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王城の朝に咲いた絆

作者: 峨々丸
掲載日:2026/01/11

「坊ちゃま、ジョルディアス坊ちゃま! 朝でございますよ!」

乳母マーサの快活な声が響き、厚手のカーテンが勢いよく開け放たれた。

差し込む朝日は春特有の柔らかさを帯びており、寝室に漂う朝の冷気をゆっくりと溶かしていく。

「う、うぅん……マーサ、あと少しだけ……」

六歳のジョルディアスは、まだ短い手足をもぞもぞと動かし、抗うように枕へ深く顔を埋めた。

「いけません! 坊ちゃま、今日は旦那様と共に王城へ上がる日だと分かっておいでですか!」

マーサの容赦ない催促に、ジョルディアスはようやく寝台から這い出した。

そこへ、規則正しい足音が近づいてくる。

「ジョルディアス、早く起きるんだ。今日はアイリス様との顔合わせの日なんだからな」

「うーん……兄上、ボクまだ眠い……」

部屋に入ってきたのは、十三歳になる兄、ベルハーゲンだった。

すでに騎士見習いとしての自覚がある兄は、弟の寝癖を器用に指先で整えながら、困ったように眉を下げた。

「いいか、ジョルディアス。オーレンバーグの者は、代々王家の方々をお守りする役目がある。だが、今日はお前の『友達』に会いに行くと思えばいい。アイリス様もお前と同じ六歳だ。きっとお前を待っておられるぞ」

「……友達?」

その言葉に、少年の胸がわずかに躍った。

まだ「騎士」という言葉の意味も、「命を懸けて守る」という誓いの重さも知らない。ただ、自分と同じ歳の女の子に会いに行く。六歳の彼にとっては、それが何よりの冒険に思えた。

(どんな子なんだろう? 優しい子だといいな……)

ジョルディアスの脳裏に、先日、近隣諸侯が催した格式高い社交晩餐会での光景がよぎった。

そこでは、ギュスターヴという名の少年がオーレンバーグ家を「王家の番犬」と嘲り、ジョルディアスの大事な玩具を強引に取り上げようとした。

煌びやかな会場とは裏腹に、幼い彼にとっては窮屈で意地悪な記憶しか残っていない。

(ギュスターヴみたいないじめっ子じゃないといいなあ……)

「さ、坊ちゃま。お顔を洗いましょうね。こちらに着替えて。旦那様が朝食を取ったら、すぐに王城へ向かうとおっしゃっておりましたよ」

マーサに促され、ジョルディアスは冷たい水で顔を洗った。

用意されたのは、オーレンバーグ家の紋章――「不壊の盾」が胸元に刺繍された深紺の礼服だ。ジョルディアスはそれを着せてもらうと、鏡の前で少しだけ背筋を伸ばしてみた。

「とてもお似合いですよ、坊ちゃま」

鏡の中に立つ自分は、いつもより少しだけ大人びて見えた。

兄に手を引かれ、ジョルディアスは家族の待つ食堂へと向かった。

オルディア王国は、長きにわたり平穏を保ってきた中原の小国である。

豊かな穀倉地帯と鉱山を抱え、周辺諸国からは「堅実な国」と評されていたが、その安定は王家と、それを支える名門諸家の均衡によって成り立っていた。

中でも、王家に代々忠誠を誓い、その盾となってきたオーレンバーグ家の存在は大きい。

しかし近年、北方のヴァルツ帝国は軍備を拡張し、南方では諸侯同士の争いが絶えない。

表向きは平和を謳う王都であっても、宮廷の奥では王家の血筋を巡る思惑が静かに渦巻いていた。

そんな中、王家の一人娘アイリスはまだ六歳。

幼い姫を守るため、王はオーレンバーグ家との結びつきをこれまで以上に強めようとしていた。

今日の「顔合わせ」は、単なる子ども同士の挨拶ではない。

王国の未来を左右する、ひとつの“始まり”でもあった。

重厚な扉を開けると、焼き立てのパンの香ばしい匂いと、温かいスープの湯気が鼻をくすぐった。

上座には父ガルドスが厳格な面持ちで座り、その隣では母エルナが柔らかな微笑を湛えている。

「おはよう、ジョルディアス。随分と立派な騎士様になったわね」

母の言葉に、ジョルディアスは照れくさそうに席についた。

「ねえ、母様。……アイリス様って、怖い人なのかな? 王様のお姫様なんだよね?」

母の顔を覗き込むようにして尋ねたジョルディアスの素朴な疑問に、エルナは小首を傾げて優しく微笑んだ。

「まあ、そうね。陛下のお話では、アイリス様も同い年の学友ができることを、それは楽しみに待っておられるそうよ。今か今かと指折り数えておられるらしいわ」

その言葉に、ジョルディアスの心はパッと明るくなった。

「……ボクを、待っててくれてるの?」

意外な言葉に、ジョルディアスは目を丸くした。

あの晩餐会で出会った貴族たちとは違う、自分との出会いを心待ちにしている女の子。その姿を想像すると、不安は霧散し、代わりに小さな期待が胸の中で膨らんでいった。

「そうよ、ジョル。あちらもきっと、あなたと同じようにドキドキしながら待っていらっしゃるはずだわ。

さあ、胸を張って行ってらっしゃいな」

母の言葉に背中を押され、ジョルディアスはパンを頬張りながら小さく頷いた。

その時、食堂の扉の前で控えていた執事セバスが、静かに一歩進み出た。

「旦那様――そろそろお時間でございます」

低く落ち着いた声が、部屋の空気を引き締める。

ガルドスは静かに席を立ち、息子へ視線を向けた。

「行くぞ、ジョルディアス」

「はい、父上!」

マーサに口元のジャムを拭いてもらうと、ジョルディアスは父の後に続き、屋敷の外へと踏み出した。

玄関では母エルナとマーサが見送りに立ち、兄ベルハーゲンが歩調を合わせてくれる。

家族の温もりを背に受けながら、ジョルディアスは父と共に、未知なる王城へ向かう馬車へと乗り込んだ。

この先に待ち受ける運命も、数年後に訪れる凄惨な別れも――

この時の少年はまだ、微塵も知る由がなかった。

王城の大門をくぐると、冷たい石造りの回廊がどこまでも続いていた。

六歳のジョルディアスは、父ガルドスの後ろを小走りでついていきながら、胸の奥がそわそわと落ち着かない。

(すごい……こんなに広い場所、初めてだ)

壁には歴代王の肖像画が並び、天井には金糸で織られた紋章旗が揺れている。

王城の空気は、少年の知る世界よりもずっと重く、ずっと静かだった。

やがて、巨大な扉の前で足が止まる。

衛兵が二人、槍を構えて直立している。

「こちらが王の広間でございます」

案内役の侍従が恭しく頭を下げると、扉がゆっくりと開いた。

その瞬間、ジョルディアスは思わず息を呑んだ。

広間は、まるで別世界だった。

赤い絨毯が玉座へとまっすぐ伸び、左右には高い柱が並び、天井には巨大なシャンデリアが輝いている。

光が反射し、まるで星空の下にいるようだった。

(ここが……王様のいる場所……)

緊張で喉がひりつく。

父ガルドスは堂々と歩みを進め、玉座の手前で片膝をついた。

「オーレンバーグ家当主、ガルドス・オーレンバーグ。お召しにより参上いたしました」

ジョルディアスも慌てて真似をし、ぎこちなく膝をつく。

玉座に座る王――レオニール三世は、厳格な眼差しで二人を見下ろしていた。

だが、ジョルディアスの強張った肩を見て、ふっと目元を和らげた。

「ふむ、ジョルディアスよ。そんなに固くならずとも良い。ここには儂らしかおらん。

もっと気を楽に持つがよい」

「は、はい……!」

少年の肩から、少しだけ力が抜けた。

その時、王妃がふわりと微笑み、ジョルディアスへ優しく声をかけた。

「うふふ……ジョルディアス。今度お茶会を開くの。あなたのお母様にも、どうぞよろしくお伝えしてね」

「は、はい! 母様に必ずお伝えします!」

王妃は満足げに頷き、穏やかな眼差しを向けた。

「ありがとう。エレナ様とは、またゆっくりお話ししたいものですわ」

そのやり取りを見ていた少女が、王妃の隣から一歩前に出た。

淡い金髪が陽光を受けてきらめき、紫の瞳が好奇心に輝いている。

「ねえ、お父様。この子が……?」

「ああ。オーレンバーグ家の次男、ジョルディアスだ」

王の声が広間に響く。

「ジョルディアスよ。今日より、そなたはアイリスの学友として王城に通うこととなる。

いずれは王家を支える者として、幼き頃より絆を結ぶがよい」

「……はい!」

緊張で声が震えたが、アイリスはふわりと微笑んだ。

「そんなに緊張しなくていいのよ。私はアイリス。あなたは……ジョルって呼んでもいい?」

「えっ……う、うん!」

広間の荘厳さとは対照的に、アイリスの声は春の陽だまりのように柔らかかった。

ジョルディアスの胸の奥が、じんわりと温かくなる。

「あとで庭園を案内してもいい? お花がいっぱい咲いているの」

「行きたい!」

少年の返事に、アイリスは嬉しそうに頷いた。

その微笑みは、王城のどんな宝石よりも輝いて見えた。

だが――

広間の柱の陰で、黒衣の男が静かに目を細めていた。

「……なるほど。あれが“選ばれた子”か」

低く呟く声は、広間の荘厳さとは不釣り合いなほど冷たい。

ジョルディアスも、アイリスも気づかない。

王城の奥底で、何かがゆっくりと動き始めていた。




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