結果を伴う非常識
オーディション当日、ローラは知らない男の部屋にいた。
いや、厳密に言うならば深く知らない男性の部屋というべきか。その部屋は安いモーテルのようにタバコと酒の匂いが染みつき、窓から入る日差しがホコリを目立たせていた。
昨日、劇場で見たオーディション開催日が翌日からだった事で嬉しくなり、そのままローラはバーへ飲みに行った。そこで意気投合した相手と飲み明かし、今に至る。
ローラは堂々と全裸のままベッドから降りると、テキパキと服を着る。
そこに若干眠そうな男が、目をこすりながらローラに話し掛けた。
「んだよ。随分と慌ただしいな。こっちでもっとゆっくりしようぜ」
全裸の男はベッドの空いたスペースを手で叩きながら言う。
だが、ローラは返事もせずに身支度をしていた。
「ったく、素っ気ない女だな」
その言葉でローラは男に振り返る。
「ねえ」
「んだよ?」
「タバコが無いわ」
男はお手上げのジェスチャーをすると、自分の枕元にあるタバコをケースごとローラに投げつける。
それを軽く受け取ると、ローラはタバコに火をつけた。
そして、ふぅっと煙を吐き出し、そのまま男に背を向けたまま少し手を振ると、何も言わずに部屋から出て行った。
オーディション会場は小さな劇場だった。
ローラがそこに行くと、既に幾人も先客がいた。彼らはステージの上に用意された椅子に座っている。
どうやら手前で受付してから、椅子に座る段取りらしい。
ローラも受付の名簿に名前を書く。
すると、係員から14番の札を渡された。
それを手荷物の中に放り込むと、他の参加者と同じように椅子に座る。
ローラの後からも幾人かきて、総勢30人位で締め切りになる。
この日の参加者たちは、男性よりも女性の方が圧倒的に多かった。配役自体は男女の偏りがあまり無い以上、必然的に女性の方が倍率が高くなる。
まあ、オーディションは今日だけという訳ではないから、別の日ならまた違うのかも知れない。
「これよりオーディションを開始します」
ステージ前に置かれた長方形のテーブルに、5つの椅子がある。
そこに審査員が座ると、その中の一人が話し始めた。
「これより台本の一部を渡します。参加者はその中から自分が演じたい役の台詞を覚え下さい。その後、我々が番号を呼びますので、順番にステージ前に出て演じて下さい」
そこまで話をすると、係員が参加者全員に台本を配る。
「では、制限時間は15分です。始め!」
その言葉で参加者たちは一斉に台本を読み始める。
そんな中でローラは一人、手荷物から酒を取り出して飲み始めた。
台本など床にほっぽり投げてだ。
その行動に参加者たちは一瞬ア然とするも、直ぐに台本を真剣に読みだす。
参加者全員の気持ちは一つ。
ああ、あいつは落ちたな……
これである。
合格者の数が限られている以上、誰もが敵だ。競争相手が減る事を歓迎しても、世話を焼く者などこの場に居ない。
そんなピリピリと張り詰める緊張感の中、ローラは酒を飲みながら、今度はタバコに火をつける。
因みに、別に劇場内は禁煙では無い。
実際、審査員たちもタバコを吸いながら話していた。
ただ、舞台の上で喫煙する人間が普通は存在しない。
「灰皿」
そんな彼らにローラは言う。
審査員たちは首を傾げ、こいつは何を言ってるんだ、と顔に書き始めた。
「なにグズグズしてるの。早くしないと灰がステージに落ちるでしょ」
その傍若無人な態度に呆れるも、審査員の一人が手招きで係員を呼ぶ。
そしてテーブルに置いある灰皿の一つを渡すと、それをステージに置くようにジェスチャーをした。
そうして置かれた灰皿をローラは拾い、それを持ってまた席に座る。
そしてまた、1人酒盛りを開始するのであった。
15分が経過し、「そこまで」の言葉が響くと、また係員がステージに上がる。
そして参加者全員の台本を回収した。
当然、ローラは台本を一度も読んでいない。
それでも気にせず、酒を飲んでタバコを吸っていた。
その時、ローラの床に置かれた台本を拾い上げる係員の眼差しが、とても冷たかった事は言うまでもないだろう。
「それでは、1番。前へ」
「はい!」
呼ばれた美女は和かな表情で返事をすると、審査員の前に出る。
その表情は周囲の緊張感を吹き飛ばすような暖かさを感じられ、とても好感が持てる女性だ。
「貴女の希望する役はなんですか?」
審査員のその言葉で、オーディションの本番が始まった。
参加者たちは全力を尽くし、希望する役を手に入れようと必死に演じる。誰も彼もがこのチャンスをモノにしようという気概に溢れている。
そして次から次へと順番が回っていた。
誰も彼もが負けじと演じてる中、ローラだけは酒場にいるように酒を飲んでいた。
むしろ参加者の演技をツマミに、美味しそうに酒を飲む。
「次。14番! 前へ……14番!? 居ないのか?」
ローラは審査員に呼ばれるも、全く反応しない。完全にただの酔っ払いだ。
「じゃあ次、15番。前へ」
審査員は気にせず次を呼ぶ。
「分かりました!」
そう若い男性が答え、ステージの前へと歩く。
自分の順番が飛ばされていても、ローラは平然と酒を飲んでいた。
ついに、参加者全員の審査が終わってしまった。
「これより審査員で協議をします。参加者は全員、係員の指示に従い控え室へ移動して下さい。オーディションの合否につきましては、後ほど係員より報告があります。それまでは控え室にて、待機してるようお願いします」
審査員の一人が言うと、係員が案内を始める。参加者たちはその後ろをゾロゾロと付いて歩いていった。
そしてステージの上には、酒盛りをしているローラだけが残っていた。
「ほら、君も付いて行きなさい」
半ば呆れながら審査員は言う。
「嫌よ」
だが、ローラは断る。
困惑する審査員を前に、ローラは話し始めた。
「だって、私は呼ばれてないもの」
その発言で審査員たちが騒めき出す。
「どういう事だ。全員を呼んで無かったのか?」
「いえ、キチンと順番に呼んでいます」
「もしかして、14番では?」
その言葉で審査員たち全員が頷く。
「ああ、君。こちらはキチンと呼んでいるのに、返事もせず前に出て来なかった君が悪い」
審査員が端的に伝えるも、それにローラは反論する。
「私はローラ。14番なんて名前では無いわ」
審査員にしてみれば頭の痛い事だが、オーディションとは色々な人間が来るものだ。
その中には変人、奇人も来たりする。
だから審査員たちは、このローラもその類だと思い、さっさと要望を叶えて追い出す事にした。
「分かったよ、君……いや、ローラ。前へきたまえ。で、希望する役はなにかね?」
ローラは審査員たちの前まで行くと、全員をゆっくりと見渡してから答える。
「悪女よ」
「つまり主役のエリザベートだね。では、演じたまえ」
審査員が言う。
だが、ローラは喋らない。
「あー、ローラ。もしかして台詞を覚えていないのかい?」
「いいえ違うわ。台詞が無いだけよ」
審査員たちが台本を見ると、間違いなくエリザベートの台詞は書いてある。
審査員の一人が台本をローラに見せつけるようにしながら、言う。
「見たまえ。ここに書いてある」
ローラはその審査員に呆れる。
そして、溜め息交じりに答えた。
「その目は偽物ね。台本の中に悪女なんて居ないもの」
ここにいる審査員たちはプロだ。
それも、それぞれの分野において、誰にも負けないという気持ちを持っている連中ばかりだ。
その彼らを、よりにもよってローラは偽物呼ばわりしたのだ。
自然と彼らの表情が険しくなる。
「ならば君のいう悪女とは、何処にいるのかね? 是非ともご教授願いものだ……ははは」
審査員の一人がローラをバカにし、蔑むように対応する。
だが、その程度のことローラは気にしない。
「貴方の目の前にいるわ」
ローラは平然と答えた。
そして、教師が生徒を導くように話し続ける。
「いいかしら……私の中に悪女はあるの。そして……この世に本物はたった一つだけよ」
つまり、ローラはこう言いたいのだ。
この世に悪女とされるものなど、全て悪女では無い偽物だと。
発酵と腐敗くらい違うものだと。
まして悪ぶる存在など、悪でもなんでも無い。
ローラにとって悪女とは、何処までも自分らしく生きてきた結果だ。
それが周囲から悪女とされる事は自然な事であり、そのことについてローラに不満は無かった。
ローラが許せないのは、自分以外に悪女と呼ばる存在だ。ワガママで、身勝手で、気まぐれなローラにとって、同族嫌悪に近い感情なのだろう。
「貴方たちが本物を必要とするなら、私を選びなさい」
命令するような口調。
しかし、それを言ったローラの表情は、慈愛に満ちたものだ。
優しく、慈しむように、審査員を1人1人ゆっくりと見渡していく。
すると、審査員の一人が席を立つ。
その審査員の目は嬉しそうに垂れ、その口角は獲物を見つけた肉食獣のように上がる。
そして、拍手をしながら言った。
「合格だ。おめでとう、ローラ」
その瞬間、他の審査員たちも拍手しだす。苦笑いするものや、呆れるものなど、彼らの表情は様々だったが。
「ありがとう」
このオーディション会場に来てから、初めてお礼の言葉をローラは言った。
まるで王侯貴族のように、万雷の拍手に包まれながら。
この日、聖都に一つの伝説が誕生した。
弱冠15歳、初めてのオーディションで合格。それも主演女優として。
それはローラが聖都に到着した、わずか翌日の事であった。