出会いがもたらすモノ
ローラが聖都におよぼす経済効果は、日に日に大きくなっていった。
とある普通の宿屋も、その恩恵を受ける。
ある日、突然訪れたローラに、宿屋の主人は驚く。
「何かお礼がしたいの」
その言葉に、主人は困惑してしまう。
宿屋の主人にしてみれば、趣味である演劇を観た時、たまたま出演者にローラがいたのを知った。しかも、その演技は素晴らしいもので、宿屋の主人はすぐにローラのファンになってしまったのだ。
宿屋自体は寂れるほどではなかったが、満室になるほど繁盛してる訳でもなかった。
だからこそ、ローラの荷物を部屋に置きっぱなしに出来た。
その荷物をファンとしてローラの楽屋へ届けたに過ぎない。
「旅行鞄の事でしたら、お気になさらずとも大丈夫ですよ」
宿屋の主人は、ローラの気持ちだけで充分だと答えた。
「それだと、私の気がすまないの。あの日から今日までの宿代を支払うわ」
何せ宿泊手続きをしたが、結局1度も宿泊しておらず、代金も未払いである。
これはローラが、荷物ごとすっかり忘れていた為だった。それは元々、物事に固執しない性格だからだろう。
「分かりました。それでは、代金のかわりにサインを書いてもらえないでしょうか?」
宿泊してもいないのに、代金を貰う事など出来ない宿屋の主人は提案する。
「お安い御用だわ。どこにサインすればいいかしら?」
こうして、お礼がしたいローラと、遠慮がちな宿屋の主人。
その落とし所として、ローラが宿泊しようとしていた部屋の壁にサインして貰う事になった。
ローラのファンである宿屋の主人にしてみれば、一生ものの宝物である。
しかも、あの日から誰もその部屋に宿泊させていないのだ。
付加価値が半端なかった。
もちろん、宿屋の主人は今後もその部屋に宿泊させる気がなかった。
とはいえ、聖都はローラの話題で一杯である。
つい、自慢したくて宿屋の主人は周りにそのことを言ってしまった。
その話は瞬く間に広がる。
基本的にどんな都合が悪い噂話も、一切否定しないローラだ。それなのに、この噂だけは「聖都で1番信用出来る、誠実な宿屋よ」と、肯定した。
この一言で一流の商会が、こぞってその宿屋を利用する事になった。
そして、連日満室の嬉しい悲鳴を宿屋の主人はあげる。もちろん、ローラの部屋だけは誰にも宿泊させなかったが、宿泊客にだけ特別に部屋の壁に書かれたサインを見せてあげていた。
これも、商売上手なところといえる。
そんなローラの逸話は他にもある。
ある日、ローラが現れたのは、ストリップ劇場だ。
当然、観客たちは大騒ぎになる。
なにせ魔法道具越しにしかお目にかかれない美少女が、目の前にいるのだ。
ステージの上で裸体を晒す女優を無視して、野郎共はローラに群がる。
これには、舞台女優が頭にくるのも仕方ないだろう。
「そんな小娘など、服で盛ってるだけよ! 脱げば貧相な身体に決まっているわ!」
自身の身体が魔法道具を使った整形なのを棚上げして、その女優はローラを侮辱する。
これに対して、酔っぱらっているローラは不敵に笑いながら「その戦線布告、受けてたつ!」とステージへと上がる。
そして、あろうことか、観客たちの観ている前で、ストリップを始め全裸になった。
「これが貧相か、その目でよく見なさい!」
ローラは自信満々に、女優に見せつけた。
もちろん、会場は大騒ぎだ。
野郎共にしてみれば、天から降ってきた幸運に、狂喜乱舞した。
その瞬間、ストリップ女優の完全敗北が決まった。
肩を落とし、落ち込む女優。
それを見たローラは、完全に酔っぱらっていた。そして、その傷ついている女優が可愛く思え、ステージの上でおっ始めようとした。
流石にこれには劇場の支配人もスタッフも大慌て。なんとか、2人を引き離したらしい。
こうしてローラはまた、伝説を作る。
因みにこのストリップ劇場は、もしかしてまたローラが来るかもという、淡い期待に野郎共が集まり、連日盛況だった。
しかも、ストリップ劇にあの日の事を題材にしたものを披露した。
ところが、始めはローラ役の女優がブーイングで傷つき、上手く上演出来なかった。
そこで支配人自ら女装して出演したところ、観客たちから大爆笑。そのまま大ヒットになる。
今では聖都の珍名所である。
この手の話でも、飛びっきりの変わり話がある。
ローラが街を歩いていると、1人の男性と出会う。その男性の顔を覚えていたローラは、男に声を掛けた。
「あら、久しぶりじゃない。こんな所で、何してるの?」
「なんだ、あんたか……まぁ、見ての通り職探し中だ」
男はいきなり声を掛けられ、少しだけ驚きながら答えた。
「ん? 記憶違いかしら。てっきり、大道具係だと思ったのだけど」
疑問符を浮かべながらローラは言う。
それに対して男は、少し気まずい感じだ。
「まぁ、あんたの所為じゃないんだが……」
そう前置きをして、ローラに説明した。
ローラが出演する劇は、常に大ヒット状態であり、毎回のようにロングラン上演されていた。
それは短いサイクルで別の劇をしていた時より、当然ながら大道具を必要とする頻度が低くなる。
で、劇団側は最低人数だけ残して、後はクビにしたらしい。
そして、今では必要に応じて、外注しているとの事だった。
大道具係も劇団員である。
役者だって、すぐにクビになる世界だ。別に不思議でもなんでもなかった。
「ふーん。なら、今暇なのね。丁度いいから私に雇われなさい」
この一言で男は雇われた。
いや、正確には男同様に解雇され、まだ無職の元大道具係もだ。
彼らを集めてローラがさせたのは、ベッド作りだった。
既に豪邸に住んでいるローラだったが、基本的に寝れれば何処でも良かった。
宿屋だろうが、寮だろうが、豪邸だろうがだ。豪邸に住んでる理由も、ローラという金の卵を産む大女優を失いたくないオーナーが、無理矢理押し付けていただけである。
当然、ローラは豪邸で寝泊まりしたりしなかったりと、今までと同じ生活を送っていた。
だから気にしてなかったが、彼の話を聞いて、せっかくなら丈夫なベッドが欲しくなった。
こうして、彼らにベッドを作らせ始めたローラ。
その事を知り合いに相談した結果、気がつけば彼らが作業する場所の確保や材料調達の方法、そして着々と準備が整い、普通に寝具店が出来上がっていた。
そこで作らせたローラ専用夜戦特化型ベッドは、ローラが夜戦を行うのに満足するほど、素晴らしいものだった。
ここに、ローラ御用達の寝具店が誕生したのだ。
その噂が広まるなり、超高品質も含めて評判になる。そして、世の夜戦愛好家からの注文が殺到。大繁盛する事になった。
こんな感じで、至る所で人々と出会い、その繋がりを使うローラは、その気まぐれで影響力を高めていく。
もっとも、どれだけ周囲が変化してもローラの本質は変わらない。
何処に行っても、変装なんてしない。
偽名も名乗らない。
隠れてコソコソなんてしない。
いつも、堂々としていた。
そんなローラに対しての悪評など、もはや宣伝にしかならない。
そもそも、ローラは悪女なのだ。
ローラが普通にレストランで食事をしていると、1人の老人が近寄ってきた。
「すまんが、相席していいかの?」
「ええ、構わないわ」
店内を見渡せば、いつの間にか満席になっていた。
「実はワシはこう見えて、演劇にはちょっと煩い方での。ローラさんの演技を見せてもらったが、ちょっと疑問があるんじゃ」
「何かしら?」
「初期に演じた役で、処刑されるシーンがあったじゃろ。何故、ローラさんはあのシーンで、あんな風に笑ったのじゃ?」
「嬉しいからよ」
ローラはなんでもない事のように答える。
老人は思い返してみる。
確かに、あの時のローラの笑顔は自然だった。それ故に、誰も違和感を覚えなかった。とはいえ、それがまさか嬉しいからだとは思いもよらなかった。
「処刑されるのが、嬉しいものなのか?」
「死んで周囲を悲しませるより、死んで周囲を喜ばせる事が、嬉しいからよ」
その言葉に、老人は目を見開く。
未だ嘗てそのような価値観を、老人は聞いた事が無かった。
もしも人々を喜ばせることが正しいのなら、ローラのその価値観もまた正しい事になる。
だが、老人は気を引き締める。
目の前にいるのは、稀代の悪女なのだ。
悪女が正しい事などあり得ない。
そんな風に決めつけて思い込むほど、老人は耄碌していなかった。
嘘吐きが正しい事を言う事もある。
正義で人を殺す事もある。
ならば、悪女が正しい事をする場合だってあるだろう。
老人はそう考えた。
「善人には出来ない喜ばせ方じゃの。人々に喜んで欲しく思うが、真似はしたくないのぉ。それにしても、もしかしてローラさんは死が怖くないのか?」
「えぇ。怖くないわ」
「それは何故じゃ?」
老人の目が鋭くなる。
だが、ローラは気にしない。
「人は生きている時には死なず、死んでいる時には生きてないからよ」
それは単純であるが故に、真実でもある。
同時に、死後の世界を教えている教会の教えに、真っ向から背く考えでもあった。
「そりゃ、かなり刺激の強い考えじゃの。ローラさんは長生きしたくないのかの?」
「長生きより大事な事があるだけね」
「ほぅ……それは是非とも聞きたい」
「私が私である事」
その言葉に、老人は思案を巡らせる。
自分らしく生きるのは大事だ。
だが、それだけでは社会は成立し得ない。人は協力する事で社会を作る。誰かに必要とされるから、誰かを必要と出来るのだ。
一方的な関係性は、必ず破綻する。
子が親から独立するのも、それが社会の為に必要だからだ。
「困った考えじゃのぉ。誰もがそんな考えをしては、社会が悪くなるばかりじゃ」
「その通りね。だから、私は悪女なのよ」
ローラは微笑みながら言う。
それは老人にとって、心地よく響いた。半端な正義を振りかざし、覚悟もないくせに他者へ考えを示す。それどころか、自分の考えを押し付け、他者の考えを否定する輩。そんな有象無象より、老人にとってはよほどローラに好感が持てた。
そして、絶対の正義。
それは、覚悟ある者にのみ許される。
これこそが、老人の考えだった。
「お話、楽しかったわ」
そう言うと、食事を済ませたローラは席を立つ。
「ワシも楽しかったわい」
去りゆくローラの背に、老人は礼を言った。
ローラがレストランを出た後、まだ席に座ってる老人の元に客達が集まる。
老人を囲むその連中の1人が、老人の前に出てくると、片足を床につけ跪く。
「猊下。あの小娘を行かせて宜しいのでしょうか?」
「構わぬ。それより、調べたのじゃろ?」
「はっ! 鑑定したところ、矢張り何もスキルを身につけておりませぬ」
「偽装の可能性は?」
「我等が誇る高感度多角鑑定です。まず、偽装は不可能かと」
「ふぉっふぉっふぉっ……ならば、あの小娘のカリスマは本物じゃの」
老人は嬉しそうに笑った。
教会のトップに君臨し、絶大な権力を持つ老人が、自らローラを試しに来ていた。
スキルと呼ばれる特殊技能は、基本的に教会だけが付与する事が出来る独占技術。
その秘儀はスパイを許すほど、教会は生温くない。技術を盗みにきた不届き者は、教会の持つ闇を実体験することになるだろう。
そして、集団に影響を与えるスキルの管理は、そんな裏表のある教会らしく非常に厳しいものになっていた。
事前確認の情報で、ローラにスキルがない事は判明していたにも関わらず、こうして試したのは、教会ならではの念の入れようといえた。
この日、ローラは知らない内に教会の庇護下に置かれ、生涯免罪という認可が与えられた。
それは、皇帝や国王などと同じ立場になった事を意味している。
そして影響を与える著名人や有名人を敵にせず、味方に引き入れるこの方法は、教会の十八番である。
それは信者を増やすだけではなく、教会の権威を増やすことにもなるからだ。
後日、これに利用されたと知ったローラは、「正気かしら」と呟いたらしい。
だが、ローラは気付かなかった。
それが、何をもたらすのかを。