第36話
「ワカナー、そっち終わった?」
「うん!」
「じゃあ、休憩行こう」
宛がわれた場所の掃除が終わり、片付けている最中のこと。
同じメイド仲間のフィレンジュに声をかけられた。
彼女は同室のメイド仲間だ。
フィレンジュは気さくでさっぱりとした性格をしており、彼女とはすぐに仲良くなれた。
私と同じ黒髪で、ウェーブのかかったロング。
堀の深い顔立ち。
青い瞳が印象的な美人さんだ。
彼女が雑巾とバケツを持ってこっちに来る。
メイドの休憩室はけっこう広くて、私のイメージに照らし合わせると、ちょっとしたお金持ちのサロンって感じだ。
意外と豪華な室内はとてもメイド専用の休憩室には見えない。
それだけ城内が広く、メイドの数がいるってことなんだけど。
私とフィレンジュが窓側のテーブルにつくと、隣のテーブルから焼き菓子が回ってくる。
クッキーみたいなお菓子で、真ん中に甘いジャムのようなものがついていた。
「ねね、さっき、精霊騎士団の人たちが訓練してたの見かけたんだけど、丁度訓練が終わったみたいで、ジェスディラッド様とすれ違っちゃった!」
「うそ! うらやましい!」
少し離れたテーブルからそんな話が聞こえてきて、聞き覚えのある名前に気づく。
ジェスディラッド様?
誰だっけ?
そこまで考えて、その名前がジェスのことだとすぐに思い出す。
何度聞いても慣れない名前。
ずっとジェスと呼んでいたから、ちゃんとした名前で聞くとなんだか違和感を感じてしまう。
ジェスは城内のメイド達に人気がある。
エルフとしての容姿の美しさよりも、銀の髪に褐色の肌というエキゾチックな外見に合わない温和で静かな雰囲気が魅力らしい。
何人かのメイドの子がジェスにそれとなくアプローチしていると噂で聞いたことがある。
「ラブラリ領主のトレーシア様っているじゃない?」
「ああ、自分を美姫だと自画自賛してる人ね」
「この間、あの方がジェスディラッド様に迫ってすげなくされたとこ、私見たの」
「当たり前よ。トレーシア様程度の容貌ならどこにでもいるじゃない。それにジェスディラッド様の方がずっと美しいじゃないの。見向きされるわけがないじゃない」
「そうよね~」
2人の話が聞こえて、思わず姿勢を良くする。
女の噂話は怖いものだ。
厳しい審査にクリアー出来ないとズタボロに言われてしまう。
私がジェスと仲がいいことは誰も知らない。
知られていたら嫌味の1つは言われているかもしれなかった。
それほど、最近ジェスの人気は高くなっている。
「ワカナもジェスディラッド様が気になるの?」
「え?」
フィレンジュにいきなりそんなことを聞かれて、視線をフィレンジュに戻す。
「実は私もジェスディラッド様が気になっているの」
衝撃的な告白に、一瞬私の思考が止まる。
フィレンジュはメイドなんてしているが、かなり良家のお嬢様らしい。
一般的にメイドは2種類に分類される。
フィレンジュのように良家の娘が見習いとしてなるとか、または後ろ盾が保障されている人とかがなる上級メイド。
一般市民が仕事を認められて下働きから上がってくる現場たたき上げメイド。
仕事の内容が2つに別けられている為、メイドもわけられているらしい。
ちなみに私はアンリの後ろ盾があるので、フィレンジュと同じ部類になる。
「フィ、フィレンジュはジェス……ディラッド様のどこが気になるの?」
「どこがって……。バルト国の王に無理やり言われて戦争に参加していただけで、うちの王様の暗殺を阻止したらしいし。王の覚えもめでたく、精霊騎士団に所属もしている。収入も将来も安定しているし容姿も申し分なく美しく性格もいい。これほど好条件の結婚相手はなかなかいないもの」
「そ、そうなんだ」
フィレンジュから聞かされた話を聞いて、さらに困惑してしまう。
改めて考えてみれば、確かにジェスには何も問題はない。
およそ欠点らしい欠点もないし、フィレンジュの言う通りジェスより上の条件の人を探す方が大変だと思う。
「噂だけど、ジェスディラッド様には想い人がいて、誰にもなびかないのはそのせいだって聞いたわ」
残念そうに話すフィレンジュの言葉に心臓が大きく鼓動する。
一度だけジェスからプロポーズされたことがあるけれど、それは出会ってすぐのこと。
それから数回告白のようなものを聞いたことがあるけれど、それも出会って最初の頃のことで、それからは何も言われていない。
神の森に一人で住んで、人との接触が殆どなかったジェスの気持ちが、どこまで本気なのかわからないから今まで考えないようにしてきたけれど。
ここに来てからジェスはたくさんの人と接触するようになった。
今のジェスの気持ちはどうなのだろうか?
ジェスのことを恋愛対象として見ていないくせに気になるなんて、私って勝手だ。
そんな身勝手な自分に少しだけ落ち込む。
「興味があっても、ジェスディラッド様は騎士団寮からめったに出られないし、知り合えなくては進展もしないのだけれどね」
そう言って笑うフィレンジュは私のことをどこかの良家の娘だと思っている。
字が書けないのも辺境の出だからだと勘違いしているらしい。
私の後ろ盾がアンリであることも、ジェスと知り合いなことも誰も知らなかった。
最初に誰にも余計なことを言わないように言われていたので、フィレンジにもあまり話していないのだ。
私はそれから少しだけフィレンジュと話をすると、休憩室を後にした。
スカートのポケットにはジェスへの手紙が入っている。
今日はアンリにジェスへ手紙を渡してもらう約束になっているのだ。
メイドの中でもごく一部しか立ち入りを許されない蒼の回廊に入る。
この回廊の最奥には王の部屋があるからだ。
アンリの部屋はこの回廊の並びにあるのだ。
ジェスもいずれ、このどこかに部屋をもらうことになっているらしい。
アンリの部屋はかなり豪華で広い部屋だ。
フィレンジュと一緒の部屋は狭くはないが、質素すぎて寂しい感じがする。
個室じゃないので部屋を飾ったりも出来ない為、個室ってことがちょっと羨ましい。
アンリの部屋の前で立ち止まり、ドアをノックする。
すぐにアンリの返事があり、ドアが開いた。
「いらっしゃい」
いつものように愛想のいいアンリが顔を出す。
今日は休憩中に渡しに来たのでアンリと話す時間はない。
アンリもそれは知っているので、手にはジェスからの手紙を持っていた。
「こっちが昨日預かったやつね」
「ありがとう」
手紙を受け取り、代わりに自分の持っていたのをアンリに渡す。
「はい、確かにお預かりしました。今日の手紙は短いみたいだから、代わりに読まなくても大丈夫みたい」
「うん、わかった」
「あ、ワカナ、ちょっと待って!」
アンリが私を引きとめる。
いったん部屋に引っ込むとアンリはすぐに戻ってきた。
「手出して?」
「手?」
素直に言われたまま右手をアンリの前に出す。
アンリは嬉しそうに笑って私の手を取ると、私の腕に何かをつけた。
「腕輪?」
「そう、覚えてない? ワカナが言ったじゃない」
「私が?」
「うん、傷を見るたび憎むなら、腕輪でもつけたら?って」
そう言われて、自分がアンリに何を言ったのか思い出す。
見ればアンリの腕に同じものがついていた。
でも、私が言ったのは好きな人とおそろいでつけたらと言ったはずだ。
それなのになぜ私とおそろいなのだろうか?
「どうして私とおそろいなの?」
「そりゃ、僕がワカナが好きだからだよ」
まるで冗談のようにさらっと言うアンリを戸惑いつつも見つめる。
とても真剣な愛の告白には感じられない。
まあ、冗談を言うのがアンリなのだけど。
「……異性として私のこと好きじゃないよね?」
「いや、好きだよ」
「……」
「友達以上、恋人にしたい未満の好きだけどね」
そう説明されて納得してしまう。
アンリとは仲良くなれたけど、恋愛感情に発展するほど仲良くもない。
「僕は恋人関係を望みたいけど、ワカナは僕にそういう感情は湧かないでしょ? だから気持ちをセーブしてる」
私の手をアンリがぎゅっと握った。
「僕もジェスも同情や錯覚の恋は欲しくない。ワカナには自分で心から望んで欲しいんだ。恋を、僕達を」
突然真剣な表情でアンリに言われ、なんとなく後ろに下がろうとしたのに、掴まれた腕を引っ張られてそれが出来ない。
「恋に傷つくのは辛い。でも、勇気を出せば何度でも恋の幸せは手にいれられる。愛する喜びを、愛される喜びを君は知ってる。忘れられるはずがない。ワカナは一生独身ですごすつもりじゃないよね? だったら次の恋をしようよ?」
私はアンリの手から自分の腕を引き抜く。
しようと言われて恋が出来るならどんなにいいか。
頑固な私の気持ちは何時になったら解けるのだろうか?
「……私にはまだ時間が必要なの」
「ワカナ……」
「それに私は元の世界に帰りたい。アンリの気持ちは嬉しいけど、ここで恋愛したら帰れなくなってしまうでしょ? だから恋はしない」
それだけ言って、身を翻す。
元の世界を捨てることなんて出来ない。
ここで生きていくことは出来ない。
だから、ここの世界の人は好きにならないの。
走っているからか、胸がひどく苦しかった……。