拠じゃないか。大父神様だって、こいつを見ればお考えを変えてジプルの後継にしてくれるよきっと」
「……分かりました。とにかく今は技術習得に専念します。満足に滑れないようでは人間達の信頼を得る事も困難でしょう」
よいしょっ。しゅー、ぽてっ。しゅーっ、どすっ。しゅーーっ、ぼすっ。
「馬鹿だねー」
「おいおい炊きつけた奴がんな事言ってていいのか?」
「だってねえ、ミーカールも分かってるだろ。あの人間達に宗教心なんて全然無いよ。ジプルならそれでもどうにか信仰はさせられるだろうけどさ、イスラには無理だよ。根が甘過ぎる」
「そりゃそうだ」げらげら。「大人しく水晶宮で人形共の面倒見てればいいんだよ。一種の任務放棄だぜこいつは」
「貴殿達もな」雪のように冷たい彼女の声。「任務を放り出して何をやっている?」
ソイスキー場は初心者用・中級者用・上級者用・超上級者用の四コース仕立て。勿論イスラが練習しているのは初心者用コース。既に入口から見える所まで降りて(転がって)いるので、まずはインストラクターには見えないこの二人組に話を聞く事に。他の皆はまだレンタルのスキー用品を選んでいる。――と、思い出した。この二人、翼を隠しているけれど四天使だ。水晶宮ですれ違った記憶がある。
赤髪の方がヒュゥ、と口笛を鳴らし、「何だお嬢様のお守りか。雪遊びでもしようってのか?」
「まぁな。それと大父神様から彼の件を任された」ウェアを着た腕を組み「お前には別の仕事があるはずだが?」
「ああ、何だったっけ?」
米神に筋を浮かべ無表情のまま、「宇宙の端の点検だ」デジカメ男に視線をやり、「貴殿もそうだったはずだが」
「二、三日じゃそう深刻な事態にはならないよ。一応測定機は起動中だ。何かあったら通知が来る設定にしてあるし、問題無い」
「だがそれはここで油を売っていい理由にはならん」
「……だってさ、心配なんだよ。イスラは僕等の同志だろ?万一ジプルみたいになったら、ねえミーカール」
「辛気臭え嘘吐くな。単に面白えコレクション増やしたいだけのくせに、このド変態」
女の深い溜息。
「大父神様に報告だな」
「ちょ!ミーカール、彼女君の物だろう?止めさせてくれよ」
赤髪は仏頂面でデジカメ天使に向き直り、「ヤダ、こいつ下手に刺激すっとずーっと不機嫌になんだよ。人形のくせに」頭をガシガシ掻き、「今日は随分饒舌じゃないか人形。いつも俺が話し掛けても一言二言しか喋らねえくせによ」
「お前がつまらない事しか言わないからだ」フン、そっぽを向く。
「そっちのお嬢の方が良いってのか?」
「少なくともお前よりは話が通じる」
「――後で覚えてろよ」デジカメの首根っこを掴む。「帰るぞ」
「ええっ?主人なのに何で人形相手に譲歩するのさ?」
「うっせー!口利く暇があったら自分で歩きやがれ!」
ずるずるずる………天使達は途中で青いスキーウェアの青年とすれ違う。
「おい小僧!俺達は急用ができた、後はお前が教えてやれ」
「は、はい。お二人共大変お世話になりました」
ラント・アメリアは敬礼し、すぐさま転んだままのイスラの所へ駆け寄る。
「順調に上達しているみたいですねイスラフィール様」
「そうでしょうか……?滑っては転んでばかりな気がしますが」
「でも起き上がり方を覚えたでしょう?それに滑る距離も少しずつ長くなっています」ロープウェイを指差し、「今度は本官と一緒に行きましょう。降りてくる頃にはもっと長く滑れるようになっていますよ」
「ええ、是非お願いします」
スキー板をパカパカさせながら二人はロープウェイ乗り場へ。幸いこちらには全く気付いていないようだ。
「あれが件の」
「四天使研究家のラント。親はどうしたんだろ?」
「クゥン」ラフ・コリーは毛が長く寒さに強い。雪の上でも平気でお座りしている。
彼女は顎に手を当て、「彼が一通り練習してから一緒に滑るつもりなのかもな。彼等が合流しての様子を見ない事には、現時点ではどうにも判断が付かぬ」と零した。
「あんな挑発的な事言って良かったの?」彼女にとって向こうは絶対的立場のはず。
「一発は喰らう覚悟だったが、あの天使が引き下がったのは予想外だ。腹の調子でも悪かったのかもしれん」
「後でとか言ってたよ?」
「ああ、それは問題無い。奴は物覚えが悪い、二日も顔を見なければケロリと忘れているだろう」
「ふぅん」嫌っているのかいないのか。「サボリの人達は退散したけど、どうしよっか。二人がもう一回降りてくるまでしばらく時間掛かりそうだし」
「ロープウェイが五分、あの調子で滑ってくるのに二十分……いや三十分は必要だな。確かにただここで待つのは退屈だ。――と、貴殿の仲間達、まだ出てきていないぞ?準備が出来たら店の前で待つ約束のはずだが」
「ん?」白銀の中目を凝らす。レンタル店の前に三人らしき姿は無い。「まだ選んでるのかな、しょうがない。ちょっと行ってくる」
「私も行こう」自分のスキー板と私の赤い一人用橇を担いで悠々と隣を歩く。ボビーが後ろをぽふぽふ跳ねる音。
ギィ……。
「成程な」いきなり聞き慣れた声がして少々驚く。
店は面積自体は広いが商品が嵩張る物ばかりなので、通路はすれ違うのも大変な程狭い。正面にウェアやゴーグルや靴。右手奥はスキーやスノボーが置いてあるのが見える。貸出品と言う事もありどれも多少塗装が剥げていた。
奥の通路を進む。藍色のウェアを着込んだベルイグ氏と、同じ年代の夫婦が橇のコーナーを見ながら話し込んでいた。
「では連れが遊んでいる間に、まず吾輩一人で練習してくるとしよう。時間を取らせて済まなかった」
「いいえー。私達でよければ何でも質問してきて下さいね。丁度同じ宿なんですしね、遠慮せずどうぞ」女性が朗らかに笑って応じる。
「そうか。ではまた夜に」
黄色い大人二人用橇を担いで貸出カウンターへ持って行こうとして、通路を空けた私達と目が合った。
「またお前か」ウンザリした表情。「今はシーズンだからな、お前みたいな澄ました子供でも遊びたくなって当然だ」
「おじさんもね」
フン、と鼻を鳴らされた。「吾輩は仕事だ。どこぞの暇な女王と一緒にするな」
「仕事を兼ねた家族サービスでしょ、素直にそう言えばいいのに」
「なっ!?」目をカッ、と開く。怖っ!
「早く練習して栗花落さんを乗せてあげなよ。おじさん運動苦手そうだからちゃんと転ばないようにしないとね」
「わ、分かっている!」ドスドスドス。「これを貸せ!何、また書類だと?面倒な、ウェアと書く事は一緒だろう……できたぞ!」ドスドス。
奥へ行くと、先程のベテランらしき夫婦は迷いもせずレンタル料の高いストックを手に取っていた。
「ごめんなさい。あのおじさんいつもああなの、邪魔だったでしょ?」
「いや、奥さん想いの良い旦那さんだよ。家も仲は良いけれど彼には負ける」
お人好しで助かった。多少カチンときてもおかしくない態度だったのだが。
「そう。迷惑じゃなかったならいいの。おじさんずぶの初心者だから、見かけたら色々アドバイスしてくれると助かるな」
「ああ。ところで君は一体」
「ただの知り合い。じゃあね」
店内に三人はいなかった。雪空の下に出て改めて辺りを見回す。
「二人はともかくアスまでいないなんて」彼は何があっても言いつけ通り待っているはずだ。余程の事があったに違いない。
「先に滑っているのかもしれんな。手分けして探してみるか?」女が提案してきた。「私はコースを順に滑って見てこよう。貴殿は下を回ってくれ。合流できなくても一時間後にここで待ち合わせる、どうだ?」
多分その労力は無駄になると思いつつ、私は素直に頭を下げた。
「ごめんね、手間掛けて」
「別に謝る事ではない。これも任務の内だ」
ロープウェイの方に行こうとする彼女を「待って」と引き留める。
「あなたの名前訊くの忘れてた」
「……無い。あの天使が失念していたらしくてな。一番多い呼び名は……人形、だったか。何とでも貴殿の好きなように呼べばいい」
どうしてその時この名前が出たのかは分からない。彼と彼女は似ても似つかないのに。
エレミアの端。街に向かって置かれたカンバス、その前で鉛筆を持つ青い髪の彼。
『写生中?』
偶然通り掛かった私が尋ねると、『ええ』
『風景の記憶だけでも新しい宇宙に持って行こうと思って。こうやって描いておけばまず忘れません』
絵は寸分違わず目の前の光景を写している。それでもどこか写真と異なるのは、描いた本人が温かい魂を持った機械だからだろう。
『クランベリーさん』
『ん?』
『僕、生まれ変わったら人間になってみたいんです。両親に囲まれて少しずつ大きくなって……この身体だと身長も体重もずっと同じで、小さい頃の思い出もありませんから。憧れ、ですねこれって』
『そうだね』
幼い頃の孤児院の良い思い出は私の場合そう多くない。活発に走り回る他の子達と比べて醒めていた私が先生の心配の種だったのは知っている。健康なのに何度も病院へ連れて行かれたのは、精神の異常を疑っていたのだろう。子供らしくない子供を大人が厭うのは物心付いた時から知っていたので、時々自分でも白々しい程甘えたりおねだりしたり。そんな下手な演技でも見破っていたのは血の繋がった兄唯一人だった。
『クラン、無理するなよ。クランはクランのままでいいから』
お兄ちゃんは知らないの?皆は無意識にずっと演技してるよ。おかしかったら追い出されるでしょ、だから死に物狂いで。お兄ちゃんは特にね―――そんな反論は当然せず、ただ微笑んで頷いただけだったけど。兄は人の言う事をよく聞く模範生だ。真実を知ったらそれこそ気が狂って、大人達に虚無の闇へ突き落とされてしまいかねない。
『人間になったらクランベリーさんみたいな妹か、―――さんのようなお兄さんが欲しいです。で、―――さんやディーさんは幼馴染の友達で』
『私を、妹に?』何考えてるか分からない、こんな不気味な子供を?
『ええ。クランベリーさんみたいな賢くて笑顔の可愛い妹なら大歓迎です。僕、新しい宇宙に行ってもどこか抜けてしまう気がするので、しっかりした兄弟姉妹がいてくれたらとても助かります』
『そっちが弟じゃなくて?』
くすっ、彼が笑った。
『その発想はありませんでした。そうだ』
カンバス上の鉛筆が動き始める。大胆な筆捌きで精確に描かれる毎朝見る顔と、もこもこ長い毛。
『こうしておけば今日クランベリーさんとボビーに会った事、絶対忘れません。エレミアでの大事な思い出がまた一つ増えました』
その絵描き人形の名を告げると、彼女は首を傾げた。
「それは男性の名前ではないのか?まあ私など、女に見えぬぐらい筋肉質だが」ふっ、と微笑む。「構わん。貴殿にとっては大事な者の名なのだろう?喜んで預かっておくとしよう」
「ありがと」
本官宗教は苦手です、ラントはきっぱりそう言った。
「は?」
唐突過ぎて話の繋がりが見えない。
「ああ、済みません。ちょっと昨日の事を思い出しまして」
二週半の練習でどうにか転ばなくなり、そろそろ両親も選び終わっている頃です、次は一緒に滑れますね、と喜んだ次の発言が先の物。
「イスラフィール様は勿論大父神様以外を信仰していませんよね?」
「はぁ、ええまぁ。この宇宙に主は御一人ですから」
「ですよね」彼は満足気に頷いた。
「人間が主以外の物を信仰するのは知っていますよ。精霊や祖霊を敬い五穀豊穣を願う、あなたが苦手なのはそう言った物ですか?」
「いいえそれは全然構いません。害が無いですから」
「害?」信心がか?
冷気でやや青くなった唇を強く噛み締めて、現人神らしいんですよ、と零す。
「あらひとがみ、ですか?」
「最近“白の星”を中心に信者を集めている、夜来教と言うんですが……何でも御布施さえすれば、どんな願いでも必ず叶うと謳っているのです。そこの教祖は人間で、自分は大父神様より強い力を持っていると吹聴しているそうです」
「人間が?」まさか指輪を……?いや、この宇宙に指輪は一つ。外界から入り込んだなら主が気付かないはずがない。「本当に願いを叶えるんですか、その人間は?」
「叶ったと言う人がいるんです、それも何人も」ストックを持ったまま拳を強く握り、吐き捨てるように言った。「でなければ信者が増え続けている訳ありません。でもおかしいんですどう考えても。突然多額の借金を一括返済できる当てができたり、それまで全然女性にモテた事の無い人間が美女三人から同時に告白されたり、離婚寸前の夫婦がひょんなきっかけでよりを戻したり……最後のは本人達の努力でどうにかできる問題な気もしますが、絶対変ですよ。詐欺の臭いがプンプンします!」
神以外を信仰されるのは確かに余り良い気分ではない。しかし人間の彼が自分以上に怒り狂うのは意外だった。
「あなたも勧誘されたのですか、その夜来教に?」
「ええ、昨日裁判所の先輩から!全く、何が聖書オタクの君にも可愛い彼女ができるから入会しろだ!本官は」頬を少し赤くしながら、「イスラフィール様と、こうして信仰の事を語り合えるだけで充分なのに……」
神を騙る者、異教徒か……ミーカールとウーリーエールは、間の悪い事に先程急用で帰ってしまったらしい。私がいない分の任務の皺寄せだろう。神に頼んで呼び戻してもらうべきか?いやしかし情報が少な過ぎる現状で二人が来ても……そこで閃いた。
(ラントは信仰者。信仰者を異教徒から保護するのは)私の役目、そうだ。
「その話、もう少し詳しく教えて下さい。夜来教の教祖はどこの誰なのです?」
「それが、集会の時にはいつも覆面を着けているらしくて、演説は男とも女ともつかない不思議な声だそうです。恐らく変声の魔術でしょう、魔力さえあれば割と誰にでも使えますし」若き信仰者は目を輝かせ、「イスラフィール様が調査なされるなら本官、幾らでも協力します!何から調べますか?」
「そうですね、矢張り」まずは教祖の素性を、と続けようとした時、
「二人共探した!イスラさん、滑れるようになりました!?」
上方からの大声。入口で別れたラントの母親が、慣れた動作で私達の間に滑り込んで停止する。明るい赤のスキー板と毛糸の帽子は色を合わせて買ったと、宇宙船の中で自慢していた。
「ええ、何とか転ばないようにはなりました」
母親は満面の笑みを浮かべ、「それは良かったわ。あら、従兄弟のお二人は?」
「彼等は仕事があって先程帰りました」
「まあ、折角ランチを御馳走しようと思ったのに。ここのレストラン美味しいのよ、イスラさん楽しみにしていてね」
「はい」
私に味の良し悪しは判らないが、食事をしながらの歓談も布教活動には必要だろう。
「母さん、父さんは?」
「先に上級者コースで滑っているわ。中級を三人で一回滑ってから行きましょ」
三人はこのスキー場の常連客、普段は上級と超上級を行ったり来たりしているらしい。今日は初心者の私のためにわざわざ時間を割いてくれたのだ。
「相変わらずマイペースだな」
「今日はストックがレンタルだから、早く感覚掴んでおきたいんでしょ?お父さんああ見えて繊細だから」
「父さんが自分の道具を忘れるなんて珍しい。うっかりなんて滅多にしない人なのにな」
「最近色々忙しいから。じゃ、行きましょうか」
ロープウェイ乗り場まで三人で滑走を始める。二人は私の鈍いペースに合わせて並走し、母親は「凄い、上達している」と大層褒めた。
近くで滑りを止め、板ごと脚を上げて歩く。不意に、白銀の大地の上の人影に視線が合う。
(あれは……まさか、クランベリー?)
かなり遠目で顔の判別が付かないが、彼女に似た金髪の少女がコリーを連れて入口の辺りをウロウロしていた。
(まさか。幾らクオルから近いとは言え、彼女が普通にスポーツに勤しむなんて)
主は任務の間代理を立てると仰っていたが、今更ながら同情を禁じ得なかった。あの少女とは思えぬ者を相手するのは、慣れた私でさえ疲労を覚えると言うのに。
「どうしたのイスラさん?」
「あ、いえ。知り合いに似た少女がそこを」
指差した先、既にその姿は掻き消えていた。
「クランベリー様……?」
呼ばれて軽く驚く。そうか、彼女がいたか。
私の腰まである雪達磨を座位で作っていた栗花落さんは、瞼を閉じたまま顔を上げた。転がさず雪をその都度くっつける手法だが、中々バランス良く仕上がっている。
「良く出来てるね」
「ふふ、ありがとうございます」
「ねえ、皆がここを通らなかった?探してるの」
途端、彼女は困った表情をして「いいえ。あの、クランベリー様こそ那美さんを見かけませんでしたか?」逆に尋ねてきた。
「栗花落さんもはぐれたの?」
「はい。那美さんがトイレに行かれて、一人の時に宿の御主人に声を掛けられて向こうの喫茶店でお茶を頂いたのです……戻って来ても、那美さんまだ帰っていらっしゃらなくて。私を心配なさって探しに行かれたのなら、ここで待っていれば何れお戻りになられるかと」
「帰ってきてどれぐらい?」
「多分三十分は……お茶を頂く前からだと一時間ぐらいでしょうか」
この場所はレンタル店の真裏。時間的にも丁度だな。
「恐らくだけど那美、三人にあなたを探してくれるよう頼んだんだと思う」
「まあ!でも、だとすると変ですね。四人共まだ一度もこちらに戻られていない、と言うのは。私はコースを滑れませんし、不慣れな所で歩くにも時間が掛かります。探す場所は自ずと限られてくるはずですが……」
レンタル店、二つの喫茶店、入口チケット売り場。あと歩いて行けそうなのはロープウェイ乗り場ぐらいか。でも、ベルイグ氏が練習中の現時点では栗花落さんは回数券を持っていないはず。
「栗花落さん、ロープウェイの券は貰ってる?」
「いいえ、私達の分は旦那様が全てお持ちになっています」ほらね。大体スキーもボードも持たず盲いた彼女が乗ろうとすれば係員が止めるだろう。
不安そうに俯く彼女に「大丈夫」と声を掛けた。
「栗花落さんはここで待機してて。おじさんや皆が帰ってきて誰もいないと困るし。皆は私と連れの女の人が探してくる。会ったらここに来るよう伝えておくよ」実現する可能性は限り無く低いが、敢えて真実を口にして彼女を困らせる必要も無い。
栗花落さんは頭を深く下げ、「よろしくお願いしますクランベリー様。私、何だか嫌な予感が致します」
相変わらず勘が良い人だ。あんな駄目中年には勿体無過ぎる。
「気のせいだよ。じゃ、行ってきます」
「クゥン」尻尾をフリフリ。
「行ってらっしゃいませ」