偽りの聖女と本物の気持ち
王都ラズフェリアに非常鐘が鳴り響いたのは、夕刻のことだった。
鐘の音は空気を裂くように鳴り続け、住人たちは混乱し、衛兵たちは剣を抜いて街の防衛線へと走る。
勇人たちもすぐにその場を離れ、急ぎ騎士団本部へと駆けつけた。
そこで彼らを迎えたのは、かつて見たことのあるような黒い煙――魔族の術による霧だった。
「魔族……っ、王都に!? 一体どうやって……!」
セリナが声を荒げる。ルーナは無言のまま、ただ霧の向こうを凝視していた。
勇人の脳裏を、嫌な直感がよぎる。
この襲撃は偶然ではない。
何者かの意志によって、仕組まれている。
そして――
「エイリン=ルクレツィア、出てこい」
霧の奥から、しわがれた声が響いた。
それは人間のものではなかった。獣のような咆哮と、理性ある魔族特有の語調が混ざり合った声。
その名を呼ばれた瞬間、エイリンの表情が一変した。
微笑を湛えていた唇が、かすかに震える。
「……来たのね」
勇人は即座に察した。
(この魔族は……エイリンの過去を知っている)
「名を名乗れ」
セリナが剣を構える中、魔族がゆっくりと霧から姿を現した。
黒い衣をまとい、蛇のような目をした男――それは魔族の諜報将、《メザハ》
「我が名はメザハ。闇の長より言伝を受けて参上した……偽りの聖女への清算を求める」
その言葉に、周囲がどよめく。
「偽り……の?」
セリナが目を見開く。ルーナは表情を変えないまま、じっとエイリンを見ていた。
勇人は一歩、彼女の前へ出る。
「やめとけ。こいつを狙うなら、俺が相手だ」
メザハは薄く笑った。
「貴様が、察しの勇者か。見た目よりも骨はありそうだ」
次の瞬間、魔族の放った闇の刃が勇人に迫る。
だが――
「……はっきり見える」
勇人のスキル《察する力》が、敵の動きを完全に読み切った。
刃をすり抜け、一撃を避けた勇人は、剣を手にメザハに迫る。
だが、相手はすぐに撤退の合図を出す。
「目的は果たした。お前のをこの街に伝えた、それだけで充分だ」
メザハの体が闇に溶け、煙のように消えた。
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その夜。
騎士団の特別待機室。
セリナとルーナは別室に案内され、勇人とエイリンだけが残された。
彼女は、いつもの微笑を封じたまま、窓際に立っていた。
「聞きたいこと、あるんでしょ?」
「……あぁ」
「偽りの聖女って、どういう意味か」
勇人は頷く。
「……全部話すわ」
エイリンはゆっくりと口を開いた。
彼女はもともと、聖女ではなかった。
孤児として教会に拾われ、ある日奇跡の治癒を見せたことで、聖女候補に据えられた。
だが、その奇跡は――演技だった。
「私は、スキルを持っていなかった。でも、信仰を支える存在が必要だった。だから、ロルフ神父と私で仕組んだの。奇跡の演出を」
誰にも言えない秘密だった。
「民はそれにすがった。私も、聖女という役割を背負った。信じられているということに、救われていたから」
声が震えていた。
「でも、魔族は知っていた。本物ではないって……その情報を、どこかの誰かが彼らに渡したのね」
勇人は静かに問いかけた。
「……じゃあ、今までの優しさも、演技だったのか?」
エイリンはうつむく。
「半分は……でも、あなたにだけは、嘘がつけなかった」
顔を上げたエイリンの瞳には、涙が浮かんでいた。
「私の偽物を見抜いてくれる人がいて、嬉しかった。怖かった。でも、どこかで救われてた……勇人、あなたが、私をただのエイリンとして見てくれたから」
勇人は言葉を失った。
だが、彼の《察する力》は、今、すべてを感じ取っていた。
本音の涙。揺れる想い。演技ではない、彼女そのものの声。
「……俺は、お前のこと、偽物だなんて思わない」
勇人の声に、エイリンが目を見開く。
「人を救いたいって気持ちが本物なら、それで充分だ。嘘だって、誰かの希望になれるなら、それは価値のある役割だろ」
「……あなたって、ほんと……ずるい」
エイリンは泣き笑いを浮かべた。
「そんな言葉、ずっと、言ってほしかったのよ」
勇人はそっと手を伸ばし、彼女の肩に触れる。
その瞬間、二人の距離が、ほんのわずか、縮まった。
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そして深夜。
騎士団本部に届いた密書により、王都を取り巻く本当の陰謀が明らかになる。
魔族の襲撃は王国内部の手引きによってなされたもの。
その背後には、勇人を追放した元勇者・グラムと、王国枢密院の一部勢力の名があった。
「やっぱり、ただの偶然じゃなかったか……」
勇人は拳を握りしめる。
戦いは避けられない。
だが、勇人はもう一人ではなかった。
彼のそばには、セリナの正義、ルーナの静かな想い、そしてエイリンの本音がある。