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完結です。
翌朝。
私は震える手で二枚の契約書を握りしめ、
ヴィンタージュ伯爵家ではなく――
スタイ王国の大使館の応接室にいた。
昨夜は結局ほとんど眠れなかった。
だって
雇用契約書と婚姻契約書がセットで届く人生、
聞いたことがない。
レオンハルト・グレイヴ、
この騒動の元凶(?)が
向かいのソファにゆったりと腰掛ける。
落ち着いた顔で紅茶を頼み、
優雅に傾けている。
「あの、確認してもよろしいでしょうか」
声が震えた。
「王立菓子工房の専属パティシエ契約と」
やたら厚くて豪華な紙をめくる。
「・・・婚約契約、がセットなのはどういう意図でしょうか」
レオンハルトは一拍置いて、真顔で答えた。
「合理的だからです」
合理的。
(合理的・・・?)
頭が真っ白になった私をよそに、
レオンハルトは穏やかに続けた。
「アニー嬢、私はあなたに工房に来てほしい。それは本当です」
「ただ婚約は――私個人の希望です」
灰紫色の王子様はふわりと笑った。
「あなたの菓子をこれからも一番近くで食べたいと
そう、思ってしまったのです」
聖糖祭の夜。
耳元で囁かれた言葉が蘇る。
――私と一緒に。
「あなたの作る菓子はとっても美味しい。
幸せな気持ちになりました」
真っ直ぐな瞳。
「そして、世界中にこの幸せを届けたいと思いました」
(幸せを・・・)
青い瞳に捉えられて動けない。
長い時間揺れていたものが、静かに形になっていく。
夢。不安。身分。家族。将来。
それら全部をひとまとめにして
――答えは一つ。
◇
顔を上げる。
「王立菓子工房のメニューは、私が決めます」
「もちろん」
「美味しいスイーツを追求します」
「望むところです」
レオンハルトは嬉しそうに頷く。
「そして」
深呼吸。
「すぐに結婚はできません」
一瞬の沈黙。
「わかりました」
そして微笑み、私の手を優しく取った。
「では、恋人から始めましょうか」
「私はあなたが納得するまで待ちます」
「よ、よ、よろしくお願いします」
緊張に震えながら手を握り返すと
彼は子供のように声を上げて笑った。
◇
時は流れーーー 3年後。
スタイ王国 王立菓子工房の前には
開店前から長蛇の列。
「アニー工房長の新作がでたって本当!?」
「とても楽しみ!」
「この前のコンテスト、満場一致の1位だって!」
革命は成功していた。
この3年で次々に発表された”ビターシリーズ”
ビターショコラ、カカオマカロンに、
80%カカオのチョコタルト…
“甘くないスイーツ”は貴族だけでなく
普段甘すぎる菓子を敬遠してきた
商人や騎士たちにも、
新しい嗜みとして広まってきている。
工房2階の窓から行列を眺めていると
背後から腕が回る。
「今日も大盛況だね、僕の未来の奥さん?」
「っ、し、し、し、仕事中ですっ!」
「「・・・ふふふ」」
笑い声が重なる。
相変わらず美しいこの王子様は時々
アニーの工房を訪れてはスイーツをつまみ、
アニーにちょいちょいとちょっかいをかけて、
仕事に向かう。
昨年宰相補佐に昇進し、とても忙しいはずなので
せめて一緒に過ごす間は
リラックスしていてほしいと思う。
「今度はどんな新作を考えているの?」
レシピ帳をパラパラとめくるレオンハルトは
とても楽しそうだ。
「うーん、次はカカオとチーズのケーキを検討中ですね」
「チーズならスタイ王国西方のアーランド地方のチーズが最高だよ、知り合いに声をかけてみようか」
「ほんとですかっ、ありがたいです!」
「ご褒美が欲しいな〜、アニー?」
「・・・っ、試食係に任命します」
「やったね!」
嬉しそうにアニーの額にキスを落として
今日も軽い足取りで王城に向かった彼は
本当に私の王子様になった。
◇
聖糖祭。
想いを伝える日。
あの日、思いがけず私は
夢と愛、両方を手に入れた。
甘くないスイーツと、
甘くないプロポーズと一緒に。
――そして今日も
私の幸せは、ほんのりビターな香りです。
ハッピーバレンタイン!
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