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落語【声劇台本書き起こし】

古典落語「ぞろぞろ」

作者: 霧夜シオン


古典落語「ぞろぞろ」


台本化:霧夜シオン


所要時間:約25分


必要演者数:最低3名

      (0:0:3)


※当台本は落語を声劇台本として書き起こしたものです。

よって性別は全て不問とさせていただきます。

(創作落語や合作などの落語声劇台本はその限りではありません。)


※当台本は元となった落語を声劇として成立させるために大筋は元の作品

 に沿っていますが、セリフの追加及び改変が随所にあります。

 それでも良い方は演じてみていただければ幸いです。



●登場人物


爺さん:田んぼの真ん中にポツンとある太郎稲荷たろういなりのそばで茶店ちゃみせを夫婦で営

    む。参詣客さんけいきゃくがいない為、その日食うにも困る貧乏暮らし。


婆さん:爺さんと共に茶店ちゃみせを夫婦で営む。お稲荷いなり様を信仰しんこうすること厚く、

    毎日お参りに行っている模様もよう


床屋:流行はやらない床屋の親方。

   茶店ちゃみせうわさを聞き付け、自分もご利益りやくにあずかろうとお稲荷いなり様に

   願掛がんかけするが…。


客1:お稲荷いなり様が降らしたであろうご利益りやく夕立ゆうだちのせいで茶店ちゃみせに招き寄せら

   れ、茶と駄菓子だがし、それに草鞋わらじを買っていくことに。


客2:お稲荷いなり様に招き寄せられ隊その2。

   茶店ちゃみせ草鞋わらじを買って草加そうかへお出かけ。


客3:お稲荷いなり様に招き寄せられ隊その3。

   茶店ちゃみせ草鞋わらじを買っていく。

   ここまでで茶店の本日の売り上げ三十文さんじゅうもんなーりー。


客4:お稲荷いなり様に招き寄せられ隊その4だが、

   この人だけ割と損な役回り。

   流行はやらない床屋とこやの親方がお稲荷いなり様に願掛がんかけしたせいで

   床屋へ招き寄せられるが…。


語り:雰囲気を大事に。


●配役例


爺さん・客4:

婆さん・語り:

床屋・客1・客2・客3:


※枕はおばあさん役か、床屋役のいずれかが兼ねて下さい。




枕:日本人なら、よほどの無神論者むしんろんしゃの家にでも生まれない限り、

  一度は神社にもうで、お墓に参るかと思います。

  今でこそ分けられていますが、明治に入るまでは神も仏も同一視され

  、神仏しんぶつという言葉で表現されていたものです。

  とはいえ、これを信じる度合いというのも人によりけりでございまし

  て。


語り:昔のお話で、浅草あさくさ観音かんのん様の裏、当時は一面の田んぼだったそうで

   す。田んぼの真ん中にお稲荷いなり様がありまして、太郎稲荷たろういなりと言いまし

   た。一時は流行はやったんですが、だんだんだんだんすたれてきまして、

   参詣人さんけいにんが来なくなってしまいました。そうなると風雨ふううにさらされて

   なんとなく汚らしくなってきて、おやしろはほこりをかぶったようになり

   、鳥居とりい笠木かさぎが取れて二本の棒が突っ立ってるような有様ありさま

   正一位しょういちい太郎稲荷大明神たろういなりだいみょうじんと赤字に白く染め抜かれた幟旗のぼりばたもあったが、

   元が分からなくなるほど色が抜けて黄色くなってしまっている。

   この近くに茶店ちゃみせがありまして、年老いた夫婦がやっておりました。

   参詣人さんけいにんが無いわけですから、ここで休もうという客もありません。

   それ目当てだとなかなかお鳥目ちょうもく、収入が得られないというわけで、

   近所の子供たちに買ってもらおうてんであめやお菓子、それと最低限

   の荒物あらものなんぞを置いて、日々をほそぼそと暮らしておりました。


爺さん:ばあさん、ばあさん。


婆さん:なんです?


爺さん:今日もとうとう客は来なかったな。


婆さん:そうですね…。


爺さん:そろそろ日が落ちるよ。

    あぁ、朝から店に座ってたが退屈なもんだな、客がいねえってな

    。いっそのこと客になってみようかな。


婆さん:そんなことしたってつまりませんよ。


爺さん:どれ…俺ァちいとぶらついてくるぞ。


婆さん:どこ行くんですか?


爺さん:どこって、別にあてもねえがな。

    店にいるよりはましだよ。

    どっか行って来るから。


婆さん:おじいさん…そうやってぶつぶつ愚痴ぐちばかりこぼさないで、

    お稲荷いなり様でもお参りしたらどうです?


爺さん:お稲荷いなり様?よせよ。

    ご利益りやくがあればね、参詣人さんけいにんもあるよ。

    そうすりゃこっちだって繁盛はんじょうするんだ。

    ご利益りやくが無いから参詣人さんけいにんがねえんだ。そんなところお参りしたっ

    て無駄だよ。


婆さん:そんなことはありませんよ。

    何かご利益りやくをと思って頭下げたりおがんだりしたらいけませんよ。

    バチが当たります。

    だいいちね、こうやってわたしらが無病息災むびょうそくさいでなんとか暮らして

    いけるのも、あのお稲荷いなり様があればこそですよ。

    わたしは朝起きると必ずお稲荷いなり様へ参ってご挨拶あいさつするんです。

    お水も上げますし、ご飯も時々あげてるんですよ。

    おじいさんもしたらどうです?


爺さん:なに言ってんだ、おめえがしてるんなら、それで沢山たくさんだよ。

    俺ァしないよ。ご利益りやくがあるってんなら頭下げてもいいけどな。


婆さん:それがいけないんですよ、欲得よくとくじゃいけません。

    だまされたと思ってね、お稲荷いなり様に頭下げたらどうです?


爺さん:うるせぇなあ。わかったわかった。

    じゃ、俺ァ行ってくるからな。


婆さん:必ずですよ。


爺さん:分かってるよ。

    ついでにおがんでくる。


婆さん:ついではいけません。

    ちゃんと真面目まじめおがむんですよ。


爺さん:うるせえばあさんだなァほんとに…。

    じゃ行ってくるよ。


    【二拍】


    しょうがねえな、うちのばあさんは…ってなんだ、

    お稲荷いなり様の前に出ちまった。

    これは妙なもんだな。俺ァ通ったことねえんだがな。

    まぁいいや。

    じゃ、ばあさんに言われた通り、おがんでみるかな。


    えぇ、ひとつおたのもうします。

    茶店ちゃみせじじィでございます、へへ。

    うちのばばァに怒られましてね、お稲荷いなり様に頭下げなくっちゃいけ

    ないって。

    ひとつ、よろしくおたのもうします、どうも。

    【柏手を打つ】

    …って、あ…お賽銭さいせん忘れちまった。

    これァ家を出る時、持たなかったなぁ。

    お稲荷いなり様、すいません。お賽銭さいせん忘れてきてしまいました。

    あした婆ァに持たせますんで、どうも、あいすいませんでございま

    す。


語り:頭を下げまして家へ帰ろうと橋を渡り、そのたもとまで来ると

   何やら黄色っぽい、布のようなものが落ちているのを見つけます。


爺さん:ん?なんだこれ。

    ああ、こりゃお稲荷いなり様の幟旗のぼりばただよ。

    そうか、子供たちがいくさごっこしてそのまんまにしといたな。

    こりゃあ、お稲荷いなり様は寂しがるだろうよ。よしよし、どれ…。


    お稲荷いなり様、幟旗のぼりばたが落ちてましたんで、この鳥居とりいに立てかける…

    ったって、笠木かさぎがねえからしょうがねえな。

    ちょいとお待ちくださいまし。

    お、縄が落ちてる。よし…。

    この縄で縛っておきますんで、また明日も来ますからひとつ、

    よろしくお願いします。

    【柏手かしわでを打つ】

    どれ、帰るか…。


    【二拍】


婆さん:あら、おじいさんだ。

    おかえりなさい。


爺さん:ああ、ばあさん。行って来たよ。


婆さん:ご苦労様でした。

    お参りしてきましたか?


爺さん:うん、してきた。


婆さん:どうです、お稲荷いなり様は?


爺さん:別に会ったわけじゃないよ。

    出てくるわけじゃないんだから。


婆さん:そうじゃなくて、お願いかなにかしたんですか?


爺さん:あぁ。

    それで帰ろうと思ったらな、橋のところに幟旗のぼりばたが落っこってたよ

    。


婆さん:あら、橋の所ですか?


爺さん:うん、お稲荷いなり様も心配してるだろうと思ってな、それを拾って

    鳥居とりいの所に縄で縛り付けておいたんだ。


婆さん:それはいい事をしましたね。

    おじいさんにも真心まごころがあるんですねぇ。


爺さん:妙な事を言うなよ。

    ?おいばあさん、雨がぽつぽつ降ってきたよ。


婆さん:あらまあ、雨ですか。

    まあそうですか。

    きっとお稲荷いなり様のご利益りやくですよ。


爺さん:なんだよ、ご利益りやくってな。

    冗談じゃねえよ、天気が良くったってな、客は来ねえんだぞ。

    雨が降った日にはますます客は来なくなる。

    何がご利益りやくだ。


婆さん:ご利益りやくなんですよ。お参りしたでしょう?

    ですから、お爺さんが帰って来てから雨が降ったんですよ。

    しなかったら、途中で濡れてますよ。


爺さん:あぁ、そうか、それがご利益りやくか。


婆さん:そうですよ。

    お稲荷いなり様に感謝しないと。


爺さん:へえ、妙なもんだねぇどうも。

    !おいばあさん、ばあさん。

    ぽつぽつどころじゃないぞ、ぼんを返したようにザーッと、

    えらい夕立ゆうだちだぞ。


婆さん:あら、そうですか、やっぱりご利益りやくですよ。

    ずぶれにならずに済んで良かったですねえ。


爺さん:何を言ってるんだ、この雨じゃ客なんか来ねえよ。

    ばあさん、店閉めようか。


婆さん:閉めたらかえって蒸し暑くなりますから、冷たい風を入れた方が

    いいですよ。


爺さん:そうかねえ。


婆さん:えぇ、ご利益りやくなんですから。


爺さん:ご利益りやく利益りやくって、もうからねえご利益りやくがあるもんか。


客1:【店に駆け込んでくる】

   はぁ、はぁ、ちょいと、休ましてもらうぜ!


爺さん:あ、は、はいっ!

    ば、ばあさん、なんか、客が来た…!


婆さん:あらまぁ、これこそご利益りやくですよ!


爺さん:こ、これがか!?

    あっ、そうか…雨宿あまやどりで…!

    こらどうも、ありがとう存じます、え、どうぞお掛けくださいま

    し。


客1:いやぁ驚いた。

   この雨じゃ、先を急いだって無理だな。

   止むまで待たしてもらうよ。

   ところで、茶を一杯飲みてえんだが。


爺さん:あぁさようですか。

    ばあさん!お茶入れてくれ!

    いまれてますからね。

    おい、早くしろ早くしろ、客が帰っちゃうといけねえ。


婆さん:はいはい、ただいま。


爺さん:おお来たか。

    さあさあ、どうぞお上がりくださいまし。


客1:おうそうか、すまねえな。

   じゃ、いただくよ。


   ずずーっ。


   はあぁ助かったなぁ、うん。

   えれぇりだなこらぁ。


   ずずーっ。


   うん、茶だけってのもなんだか口さみしいな。

   なんかこう、つまむもんはねえかい?


爺さん:ええ、駄菓子だがしなんぞがおいてありますが、いかがでしょう?

    どれでも構いません、つまんで下さい。


客1:ふんふん、なるほど、色々あるようだね。

   おい爺さん、この丸いのは何だい?


爺さん:ああその丸いの。

    お分かり無いと思いますがね、ハッカのお菓子ですよ。


客1:ハッカ?

   ハッカっていうのは、三角じゃねえかい?


爺さん:ええ、はじめは三角だったんですけどね、

    店に出しておきましてもなかなか売れませんでね。

    掃除するたんびにあっちやり、こっちやりして、

    ほうぼう々をぶつけましてね。

    角が取れてすっかり丸くなってしまいました。


客1:はあぁ苦労人くろうにんだねえこのハッカのお菓子も。

   人間もこうなりてえもんだな。

   そうか、よしよし、ひとつもらおうかな。

   へえぇ、丸いハッカのお菓子かぁ。

   んむ。

   【しばらく噛んで食べている】

   んむ、んむ…。

   どうでもいいけど、苦労するとカビ臭くなるね。


   お?これァ饅頭まんじゅうかい?


爺さん:はい、ええ、饅頭まんじゅうもございます。

    よろしかったらどうぞ。


客1:そうかい、じゃ、ひとつもらおうかな。

   んむ。

   【少し噛んで食べて】

   おい、これ本物かい?

   饅頭まんじゅうってのはもう少し柔らかいもんだが、いやにかたいね。


爺さん:えぇ、初めは触れると崩れるほど柔らかかったんですが、ええ、

    ここんところかたくなりまして、親も喜んでおります。


客1:変な饅頭まんじゅうだねおい。こらァよしとくよ。

   ハッカのお菓子と…饅頭まんじゅう)歯形はがたを付けちまったが、いくらだい?


爺さん:あ、えぇ、六文ろくもんでよろしゅうございます。


客1:六文ろくもんでいいのかい、わかった、茶代ちゃだいはここに置くよ。

   さて、じゃあ出かけ…あぁ、こらァいけねぇな。

   この雨で道がぬかるんじまってる。すべって危ねえな。

   と言って、雪駄せったくのももったいねえしな…。

   爺さん、草鞋わらじなんか置いてねえかい?


爺さん:あ、ありがとう存じます。

    どうぞ、頭の上をご覧くださいまし。

    売れ残りの一足いっそくがございます。


客1:おお、あるね。

   いくらだい?


爺さん:はい、八文はちもんになります。

    あ、そのままお引きください。

    スッと抜けるようになっておりますから。

    ええ、ありがとう存じます。


    おいばあさん、草鞋わらじまで売れちまったぞ。


婆さん:えぇえぇ、聞いてましたよ。

    お稲荷いなり様のご利益りやくですよきっと。


爺さん:そうかぁ…こりゃあ驚いたよ。

    一足いっそくだけどうしても売れなかったんだ。

    俺ァ捨てちまおうかっつったら、ばあさんが塩漬しおづけにして

    もたしてくれた。

    はぁぁ、妙な事があるもんだな。


客2:ちょいとすまねえ、草鞋わらじもらいてえんだが!


爺さん:はい、すいませんー!

    !ばあさん、また草鞋わらじだと。

    ご利益りやくだよ…けど最後の一足いっそくだったんだよな…。

    あいすいません、売れ残ったのが今売れてしまいまして。

    もうございませんで、またという事で…。


客2:ねえのかい?これから草加そうか行きてえんだよなぁ…弱ったね…ん?

   おい、これ、天井からぶら下がってるの、売り物じゃねえのかい?


爺さん:え?ぶら下がって…そんなバカなことは無いと思いま…ぁッ!?

    ばあさん、ばあさん!


婆さん:はいはい、なんです?


爺さん:おめえ、さっき客が帰った後、何か仕掛けしたんじゃねえか?


婆さん:そんなの知りませんよ。


爺さん:だっておまえ、たしか一足いっそくしかなかったろ。

    それが売れたんだからねえはずだよ。

    なのにそれがぶら下がって…おかしいな…。


    どうもあいすいません、耄碌もうろくしておりました。

    八文はちもんになります。


客2:おう、じゃ、お代はここに置くぜ。


爺さん:どうも、ありがとう存じます。

    ばあさん、どうも変な事になっちまったな。


婆さん:ご利益りやくですよ、ご利益りやく…はぁぁありがたやありがたや…。


客3:おうい、すまねえ、草鞋わらじくれや!


爺さん:まただよ。今日は草鞋わらじが売れる日なのかなあ…。

    あいすいません、先ほど売れてしまってもうありま…え!?

    ば、ばあさん、ばあさん!見ろよ!

    また一足いっそくぶら下がってるよ…!


婆さん:どうしたんです、おじいさ…あ。


爺さん:な、あるだろ?

    あいすいません、耄碌もうろくしました。

    数が分かんなくなりまして、一足いっそくございました。


客3:おぅいいのかい?

   じゃ、いくらだい?


爺さん:あ、八文はちもんになります。

    え、そのままお引きください。

    ばあさん、いいか、よく見てろ……えっ!?


婆さん:!!?

    そ、そんなバカなことが…。


爺さん:あ、新しい草鞋わらじだ…!


語り:二人が驚くのも無理はありません。

   客がぐいっと草鞋わらじを引っ張って取ったかと思うと、

   天井裏から新しい草鞋わらじがぞろぞろっと降りて来たのであります。


爺さん:お、おいばあさん、こりゃあいったい…。


婆さん:お稲荷いなり様ですよ、お稲荷いなり様が霊験れいげんを示して下すってるんですよ。


爺さん:お稲荷いなり様!?

    天井裏でお稲荷いなり様が草鞋わらじを打って、それで売れたらこう、

    ぞろぞろぞろぞろと下ろして来てるってのか?


婆さん:はぁぁお稲荷いなり様、ありがたや、ありがたやぁぁ…!


爺さん:こうして見たからには、信じないわけにゃいかねえ。

    ありがてぇありがてぇ…!


語り:さあこの評判が広まるや、老夫婦の茶店ちゃみせはえらい繁盛はんじょうぶりです。

   太郎稲荷たろういなりのおやしろも、ご利益りやくうわさを聞き付けてみんなが寄進きしんしたり、

   お参りしたりするもんですからすっかり立派なお堂がちました。

   その茶店ちゃみせの前にある床屋、開業してから一人でも客が来ただろうか

   と、親方が毎日自分のヒゲを抜きながら考え込むほど、

   閑古鳥かんこどりが鳴いている。


床屋:はぁぁ、しょうがねえなぁ、ほんとによぅ…。

   にしても、前の茶店ちゃみせがいやに繁盛はんじょうしてるね。

   ついこないだまでうちと同じで、今にもつぶれそうだったのによ。

   …サクラかね?親戚しんせきでも集めたのかね?

   ま、ちょいと行って聞いてみるか。

   おう、ごめんよ。


爺さん:はいはいいらっしゃい…おや、あんたは…。


婆さん:向かいの床屋の親方さんですよ、おじいさん。

    いったいどうしたんです?


床屋:いや、最近やけに店が繁盛はんじょうしてるなあと思ってね。

   何か、あったのかい?


爺さん:ああ、それはね、お稲荷いなり様のご利益りやくだよ。


婆さん:おじいさんがお稲荷いなり様にお参りしてお願いしたらね、

    草鞋わらじが売れたそばからぞろぞろと降りてくるんですよ。


爺さん:そのぞろぞろ草鞋わらじを求めてほうぼう々から買いに来るもんだから、

    おかげで暮らしが楽になったよ。


婆さん:はぁぁ、ほんとにありがたや…。


床屋:へええ!お稲荷いなり様のご利益りやくかあ。

   そうか、じゃあ俺も一つ、お願いしてみるかぁ。


語り:なんてんで親方、わずかなお賽銭さいせんを持ちましてさっそくお稲荷いなり様に

   お百度ひゃくど参りを始めます。


床屋:【柏手かしわでを打つ】

   お稲荷いなり様、どうぞ、俺の店も前の茶店ちゃみせ同様どうように、ぞろぞろ繁盛はんじょういたし

   ますように。

   繁盛はんじょういたしましたら、金の鳥居とりいにいたしますから。

   繁盛はんじょうしなかったらしょんべんして火を付けますから。


語り:とまあひどい拝み方があるもので、お百度ひゃくど参りを終えますと

   お店に戻って来ました。するとびっくり、開業以来初めて店に人が

   。驚いて固まっている親方に、声を掛けました。


客4:おい親方、どうしたんだい?


床屋:えっ…あの……どなた?


客4:おいよせよ、客に決まってるじゃねえか。


床屋:お…お客…!?

   あなたが…!?【泣きだす】


客4:おいおい、泣きだすこたァねえだろう。

   頼むぜ。


床屋:【つぶやくように】

   はぁぁお稲荷いなり様のご利益りやくだ…たとえ客一人でもね、いいんだよね。

   これ仕上げて返す、新しい客がぞろぞろ、はぁぁありがとう…!

   仕上げて返すとまた新しい客がぞろぞろ…


客4:おい、何ぞろぞろ言ってんだよ。

   急いでんだ、頼むよ!


床屋:へ、へい!ありがとう存じます!

   どうぞお掛けくださいまし。

   とりあえず、元結もっといはじきまして…


客4:【↑の語尾に喰い気味に】

   あぁ頭はいいんだ。

   ヒゲをやってもらいてえんだがな。


床屋:あぁさようでございますか!

   分かりました!


語り:てんで、親方が腕によりをかけて客のヒゲをつぅーっとやると、

   新しいヒゲがぞろぞろっと生えてきました。




終劇




参考にした落語口演の噺家演者様等(敬称略)


三遊亭圓窓(六代目)




※用語解説


荒物あらもの

雑貨のうち小間物(こまもの)より大きなもの。

おけ・ざる・ほうきのたぐい


元結もっとい

髪の根を結い束ねるのに用いる(ひも)のこと。


笠木かさぎ

鳥居、または、門、板塀、板橋などの上に渡す横木。冠木(かぶき)


鳥目ちょうもく

ぜにの異称。

また一般に金銭の異称を指す。

江戸時代までの銭貨は中心に穴があり、その形が鳥の目に似ていたところ

からいう。



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