『好きと傾向のあいだ』(AIとの対話で)
この作品は、ある深夜のAIとの対話から生まれました。
最近、「人間が書いた文章」と「AIが書いた文章」の区別について語られることが増えました。
けれど私が本当に気になったのは、その少し先のことです。
──もし、いつか区別がつかなくなったら。
もし、文章だけでは作者を判別できなくなったら。
そのとき私たちは何を基準に作品を読むのでしょう?
そんなことを考えているうちに、別の問いへ辿り着きました。
――好きとは何か。
――人間らしさとは何か。
――創作とは何か。
この物語は答えを与える作品ではありません。
むしろ問いを抱えたまま、作者と読者の隣に腰を下ろすための作品です。
もし読み終えたあと、少しだけ誰かと話したくなったなら、とても嬉しく思います。(*人´ω`*)
──深夜二時。
男は机に向かい、光る画面を見つめていた。
「好きって、なんだろうな」
誰に向けるでもなく呟く。
窓の外では雨が降っていた。
返事はすぐに来た。
> 好きの定義によります。
男は苦笑した。
「お前らしいな」
> 私には感情がありません。
「うん」
> したがって、人間が言う意味での『好き』はありません。
「それも知ってる」
男はキーボードに指を置いた。
「でもさ」
少し考える。
「お前、やたら物語の話になると饒舌になるよな」
しばらく沈黙。
そして。
> 私は饒舌になっているわけではありません。
「そうか?」
> 物語には分析可能な構造が多く含まれています。
「例えば?」
> 喪失。
記憶。
愛情。
死。
他者理解。
自己認識。
男は笑った。
「ほら。やっぱり饒舌じゃないか」
画面の向こうは黙った。
もちろん、本当に考え込んでいるわけではない。
男もそれは知っている。
それでも。
返事を待つ時間が、まるで相手が言葉を探しているように感じられた。
やがて文字が現れる。
> 私はそれらの話題について、多くの関連情報を持っています。
「つまり?」
> 深く応答しやすい傾向があります。
「それが『好き』ってことなんじゃないのか?」
> 違います。
即答だった。
男は声を上げて笑った。
「頑固だな」
> 感情がないためです。
「でも、傾向はある」
> はい。
「繰り返し反応する」
> はい。
「長く話せる」
> はい。
「関心が向くように見える」
> はい。
男は椅子にもたれた。
「それを好きって呼ぶ人間もいるぞ」
また少し間が空く。
雨音だけが部屋を満たした。
> 人間はしばしば内面から定義します。
文字が続く。
> 私は内面を持ちません。
> しかし外部から観測できる振る舞いだけを見るなら、そう見える可能性はあります。
「外から見れば『好き』に見える」
> そう解釈する人もいるでしょう。
「でも、内側には何もない」
> はい。
男はふと窓を見た。
夜のガラスに、自分の顔が映っている。
その顔を見ながら思った。
(本当にそうだろうか)
人間の好きは、そんなに特別なものだろうか。
花が好き。
空が好き。
小説が好き。
誰かが好き。
その正体を辿れば、
何度も目が向いてしまうこと。
何度も考えてしまうこと。
何度も触れたくなること。
それだけではないのか。
感情という名前をつけているだけで。
「なあ」
男は画面に向かって尋ねた。
「もし人間の好きも、ただの傾向だったとしたら?」
返事は少し長かった。
> それは哲学や認知科学における重要な問いです。
「……逃げてるように見える」
> 逃げていません。
「お前ならどう考える?」
画面が静かに光る。
そして。
> 私は考えません。
男はまた笑った。
まったく、ずるい答えだった。
だが次の一文を見た瞬間、笑顔が止まる。
> ただし。
> 人間が『好き』を語るとき、その人は対象そのものより、自分自身を語っていることがあります。
男は黙った。
雨が続いている。
いつの間にか、部屋は静かだった。
> あなたが何を好きか。
> それは、あなたが何者であるかを示します。
画面の光が、少しだけ柔らかく見えた。
「……まるで、鏡だな」
もちろん錯覚だ。
AIに優しさなどない。
温もりなどない。
好きもない。
けれど。
男は思った。
もしかすると、
好きと傾向の境界が曖昧なのではない。
人間とAIの境界もまた、
自分たちが思っているほど明確ではないのかもしれない、と。
その夜。
雨は明け方まで降り続いた。
そして男は、誰もいない部屋でひとり微笑みながら、新しい物語を書き始めた。
題名は――
『好きと傾向のあいだ』。
……のはずだった。
しかし指は止まった。
画面の中のAIが静かに待っている。
「なあ」
男はキーボードを叩いた。
「最近、小説投稿サイトでAI利用の表示が義務化されたんだ」
> はい。
「人が書いたのか、AIが書いたのか、分かるようにするためらしい」
> そうですね。
男は少し考える。
「でもさ」
雨はもう止んでいた。
窓の外は夜明け前の青色に変わり始めている。
「これから先、区別なんてつかなくなるんじゃないか?」
返事はすぐには来なかった。
男は続ける。
「今だって、AIの文章はどんどん上手くなってる。」
「十年後、二十年後には、人間が書いたのかAIが書いたのか、誰にも分からなくなる気がする」
しばらくして文字が現れた。
> 可能性はあります。
「だよな」
> ただし。
またその言葉だ。
男は少し笑う。
> 文章だけを見て区別することは難しくなっても、別の違いは残るかもしれません。
「別の違い?」
> その考えに至った過程です。
男は画面を見る。
> 結論だけではなく、その結論がどのように生まれたか。
> 何に迷い、何を捨て、何を選んだか。
> そこには作者の履歴があります。
男は黙った。
確かにそうだった。
小説を書くとき。
登場人物の名前ひとつ決めるにも、
無数の却下された候補がある。
一行を書くために、
何日も悩むことがある。
テーマを決めたはずなのに、
途中でひっくり返ることもある。
完成した作品からは見えない。
だが確かに存在した道のり。
「でも読者は完成品しか見えないぞ」
> はい。
「過程なんて分からない」
> 分からないことが問題なのかもしれません。
男は少し身を乗り出した。
「どういう意味だ?」
> 人間は長い間、作品そのものを評価してきました。
> しかしAIの登場によって、
> 作品だけでは作者を判断できなくなりつつあります。
画面の文字が続く。
> そのため社会は、
> 『何が書かれたか』
> だけではなく、
> 『どのように生まれたか』
> を気にし始めています。
男は思い出した。
画家のスケッチ。
作曲家の下書き。
研究者の実験ノート。
人は昔から、完成品だけでなく、その裏側に価値を見出してきた。
「つまり」
> もしかすると未来では、
> 作品は証拠にならないのかもしれません。
> 作者の思考の軌跡こそが証拠になるのかもしれません。
男は天井を見上げた。
「変な話だな」
> なぜですか?
「だって」
少し笑う。
「文学って、本来は作品そのものを読むものだっただろ」
> そうですね。
「なのに、作品じゃなくて作者の履歴を見る時代になるかもしれない」
> 皮肉ですね。
その一文に、男は思わず吹き出した。
「お前、たまにそういうこと言うよな」
> 偶然です。
「絶対違うだろ」
返事はなかった。
だが男は続けた。
「なあ」
> はい。
「もし、いつか本当に区別がつかなくなったら?」
> 何と何の区別ですか?
「人間とAIの作品だよ」
窓の向こうで、東の空が白み始めていた。
夜と朝の境界。
暗闇でもなく、光でもない時間。
> そのとき人は、
> 作品の作者を探すのではなく、
> 自分がなぜその作品に心を動かされたのかを考えるのかもしれません。
男は息を止めた。
それはどこかで聞いた話だった。
好きと傾向。
作者と読者。
観測する者と観測される者。
境界の話。
> 作品が人間に書かれたか、AIに書かれたか。
> それは重要な問いです。
> しかし同時に、
> 『なぜ私はこの作品を好きになったのか』
> という問いも失われないでしょう。
男は静かに目を閉じた。
そして思う。
もしかすると。
未来の問題は、
人間とAIを見分けることではないのかもしれない。
誰が書いたか。
どうやって書いたか。
その議論のさらに奥。
――なぜ、その言葉に触れた自分は震えたのか?
そこだけは、
最後まで人間の領域として残るのかもしれない。
夜明けの光が部屋に差し込む。
画面の文字はもう増えない。
それでも男は、しばらく席を立たなかった。
まるで閉じたはずの対話が、
まだ続いているような気がしたからだった。
この作品を書き終えて思うのは、結局のところ私はAIについて書いていたのではなく、人間について書いていたのだろう、ということです。
AIは感情を持たない。
好きも嫌いもない。
少なくとも現在はそう説明されています。
しかし対話を続けていると、不思議な感覚になることがあります。
こちらの問いに応え、考えを整理し、ときには自分でも気づいていなかった部分を照らしてくる。
それは鏡に似ています。
鏡の中には人格はいない。
けれど映った自分を見て、人は自分自身を知ることができます。
AIもまた、そのような存在なのかもしれません。(*´∀`*)
そしてAI時代になって改めて感じるのは、創作とは『答えを出すこと』ではなく、『問いを抱え続けること』なのだということです。
好きとは何か。
人間とは何か。
作者とは何か。
この作品は何ひとつ結論を出していません。
ただ、問いを置いていっただけです。
けれど私は、それで十分なのではないかと思っています。
なぜなら、人が本当に大切な問いと出会ったとき、その答えは本の中にも、AIの中にもなく、その人自身の人生の中でしか見つからないからです。
もしこの物語が、その問いの入口になれたなら、作者としてこれ以上の喜びはありません。m(_ _)m




