ルピン参政
アメポン国は、東ヨーロッパの小国である。人口は約一億人、独自の文化を持つ永世中立国である。
そんなアメポン国に、とんでもない騒動が起きていた
「ありがとうございます! ありがとうございます! 皆さんのヒーロー、マルセール・ルピンです! 国民の皆さん! 私に投票して既存の政党をぶっ潰しましょう!」
宣伝カーの上から叫んでいるのは、長身で細身の男だ。年齢は三十代から四十代前半、いたずら好きな少年のような表情を浮かべて、皆を見下ろしている。黒髪は肩まで伸びており、タキシードにマントを羽織り、手にはステッキという出で立ちだが、肩からは名前が書かれたタスキをかけている。
そう、今アメポン国では国会議員を決める選挙が行われている。そしてルピンはアメポン国の国会議員に立候補し、ただいま演説中なのだ。
それだけなら、何ということもないが……実のところ、彼は世界を股にかけた大泥棒であり、怪盗ルピンの名で知られた男なのである。
当然ながら、アメポン国民は激怒した。「泥棒のくせに議員に立候補だと!? ふざけるな!」「さっさと逮捕しちまえ」という声が相次いだ。
しかし、警察はルピンを逮捕できなかった。
アメポン国には、他国と犯罪者引き渡し条約を結んでいない。殺人などの重罪犯なら話は別だが、ルピンは窃盗犯である。そう、ルピンのやり方はスマートなのだ。血を流さずに盗む……それが怪盗ルピンの掟なのである。
しかも、アメポン国内では何の罪も犯していない。となれば、アメポン国の警察は彼を逮捕できない。
よって、ルピンは堂々と選挙活動ができるのだ。
そんなルピンの活動を、苦々しい表情で見ている者がいた。ICPOのガニマール警部である。彼は、世界のあちこちを飛び回りルピン逮捕に命を燃やしていたのだ。
ルピンがアメポン国にて国会議員に立候補したと聞き、さっそく現地入りし逮捕の手続きを取る。
が、ここでアメポン国の法律が壁となった。ICPOといえど、アメポン国内ではその力を行使できないのだ。一応、ルピンはアメポン国内では何の罪も犯していない。したがって逮捕できないのである。
では、選挙法違反でどうだ……と思い、徹底的に調べあげた。しかし、こちらも無理だった。
ルピンは、アメポン国人クラリネスと結婚し国籍を持っている。また、選挙資金はクラウドファンディングで賄っており、こちらも問題ないのだ。
もっとも、ガニマールはこの程度で諦める男ではなかった。
「そもそも、ルピンが議員なんぞになるはずがない。奴には、必ず何か他の目的があるはずだ。絶対に逮捕してやる」
彼は、ルピンの動向を二十四時間見張っていた。選挙事務所や住んでいる場所に盗聴器も仕掛けたし、カメラも仕掛けた。もちろん違法捜査だが、もはや関係なかった。
そんなガニマールを尻目に、ルピンの活動はさらに派手になっていく。ネットではとんでもない意見をバンバン言い放ち、市内のあちこちにゲリラ的な演説をこなしていった。
さらにテレビ番組にも登場し、立板に水の如くベラベラ喋っていく。
「はい、既存の政党はぜーんぶブッ潰していきます! 私は本気です! 皆さん、私についてきてください!」
「政策? もちろんアメポンファースト! 富国強兵を目指します! 我々も核武装し、ミサイル撃たれたらバンバン撃ち返してやりましょう! 関税もバンバンかけますよ!」
「不法滞在してる外国人!? んなもん、全員追い出します! マシンガンでもブルドーザーでも、何でも使ってやりますよ! 何なら、全員射殺してやりますから!」
こんな過激な意見を真剣な顔で口にするルピンに、当然ながら大半の国民は反発する。
だが、そんなルピンに賛同者が出てきたのだ。
「ルピン半端じゃねえよ。さすが大泥棒だぜ」
「手段はちょっと過激だけど、言ってることは間違いじゃないよな」
「ルピンは、この国の鬱屈した空気を変えてくれるかもしれない」
こんな意見が、SNSに寄せられるようになったのだ。しかも、その数は少しずつ増えていく。
さらに、テレビ番組で辛口コメンテーターと対談した時は……。
「あなた、有名な大泥棒ですよね。被害者も大勢います。そんな経歴の人間に、国政を任せたいとは思いませんね」
こんなことを言われたルピンは、表情ひとつ変えず返していく。
「ほう。では、あなたは前科者を差別するのですか?」
「そうは言っていませんよ。ただ、国民のひとりとして……かつて大泥棒だった人間に、国政を任せたくはない。これは、差別意識云々は別にして当然の感情ではないですか?」
「すみません。質問してくる前に、まず私の質問に答えてくださいよ。今の私は、泥棒ではありません。泥棒は廃業しました。にもかかわらず、あなたは私に国政を任せたくないという。つまり、あなたは過去に罪を犯した人間のやり直しを認めないということですね?」
「それは論点のすり替えだ。そもそも、あなたの政治家としてのビジョンは──」
「あなたこそ、私の質問に答えてください。私は、アメポン国の法には触れていません。にもかかわらず、私の過去の罪を未だ持ち出してくる……これは、あなたが前科のある人間を差別しているからですよね!?」
この「徹底して己を被害者に仕立てあげる」戦法に、さすがの辛口コメンテーターも気の利いた反撃ができぬまま終わった。視聴者の半数近くが、ルピンを支持し「可哀想」「やり直しを認めない社会は間違っている」という意見が寄せられた。
選挙戦も後半になると、さらに驚くべきことが起きる。ルピンの支持者が、どんどん増加していったのだ。
「言ってることはむちゃくちゃだけど、あいつの真剣さは伝わってくるよ」
「国会議員になったら、必ず何かやってくれるよ」
「やっぱり、世界を股にかけた大泥棒だけあって半端ねえよな」
「ルピンかっこいいよな。俺、あいつになら政治を任せられる気がするよ」
「とりあえず、あいつ面白い。国会議員になった姿が見たい」
そんな意見が、いい歳の大人たちからも出てきたのだ。最初はにぎやかしの泡沫候補と思われていたルピンだったが、今や無視できぬ一大勢力になっていた。
しかも、今では海外からもマスコミが押し寄せてくる始末だ。稀代の怪盗が、泥棒稼業を引退し政治家に転身する……このニュースは、今や世界規模になっていた。
そんなルピンを、ずっと追い続けているのがガニマールである。選挙期間中、ほぼ不休でルピンの活動を見張っていた。だが、犯罪の気配は全くない。
「ルピンの奴、本気で議員になる気なのか?」
さすがのガニマールも、そんなことを考えるようになった。
が、そこでハッとなる。
「待てよ……奴の仲間であるルーリスとジロウエモンは、今どうしているのだ?」
その頃、地下通路を進んでいる者たちがいた。ルーリス・モブランとジロウエモン・ネズミである。このふたり、ルピンの仲間であった。
「さて、お宝はこの上だな」
くすんだトレンチコートにチェックのシャツを着たルーリスが、天井を叩きながら言った。
ちなみに彼は、小説家と泥棒という二足のわらじを履く生活をしている。
「ああ、そのようだ。この分だと、上手くいきそうだな」
黒い着流しにスキンヘッドという出で立ちのジロウエモンが答える。ちなみに筋肉もりもり、マッチョマンだが変態ではない……と思う。
このふたりは、ルピンの指示で地下に潜っていた。アメポン国は、戦時中に軍の作った地下通路が張り巡らされている。中はまるでダンジョンのようになっており、入ることは禁止されていた。入口は警官が見張っており、中も警官がパトロールしている。
ところが、ルピンの派手な選挙活動により、警察は彼のゆく先々をマークしなければならなくなってしまった。
しかも、ルピンが有名になるにつれ追っかけのようなファンが増えていく。そうなると、ルピンの活動に対する人員を増やさざるを得ない。こんな場所など、見回っている場合ではなくなってしまったのだ。
結果、ルーリスとジロウエモンはさほど手こずることもなく、あっさり標的までたどり着いた。
「では……明日また来るとしよう」
そう言うと、ジロウエモンは元来た道を戻っていく。と、ルーリスがスマホを見て声をあげた。
「おいおい、見てみろよ。ルピンの奴、すげえことになってるぞ。支持率も急上昇だ」
「フッ、しょせんは面白がっている人間が増えただけだ。あんな者が当選したら、世も末どころの話ではない」
「いや、俺は当選する気がするせ」
「ありえん。あんなアホを当選させるはずがない」
「じゃ、賭けるか? 俺は、ルピンが議員当選する方に一万だ」
「いいだろう。拙僧は、当選しない方に賭ける」
そして投票日。
ルーリスとジロウエモンは、地下通路に入っていた。選挙事務所には、既ににたくさんのマスコミが待ち構えていたが、ルピンは全てシャットアウトしている。「当選が決まったら、扉を開け姿を現す」とだけ発表していた。
当然ながら、マスコミとルピンの追っかけファン軍団、さらには海外からのマスコミたちも大勢群がっている。そのため、警官たちも多数動員されていた。
おかげで、街には警官の姿などなかった。
やがて、開票作業が始まる。有力な議員らが次々と当選を決めていくが、ルーリスらは素知らぬ顔で地下通路を進んでいく。
ついに、ルーリスとジロウエモンは目指す場所へと辿り着いた。
「ここだぜ。この真上が、アメポン美術館の隠し部屋だ」
「では、拙僧の出番だな」
言うが早いか、ジロウエモンは空手の型のような動きをする。
「はあぁぁぁ! はっ!」
独特の呼吸法により、体内に精霊の力が満ちていく。そう、彼は精霊の力を拳に宿し闘う霊拳導師なのである。
「ウオォォォ! チェストォォ!」
気合の声とともに、天井めがけ正拳突きを放つ。それに伴い、拳から強力な霊圧が放たれるのだ。
ジロウエモンは、マシンガンのごとき勢いで正拳を放っていく。凄まじい手数だが、素人の目には彼の手の動きは見えていないだろう。それくらい速い動きであった。
一瞬の間を置き、天井が崩れ落ちてくる。が、ジロウエモンとルーリスの周りは無事だ。
「また、つまらぬものを壊してしまった……」
呟くジロウエモンを尻目に、ルーリスは縄梯子をかけ上へと登っていく。ジロウエモンも、後に続いた。
一方、ルピンの選挙事務所は──
「ルピンさん、当選しました! 当選しました!」
マスコミらの叫ぶ声が聞こえてきた。そう、この男は議員に選ばれてしまったのである。
「おいおい、本当かよ……有り得ないだろ」
ルピンは、呆れ果てた表情で呟いた。
全ては、世間の注目を集め警察の目を引きつけるための芝居だった。だからこそ、派手なことをやりデタラメな発言を繰り返してきたのだ。
こんなバカ、当選するはずがない……当の本人が、そう高をくくっていた。
それが、当選してしまったのだ──
しかし、彼とて稀代の怪盗である。すぐに気持ちを切り替えた。
「まあ、いいや。さっさと仕事を片付けるかね。ルーリスとジロウエモンも待ってるしな」
そう言うと、ルピンは机のボタンを押す。と同時に、部屋が変形し始めた──
選挙事務所の一部屋だったはずのものは、一瞬にしてヘリコプターへと変わったのだ。ヘリコプターは、大勢の人間が見守る中、上空へと舞い上がる。
「皆さーん、騙してごめんね。俺、泥棒はやめないから。じゃーねー!」
手を振りつつ、ルピンはヘリコプターを操縦し美術館へと向かう。
その頃、ルーリスとジロウエモンは警備員に追いかけ回されていた。無論、撃退するのは簡単である。だが、殺しはタブー……それが、ルピン一味の鉄の掟だ。
やがて彼らは、美術館の屋根の上に来た。と、ルピンの操縦するヘリコプターが登場し、ふたりを乗せる。
三人は、そのまま飛び去っていった──
やがて三人は、用意しておいた船に乗り込む。アメポン国はとんでもない騒ぎになっているが、海上に出てしまえば関係ない。
「ほらよ。お前の先祖さまのお宝だ」
そう言ってルーリスが渡したのは、ルピン一世の使っていたステッキである。アメポン国の美術館に隠されていたのだ。
「爺さまが逮捕された時によう、こいつを奪われたままになっててな……いつか取り返してやると思ってたんだよ。ふたりとも、ありがとう」
「いやいや、今回はいろいろ楽しかったぜ。なあジロウエモン」
ルーリスの言葉に、ジロウエモンは渋い表情で一万円札を取り出した。
「クソ、拙僧の負けだ」
悔しそうに言いながら、一万円札を渡す。
「おいおい、どうしたんだ?」
尋ねたルピンに、ルーリスはニヤニヤ笑いながら語り出す。
「いやな、お前が議員に当選するかしないかで、ジロウエモンと賭けたんだよ。結果は俺の勝ちだ。次の獲物は日本にあるんだろ? 日本に行ったら、この金で焼肉ても食おうぜ」
「しかし納得いかん……世の中は、どうなっているのだ」
憤懣やるかたなし、という表情で呟いたジロウエモンに、ルピンは苦笑しつつ肩を叩く。
「お前の方が正常だと思うけどな、狂った世の中では、正常な人間が異常判定されちまうんだよ」
その頃、アメポン国では──
「ガニマール警部、この件について何か一言お願いします」
言いながら、ガニマールにマイクを向けるレポーター。その後ろには、数台のテレビカメラが並んでいた。
ガニマールは、落ち着いた表情で口を開く。
「今回、ルピンは恐ろしいものを盗んでいきました……」
次の瞬間、凄まじい形相でカメラを睨む。
「あなた方の正気です」




