セリナの涙、ルーナの怒り
朝。王都ラズフェリアはまだ薄曇りの空に包まれていた。
高村勇人は宿のベッドの上で目を覚まし、窓の外をぼんやりと眺めた。
昨日――察しすぎる頭痛のあと、彼はようやく眠れた。浅い眠りではあったが、ルーナの置いた小さなぬいぐるみと、セリナが無言で置いた冷たいタオルに助けられた。
ただ、その優しさが心に刺さる。
(……ありがとう。でも、気づいてるんだろ? 俺がわかってることに)
その日は特別な予定もなく、彼らは宿のロビーで顔を合わせた。
「おはよう、勇人……具合、どう?」
最初に声をかけてきたのは、エイリンだった。聖女としての優しさと、少女としての揺れが入り交じる微笑。
「あぁ、もう平気だよ」
勇人は笑顔を返す。嘘ではなかった。だが、どこかにざらついたものが残っていた。
セリナはそんな様子に、苛立ちを隠せなかった。
「……あんたさ、なんでいつもそうなの?」
「そうって?」
「平気な顔してるくせに、全部わかってる顔してさ……! 何も言ってくれない」
静かな朝に、セリナの声が響く。
エイリンとルーナが目を見開く中、セリナは怒ったように、でもどこか泣きそうな顔で言葉を続けた。
「あたし、昨日――」
「やめろ、セリナ」
勇人が言葉を遮った。その声音に、セリナの肩が震える。
「……どうせ、わかってるんでしょ?」
その問いに、勇人は答えられなかった。
「言いたくなかったのに……言わせないでよ……」
そう言ってセリナは、部屋を飛び出していった。
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静寂が訪れた後、ルーナが立ち上がった。
「……行ってくる」
そう言って無言で扉を閉めた。
残された勇人とエイリン。
エイリンは静かに微笑んだまま、紅茶を口にした。
「ねぇ、勇人。あなたが鈍感なふりをする理由、私にはなんとなくわかるのよ」
「……そりゃ、察してるからな」
「でもね、それって優しさじゃないのよ。どちらかといえば、ずるさ」
「……」
「わかってて何も言わないっていうのは、責任を回避する行為だわ。優しいふりをして、逃げてるだけ」
エイリンの言葉は冷静だった。でも、その瞳の奥に熱が宿っていた。
「……じゃあ、言って傷つけるのが誠実なのか?」
「少なくとも、相手はわかってくれてるってだけで救われることもある。言葉って、そういうものよ」
勇人は目を伏せた。正論だった。
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その頃。裏通りの小さな噴水広場。
セリナはベンチに腰掛け、膝を抱えていた。
その隣に、ルーナが静かに腰を下ろす。
「……なに?」
「……怒ってる」
「……私に?」
「違う……勇人に」
その言葉に、セリナが目を丸くした。
「……ルーナ、怒ることあるんだ」
「ある……勇人、わかってるのに、黙ってる……やさしいけど、苦しい」
その一言は、セリナの胸にも痛いほど響いた。
「そう……だよね。あいつさ、いつもそう。察してるくせに、知らないフリして……優しいようで、なんか、ずるい」
「でも……嫌いじゃない」
「それも、わかる」
二人はしばしの沈黙のあと、ふと見つめ合って笑った。
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夕刻。王都の西の丘。
勇人は、セリナとルーナがいることを察して、静かに近づいた。
「……来たか」
セリナがむくれた顔で言う。
「お前ら、やっぱりここにいたか」
「……勇人」
ルーナの声は、微かに震えていた。
勇人は、覚悟を決めたように口を開いた。
「俺は、《察する力》で、いろんな感情を感じ取れる。嘘、好意、怒り、不安……全部、だいたい見える」
セリナもルーナも、黙って聞いていた。
「だからこそ、知らないフリをしてきた。察したことを、全部口に出してたら……誰ともまともに関われないから」
「……それでも、何も言わないっていうのは、違うんじゃない?」
セリナが言う。
「黙ってることで、あたしがどれだけ悩んだか、あんた知らないでしょ」
「……知ってた。けど、どう言えばいいか、わからなかった」
勇人は苦しげに吐き出す。
「『好き』って言われたら、俺は……どう答えればいい?」
その言葉に、セリナもルーナも動きを止める。
勇人は続けた。
「誰かを選んだら、他の誰かを傷つける。俺は、それが怖いんだ」
「……じゃあ、何も選ばないままでいくの?」
「それが正しいとは思ってない。でも――今の俺には、それしか……」
言いかけた勇人の袖を、ルーナがぎゅっと掴んだ。
「……ばか」
「……え?」
「それでも、私……言ってほしい。嘘でもいい……私のこと、好きって」
ルーナの瞳から、大粒の涙が零れた。
勇人の《察する力》に頼らなくても、ルーナの本音ははっきりと伝わってきた。
勇人はようやく、それを正面から受け止める覚悟を決めかけた――そのとき。
王都の鐘が、けたたましく鳴り響いた。
非常警報――魔族の侵入を告げる鐘だった。