50代 男性
LAST END
50代 男性
白い世界の中、脇あたりの服の穴を気にしながら男は立っていた。
「次の人」
白い世界の中、男性の頭の中に案内人の声がした。
男性が少し見上げると、案内人が大きな本を抱えて立っていた。そしていつものように本を置く台を出現させて裏表紙が上になるように本を置く。
「手品師みたいやな」
少し驚いた様子のそんな男性の言葉には耳を貸さずに、ただ「あなた自殺したの?」と問いかける。
案内人のその問いかけに、男性は「はあ……」とため息混じりにじろりと案内人を見てこう言う。
「なんで俺がそんなんせなあかん」
あほらしい。そう言うかのように。
「そうよねー……」
案内人が本の最後のページを見て、感情を乗せずにこう言う。
「生きるのを諦めたのね」
「あ、あゝ」
男性は生きていた頃を思い返すことになる。
男性は金貸し業者の会社に勤めていた。
「木村製作所に行ってきます」
男性よりも若い社長に声をかけて事務所を出ようとすると、両肘をつき、細いタバコを持ちながら「荒っぽい業者からも借りてるようなので、若いのを連れて行ってください」と、関西弁の混じっていない綺麗な標準語で言った。
すると携帯電話をいじっていた若い社員2人がスッとソファから立ち上がった。
だが、男性は「いらんいらん」と手を振った。
「一人で大丈夫です」
社長に言いながら2人に座るように片手で制すると、2人はスッとソファに座ってまた携帯電話をいじり始めた。
社長は「頑固ですからね。言っても無駄なのはわかっていますから」と、いつも通りに男性をちらりと見ると、すぐに手元へと視線を戻す。
この社長、自分は動かないが人を動かす才能は長けている。だから男性もそんなところに惹かれて働いてはいるが、どうにも標準語を喋る口だけはあまり好きになれそうになかった。
でも、そんなこと、今はどうでもいい。そう思う男性は、いつものように身軽な状態で「行ってきます」と事務所を出る。
そして、ジャケットの内ポケットを確認した。
木村製作所に着くと男性は建物の一階と二階を見た。
「二階やな」
男性は鉄製の階段を「カンカンカンカン」と少し軽快に二階の事務所に上がっていった。「いてるか?」
男性が鉄製の扉を開けると誰もいなかった。おかしいな。今の時間なら二階にいるはずだが・・・。奥の休憩室も覗いたが誰もいないようだ。
そう言えば、最近は下にいることも増えていたな。
人を雇う余裕もないとかで。
男性はそれを思い出すと「やっぱり下やったか」と、独り言を言いながら鉄製の階段を「カンカンカン」と少し軽快に降りて、シャッターの隣の鉄製の扉を開けた。
「な、・・・」
木村製作所の社長が首を吊っていた。
「遅かったか」
木村製作所の社長の首が回らないという噂は随分前から聞いていた。
それでも、自転車操業でなんとかしていたから、こんなことにはならないと、心のどこかで思っていた。
しかし、その反面で、そうなってしまう可能性も否定出来ずにいたから、そう驚くことでもなかったのだ。
男性はジャケットの内ポケットから仕事の依頼の封筒を取り出し、遺書の隣に工場の部品を同じように重しにして並べて置いた。
「・・・・・・」
男性が静かに手を合わせていると、「お父さん」と掠れた声が聞こえた。
高校生の息子が男性を押し退けるように、後ろからぶつかって社長のもとに駆け寄った。息子はホイストクレーンのスイッチを押して下ろすと「お父さーん、お父さーん」と泣きながら叫ぶと、男性の方に振り向き睨んだ。そしてまた「お父さーん」と泣き叫んだ。
男性はそっと工場の外に出た。そしてその足で悪質な取り立てをしていた金貸し業者の事務所へ行くのだった。
少しばかり、胸糞が悪い。
そう思うと、口の端を少し歪めてくっと上げた。
数日後
暗い夜道、男性が口の横の絆創膏を気にしながら歩いていると、誰かにつけられている気がした。
「ほーひとりでこの間の仕返しに来たか」
少しばかり笑みを浮かべながら背後にいる人物に向かって話した。
しかし、答えは返ってこない。
当たり前だ。仕返しに来たやつが、わざわざ自分のいるところを知らせるような馬鹿な真似はしない。
ここやと、人目に触れる可能性があるな。よし、場所を変えよ。
男性は誰もいない鉄くず買取業者の敷地に誘い込もうとする。
「少し話しでもと、思ったんやけどな。生憎と、時間もないから、ここらでしよか」
そう言いながら人目に触れないところへと誘い出すことに成功する。
そして・・・。
いきなり男性の背に、背を低くしながら「ドン」とその人物がぶつかってきた。そして男性の横を通り過ぎた。男性の背中から腹へと、ナイフを突き刺して。
振り返って見た顔は、木村製作所の社長の息子だった。
もう、その社長の息子であることはわかっていた。だから「この間の仕返しに来た」相手に対して話していたのだ。
親の仇を野放しに出来る、そんなやつ、いるはずがない。
男性はそう思いながら社長の息子の顔を見た。
その顔は、蒼白で、でも、歪んだ笑みを浮かべていたようにも思えた。
恨みの籠った視線で、男性を見ている。
しばらくそのまま動けずにいると、社長の息子は急にハッとした表情を浮かべて、周囲を気にしながら、そこから走って逃げていった。
男性は腹からナイフを抜くと、積み上げられた鉄くずの上の方に投げ捨てた。
本来であれば抜かずに、刺さったまま出血しないようにするのだが、不思議と、そのことが頭から抜けていた。
男性は腹から血が出るのを抑えながら、鉄くずを積んだトラックごと重量が計れる大きな鉄板のはかりまで歩いた。鉄板のはかりにあぐらをかき座ると、携帯電話を取り出した。
「・・・」
それを取り出したところで、男は何をするわけでもなく、ただ男性は携帯電話を投げ捨てた。
「・・・」
男性は鉄板のはかりに仰向けになる。
今までの人生、何をしていたのだろう。いや、逆だ。何でもしていたか。
人として最低の行いを、何度もしてきた。人を追い込んでいく、そんな道を選んで来たのだ。
これ以上生きていてもどうしようもない。
そして夜空の星を見ながら消えゆく意識の中で、子供の頃の事を思い出していた。
男性が12歳の時に両親は離婚をした。平屋の大きな家に、立派な庭がある門の前、男性と父親そして8歳の弟は泣いていた。母親は泣いている2歳の妹を抱っこしながら男性に「お兄ちゃんごめんね」と泣いていた。そして男性と弟は父親と一緒に家を出ていった。父親と男性と弟の男3人大阪での生活が始まったが、すぐ新しい母親との生活が始まった。その生活も5年くらい続いたが父親が亡くなった。しばらくは優しい母親との生活が続いたがその母親も亡くなり、弟の面倒を見ながら兄弟2人で暮らした。
弟は物分かりが良く、両親のいない暮らしを一度も嘆いたことなどなかったし、よく兄である男性と喧嘩もしたが、それ以上に一緒に笑ってきた。
そんな弟が、少しばかり気になるが、もう・・・・・・。
「死んでまう。あほや。俺はほんまもんのあほや」
笑いながらそう言うと、声が掠れていた。
息も、もうし難い。
生き残ったところでどうしようもない。また、あんな思いをするのは嫌だし、させたくもない。
社長には憧れていたが、ああなったら人間の嫌な面ばかり見るし、自分がそうなってしまうと気づいたからには、もうそこに留まるわけにはいかなかった。
あの社長は、また自分のような鉄砲玉だか野犬だかわからない人間を雇ってこれからもやっていくことだろう。
弟はともかくとして、弟分のように可愛がってきた仕事仲間もいない。
結局のところ、自分はどんなに頑張っていたところで、それを認めてくれる人は一人としていなかったのだ。
「あーあ、もう、あほやな。最期に、気づくなんて・・・」
男性のその最後の言葉が零れた後、男性は息を吸って、そのまま息が吐かれることはなかった。
「これから地獄へ案内するけど、その前に何か望み事があれば叶えます」と、案内人がいつものように聞くと男性は腕を組み考え始めた。
「会いたい人がいれば会いに行くこともできるけど」
案内人がそう言うと、男性はピンときた人がいた。それは案内人も今まで見送って来た数多くの人々と同じ願いだった。
「おかん、いやお母さんに会いたいな、会って謝りたい」
最後にお母さんに会いたいと言う人が多いなと、案内人は少しばかりその人間の普通の思考が理解し難いように思えた。
だが、単純な願いと言えばそうだった。想像もできるし、何なら一番多いくらいだ。
「話しかけることはできないわよ」
「ええよ」
案内人は厚みが15センチほどの大きな本を出現させると最後のページを開いた。
「急ぐわよ」
と、案内人は男性の前に降りてくるように移動すると
「手を出して」
「・・・」
案内人が男性の手を掴むと
「はぐれないようにね」
案内人と男性は白い世界から消えていった。
平屋の大きな家のりっぱな庭に、案内人と男性は現れた。家の中には男性の母親が布団に寝ていた。その周りに年老いた医者と40歳位の女性が座っていた。
「彼女はあなたの妹さんよ」
妹は美人で、少しばかり痩せているように見える。
「へーべっぴんさんになったな」
自分の妹と会うのは随分久々だ。
子供の頃以来だから、その成長した姿に少し驚きもあった。
確かに自分と似ている部分もあるが、どちらかというと母親似のようにも思える。
そうでなければ、こんなにも「べっぴん」であるとは考えられないからだ。
そんなことを思っていると、女性が母親に寄り添うように「わー」と泣き始めた。
「今あなたのお母さんは亡くなったわ」
男性は膝を付き手を合わせた。
そうか。今、亡くなったんか。タイミングがいいだか悪いだか、さっぱりや。
そんな風に思いつつ、男性は合わせていた手を離した。
しばらくすると誰かが男性の頭を叩いた。「???」男性が後ろを振り返ると案内人ともうひとりの女性が、案内人に耳打ちしているように立っていた。そして男性の真後ろには今さっき亡くなった男性の母親が立っていた。母親は無言のまま案内人に頭を下げると、もうひとりの案内人と天国へと地上から消えていった。
「あなたのお母さん、天国へ行く前の最後の願いはあなたの頭を叩きたかったですって」
「・・・」
なんだ。全て知っていたのか。それとも、向こうの案内人に聞いて、自分のことを知ったのか。どちらにせよ、悲しませるのは本意ではなかったなぁ。
そんなことを考えていると、案内人からこんなことを言われる。
「妹さん、臓器移植しないと助からない病気ですって」
寝耳に水だった。
「じゃあもしかしたら兄妹の俺の臓器を移植できたんか?」
こんなことなら、生きることを諦めなければ・・・。
「・・・」
案内人は何も言わない。
「なあ、なんとかならんか?」
もし、自分に命があったなら、臓器の提供を喜んでしたのに。
健康体なだけが自慢だった。だから、妹のためならいくらでもあげられたのに。
なんでこんなに、タイミングが悪いのか。
なんで、今になって知るのか。
男性は一人、虚しさを抱えていた。
「・・・そそそろ行きますよ」
「なあ、俺の臓器」
「・・・死んだ臓器では、わかるでしょう」
「・・・・・・」
男性は何も言えなかった。全てが遅かった。もし、妹の存在をもう少し早くに知っていれば、何か違ったかもしれない。
もし、もっと早くに母親のことを思い出せば、絶対に未来は変わっていたはず。
後悔は後からやってくると言うが、本当なのだと痛感した。
そして、自分がこれから行くところは地獄・・・。
もう、母親にも、父親にも、弟にも、もちろん妹にも会えない。
どうすることもできないと、涙も出なかった。
「ほら、行きましょう」
「・・・わかった」
二人は消えていった。
「お邪魔します」
と、男性の弟が男性の住んでいた部屋に入ってきた。
「へー兄ちゃんち久しぶりに来たわ」
男性の弟は特に理由もないが、兄の家に遊びに来たのだった。
いつでも行ったるわ。なんて言っておきながら、全然弟のところに遊びに来ない兄に、一発何か言ってやろうと悪戯心を持ちながらやってきたのだが・・・。
部屋の奥に進むが兄の影はない。
おかしいなと思いながら、部屋全体を見回す。
すると弟の背後にあった本棚から「トン」となにか落ちる音がした。
「ん? アルバム?」
と、懐かしそうにアルバムを開いた。
そこにはかつての家族の姿が・・・。
「妹元気かな? 久しぶりに連絡取って会いに行くかな」
連続短編小説10代少年、20代女性、30代女性、40代女性よろしければ読んでください。