察しすぎるという呪い
夏至祭の熱気は、夜半を過ぎても街に色濃く残っていた。
王都ラズフェリアの石畳には、灯りの落ちた屋台や捨てられた紙くずが散らばり、祭りの喧騒が夢だったかのように静まり返っている。
勇人は、人通りの絶えた裏通りを歩いていた。
背後をつけていた気配――
祭りの途中、舞踏会の広場で見かけた、あのフードの男の存在が気になってならなかった。
そして何より。
《察する力》が、警鐘を鳴らしていた。
(……妙に静かすぎる。誰もいない場所なのに、誰かに見られている感覚が、ぴたりと張り付いてくる)
歩を止めた勇人は、じっと路地の奥を見据える。
次の瞬間。
「ようやく来たか、察しの勇者」
闇の中から、フードの男が姿を現した。銀の仮面に、深いローブ。人間とも魔族ともつかない雰囲気。
そして――感情が読み取れない。
それが勇人にとって、なによりの異常だった。
「……あんた、何者だ?」
「質問に答える義務はない。だが、おまえには警告しておこう」
男の声は機械のように平坦で、まるで読みようがなかった。
「王都は、近いうちに本来の形に戻る。その前に、おまえが持つスキル《察する力》は……邪魔だ」
「へぇ。ようやく俺のスキルに注目してくれるやつが現れたな」
「皮肉る余裕があるうちに引け。これは忠告だ――次は、命をもって理解することになる」
その言葉を最後に、男は姿を煙のように掻き消した。
残されたのは、じっとりと肌を撫でるような気味の悪い余韻と……ズキリ、と脳を刺すような痛み。
「っ……くそ……」
勇人はその場に膝をつき、頭を押さえた。
情報が、流れ込んでくる。
すれ違った人間の些細な感情、通り過ぎた猫の空腹、昨日喧嘩した商人の不満、そして――あの男の感情の空白に対する違和感。
(全部、俺の中に入ってくる……考えたくなくても、考えてしまう……)
――これは、呪いだ。
勇人が手に入れた《察する力》というスキルは、優しさでも便利さでもなかった。
他人の感情が否応なしに流れ込んでくるという、終わりなき情報の奔流。
耐えきれずに誰もが遠ざかり、勇人自身も人との距離を置くようになった。
(誰かの嘘も怒りも悲しみも、知らなければ平和だったのに)
そう思うたび、勇人は鈍感なフリを選んだ。
優しさではない。ただの自己防衛だ。
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翌朝、宿の一室。
「――っ!? ちょっと、勇人!? 顔色悪すぎよ!」
セリナがドアを開けた瞬間、飛び込んできた。
「だ、大丈夫……?」
ルーナも心配そうに手を握ってくる。
「まさか、無理をして……? 昨日の夜、帰りが遅かったのは、そのせい?」
エイリンの声も、いつもの穏やかさとは違っていた。
勇人はなんとか笑って答えた。
「平気だ。ただ、ちょっと寝不足なだけだよ」
(……嘘だってわかってるだろうな、みんな)
でも言わないでいてくれる。
勇人が察してるくせに、何も言わないことを、逆に理解してくれているからだ。
だが、だからこそ。
この優しさが、逆に苦しかった。
セリナは怒った顔で腕を組み、
「勇人、あんたってさ……私たちのこと、察してるくせに、ずるいって思わない?」
「え?」
「だってそうよ。気持ちをわかってるのに、知らないふりしてさ。私、昨日……」
「――セリナ、やめて」
割って入ったのは、エイリンだった。
「その話は、彼が元気になってからにしましょう」
「……っ」
「ルーナ、氷枕、持ってきてくれる?」
「……うん」
三人とも、思っている。
ちゃんと向き合ってほしいと。
でも、勇人にはまだそれができない。
すべてを察してしまう自分が、それを許してくれない。
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夜。
勇人はベッドに横たわりながら、天井を見上げていた。
エイリンが置いていってくれたハーブティーの香りが、部屋にやさしく広がる。
(祭りの余韻の裏で、王都で何かが動いてる……)
ルーナが気づいた気配、セリナの直感、エイリンの聡さ――全部が揃ってる。
勇人一人が無理をしなくても、彼女たちが側にいる。
(……そうか)
だからこそ、頼っていいのかもしれない。
でもそれはまた、察しない勇者をやめることになる。
勇人はそっと、目を閉じた。
その夜、夢の中で、誰かがこう囁いた。
「――本音を知る力は、誰かの心を壊すこともある。君は、それを使いこなせるのかい?」