魔族少女ルーナは言葉少なに心を叫ぶ
霧が濃く立ち込める森を抜けた先に、その村はあった。
瓦礫と崩れた石壁。焼け焦げた建物。
かつてそこに人が住んでいた痕跡は、ほとんど残っていない。
「……ここが無名村か。魔族と人間が共存してたって噂、ほんとだったのかね」
セリナが足元の瓦礫を蹴飛ばしながら言った。
「でももう、誰もいないみたいね」
「ああ……見たところ、ここを滅ぼしたのは、人間だな」
焼き跡の深さ、刃の跡。放たれた魔法の残滓――
それらはすべて、異形ではなく人の手によるものだった。
「……ねえ、勇人。あそこ、誰かいない?」
セリナの指差した先。倒れた鐘楼の影から、小さな影がこちらをうかがっていた。
腰ほどの身長。銀の髪。鮮やかな紅い瞳。
明らかに人間ではない。
「……出てこないか」
俺が一歩近づこうとした瞬間、影は身を翻し、素早く森の奥へと逃げていった。
「ちょっ、待ちなさいってば!」
セリナが追いかけようとするのを、俺は手で制した。
「待て。あいつ、多分……怖がってるだけだ」
確信があった。
今、あの目に浮かんでいた感情――それは敵意じゃない。恐怖と絶望だった。
「追うより、ここで待った方がいい……きっと、また来る」
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その夜、俺たちは村の廃屋に仮の宿を取った。
焚き火を囲んで食事をとる中、セリナが不満そうに口を開いた。
「本当に来るの? あの魔族の子。どう見ても逃げるタイプだったじゃない」
「来るよ……少なくとも、ひとりぼっちが嫌な子だった」
「また察し力?」
「そう」
セリナが呆れたようにため息をつく。
「なんだかなあ。ほんとに便利すぎて信用できないんだけど、それでいつも当たってるから何も言えないのよね……」
その時だった。
外で、わずかに足音がした。
音もなく扉が開き、ひょこっと顔を出したのは――あの銀髪の少女だった。
セリナが身構えるのを俺は制し、立ち上がって静かに手を差し出した。
「……来てくれたんだな」
少女は無言のまま、一歩だけ中へ入り、俺の手を見つめた。
そして、小さく――かすれるような声で言った。
「……人間……怖い」
その瞳には怯えと、微かな希望が揺れていた。
「でも……あなたの目ちがう」
「……そっか」
俺はゆっくりしゃがんで、目線を合わせた。
「名前、聞いてもいいか?」
少女は数秒の沈黙ののち、ぽつりとつぶやいた。
「……ルーナ」
「ルーナか。いい名前だな。俺は勇人。こっちはセリナ」
「ど、どうも……」
セリナが気まずそうに手を振る。
ルーナは警戒しつつも、焚き火の前にそっと座った。
言葉少なで、目も合わせようとしない彼女。
だが、俺のスキルは、その沈黙を聞き逃さなかった。
(『本当は、誰かと話したい』)
(『でも、裏切られるのが怖い』)
(『焼かれた村の光景が、今も頭から離れない』)
声に出さない心の叫びが、静かに胸を打った。
「……俺たち、旅の途中なんだ。よかったら、しばらく一緒に来ないか?」
ルーナはびくっと体を震わせた。
「無理にとは言わない。けど……お前の声を、俺はちゃんと聞ける。だから、怖がらなくていい」
しばし沈黙ののち――
ルーナは、そっと首を縦に振った。
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翌朝。森を抜けての移動中、ルーナは俺のすぐ横を歩いていた。
言葉は少ない。けれど、行動は明らかに、心を許し始めているサインを出していた。
「……ルーナって、何歳なんだ?」
セリナが恐る恐る尋ねる。
「……わかんない。……たぶん、百年くらい前に生まれた」
「百……!? え、そんなに?」
「魔族は……長生き。私は……特別」
ルーナの声は小さいが、丁寧だった。
彼女の紅い瞳が、少しだけやわらかくなるのを俺は見逃さなかった。
「……ねえ、ルーナ」
「……なに」
「なんで、あの村に残ってたんだ?」
しばらく沈黙が続いた。
やがて、ぽつりと呟く。
「……お父さんも、お母さんも……最後まで、待ってた」
「きっと、勇者は助けてくれるって……」
「でも……誰も、来なかった」
その言葉は、まるで針のように心を刺した。
「……俺がもっと早く異世界に来てたら、何か違ったかもしれないな」
そう呟いた俺に、ルーナがじっと視線を向けて言った。
「……だから、来てくれたんでしょ?」
「え?」
「……今、私に。あの日じゃなくても……今、いてくれる。……それだけで、十分」
その言葉は、たしかに『ありがとう』と同じ意味だった。
(ああ……この子、言葉が足りないんじゃない。言葉じゃ、足りなかっただけだ)
だから俺は、それ以上なにも言わず――ルーナの頭を、そっと撫でた。
「……っ」
肩をびくりと震わせたあと、ルーナはほんの一瞬だけ、目を閉じた。
それは――初めて誰かに心を許した証だった。
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その夜、三人で焚き火を囲んだ。
ルーナは言葉こそ少ないが、少しずつ話すようになっていた。
「……星、きれい……この世界も、まだ……全部、壊れてない」
「そうだな。きれいなもんも、ちゃんと残ってる」
「……勇人が……そう思えるように、してくれる」
言葉の少ないルーナが、何度もありがとうを伝えようとしていた。
「ったく……なんなのよ、もう。今度はあんた、魔族の子まで味方につける気?」
セリナが呆れたように言うが、目元は柔らかい。
「俺、何もしてないよ。ちょっと察しただけ」
「だからそれがすごいんでしょ!」
「……うるさい、ツンデレ騎士」
「誰がツンデレよ!!」
ルーナがくすっと笑った。
それは、きっとこの旅の中で一番やさしい音だった。