第28話
一頭の馬に乗って砦を出たのはたぶんお昼くらいだったと思う。
三日後の暗殺計画に合わせて王都へ向かっていた。
王都へは馬で2日。
時間の猶予は少ししかない。
馬の移動は楽そうに思っていたけれど、実際は全然楽じゃなかった。
普通に座っているとすぐにお尻が痛くなる。
馬の振動に自分の体合わせなければならなくって、長時間の移動は辛い。
アンリは鞍の上にクッションのようなものを置いてくれたし、強行突破するって言ってたのに、時々、歩かせてもくれた。
それだけでもずいぶんと違う。
お互いに名前を名乗り、少しだけ話をした。
アンリの気安さに救われる。
「ウルベルムの母親と僕の母親が姉妹なんだよ」
「へー、従兄弟だからそんなに似てるのね。双子かと思った」
「ワカナの名前って少し変わってるよね。ニホン国出身だって言ってたけど、それってどこにあるの?」
「あ……」
自分がアンリに本当のことを言っていたことを思い出し、一瞬戸惑う。
ジェスは召還魔法自体は珍しくはないって言っていた。
でも、本当のことを話してしまっても大丈夫なのだろうか?
「召還魔法って、アンリにも出来る?」
「うん、出来るよ。……って、もしかして、ワカナ、召還されたとか?」
「……」
すぐに私の言いたいことがわかったらしい。
アンリの表情が曇る。
「召還は魔力が高ければ誰にでも出来る簡単な魔法なんだよ。だから異世界の者をどんどん召還し様々な知識と文化を調べた。でも100年ぐらい前、ある男がカガクと言う力を使って2つの国を消滅させたことによってあっちこっちで召還された者が殺された。それからは召還することを禁止されてる」
「え?」
「召還魔法を執行した者は一生王の奴隷となるかそれ相応の罰を受ける。どのみち、一生自由はない。バルト国がなくなった今、ジェスの王はうちの王様ってことになる。これじゃ命は助けられても自由にすることは出来ないね」
話がとんでもない方向に進み出して慌てて止める。
「ちょっと待って! ジェスは違うの」
「違う?」
「うん、誰に召還されたのかわからなくて、倒れていたところをジェスに助けてもらったんだよ。南にあるエジルオン国に安全な保護施設があるって言うからそこに送ってもらう途中で兵に捕まっちゃって……」
「召還者が誰かわからない? そんなはずはないよ。召還された者は召還者の所に召還される。ジェスがそばにいたのなら召還者は彼しかいない」
「え?」
アンリの言葉に頭の中が真っ白になる。
見晴らしのいい草原の真ん中で倒れていた私。
そのそばにいたジェス……。
あそこにはジェスしかいなかった。
「そんなはず……ないよ……。だってジェスはわからないって……、わからないって言った」
「嘘をついたんだろうね」
一番聞きたくなかった言葉が私の心に鋭く突き刺さる。
嘘に散々傷ついてきて、ジェスだけは……、ジェスだけは信じられると思ったのに……。
……ううん、まだ嘘だって決まったわけじゃない。
私のことを命をかけて守ってくれたジェスが召還者なわけないもの。
まして、発覚すれば一生の自由と引き換えになるのなら、ジェスがそんな愚かなことをするわけがない。
ジェスに聞けばすべてがわかるはず。
それまでは、ジェスを信じていたい……。
「私、ジェスのこと信じたいって思ってる。……だからジェスが違うと言うならそれを信じるよ」
「そう……」
私の言葉になぜかアンリが嬉しそうに笑う。
「普通、僕たちエルフは精霊を執行出来ることは知ってる? 君達が基地から出たっていうのを風の精霊が教えてくれてね。ウルベルムの反対を押し切って彼を探したのは僕の意思なんだ」
「そんな……。そんなにジェスが憎かったの?」
「まさか。捕まれば処刑されることはわかっていたけれど、それでも彼を一目見たかった」
「どうして?」
私の言葉にアンリが少し寂しそうに笑う。
「彼が僕の血族だから……」
「え?」
一瞬、アンリの言葉が理解出来なかった。
アンリはハイエルフで、ウルベルムとは従兄弟。
そのアンリがどうしてジェスと繋がるのだろう。
「僕の祖母の妹がジェスの祖母なんだよ」
こんな所で、こんな繋がりがあったなんて誰が予想しただろうか。
その後、アンリはジェスの母親がジェスを生んでしばらくして亡くなった事、娘を失ったジェスのお祖母さんがジェスを探していたことを話してくれた。
「確かにダークエルフとの間に出来たということで、村はジェスを歓迎しないとは思うよ。それでも一族に連なる者を見捨てたりはしない」
「ならどうしてジェスは1人だったの?」
「長の判断だよ。村に置くより魔術師の女に任せておいた方が、ジェスが真っ直ぐに育つと判断されたって聞いてる。女が亡くなった頃にはもう村に入れても馴染めないと判断したらしい」
魔術師の女とはアンネローゼさんのことだろう。
話に聞いていた話より、ずっとジェスが大切にされていたことがわかる。
「戦場にハイエルフとダークエルフの特徴を持つエルフが現れたと王に聞いて、僕はすぐにそれがジェスだとわかった。だから僕も戦場に出たんだ」
そこまで言うとアンリは一度口を閉じ視線を遠くへやる。
「戦場に出た彼を僕は殺すつもりだったんだよ……」
衝撃的な告白に私の息が止まった。
死ぬ寸前だったジェスの姿が脳裏に浮かぶ。
ああなったのはアンリのせい?
「もしかして、あの火傷はアンリがやったの?」
「うん、そう。ウルベルムに頼んで手伝ってもらった」
なんてことないような軽さで答えるアンリに体が震える。
アンリがジェスを殺すところだったのだ。
「僕はね、オーガスト王が大嫌いなんだ。だからその王に利用されるなんて許せないんだよ」
「……」
「うちの王様ってさ。代々すっごく気さくな人なの。だから僕たちハイエルフ族ともうまくやってて、僕たち一族は王都への出入りを許されてたの。今の王とは小さい時から友達だったから勝手に王宮に出入りしてたんだよね。その時、オーガスト王に会ったんだ。ヤツは俺の妹を誘拐しようとした」
「え?」
聞かされた内容に驚いてしまう。
あの王がアンリの妹を誘拐?
「国を出る寸前で前の王が妹を取り返してくれたんだけど、ヤツは妹がまだ幼かったから、連れて帰ってある程度の年齢になったら愛人にするつもりだったらしい。前王に妹をよこさないと物資の支給を止めると脅してきたんだ。国はすでに他の国との貿易が盛んになっていてバルト国の物資がなくとも問題はなかったから、前王はその要求を跳ね除けた」
アンリは左腕の袖を捲くる。
そこには痛々しく引き攣れた大きな傷が残っていた。
「僕はこの傷を見るたび、ヤツが僕に剣を振り降ろし、泣き叫ぶ妹を殴って無理やり連れていくところを思い出すんだ」
その傷跡をアンリはひどく暗い笑みを浮かべて手でさする。
「僕がこの手で殺せれば良かったのにな……。処刑なんて慈悲をやる必要なんてなかったのに」
「……」
アンリのバルト国王への憎しみの強さが伝わってくる。
誰かが誰かを憎む。
そんなことは無意味だ。
自分が恋人だった彼を恨んでいるからわかる。
恨んだって憎んだって、何も起こらないし、何も生み出さないのだ。
私はその傷にそっと触れる。
「もう王はいない……。憎むべき対象がいないんでしょ? なら今度は誰かを愛してみたら?」
「どういうこと?」
「だから、今まで誰かを憎んでいたなら、今度は逆に誰かを愛してみたら?って言ったの」
「愛する?」
「うん、誰かを愛してアンリが幸せになれるといいね」
憎むより、恨むより、愛せる方が幸せだ。
それを私が一番わかっている。
恨んでいたくはない。
憎んでいたくはない。
誰だって幸せでいたいはずだ。
「もし、愛する人が出来て幸せになれたら、その腕に恋人とお揃いの腕輪とかつけたらどうかな? 傷を見るたび憎んできたなら、その時は腕輪を見るたび幸せを思い出すといいよ」
私の提案に驚いていたアンリだったけど、まるで蕾がほころぶようにゆっくりと優しい笑顔になっていく。
暗い笑顔が払拭されたことにほっとする。
「そっか……、幸せを思い出すか……。それなら何度でも幸せになれそうだね」
「うん」
幸せになることが難しいから、せめてみんなが少しでも幸せになれるように願いたい。
……私もいつかまた誰かを愛して幸せになれるのだろうか?