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Short Stories

青空を手に取って

作者: フィクサー
掲載日:2024/01/15

 夏、平日。

 公園のベンチにぽつんと座る私。

 頭上に広がる大きな青空を見上げながら、そっと呟く。


「大丈夫だよ、イトホ」


 夏めいた爽やかな風が、火照った私の全身を包み込むように吹く。

 どこか懐かしさを感じた私は、ゆっくりと周りを見渡す。

 木々がかさかさと音を立てる。

 大きな黒い影が同時に揺れる。

 砂場に抜き忘れられた草も、一緒に揺れる。

 

 ふふふ。

 私は今どんな顔をしているだろう。

 人生に疲れきって絶望した、偽の笑顔か。それとも必死にもがいて生き方を模索する、嘘の笑顔か。

 はたまた全てを吐き出して泣きじゃくったあとの、安堵の笑顔か。


 ずっと堪えていた一粒が、音も立てず静かに頬を伝う。

 服の袖で拭う。しかしまたこぼれる。そしてまた拭う。

 何度も何度も、同じことを繰り返す。

 時間は止まらない。誰もやってこない。音もない。

 また何度も何度も、同じことを繰り返す。

 そう、何度も、何度も……


 私はゆっくりと目をつむった。

 そうして未来も過去も今すらも見えない暗闇の中、ハグをするときのように両腕を前にひらく。

 何も見えない。

 でもなんだか人の温もりを感じる気がする。

 なんとなくあたたかい気もする。

 

 私は、お互いを包み込むようにハグをした。




「落ち着いて、ハツカ。僕はずっとここにいるよ」


 私はそんな彼の声に安心して、ゆっくりと目を開ける。

 白い天井。閉まったカーテン。私に覆いかぶさるようにハグしてくれている彼。

 もうすっかり見慣れた朝の光景だ。

 薄暗い部屋の中で、私は彼の肩をとん、と叩いてから体を起こす。

 時計を見る。また今日が始まる。

 憂鬱な、日々の始まり。



    *    *    *



 私たちの住んでいるマンション、そのとある一部屋の玄関で。

 今日は彼と一緒に学校へと登校をする朝だ。彼は私に話しかけた。


「鍵は持った? 今日僕部活終わったあとちょっと用事があるからさ、帰りが結構遅くなるかもしれない。だから今日は先に家に帰っててほしい」


 彼は決まり悪そうな顔をして、「ごめんね」と言う。


「ううん、全然大丈夫。一応聞くけど、結構ってどれくらい?」

「んー、まだちょっと分からないんだよね」

「帰ってくるのは帰ってくるんだよね?」

「うん。あ、でも一回自分家には寄ろうと思ってるけど」

「そっか」

「なにかあったらすぐ電話かけてきていいからね。遠慮は無しだよ」


 そんな彼の言葉を聞いて、私はまた安心する。

 彼だけが、私の唯一の味方。私の命綱だ。


「じゃあ、行こっか」

「うん」


 そう言って、新たな一日の合図に、私は重いドアを押し開けた。




 彼は歩きながら、太陽を素手で掴むように青空に手を伸ばす。

 私は彼の横顔をじっと見つめたあと、彼と同じように青空に手を伸ばしてみる。

 手のひらがあたたかい。でもちょっとだけ眩しい。

 開いた指の隙間の太陽が、私に熱と光を与えてくれる。

 なんとなく、彼に似ているなと思った。


「こうやってさ、青空に手を伸ばしてるとさ、なんか安心するんだよね」


 私のすぐ隣を歩く、手を伸ばしたままの彼はそう言った。


「この世界ってやっぱりやってみないと分かんないことばっかりだからさ、こう手を伸ばしてみると今なら太陽にすら触れるんじゃないかって、僕は思う」


 確かに私もそんな気がする。


「でも本当は、そんな太陽ももっと遠くにいて、僕だけのものじゃない。太陽を囲む青空だって、僕たちからは青くて明るくて美しいように見えるけど、実際は、暗闇っていう果てしない恐怖の空間でしかない」


 心なしか、彼の表情が少し暗くなった気がする。

 私はそんな彼の顔に向かって、手を伸ばした。

 彼だけには、悲しい顔をしてほしくない。

 ずっと明るくて、眩しい笑顔をしていてほしい。

 私だけの味方。私だけの彼。

 


「安心して、僕がいるから。ハツカの家族とか友達がなんて言ったって、僕だけはずっとハツカの側にいるから」


 私はいつの間にか彼に抱きしめられていた。彼は指で私の涙を優しく拭う。

 自分でも気づかないうちに、涙が溢れ出していた。


 彼だけはいつもあたたかい。

 やっぱり、安心する。


「いつもごめんね。私もう大丈夫だよ」


 少し冷静になった私は、彼を安心させるために言った。

 しかし、私を抱きしめる彼の腕は一向に弱まる気配がない。


「自分でも気がついてないかもしれないけど、ハツカが『大丈夫』って言うときはね、決まってハツカは無理してるんだよ」


 彼の力がまた少し強くなる。


「我慢しなくていいんだよ。僕のことは気にしなくていいんだよ。自分自身には、嘘をつかなくてもいいんだよ」


 平日のひと気のない静かな公園の前で、私たちは二人して号泣した。




 今日もいつもとなんら変わりない一日だった。

 いつものように昼少し前に登校して、四限目の途中から授業を受ける。

 その授業が終わったら、昼ごはんを食べに屋上へ行く。

 そこには彼がいる。毎日。同じように。

 そして彼が作ったお弁当を一緒に食べて、昼休みも一緒に過ごす。

 何気ない会話をただひたすら続ける。

 たまに青空に手を伸ばす。たそがれる。そしてまた、彼と会話する。

 そんな日常。変わらない毎日。



「じゃあ、僕は部活に行ってくるから」

「うん。がんばってね」


 笑いながら、小さく「ありがと」と言う彼。

 何かおかしかっただろうか。

 じっと彼の顔を見つめる。


「いや、ごめんごめん。ハツカが素直に応援してくれるの珍しいなって」

「そうかな」

「いつもなら、『早く帰ってきてね』って言ってる」

「そりゃあ、早く帰ってきては欲しいけど。イトホがしたいことするのは止めないよ」

「……そうだね」



 私は、今日だけは一人で家へと帰っている。孤独に帰路につく。

 ちょうど帰宅ラッシュの時間なのか、道路は自動車の音や人の声でごった返している。人の気配が、これでもかというほど道路中に漂っている。

 でもなんだか寂しい。なにかが満たされない。

 いつもなら、本当は、私の隣には優しく微笑む彼がいる。

 でも今日だけはいない。

 そう、今日だけは。


 私はまた青空に手を伸ばして、必死に空の青を掴もうとする。

 今日の昼、彼は青空の正体は恐怖だと言っていた。

 でも、私は違うと思う。

 もちろん私は彼の全てを知っているわけじゃないし、彼の考え全てが分かるわけでもない。

 それでも、この大空の青だけは絶対に偽物には見えない。

 だってこれが、私がこの十五年間ずっと追いかけてきたものだから。

 ずっと必死に探し続けた普通の人生だから。

 お父さんもお母さんもお兄ちゃんも友達もいる、普通の世界だから。



 気づくと私は、すでに日が暮れた暗闇の中、マンションの自分の部屋のドアの前に座り込んでいた。

 初夏だからか夜はまだ少し肌寒い。

 なんとなく夜の暗闇に恐怖を感じて、私はすぐに部屋の中へと入った。



 久しぶりに一人で過ごした夜だった。

 午後十一時になっても彼は私の家に帰ってこなかったので、私は彼のことを少し心配しつつ、その日はゆっくりと眠りについた。


 ベッドの上で一人、「また明日ね」と呟いた私の声は、多分震えていたと思う。




 次の日、朝。

 私は部屋中に鳴り響くスマホの着信音で目が覚めた。

 白い天井。閉まったカーテン。

 しかし、隣に彼はいない。周囲を見渡してみたが、特に彼が帰ってきた気配もない。いつもと違う、非日常。

 私はうるさく鳴いているスマホを手に取る。

 彼からの着信だろうか。

 そう思っていた私は、思わず目を見張った。


 凝視したその画面には「イトホ 母」の文字。

 それは、間違いなく彼の名前だった。

 私は恐る恐る、画面の通話ボタンを押す。


『……もしもし、ハツカちゃん? 今、家だよね?』


 数回だけ聞いたことがあるような声。彼の母親の声だった。

 そしてその声は少し弱弱しく、今にも泣き出しそうな声音だ。

 私は「はい」と答える。

 嫌な予感がして、全身が粟立つのを覚えた。


『……私自身も……まだ状況をよく飲み込めてないんだけどね。落ち着いて聞いてね』



『イトホが、昨日の夜中に亡くなったの。まだ確定じゃないんだけど、おそらく死因は自殺』



 そのときから、私の世界は大きく形を変えた。



    *    *    *



 私の広げた両腕は、空を切った。

 なんとなくあたたかいと思った風も、すぐにベンチを吹き抜けてしまう。

 安心感はない。ただただ虚しさが残っていた。


 彼が亡くなってから一体どれだけの日数が経っただろうか。

 毎朝私は彼が設定したままのアラームの音で、目を覚ます。

 そして毎日毎日、私はこの公園へと足を運ぶ。

 あのマンションから逃れるために。

 彼の匂いすらも残った私の部屋は、私を思わせてくる。

 彼のあとを、追いかけたい、と。


 毎日毎日、私は同じ夢を見る。

 誰かの、安心感のある言葉に抱きしめられる夢を。

 いつかの、私の全てとも言える人との最期の夢を。

 目を閉じると、そこにはいつでも優しい彼がいた。

 

 どうして。どうして彼は諦めてしまったの。

 私には全く分からない。微塵も分からない。分かりたくもない。

 木々ががさがさと音を立てる。

 歪な黒い影が同時に揺れる。

 砂場に抜き忘れられた草も、私を嘲笑う。


 

 夏、平日。

 公園のベンチにぽつんと座る私。

 頭上に広がる大きな青空を見上げながら、また同じ言葉をそっと呟く。


「……大丈夫だよ、大丈夫だよ。私は、大丈夫」


 何度も何度も、同じ言葉を繰り返す。

 時間は止まらない。誰もやってこない。なのに誰かの嗚咽だけが聞こえる。

 そして何度も何度も、また同じ言葉を繰り返した。

 陰鬱な、日々の始まり。日常。


 私は、いつの間にか青空に手を伸ばしていた。

 大きく青く、どこまでも広がる青空。私がずっと夢見ていた人生。

 近くに白く輝く太陽を見つける。もっと力を込めて手を伸ばす。

 

 届かない。かすりもしない。ただただ、遠のいていく。空に。

 どれだけもがいても、記憶の一人にすら残らない。

 私だけの、ものじゃない。

 私の、ためじゃない。


 今になってやっと理解することができたよ。

 あれは、青空なんかじゃなかった。本当に、暗闇だったんだって。




「私は本当に、大丈夫だよ」


 青空を手に取って、分かったことがある。


「イトホも、絶対、青空を手に取って──」


 隣に座る彼に小さくそう呟き、私はついに決心をした。

 ベンチから腰を上げる。

 そして、私たちはまた、抱き合って言う。


「いこう。一緒に、マンションに帰ろう」

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