第6話
ジェスが戻ってきたのは陽が暮れかかってる頃だった。
誰かと一緒にいるのか、ジェス以外の男の人の声が聞こえる。
迎えに出るべきか悩んでいるとジェスが家に入ってきた。
「お帰りなさい」
「……ただいま」
「誰か来てるの?」
「ええ、馬を売ってくれる人なんです」
マントを脱がないでジェスは部屋の中を歩き回り、あっちこちの引き出しを開けては何かを出していく。
「何してるの?」
「しばらくここを離れますからね。食材や日持ちのしないものなんかを引き取ってもらうんですよ」
そっと窓から下を覗くと、馬らしい4本足の生き物が2匹と、その手綱を持つ中年の男の人が立っていた。
あの人が引き取ってくれる人なんだろう。
何か、そわそわしているように見える。
「ワカナ」
「え?」
「窓から顔を出さないように注意してください。結界から出ると姿が見えます」
「……」
この家に結界なんて張っているんだ……。
ジェスはあの男性に私の姿を見られたくないのだろう。
私はジェスの言葉に素直に従った。
ジェスは2回ほど行き来して荷物を運び出す。
何となくなだけど運び出す荷物が多いような気がする。
私の我侭に付き合う為にジェスにはどれだけ迷惑をかけるのだろうか?
一人で行くと言える勇気は今の私にはない。
迷惑でもジェスに面倒を見てもらわなければ私は何も出来ないのだ。
私はジェスの望んでいることすら叶えてあげられない。
なんて不公平な関係なんだろう……。
ジェスは全てを運び出したらしく、小さな袋を持って戻ってきた。
小さいわりに重そうで、袋の布が張っている。
たぶんお金なんだろう。
「お待たせしました。これで準備は殆ど終わりです。明日は出発しますから早めに休んでくださいね」
「……あの」
何か言いたいのに言葉が浮かばない。
ありがとうと言いたいけれど、それだけじゃ申し訳なかった。
そんな私にジェスは優しく微笑む。
「話には色々聞いていますが、私は生まれてからこの森から出たことがないのでとても楽しみです」
ジェスの優しい言葉が胸に痛みを生む。
私の気持ちを気遣っての言葉だということはわかっている。
言わせているのは私なのだ。
「……そうだね。私も知らないことばかりだから楽しみ」
「施設まではかなりの距離がありますから、たくさん楽しみましょうね」
「うん」
私はジェスの優しさに甘えていた。
何も知らないということがどれほど危険なことが理解出来てなかったのだ。
私の無知がジェスを殺すことになるなんて、この時の私は何もわかっていなかった……。
次の日、早速出発した。
馬は1頭しかおらず、私が馬に乗せてもらってジェスが手綱を引きながら歩く。
私だけ馬に乗るのは申し訳なくて遠慮したんだけど、歩きなれない私が歩いてもすぐにバテてしまうということで馬に乗せてもらうことになった。
天気も良く、気候も温暖。
それなのにジェスは昨日のフード付きのマントだけじゃなく、何枚も重ねて着ているせいでジェスの顔が殆ど見えない。
「暑くないの?」
「暑いですよ。ですが私の容姿が見えると大変ですから」
ナルシストかと思うような言葉に適当に返事しようとしてあることに気づいた。
確かに、誰だってジェスを見たら見とれるだろう。
それほどジェスの容姿の美しさは半端じゃない。
あんまり考えたくないけど、ジェスの美しさを独り占めしたいと思う輩がいないとも限らない。
またジェスを観賞用の商品になると目をつける犯罪者もいるかもしれない。
そう考えるとジェスが自分の容姿を隠すのも頷ける。
「肌くらい見えても大丈夫じゃないかな? 暑くて倒れないか心配だし」
「フードをかぶっているのに他の肌を見せるのは不自然です。暑かったらちゃんと休ませてもらうので大丈夫ですよ」
申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
フードのせいで顔半分が見えない。
ジェスの表情は見えなくても、きっといつものように優しい笑みを浮かべているのだろう。
他愛もない話を続けながら、陽が暮れるまでには小さな町に入り宿を取った。
部屋はちゃんと2つ。
小さな町だからなのかもしれないけれど、すれ違う人の中に、エルフの姿は見かけなかった。
ジェスにエルフは人のいる場所に出てこないのかと聞いてみたが、そんなことはないらしい。
大きな街に行けば、エルフが住んでいると聞いたと教えてくれた。
宿の下は食堂になっており、夕食はそこで食べるのかと思ったけれど、ジェスは食事を部屋に運ばせた。
食事くらいはマントを脱いでゆっくり摂りたいらしい。
一人では寂しいからと、私もジェスの部屋で一緒に夕食を食べている。
食事だけど、見た目は素朴な家庭料理って感じなのに味はすごく濃い。
無性に喉が渇く。
「濃いですか?」
「う、うん」
「ふふ……。確かに濃すぎますね。話に聞いてはいましたが、これほど濃い味付けだとは私も思いませんでした」
くすくすと笑いながら、ジェスは料理をつっついている。
「……小さな町なのに意外と活気があるんですね。こんなにたくさん人がいるのが不思議です」
部屋から窓の外を見下ろすジェスはとても楽しそうだ。
「森から出たことないって言ってたけど、人間とは関わりがあったんでしょ?」
「ええ、アンネは呪術の道具や薬を作っては近くの村の人に売っていましたから……。昨日来た人もその一人です」
「じゃあ、お金を作るって言ってたけど、昨日の人にそういうのも売った?」
「ええ、薬など置いておいても仕方ないですしね」
ジェスは自分の物を売ってまでお金を作って私を施設まで送ってくれている。
どうしてこんなに良くしてくれるのかと、つい考えてしまう。
愚かしい記憶が甦る。
今までは何の疑問もなく人の好意だと思ってきたものを素直に感受してきた。
その結果がどうなった?
人は見返りがなければ何もしない。
ジェスも私に何か求めているんだろう。
言われて差し出せるものならいいのだけれど……。
私はジェスに良くしてもらいながら、心を許すことが出来なかった。
(2011/10/13修正)