【短編】ザマアされた筋肉は卵を割る。
【シリーズ第一弾】
設定ゆるゆる、ご容赦ください。
元貴族の男が辺りをウロウロしている。
そんな噂を聞いたのは子供たちの服を日が当たる場所に干している時だった。足元に抱っこをせがむ子供がまとわりついている。
曰く、何か悪いことをしてこの地へやってきたならず者である。
曰く、目つきが鋭く悪いやつに違いない。
子供たちに何かあっては困る。どんな見た目かを問うと、こう返ってきた。
「やたらとムキムキな男さ」
-----
子供たちはオババのお話の時間が大好きである。オババといってもまだ若いように見えるが貫禄は十分にある孤児院の主である。オババの話は明らかに作り話なのに妙に鮮明な描写で語られ子どもたちの好奇心を大いにくすぐる。
多くの子どもたちがオババの周りに集まる。
騒がしい子どもたちを落ち着かせるべく私はパン!パン!と2回手拍子を打つ。オババに多くの可愛い目が向けられたところで私は喋り出した。
「オババの話の前にみんなに伝えたいことがあるの。知らない人にはついていかないように」
約束できる人は誰かしら?と問うと子どもたちが元気に応える。
「私、約束できる!」
「ボクもボクも!」
——-
さて、私が住んでいる孤児院では慢性的に人手不足である。子を亡くした女性や夫から逃げてきた女性、私を含め所謂訳ありの女性たちがオババのもと住み込みで働き共に生活している。子どもたちは様々な理由でここにいるが、幼児から10代前半までの子どもたちが暮らしている。経営は基本的に寄付で賄っており、働ける子は町で簡単な仕事を受けるなどして細々と暮らしている。ある程度の年齢になると仕事を斡旋してくれる店のツテで働く場所を見つけ独立していく。
オババ以外の大人のことを子どもたちは「お母さん」と呼び、私たちも我が子同然に子どもたちを愛している。
そう、愛している。まだまだ甘えたい年頃の子どもたちばかりである。
「抱っこして」
「おんぶして」
「こっちみて」
構ってほしいとせがむ子どもたちにできることなら1人1人抱きしめて愛を囁きたい。しかしそうは言ってられない。
汗っかきな子。服を汚す子。トイレがまだ1人でできない子。あっちでは水をこぼし、こっちでは転んで泣いている。仲良く遊んでいると思えばケンカを始め、おとなしいなと思ったら汚い雑巾を舐めている。毎日が騒がしく座る暇がないほど忙しい。ゆっくり愛を囁けるのは子どもたちが寝た後。私たちは子どもたちの寝顔を見てこう言う。
「たくさん構ってあげられなくてごめんなさいね…」
——-
子どもたちが寝静まった夜、やらなければならないことを一旦置いて女性たちが集まってお茶をする。多くの子どもをかかえる母たちの束の間の休息である。
「いくつ手があっても足りないわ」
「いつものことよ」
「抱っことおんぶしながら洗濯物を干したものだから腰をやってしまったわ」
「腰は辛いわね、明日はやめておいたほうがいいわ」
「そうはいってもねぇ」
「私たちには男ほどの体力がないのだもの。抱っこやおんぶは1人までにしておかないと体が悲鳴をあげてしまうわ」
———
天気が良いので子どもたちを連れて丘の上へ来た。みんなで作った歪な形のオニギリを外で食べるのだ。この孤児院では小さい頃からお仕事と称して身の回りのこと、家事をひととおり手伝わせ身につける。これはオババの方針で、いつか自分の力で生きていかなければならない子どもたちへ与えられる“生きる術”だ。
丘の上では各々が走り遊びまわり賑やかな声が飛び交っている。私は孤児院の机に飾ろうと花を摘んでいた。花の彩りは心の傷を癒してくれると昔、オババが言っていた。ふと、どこからか転んだ子どもが泣いているのが聞こえた。
「どうしたの?」と声のする方へ向かうと、上半身裸のムキムキな男が子供を抱えている姿が目に入った。
『元貴族の男だわ!』
子どもは痛いのか男が怖いのか泣き続けている。男の腰には木刀が掛かっており血の気が引いた。
「その子を離しなさい!!!」
———-
どうやら上半身裸のやたらとムキムキな男は転けた子どもを起こしてくれたらしかった。子どもに怪我もなく服を着たムキムキな男に私は謝った。
「子どもを助けてくださったこと、感謝します。
疑った言い方をして申し訳ありませんでした」
ムキムキな男は木刀で鍛錬をしていたらしく怖がらせて申し訳ないと頭を下げた。改めて男を見ると確かに眼光は鋭いが美しい顔をしており、その佇まいからも貴族であったことが伺えた。子どもを助けてくれたことは分かっても油断はできないと思った時その屈強な体から「グゥゥゥ」と、どでかい腹の虫の声が鳴りムキムキな男の顔が赤く染まった。
不覚にも、可愛いと思ってしまった。
——-
目の前には胸に1人、背中に1人、小脇に1人、肩に1人、合計4人の子どもを抱えたムキムキな男がゆったりと歩いている。空いた片腕で器用にずり落ちそうな子どもを支え長い間歩き回っている。子どもたちは大喜びだ。
やたらとムキムキな男に怖がっていたのは初めだけで、弾力のある筋肉をツンツンする子、うっすらと生えている髭を触ってしげしげと眺める子、大きな指を握ってみる子、何をしても怒らない男にすぐに心を開いたようだった。
男の周りには、順番待ちの列ができた。しかし一気に大人数を抱えられるため、さほど待たなくても構ってもらえるとあって何度も何度も順番にムキムキな男と遊んでいた。
子どもたちはお礼とばかりに自分たちで作った歪なオニギリをムキムキな男に食べさせた。
「ねぇ、これボクが握ったんだ」
「これ、私が採った果実を干して塩漬けにしたものなの。食べてみて。びっくりするわよ」
ムキムキな男はニコニコ笑うことはなかったが「ほう」だとか「これは興味深い」などと一つ一つに感嘆してみせた。
そしてウメボシを食べた男の口がキュッとすぼんだのを見て子どもたちは大笑いした。
-----
子どもたちはすっかりムキムキな男に懐いた。やたらとムキムキな男は疲れ知らずのようで際限なく遊んでくれるため子どもたちは毎日でも遊びたいとねだった。どうやらまともに料理ができないらしい男は子どもたちと一緒に料理を学ぶ傍ら全力で子どもたちの相手をした。
この自分よりも大きな男がお母さんたちよりも大きな男が料理を全くできないと分かるやいなや子どもたちは得意げになった。
「大人なのに、こんなこともできないの?」
「ムキムキなのに卵を割るのが下手くそだね!」
私たちは子どもたちの発言を咎めたがムキムキな男は子どもたちにこうべを垂れて言った。
「本当に君たちはすごいな。是非ともご教授願いたい」
子どもたちは大きな大人に教えるという素晴らしく誇らしい仕事を見つけ嬉々として男に教えた。教えることで子どもたちの家事へ対する意欲が高まり私たちは大助かりだった。さらに男はたびたび手土産にと季節の花を摘んできた。
私は男が摘んできた花を見るたびにムキムキな男が野の花を、その逞しい身体をかがめ大きな手でそっと摘む姿を想像し心の傷が癒やされていくような温かい気持ちになった。
-----
やたらとムキムキな男が孤児院に出入りするようになってしばらく経つと警戒していた町の人たちも悪い筋肉ではなさそうだと徐々に男と交流をし始めた。男はただ町をウロウロしていたわけではなく治安警備隊に所属しているのだという。とはいえ町人で構成される治安警備隊に制服などはなく、治安が良くなったこの地域ではただ徘徊しているだけのなんとも地味な仕事に見えた。
ある日の夜、近所の人がオババを訪ねてやってきた。詳細を聞いたらしいオババは私を呼び例のムキムキの男の元へ行くように言った。要件を聞いた私は急いで男の元へ向かった。そこは治安警備隊の建物で中に入ると広い土間があり、そこに3人の少年が手と足を縛られた状態で座っているのが見えた。
3人のうち2人の少年を私は知っていた。2年前に孤児院から独立した兄弟だった。兄が仕事を見つけ独立する際に弟を引き取る形で連れて行った。すぐに子どもたちに駆け寄った。
「どうして、こんな…」
3人の少年は盗みを働いたらしい。しかも常習犯だという。追いかけた人に怪我をさせ治安警備隊の男に捕まった。どうして、と聞きながらもだいたいの理由は察していた。孤児院から独立した子どもたちの中には慎ましくも幸せに暮らしている子がいる一方、奉公先でうまくいかず解雇され食うものにも困る生活に陥る子もいる。
兄弟に近づくと擦りむいた膝と埃っぽい血の匂いがした。
「孤児院を出た子たちで間違いありませんか」ムキムキな男はそう私に問いかけた。
「ええ、私たちの愛する子です」
そう言った瞬間ずいぶん大人になった兄の方がキッと私を睨んだ。
「本当の母親じゃないくせに!」
-----
「本当の母親じゃないくせに!」
そう言った青年はその勢いのまま私に怒りをぶつけた。
「あそこは大人も子供も世間に捨てられたやつらの集まりだ!ゴミだ!みんなそう言ってる!」
叫ぶように怒る青年から、どうどうと行き場のない怒りと悲しみが私の心に流れ込む。私はぶつかるように彼を抱きしめた。彼は身を捩って嫌がった。私よりも大きくなった彼の力は強く唸り暴れる彼を押さえ込むように抱きしめた。私の髪はぐちゃぐちゃになり汗で顔に張り付いた。
「母親ぶりやがって!俺たちは望んであんなところにいたわけじゃない!なんで俺だけ…!望んでこんなふうになったんじゃない!!!」
体を硬直させ唸り暴れまわる子から振るい落とされないよう抱きしめ続けた。私とて彼らと一緒にいたのは、ほんの3年ほどである。だけど彼の心の叫びは私の心の叫びだった。辛い、悲しい、なぜ、苦しい、誰も分かってくれない、必要とされない、これ以上どうしたらいいの…
-----
あの日、私が孤児院に行き着いた日、行き場のない悲しみと怒りを携えた私をオババはただただ無言で抱きしめてくれた。今の私にできることは目の前の彼を無言で抱きしめるだけだった。
-----
あれから少年3人は治安警備隊の訓練生になっていた。これまでの被害者と、どう折り合いをつけたのかは知らないが、あのムキムキな男を介して罪を償い今度は町の助けになるよう生きていくと聞いた。
領主から少ないながらも給与が支給されるらしい。さらに3人のうち孤児院出身ではない青年の妹を保護し孤児院に迎えることとなった。当初、青年は妹を孤児院に入れることに難色を示していた。妹が酷い扱いを受けることを危惧しているようだった。意外にもそんな青年を諭したのは私に怒りをぶつけた彼だったという。
「あそこにはオババがいる。それにあそこの大人は俺を、子どもたちを1人の人間として扱ってくれる。大丈夫だ」
自分は確かに愛されていた、いつか私に会って謝りたいと男を通して聞いた。
——-
少女は10歳と言ったが兄である青年と容姿は似ておらず言葉の遅れがみられた。彼女はあまり人と目を合わそうとはせず子どもたちと一緒に何かをしたいだとかそういうことに興味がないように思えた。
ある日、外で遊んでいると彼女は下を向いてじっと動かなくなった。男の子があっちで一緒に遊ぼうと誘ったが聞こえていないのか顔を向けることもなかった。少し不貞腐れた男の子は「変なやつ」と言い捨てて行ってしまった。
「どうしたの?」と私が近付いても下を見続けたまま動く様子はない。気分でも悪いのかと顔色を伺おうとすると彼女は目をこれでもかと開き口を半開きにして何かを熱心に見ているようだった。
彼女が見ていたもの、それは死んだ虫に群がる蟻だった。
-----
「そろそろ中に入ってご飯を食べましょう」何度そう言っても彼女は動かなかった。
施設から出てきたオババがこう言った。
「きっと、この子にしか見えないものがあるのよ」
子どもたちを見渡して続けた。
「みんな、よくお聞きなさい。あなたたちには、みんなそれぞれ神様からギフトという贈り物を貰ってこの世に生まれたの。みんな違うものをね。そのギフトは誰かに取られることもないし比べられるものでもない。それぞれなのよ。他とは違う自分という存在を信じなさい。そして自分とは違う他を尊重しなさい」
子どもたちはもちろん、これまで母としての役割をオババや子供たちに与えられてきた悲しい女たちも、真剣な表情で聞いていた。皆が自分の内を覗き込んだ静寂を破ったのは、やはりオババだった。
「さて、みんな中にお入り。その子もお腹が空いたら入ってくるわ」
いつのまにか私の後ろにいた、やたらとムキムキな男はなにやら神妙な顔をしていた。
「自分を信じる、か」
そう呟き、蟻に夢中になっている彼女の側に腰を下ろした。
「私は彼女に付き合っているから貴女は先に行ってください」
-----
やたらとムキムキな男は子どもたちと遊ぶだけではなく私たちに護身術や様々な知識を教えてくれるようになった。子どもたちは私たち大人よりもどんどん知識を吸収し、将来的に仕事の幅がぐっと広がることが予想できた。
「私の教養が子どもたちの役に立つのであれば私はそれを贈りたい」
そう言って強い力で卵を割る凛々しい男の横顔を私はそっと伺い見た。
「卵割り、ほんと下手くそだね!」
子どもの大きな声でハッと我にかえる。お椀の中には卵と一緒に殻がたくさん入っていた。やたらとムキムキな男はバツが悪そうな照れたような顔をして私を見た。その顔がどうしようもなく愛おしく思えた。私はもうはっきりと気が付いてしまった。私はこの男を、やたらとムキムキな男を愛しているのだと。私は許しを乞うような情けない顔をした男に向けて笑顔をみせた。「しようがないわね」
-----
あの日、暴れる怒りを抱きしめ続けたあの日、私は男の家に泊まった。暴れていた子の体から力が抜けたとき私の体からも全ての力が抜け動けなくなってしまったのだ。私をここに連れてきてくれて最後まで見届けてくれた近所の人は、ことの顛末と私の状態をオババに伝えてくれたらしい。オババは、もう夜も遅い、子どもたちも寝てしまったから、 泊めてもらいなさい、と言ったらしい。
男に手を引かれ、ベットにうつ伏せに倒れこんだ。男は何か言っていたが私はそのまま意識を手放し泥のように眠った。
次に目を覚ました時まだあたりは暗く、倒れ込んだそのままの姿勢だったため腕や胸がしびれて起き上がるのに時間がかかった。そっと寝室を抜けると机に向かって何やら書き物をしている男がいた。
私に気がついた男は振り向き無言で私を見た。ランプの光に照らされた男は、やはりやたらとムキムキだった。きっと私の顔は、髪は、酷い状態だろう。ふとそう思ったが取り繕うこともできず動くこともできずしばし見つめあった。
「水を用意しよう」
止まっていた時が男の声で動き出した。椅子を用意してもらい私は男の横で背中を丸めて水を飲んだ。男は何か言うでもなく書き物を再開した。部屋の中はとても静かで暗くて、男とランプと私だけの空間だった。私は灯りの隅で相変わらず背中を丸め、母の柔らかい胸に抱かれているような父の大きな背中におぶわれているような何も恐れることがない全て許されている、そんな気持ちでいた。どれほどの時間が経ったのか水はとっくに飲んでしまっていたが私はずっと男の横にいた。
書き物を終えたらしい男が私からコップを取り上げ机に置いた。私に顔を向けるでもなくどこか遠い目をした男が静かに話し出した。
「私の話をしても?」
男は国軍に従事する家系でこの国の王子の側近をしていたらしい。ある日、王子は婚約者である異世界から来た聖女に冤罪をかけ婚約破棄をしてしまう。そして王子と王子を手助けした側近であったこの男も処罰されたという。その後の捜査で実は聖女自身が聖なる力を悪用し、王子と側近を操っていたことが判明。聖女は幽閉された。
加害者であり被害者とも言える王子は自ら臣下に下ることを望み、側近だった男も勘当を望んだ。いとも簡単に操られてしまった自分を信じられないのだという。ここの領主は男の叔父で、自分にできることを考え治安警備隊に入隊したらしい。
話し終わった男は私をじっと見た。次は私の番だと言われている気がした。
私は、と言いかけて自分の手がとても冷たいことに気がついた。私が手を擦り合わせるのを見た男は、自分の外套を取りに行き私の肩にかけた。
自分とは違う、男の匂いがした。目の前のムキムキは男なのだと当たり前のことを思った。私は男の外套を触りながらここへ流れ着いた経緯を思いつくままにボソボソと話した。
見そめられて嫁に行ったこと、妊娠してすぐに流れてしまったこと、義親に離縁を勧められたこと、夫だった人は黙っていたこと、離縁したあとに、なぜか石女だと噂が広がり、そのまちにはいられなかったこと。
私が話し終えても男は何も言わなかった。私にはそれが嬉しかった。男の外套が私を温めていた。
——-
朝方、やたらとムキムキな男と並んで歩いた。男がここにいる経緯をオババも知っていると言った。オババはこう言ったらしい。
「ザマアされたのね」
曰くザマアとは制裁を受けるというような意味らしい。オババはたまに私たちが知らない言葉を使う。男が人の役に立つことをしたいと思ったのはオババの話を聞いたからだという。
「一番悲しいことは何だか分かる?自分自身を信じられなくなった時。自分が生きている価値を見出せなくなった時。自分を信じることは自分を愛することなの。施しは自らを救う。自分自身で自らに役割を与えなさい。
私がそうよ。子どもたちに与えているのではなく、彼らに与えてもらっている。役割を、愛を、自分自身を」
-----
やたらとムキムキな男が孤児院に出入りするのが当たり前になってきたある日。領主が孤児院へやってきた。領主なんて滅多にお目にかかれないはずなのだが、この領主は度々ここを訪ねてやってくる。領主自ら寄付でもしているのだろうか。
そして領主はオババのことを“太陽のような人”と言う。
今日はオババと、甥であるムキムキな男に用があったらしい。王宮に呼ばれたらしいオババとムキムキな男は数週間帰ってこなかった。オババの不在を不安に思う私たちに領主が言った。
「君たちの太陽は必ず連れて帰ると約束しよう。しばらくの辛抱だ。子どもたちをよろしく頼む」
数週間経つとオババはまるで貴族のような出立ちで帰ってきた。しかしその顔には疲労がくっきりと出ており少し老けたように見えた。
子どもたちは高級そうなドレスを見て抱きついてもよいものか躊躇しているようだった。
オババはさっさと着替えるといつものこざっぱりした表情で子どもたちをかわるがわる抱っこした。
やたらとムキムキな男も帰ってきた。これまた貴族のような格好をした男は自宅に帰らず直接孤児院にやってきたようだった。
着飾った、やたらとムキムキな男はなんだか遠い人に思えた。煌びやかなムキムキが私を目掛けてズンズン歩いて来る。このままいけば私は壁と筋肉に押し潰されるのでは、と考えていたら男は私の前でピタッと止まった。何だか嗅ぎ慣れない香水の匂いがした。
「話したいことがある」
-----
見慣れない男の姿に心がざわざわした私は、今日のところは出直して欲しいと男に答えた。硬い顔をした私を見て男は「失礼した」とだけ言い帰って行った。その日の夜、私はああでもない、こうでもないとまとまらない思考に翻弄されていた。
私の冷たい態度に男は何を思っただろう。久しぶりに会えたのに。もっと言い方があっただろうに。男はもともとあちらの人間で、私とは世界が違うのに。
数日後の夕方、今日は近所の人が手伝いに来てくれるとあって、オババが男の所へ行っておいでと送り出してくれた。
事前に行くと伝えてあったので、やたらとムキムキな男が迎えに来た。
今日は以前のような素朴な、そして粗野な格好をした筋肉だった。
男の家に着くと夕飯が用意されていた。
最低限の灯りしかない部屋で男が作ったらしい夕飯を食べた。
卵料理を食べているとガリッと殻を噛んだ音がしたが、男はこれまでの成果を発表するかのように料理の説明に夢中になっており気がついていないようだった。私は可笑しくなって、まるで先生のように男の料理を褒めた。
「聖女は他に愛する人がいたらしい」唐突に男は言い出した。
なんでも元王子とムキムキな男の精神を操った異世界から来た聖女は愛する人を連れて元の世界に戻ったらしい。
「時間は経ったが今も自分のことを信じられない気持ちはある」と真面目な男は言う。
「だけど、私が、いや俺が信じられるものがひとつだけある。貴方への愛だ」
男は私を見つめている。
カッと私の頬や耳に熱が集まった。心臓がドキドキ跳ていたが、一方で心の奥は急速に冷えていった。
長い沈黙が私たちを包んだ。
卓上の灯りが微かに揺れている。
私はこう言われることを望んでいたのだろうか。私は、また冷えていく手をさすりながら言い訳するように早口で言った。
「あなたと私は違いすぎる」
身分が違う、価値観が違う、生きてきた環境が違う。なにより…私は子供が産めない。
自分で言っておいて、嫌な女だと思う。
釘を刺すことによって、保身しようとしている。
言い切って俯く卑しくなった私の側に、いつの間にかやたらとムキムキな男が立っていた。
男は私のあかぎれたガサガサの手をそっと手に取り私を立たせた。男の大きな指の腹で私の手の甲を撫でた。男の手は分厚く、私よりよっぽど硬い皮に覆われていたがとても温かかった。
「それだけか?」
それだけ?私にとっては重要なことなのに、と怒りを含ませ顔をばっと上げた。
私の目に入ってきたのは乞うような情けない顔をした男だった。何も言えなくなってしまった私に男は懇願した。
「この愛だけが信じられることなんだ。どうか貴方の手に縋らせて」
それにあなたには、もうすでに愛する子どもがたくさんいるではないか、と男は言って私を抱き寄せた。温かい筋肉に包まれた私は強張っていた体の力を抜いた。男の分厚い胸に、頬と身体を預けたことで気をよくした男は、ちゃっかり私の頭のてっぺんにキスを落とした。キスを許可した覚えはないわ、と、睨むとまたシュンとした顔をした。その情けない顔がどうしようもなく愛おしく笑ってしまった。
「しようのない人ね」
——-
男はこの領で生きていく選択をしたらしい。叔父である領主に養子入りし叔父の後を継ぐつもりであると孤児院に帰る間、聞かされた。
「一緒に生きてくれないか」
「貴方がいないと信じられるものがない」
これでもかと畳み掛ける男に私は卑屈になることをやめた。私はこの男を、やたらとムキムキな男を愛してしまった自分を信じてあげなければ。私は彼の手の中からするりと逃げると男の前で仁王立ちになり男の手を取り直した。オババは言っていた。女は度胸だと。
「私は自分の中にある愛を信じるわ。私は貴方を愛しています。貴方と一緒に生きて、貴方のことを幸せにしてあげる」
驚きの顔から眩しいものを見るような顔になった男は膝をつき、立ったままの私を抱きしめ顔をうずめた。力加減が分かっていない、やたらとムキムキな男の腕でぎゅうぎゅうと抱きしめられ私の関節がポキッと鳴った。慌てて私を解放した男に私は笑顔を向けた。
「まずは力加減の練習を。そうね、卵割りの練習から始めましょう」
-----
ある晴れた日、新たに領主となった男の結婚式が広場で行われていた。たくさんの子どもたちが参加しており花嫁に「お母さん、キレイ!」と言いながら走り回っている。
町の人たちは思い思いの露店を出し、治安警備隊の面々も今日は日が明るいうちから賑やかに乾杯している。
領主となった男は、やたらとムキムキであり眼光が鋭く、どこからどう見ても強そうな男だった。
だけれども町の人は知っている。やたらとムキムキな男は隣で寄り添っている小柄な女にめっぽう弱いことを。
オババの話も投稿しました!