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歴史作品

我が校の教育方針


私が教鞭を執る学校の校門の直ぐ内側に慰霊碑が建っている。


昔、国を支配していた独裁者が引き起こした戦争の末期に学校は戦場になった。


北方から南下して来た北の大国が首都に攻め込んだ時に、独裁者が最後の足掻きを見せて首都とその周辺で徹底抗戦していた頃の事。


首都とその周辺では独裁者に絶対的忠誠を誓った親衛軍と、周辺国の独裁者に媚びへつらった帰国しても絞首刑にされるだけの者たちが戦い、逆に南から北上して来る南の大国を相手にしていたのは国防軍の将兵たち、彼らは軍人の義務を果たそうと北上して来る南の大国を相手に徹底した遅滞作戦を行っていた。


進軍して来る敵の先鋒部隊に砲撃を行い先鋒部隊が砲撃に対処しようと陣を敷いたり、後方の砲兵部隊や空軍に砲撃や爆撃を依頼している間に次の陣地に移動するというやり方での時間稼ぎ。


学校の敷地内には同じように、学校から見える幹線道路を北上する敵を砲撃したら、サッサと遁ずらするつもりの部隊の兵士たちがいた。


だが、それを阻み徹底抗戦を主張する者たちが学校には存在した。


純粋無垢に独裁者か唱えた「国の為に死ね」の言葉を信じ、疑う事を知らず、敵を殺す事が自分たちに課せられた任務だと信じ込んでいる子供たちの一群。


6〜7歳から11〜12歳の小学生たちは徹底抗戦を主張して学校に立て籠もる。


国防軍の兵士は彼らの武装を解き家に帰らせようと試みたが逆に、銃口を向けられ「敵前逃亡を企てるなら死ね」とまで言われたらしい。


此れは戦闘後、重傷を負いながらも生き残って南の大国軍に捕虜にされた1人の国防軍兵士が語った話しである。


彼はその事を捕虜にした南の大国軍兵士に話したあと亡くなった。


南の大国軍の将兵も学校に立て籠もっているのが子供たちと知り、説得しようとしたが徒労に終わる。


迂回するという手もあったが、学校が幹線道路の直ぐ傍だった為にそれも出来ず、戦闘になった。


死ぬ事を決意している子供たちの徹底抗戦は凄まじく、壁1枚を挟んで隣り合う教室と教室で撃ち合い、階段の2階と3階の間の踊り場を挟んでの銃撃戦が学校の其処彼処で行われる。


それだけでは無かった、ある教室から子供の泣き声が響き7歳前後の女の子が教室から逃げ出して来た。


南の大国軍兵士がその女の子を保護しようと抱き上げた途端、彼女は隠し持っていた手榴弾のピンを抜き抱き上げた兵士もろとも自爆。


その女の子だけじゃ無い、負傷したのか腹を押さえてうつ伏せに倒れ呻いてる子供を助けようとした衛生兵は、傷の手当てをしようと子供を仰向けにしたら同じように隠し持っていた手榴弾を叩きつけられ共に爆死。


彼らは独裁者が唱えていた1人1殺を成し遂げたのだ。


此の戦闘で学校にいた約200人の子供たちは全員死亡、生き残ったのは前述した国防軍兵士1人だけだった。


学校に通っていて生き残った子供は、その日学校に行こうとするのを親に阻まれ縛り上げられ地下室に放り込まれていた僅か数人だけ。


此の学校での戦闘は戦闘に参加した南の大国軍兵士の心にも、深刻なダメージを与えた。


帰国して兵士の帰りを待ちわびていた幼い弟妹が駆け寄って来て縋り付こうとするのを、拒否したり突き飛ばそうとしたりしたと聞く。


私たち此の学校で教鞭を執る者たちは此の戦闘を肝に銘じ、遺憾だが子供たちに1つの事だけを盲信せず、何事も疑って掛かるようにと教育している。






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