勇人、覚醒。言葉で守る力
ロルフ神父の名が文書に記された瞬間――空気が凍りついた。
「……信じられない」
エイリンは膝をつき、手にした密書を見つめたまま震えていた。
育ての親。信仰を教え、道を示してくれた唯一の存在。
その男が、聖女制度の裏で糸を引く黒幕だという事実。
それは彼女の存在意義を根底から否定するものだった。
「エイリン、深呼吸して」
勇人がそっと肩に手を添えた。
「……わかってる。感情的になってる場合じゃないってことくらい」
彼女は震える息を吸い、顔を上げた。
「でも――これだけは言わせて。私、自分の嘘の聖女としての過去に、けじめをつけたい」
「ああ。だからこそ、お前が必要なんだ」
勇人は頷いた。
そして、夜の王都に沈んでいた最後の敵に向けて、静かに立ち上がった。
枢密院地下――聖堂跡の祭壇に、ロルフ神父は立っていた。
光の届かないその空間で、膝をつく神官たちと、黒衣の魔法使いたちが跪く。
「ついに……最終の儀が整った。エイリン、いや、器は予定通り戻る」
その声は祈りのように響き冷たい。
だがそのとき、扉が破られた。
「――ここまでだ、ロルフ神父」
立っていたのは、高村勇人。
その背には、セリナ、エイリン、ルーナ。
「……君か。察しの勇者。実に邪魔だった」
ロルフが振り向く。
その目には、神に仕える者の清らかさは微塵もなかった。
「神を語り、人を操る……よくもまあ、白々しく演じたもんだな」
「操る? 違うな。導いたのだ。信仰とは、民の恐れを希望に変える劇場。私はその演出家だ」
「その希望に縋って壊れた人間が、どれだけいたと思ってんだよ」
勇人の声が低く、静かに響いた。
――そして、その戦いは始まった。
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ロルフ神父の魔術は、心に干渉する禁術。
相手の罪悪感を増幅させ、無力感に呑み込ませる精神攻撃。
「――感じるだろう? お前の中にあるためらいを」
勇人の脳裏に、これまで見てきたものがフラッシュバックする。
追放された夜。ヒロインたちの涙。迷い。偽りの自分。
「君のような男に、人を導く資格などない」
「……ああ、そうかもな」
勇人は目を閉じた。
だが――その瞼の裏に浮かんだのは、ヒロインたちの言葉だった。
「勇人……わかってくれて、ありがとう」
「あなたが本当の私を見てくれたから、私は救われたのよ」
「……わたし、勇人が好き」
声が重なる。
心に張り巡らされた迷いの霧を、その言葉が突き破る。
「……だったら、察するだけじゃなくて、今度は伝える番だよな、俺が」
目を開いた勇人の中で、《察する力》が変質した。
感情を読み取るだけでなく、感情を言葉に変える力として覚醒したのだ。
「セリナ、ロルフの背後に回って!」
「任せなさいっ!」
「ルーナ、左斜めから威圧をかけて。奴は錯乱状態の相手に魔力の制御が効かない」
「……了解」
「エイリン。お前の声で、嘘じゃない信仰をぶつけてやれ」
指示が次々と飛ぶ。
仲間たちは躊躇なく従い、勇人の言葉に合わせて動いた。
――戦いが変わる。
勇人の指揮は、まるで相手の未来を読んでいるかのようだった。
それもそのはず。《察する力》は、相手の本音と意図を読み取る。
ロルフの魔術の狙い、感情の動き、仕掛けの順序。
すべてが勇人には見えていた。
「ば、ばかな……なぜ、わかる……!」
ロルフが叫ぶ。
「簡単なことだよ。お前が支配しようとしたものを、俺は理解してるからだ」
最後の一撃――それは勇人の言葉だった。
「お前は、誰かを神の器にしたかったんじゃない。ただ、自分の信念を肯定してくれる偶像が欲しかっただけだ」
その一言が、ロルフの精神を崩壊させる。
魔術が暴走し、祭壇が音を立てて崩れ――
すべてが、終わった。
その後――
ロルフ神父は枢密院から除籍され、全ての陰謀が暴かれた。
勇人たちは、王都の英雄として名を知られることになる。
騎士団本部の中庭。
陽の光を浴びて、勇人は一人、ベンチに腰かけていた。
「……終わったな」
遠くでセリナが訓練し、エイリンは神殿で祈り、ルーナは魔族との交流をまとめている。
それぞれが、自分の道を見つけ始めていた。
そして、勇人はようやく――言葉にする覚悟を決めていた。
「今度は、ちゃんと、伝える」
その呟きが、風に乗って消えた。